三十 内政と軍事を充実し、機を待つ
1563(永禄6)年4月 近江国小谷城 浅井長政
お市が嫁いで来てから一年半がたった。
この間、内政と軍事の充実に力を注いできた。
無理に他国を攻めなかったのは、この後の歴史上のイベントを待つほうが良いと思ったからだ。
大きく歴史を変えることで、起きてほしいイベントが起きなくなることは避けたかった。
内政では、まず蓮華を植えた。直轄地では、収穫の終わった田んぼの水を抜き、蓮華の種をまくように指示をした。
その結果、昨年の春には、田んぼは薄紫色の可憐な花で埋め尽くされた。
お市は綺麗だと喜んでくれた。二人で一面の蓮華の中を散歩したのも楽しかったな。
蓮華の花の蜜は蜜蜂が集めてくれる。その後は田にすき込んで肥料とした。蓮華は共生している根粒菌が大気中の窒素を固定してくれるし、可愛いうえに役に立つ植物だ。
米の収穫は、籾の塩水選別と正条植えに蓮華の効果も加わり、昨年は随分と豊作だった。
今年は家臣にも直轄地と同じ方法を導入する者が増えた。
蜂蜜とたまり醤油を利用した鮒の黄金煮も好調だ。京や堺で驚くほど高値で売れている。甘味の少ないこの時代では貴重な味だし、見た目も縁起が良いので、祝いの席の御馳走として出されているようだ。
清酒の製造も順調だ。井口家で醸造してもらった新酒は、南都諸白よりも米が磨かれていて、雑味が減って香りが良いきれいな酒として好評だった。
きれいな酒なので澄酒ではなく「近江清酒」と名付けて売り出した。
清酒も祝いの席で飲まれ、高値で飛ぶように売れている。
正月には鮒の黄金煮と新酒を将軍と朝廷に献上した。京極家ルートだけでなく浅井家としてもコネクションを持つために、特産品は積極的に活用している。もっとも、同盟相手の織田家も家格は低いので、外交はまだまだ京極家が頼りだ。正月の特産品は、京極家にも織田家にも贈ったし、調略をかけている武将たちにも贈っている。
養蚕については、一代雑種強勢の特徴を生かして優れた蚕を育てた。
一代雑種強勢とは遺伝形質の異なる親から生まれた一代目の子には優秀な形質が発現するというものだ。トウモロコシの種などにも活用されており、F1品種と呼ばれる。不思議なことに二代目や三代目には優秀な性質は発現しにくい。だから毎年、種類の違う蚕をかけあわせなければいけないが、もしF1品種の蚕が盗まれてもその子は優秀ではないので、盗難に強いとも言える。
石田や小堀からは、もう少しで良い生糸をつくれそうだと報告を受けている。生糸が出来たら、次は絹織物だ。楽しみがふくらむな。
淡水真珠の養殖も進めているが、まだ大きな真珠はできていない。核を入れない分、育つのに時間がかかると聞いていたので気長に続けよう。従妹殿も粘り強く取り組んでくれている。うまく大粒のものが出来れば、交易の目玉になる。
商業については、楽市楽座を実施した。まず直轄地と港のある田屋領、新庄領で導入し、次に井口領、三田村領、安養寺領、遠藤領などで導入し、今は浅井領全体で行われている。阿閉家などは不満があったようだが、なぜ隣村よりも物価が高いのかと領民が不満を持つようになり、しぶしぶ同意したようだ。
楽市楽座によって浅井領に商人が集まるようになり、税収も大きく伸びた。
米の増収、特産品の売却益、商業振興による税収増により、浅井家の収入は石高とはかけ離れたものになっている。
増えた収入で軍備を増強した。
まずは鉄砲の増産だ。国友村では米をつくることは止めて、鉄砲の生産に特化してもらった。野村直隆と相談して、国友村の住民で米をつくりたいものは高島郡の新たに加増した領地に引越をさせて、逆に国友村には領内から職人希望者を集めた。
国友村の税率は直轄地と同様に四割に下げて四公六民にした。さらに六割の分の鉄砲もすべて浅井家で買い上げ、出来た鉄砲が外に流出しないようにしている。金はかかるが、鉄砲の数を揃えることは最優先課題だ。せっかく領内に鉄砲産地があるのだ。歴史では鉄砲の活用は織田家が先駆者だが、うちが先頭を走りたい。だいたい1500丁くらい揃えた。
それから、鉄砲といえば課題になるのが硝石だ。
硝石とは硝酸カリウムのことで、乾燥地帯の地表などに薄く結晶する。降雨量が多く湿度の高い日本では自然に産生しない。このため、南蛮商人から高値で購入していたようだ。
そこで、硝石の生産を始めている。
転移前の知識として、雨が長く当たらなかった古屋の床下の土を掘り出し、水に溶かして灰汁を加え、その上澄み液を煮詰めると硝石になることを知っていた。この方法は古土法と呼ばれる。浅井郡の本領でこれをやると近隣に領地をもつ家臣たちに怪しまれるので、新しく得た高島郡の直轄地で始めた。
土を掘らせてもらった寺社や民にはちゃんと謝礼は払っているが、浅井家は妙なことをすると思っているだろうな。
なお、古土法は掘り尽くしてしまうと終わりなので、持続可能な硝石丘法も昨年から始めている。これはヨモギ、麻などの干し草と糞尿を交互に積み重ね、春と秋に切り返す方法だ。この硝石丘法こそ周囲に知られたくないので、高島郡の山奥で行っている。たまに木こりなどが来ると、新しい肥料をつくっていると説明させている。ただし数年かかるので、こちらはしばらく待つ必要がある。
鉄砲の増産の次に重視したのは常備兵の整備だ。
銭で雇われた兵は不利になるとすぐ逃げると言われ、土地を守るために戦う農民兵よりも弱いと言われることが多い。しかし、戦国時代の戦の多くは農閑期に行われているのは兵が農民であることによる制約だ。農繁期に兵を動かせることは大きな強みになる。
この一年半で2000人ほどの常備兵を揃えた。忠誠心も必要なので、流れ者の傭兵ではなく、領内の農民や漁師の次男、三男を中心に、なるべく体格の良い者を選んだ。いってみれば職業軍人なので、今後の浅井軍の中核になる。彼らは鉄砲の練習をすると共に、船に乗る訓練もしている。琵琶湖周辺で兵を早く動かすなら船は重要だ。
それから、お市救出時の姉上の武勇伝が領内に広まった結果、姉上を慕って集まった女性志願兵の部隊も創設した。人数はまだ150名ほどだが、なかなかの精鋭だ。今は、お市や田屋の従妹殿が領内に出かけるときの護衛を中心に活動している。
一般の兵は、普段の状態で100石につき3人、無理をすれば5人動員できると言われている。調略で犬上郡の約6万石をほぼ手に入れ、愛知郡約6万5千石の3万石くらいが旗下に加わってくれたので、一年半前の26万石から35万石にまで領地は増えた。
このため、浅井家が無理なく動員できるのは10500名くらいという計算になる。
六角は本気を出せば2万人くらい動員できそうなので、常備兵を含めてようやく6割くらいだ。
それでも以前に比べれば随分ましになった。やりようはあると思っている。
外交・調略の面では、新たに家臣になった山中橘内が活躍している。お市の結婚から数か月後、橘内は甲賀の若い忍びを100人ほど連れて仕官してくれた。
橘内の父である山中家の当主は、「六角は衰えているが自分は恩義があるので離れられない。お前は若い者を連れて行け」と言って、家を二つに分けることにしたようだった。
橘内が加わったことで情報の収集・分析能力は飛躍的に向上した。
犬上郡や愛知郡の調略が進んだのも、六角家中のことを知る橘内の力が大きい。
橘内は、所領は不要だと言ってくれたので、配下の忍びも含めて俸禄を払っている。
ただし、その辺の武士に負けないくらいの俸禄は出しているつもりだ。忍びの能力を評価していることもあるが、裏切らないようにするためでもある。
この一年半を思い出していたら、中島宗佐が飛び込んできた。
「大変です!橘内殿の手の者からの知らせで、織田殿が美濃で敗れたそうでございます。」




