三十三 家中の引締め
1563(永禄6)年7月 近江国小谷城 浅井長政
先月の実宰院での戦いは、姉上たちの圧勝だった。
実は、お市を囮にするような作戦に俺は反対した。だが姉上の希望で、敵を実宰院に引き付けて女性部隊の実力を示すために、お市には実宰院に行ってもらった。お市自身も張り切っていたな。
結果は満足すべきものだった。
姉上たちは二倍の敵を寄せ付けず、最後は中島宗佐の部隊が後ろから挟み撃ちにして、反逆者たちは壊滅した。一方、味方の損害はごくわずかだった。
敵の主将たる阿閉貞征は中島宗佐が討ち、副将格の樋口直房は姉上が討ち取った。
六角家との決戦が近づいているときに、家中の引き締めができたのは大きい。
阿閉家は取り潰し、取り調べてお市の誘拐に関与した大人は処刑し、関与していない者と子どもは領外に追放した。阿閉貞征の首は罪状を述べた木札と共に山本山城の前にさらした。現代の感覚だと残酷だが、この時代では普通のことだ。むしろ子どもは逃して良いのか、源平の故事もあると家臣に聞かれたが、「成長した阿閉の子が俺を討つなら、俺もそれまでだということだ。」と答えた。どうにも子どもまで処刑するのは性に合わない。
堀家も取り潰すべきところ、当主は幼少なので寛大な措置をとり、領地は村を一つ残して家の存続は認めた。樋口直房の首は阿閉貞征と同様に、罪状を述べた木札とともに領内にさらした。直房は結婚式で恥を掻いたと周囲にこぼしていたそうだが、当主とその妻を馬鹿にしようとして、さらに逆恨みするようではどうしようもないな。堀秀村は、浅井家臣としての心構えと内政を学ばせるために百々内蔵助に預けることにした。
浅井家はもともと京極家の家臣の国人領主であり、急に主君になった浅井家に複雑な思いのある家臣もいるだろう。だが浅井と同格の京極家家臣だった赤尾や三田村、安養寺は浅井の重臣として活躍している。
阿閉貞征や樋口直房は時流を読めなかったのだ。俺は家臣を恐怖で支配する気はないが、家臣から舐められては大名としてやっていけない。今回の事件は、他の家臣たちへの牽制にもなるだろう。
坂田郡に広がっていた堀家の所領はほぼ没収したことになるが、半分を直轄地にした。残り半分は、最近完成した横山城の城主に昇進させた中島宗佐と遠藤、磯野、新庄に割り振った。
中島宗佐の後任となる近習の隊長は前田利家にした。実力は申し分ないし、浅井は新参者でも能力があれば登用するというメッセージでもある。俸禄が上がることを利家も喜んでいたな。
そして、山本山城は姉上を城主とした。実宰院は手狭になっていたし、浅井家で女性が城主になる先例にするつもりだ。今回の活躍で女性部隊の名は上がり、さらに志願者が増えたようだ。弓を教える武将として、弓削家の娘が来てくれたとも聞いた。遠征軍とは別に領内の警備兵も整備しようと思っていたので、姉上の訓練を受けた者は警備兵にするつもりだ。拠点が尼寺から城になったことで、姉上は男の志願兵も受け入れると言っていた。
宮部善祥坊は重臣として今後は小谷城に詰めてもらうことにした。安養寺氏種と山中橘内と一緒に外交・謀略を担当してもらうつもりだ。
これで大体片付いたが、今回の後始末はもう一つ残っている。
近江国竹生島 浅井久政
長政に家督を譲ってから、皆が儂のことをないがしろにしておるのはけしからん。
だが最近になり、阿閉と樋口が連名の書状を送ってきた。
儂の隠居所は長政の近習が監視しておるが、近習の中には阿閉家出身の者もおる。長政はまだまだ甘いな。
書状には、長政が織田家と組んで、強大な六角家と斎藤家を同時に相手取っていることが心配だと書いてあった。うむ、ようやく家臣たちも儂の方針の正しさが分かってきたか。強大な相手には下手に出ることも必要なのだ。
さらに書状には、長政が楽市楽座を導入したので関料が減って困窮していること、鎌刃城主が遠藤直経になったことで堀家が遠藤家の下に置かれたことへの不満が書かれていた。
このあたりは愚痴のようなものだと思うが、せっかく儂に書状を出してきたのだから、返信にはお主らの気持ちは分かると書いておいた。
阿閉と樋口の書状には、長政には当主の座を降りてもらい、再び儂を主君として仰ぎたいと書いてあった。そう簡単にいくのかとも思うが、儂もまだ老け込む年ではない。家臣たちが揃って当主復帰を願うのなら、考えないでもないと返事をした。
あれから一月ほどして、長政から書状が届いた。
儂をずっと放置しておいて、今さら謝っても簡単には許さぬぞ。
まあ取りあえず、読むだけ読んでやろう。
書状を開くと、「悪ふざけは程々になされよ。」とだけ書いてある。
一体どういうことじゃ。儂を馬鹿にしておるのか。
書状を読んでいると、隠居所の外が騒がしくなってきた。
何があったのじゃろう。
外に出てみると、人だかりができている。
人だかりの向こうには、磔にされた者がおった。
何と、磔になっているのは阿閉と樋口からの書状を持ってきた近習だ。阿閉家出身と申しておった者だ。
横の木札には罪状が書いてある。
「この者は、浅井家当主長政様に背き、正室たるお市の方を攫わんとした叛臣阿閉貞征並びに樋口直房の一味なり。織田家との同盟を反故にしたる後に先代の久政公を当主に担ぐことを企み、久政公に阿閉並びに樋口の書状を密かに手渡し…」
何ということだ、阿閉や樋口の企みは長政に知られておったのか。それでは儂が奴らに出した返信も長政の手に渡っておるのか。
気付けば、竹生島の住民が儂の方を見ておる。
島の者には体調不良で隠居したと説明しており、島の者たちも先代当主の儂に丁寧に接しておった。
だが今は、皆が儂に冷たい視線を向けている。
こ、こんなはずでは。逃げるように隠居所に駆け込んだ。




