三十一 浅井領の状況と陰謀
1563(永禄6)年4月 近江国小谷城 浅井長政
中島宗佐の報告を聞いて、俺は正直に言えばほっとした。
この時期だと、新加納の戦いだろう。竹中半兵衛の活躍で織田が負けた戦いが史実どおりに起きたようだ。
同盟している織田家が敗れたのに不謹慎だとは思うが、俺の知る歴史と大きな違いが生じていないことに安心した。
中島宗佐には織田殿の無事を確認するように指示し、心配そうな表情をうかべてみせた。
しかし、信長は無事だろう。無事どころか、ますます美濃への攻勢を強めるはずだ。
信長は昨年、家康と正式に同盟している。いわゆる清州同盟だ。これで織田家は東を気にせず、美濃に専念することができる。じきに小牧山に本城を移して美濃を攻略していくはずだ。美濃も抵抗するが、次第に侵食されていくだろう。
歴史のように織田家との力の差が大きく広がるのは避けたい。
美濃が落ちるまでに、こちらは南近江を呑み込みたい。
だが焦ってはいけない。今年の秋に起きるはずの六角家の歴史イベントに乗じることが最も犠牲が少ないだろう。ここはおじさんらしい我慢強さを発揮すべきところだ。
そういえば、お市に一目惚れしたのは年甲斐もなかったと、後で一人で赤面した。どうも若い長政の体と記憶に影響されている気もする。
考えてみれば、俺は何者なんだろう。19歳の若い体に長政の記憶を持ち、21世紀の日本からおじさんの意識が転移している。だが転移前の記憶はかなり欠けてしまっていて、正確な年齢も職業も思い出せない。
いかん、考えるほど分からなくなる。当主として多くの人の命運を握ってしまった以上、今、自分のできることをやっていこう。
1563(永禄6)年6月 近江国小谷城 浅井長政
領内の田植えが終わった。
今年は昨年よりも多くの蓮華が植えられ、蜂が花の蜜を集めたあとは、田にすき込まれて肥料になっている。正条植えをした田も増えた。
浅井の直轄地が昨年豊作だったのをみて、真似をする家臣が増えたのだ。
揚水水車を備えた用水路も増えた。井口家が増産し、家臣たちが相次いで水車を購入している。
今では北近江のあちこちで水車がくるくる回っている。
秋の収穫を楽しみにしよう。
田植えが終わると戦の季節でもある。
とはいっても、美濃については織田からの援軍要請もないので、西美濃三人衆とは事実上の不戦状態になっている。国境の鎌刃城で美濃に備えている遠藤直経には兵を養うことに力を入れてもらっている。
南近江の六角に対しては調略を中心にしている。六角から仕掛けてきたときには佐和山城の磯野員昌に追い払ってもらっている。俺も六角の挑発に乗らないよう耐えているが、磯野員昌が冷静に対処してくれているのは頼もしい。
このため、大きな戦はしばらくなく、浅井領は比較的平和だ。
そこで、15歳になった弟の竹若丸を元服させた。烏帽子親は一族の長老である田屋の伯父上にお願いした。
竹若丸は浅井政元と名乗ることになった。頑張って内政の勉強もしているし、何より性格が素直なのが良い。今後は重要な役割も頼むことになるだろう。
こんなふうに穏やかな日々が続いたが、家中に陰謀を巡らせる者もいた。
「大将、どうやら連中が動くようだ。」
橘内が領内で怪しい動きをする者たちの状況を知らせに来た。
橘内には家臣になってからも俺のことを大将と呼び、気安い話し方を続けてほしいと頼んだ。橘内は大人びているので、中身がおじさんの俺とも同年代のように気軽に話せる。年配の家臣たちと俺が同年代のように話すことはおかしいが、橘内なら自然だ。その意味でも、橘内は貴重な存在だ。
「そうか、本当に動くか。」
「ああ、宮部善祥坊から知らせてきた。うちの手の者の情報とも一致している。」
このところ、犬上郡や愛知郡の土豪や地侍を浅井に引き込んでいるが、六角家もおとなしく調略されるだけではない。美濃の斎藤家と組んで、浅井の家臣に対して調略をかけてきていた。
それに応じたのは、楽市楽座のために関銭がとれず収入の大きく減った阿閉家と、斎藤家と領地が隣接し、斎藤家との同盟を望む堀家だった。堀家の場合、当主の秀村は幼いので、家老の樋口が応じたというべきだろう。
阿閉と樋口は、自分たち同様に不満を持っているだろうと考えて宮部善祥坊継潤にも声をかけたようだ。しかし善祥坊は俺にすべてを話してくれた。
宮部善祥坊は歴史では浅井家を裏切るが、その後、秀吉に仕えて信頼を得て、山陰戦線の重要拠点である鳥取城を任された。鳥取城主を無事につとめ、晩年には秀吉の御伽衆になっている。
無条件で忠義を尽くすようなタイプではないが、いったん信頼関係ができれば大丈夫だと思う。今後は重用するつもりだ。宮部善祥坊は内政も謀略もできそうだが、もともと比叡山の山法師だ。延暦寺と交渉する必要が生じたときにも頼りになるだろう。
阿閉と樋口をまとめて処分するため、泳がせている。宮部善祥坊には連中の味方のふりをして情報を取るように頼んだ。
「それで、連中の計画はどうなっている?」
「以前と同じだ。お市の方を人質にとり、織田との同盟を破棄して齋藤と同盟しようとしている。そして竹生島から久政殿を担ぎ出し、また六角家の傘下に戻ろうって話だな。新しい統治に不満のある者は、昔はよかったと思うようだ。」
「そのようだな。だが俺は六角は討つつもりだ。齋藤はいずれ織田に滅ぼされるだろう。昔を懐かしむ連中は将来のことが見えていない。
それで、連中がお市を襲うのはいつになりそうか分かるか。」
「お市の方の襲撃は三日後のようだ。」
「そうか。ではこちらも準備したとおりに動こう。姉上と中島宗佐には俺から連絡する。橘内は引き続き連中の動きを監視してもらえるか。」
「了解した。」




