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長政記~戦国に転移し、家族のために歴史に抗う  作者: スタジオぞうさん
第一章 家督の継承と織田家との同盟

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二十一 甲賀の忍び

1561年6月中旬 近江国 甲賀郡 山中橘内長俊やまなかきつないながとし

 親父が難しい顔をしている。

 「親父殿、何かあったのか。」

 「おお、橘内か。」

 書状から顔を上げた親父は悩んでいるようだった。

 「実はな、北近江の浅井家から情報取集と貴人の護衛を頼まれてな。」

 甲賀の忍者は昔から道中の護衛をしてきた。特におかしな話とは思えない。

 「何か問題があるのか。」

 「うむ、護衛する場所は美濃だ。」

 「甲賀の外で護衛をすることもあるじゃないか。」

 「そうなんだがな、この貴人というのが尾張の織田から北近江に行くらしくてな。どうもきな臭い。最近、織田と浅井が同盟を結び、織田三郎殿の妹の市姫が浅井の当主の長政殿に嫁ぐと聞いた。もしかすると、この貴人というのは市姫かもしれない。」

 親父が俺の目を見た。

 「もし市姫だとすると、織田と敵対している美濃の一色が放っておくかな。一色は浅井と同盟を結ぼうとして断られたという噂もある。この依頼は危険だ。」

 なるほど、確かに危険そうな依頼だな。だが得られるものも大きい。

 「親父殿、確かに危険な依頼だろうが、成し遂げれば得られるものは多いだろう。甲賀は惣による自治の国だ。これまで六角の影響下にいたが、その六角は定頼様が亡くなってから衰えが目立つ。一方、浅井も織田も若い当主が勢力を伸ばしている。その両家に恩が売れれば、甲賀の将来のためになるんじゃないか。」

 「そのとおりだ。だから悩んでいるのだ。もし受けるとしたら、生半可な者には任せられない。もちろん織田家は護衛を付け、浅井は美濃の国境まで迎えに行くつもりらしいが。」

 「そうか、では俺が受けよう。」

 重要な依頼なら山中家の嫡男が受けるほうが良いだろう。俺は今年元服したばかりだが、幼い頃から修行はしている。

 護衛する貴人が市姫なら、織田も浅井も体を張って戦うだろう。口惜しいことに忍びは武士ではないと侮る者も多く、捨て駒のように扱われることもあるが、今回は我らが使い捨てにされることはないだろう。

 それに、甲賀二十一家の筆頭である山中家が、難しそうだからと護衛の依頼を断れば、伊賀者に笑われるじゃないか。


1561年6月下旬 近江国小谷城 浅井長政

 田んぼには稲が青々としている。

 直轄地では正条植えをしたので、稲は整然と並んでいる。

 乱雑に植えるのとは違って、むらなく光が当たり、風通しも良くなる。

 夏の草引きは重労働だが、正条植えのほうが草引きもやりやすい。

 用水路では揚水水車がくるくると回っている。

 井口家に頼んで作ってもらい、取り敢えず直轄地と井口家の領地に配った。田んぼの水の管理が楽になったと評判になっている。来年は希望する家臣の領地にも配ろう。

 秋の収穫が楽しみだ。


 最近、京極家に嫁いだ姉が無事に子どもを産んだ。

 女の子だった。後の京極竜子である。世継ぎの男子ではなかったが、姉には化粧料を贈り、家内の立場は強化したつもりだ。京極家に対しては、当初は500石のつもりだったが姉にごねられたので化粧料という形で領地を追加したと説明している。

 京極竜子といえば、歴史では若狭の武田家に嫁いだ後、寡婦となり、秀吉の側室となる。考えてみると、秀吉は茶々と竜子という浅井家の従妹を側室にしているので、何となく不愉快だ。だが、要は浅井家が滅ばなければ良いのだ。秀吉は人間的魅力に溢れ、人を動かすことが出来る人物のはずだ。こちらから理不尽に嫌って敵対しないように気を付けよう。

 竜子が生まれて、姉の実宰院はとても嬉しそうだ。母が亡くなってから笑顔が見られなくなっていたが、もともとは快活な人だ。笑顔が戻ったのは俺としても嬉しいことだ。


 お市の護衛は、甲賀の山中家が依頼を引き受けてくれた。

 10月の輿入れまでまだ時間はあるが、山中家からは打合せのために小谷城に棟梁の息子を行かせるという連絡があった。仕事のできる人は段取りが良いものだ。山中家は期待できる。

 そして小谷城にやってきた山中家の者は、山中橘内長俊と名乗った。

 おお、待ち人来たるだ。

 山中長俊は、六角家が滅んだ後に柴田勝家の家老となる。そして柴田家が滅ぶと、堀秀政の紹介で秀吉の右筆となった人物だ。

 仕えている家が滅んだ後、敵対していた家に重用されるのは優秀さの証だろう。それに忍者の棟梁なのに、文化人でもあって天下人の右筆になったというのは面白い。秀吉の依頼で歴史書を書いたという話も伝わっている。

 橘内には、同席した安養寺氏種が詳しい状況を説明した。

 織田家からは、西美濃三人衆と密かに交渉し、銭を払うことでお市の一行が通過することの了解が取れたという連絡があった。ただし大軍ではまずいので、一行は侍女など婚礼関係の者が100名、護衛が100名ということになったと聞いている。

 当家からも西美濃三人衆に接触し、近江と美濃の国境くにざかいまで迎えに行くが、戦をするつもりはないことを伝えてある。

 橘内は、護衛する貴人がお市の方だと聞いて「やはりそうでしたか」と言った。状況の読みも正しいようだ。そして、ひととおり話を聞いた後で提案してきた。

 「それでは、当方からは事前に美濃に配下を忍ばせましょう。商人などに扮して潜入させます。ただし正面切って戦うのは織田家に任せ、こちらが行うのは情報収集と攪乱だと理解して頂きたい。」

 俺と氏種が頷いたのを確認して、橘内は続けた。

 「市姫を迎える際、美濃と近江の国境には某が参ります。まだ時間はありますが、できれば今回、貴家の部隊を率いる方と打合せをさせて頂きたい。」

 「なるほど、それは道理だ。では今から始めようか。」

 「今からとは?貴家の部隊を率いる御仁はどこにおられるのです。」

 橘内はぽかんとしている。

 俺は、にやっと笑って答えた。

 「俺だ。」

 「何ですと!大名家の当主が国境まで他家の姫を迎えに行くのですか!」

 橘内が驚き、氏種が疲れた様子で説明する。

 「殿はいくらやめるように申し上げても、自ら迎えに行くと言って聞き入れられないのだ。」

 「自分の嫁が危険な場所を通ってくるのだ。俺が迎えに行かなくてどうする。」

 橘内は唖然とした後で、大笑いをした。

 「あっはっは!これは良い。浅井殿は武勇も政も秀でていると聞いていたが、伊達と酔狂も天下一品のようだ。」

 笑い終えた橘内は、居ずまいを正して言った。

 「お任せあれ、市姫は、甲賀の山中家が無事に小谷城まで案内致そう。」


 なぜ自分で迎えに行くことにしたかと言えば、お市を失うことが怖いからだ。

 高島郡を所領にしたことは歴史から外れている。

 お市がいつ長政に嫁いだかは諸説あるようだが、1568(永禄11)年という説も有力らしい。68年だとお市が20歳を過ぎて、この時代の結婚適齢期を過ぎてしまうが、美濃は織田領になっていて、北近江に嫁ぐことに危険はない。

 もし高島郡が浅井領になったことが、浅井家と同盟しようという信長の判断を後押ししたとしたら、史実とは違ってお市が命を落とす危険がある。

 本当は美濃まで迎えに行きたいのだが、さすがに当主がそんなことはできなかった。国境までが精々だった。


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