二十 信長とお市
1561年6月上旬 尾張国清州城 丹羽長秀
当家と浅井家の同盟は成った。
浅井殿の改名も公のものとなり、早速、浅井殿は「長政」の名で周囲に当家と同盟を結んだことを知らせる文を出しているようだ。
美濃の齋藤龍興はさぞ悔しがっていることだろう。
浅井家の安養寺殿からの知らせでは、私が小谷城を辞した数日後に美濃から同盟を打診する使者が着いたらしい。
浅井家はもとより当家と同盟するつもりであったと安養寺殿は書いておられるが、斎藤家よりも先に同盟を申し込めたことは良かった。
そして齋藤家は浅井家の姫を娶りたいと言ったようだ。先代の義龍が浅井家の姫を妻としていながら六角と組んで浅井と敵対したばかりというのに。安養寺殿も呆れているようだった。
それに対し、当家は当主の三郎様の実の妹君を妻として浅井家に出すことを提案した。
いずれの家が信用できるかは明らかというものだ。
殿はせっかちだと思うこともあるが、決断が早い。
今回はその良さが出たように思う。
西美濃三人衆に密かに連絡を取った。
謝礼をはずむと伝えたところ、領内の通過を認めると言ってきた。
やはり新しい当主の龍興とは距離があるようだ。
今回、龍興に黙って当家の姫を通過させることで、西美濃三人衆と当家は共通の秘密を抱えることになる。
これで将来の調略の可能性も上がる。
殿は多くを語られないが、そこまで見越しておられたのだろう。
やはり殿は、ただ者ではない。
あとは市姫様を無事に近江に送ることだが、これがなかなか難題だ。
殿は侍女を市姫様と見せかけ、姫様自身は護衛の武士に扮して、近江まで行くことを考えておられる。
確かに姫は長身で、武芸もそのへんの武士よりも優れておられるので、護衛の武士に化けることは容易だ。
しかし、西美濃三人衆が裏切った場合、あるいは龍興が気づいて刺客を放ってくる場合など、どうしても危険はある。
いざとなれば侍女を身代わりにして姫を逃がすという計画だが、うまくいく保証はない。
姫の護衛を率いる役目は某が引き受けよう。
いざとなれば我が身を盾にして、何としてでも近江まで無事に送り届けるのだ。
尾張国清州城 お市
浅井家に嫁ぐことが本当に決まりました。
覚悟はしていましたが、敵地の美濃を抜けて行く以上、道中で命を失うかもしれません。
近江に無事についたら、今度は織田家と浅井家の結びつきを強めながら、織田のために浅井家の内情も探らなければなりません。
茨の道です。
これも武家の娘の宿命でしょうか。
幸せな結婚生活など望むべくもありません。しかし、当家のために命を張って戦う家臣たちのことを考えれば、逃げるわけにはいきません。
考え事をしていると、侍女が部屋に入って来ました。
「姫様、ご当主様がお見えになります。」
「そう、兄上がお見えに。お通しして。」
間もなく兄上がやって来ました。
「市、話は聞いているな。」
「はい、聞いております。」
「危険な目に遭わせることになる。」
「承知しております。私も武家の娘です。」
「であるか。戦で家臣たちに命をかけさせる以上、我らだけが身の安全を優先することはできぬ。だが、そなたの旅路が無事であること、近江での暮らしが幸せであることを願う。」
兄上は扇を取り出し、おもむろに舞い始めました。
「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり…。」
幸若舞の敦盛の一節です。決して明るい内容ではありませんが、兄上のお好きな舞です。
兄上の声が胸に響きます。
自分が嫌われて危険なところに嫁がされるわけではないことは分かっていました。
それでも、このように兄上が私のために舞ってくださると嬉しく思います。
兄上は織田一族と何度も戦って討っていることで、身内にも冷酷な人物のように言われますが、決してそのようなことはありません。
自分に背き、従わぬので止むを得ず討ってきたのです。
弟の信勝が林美作守や柴田権六に担がれて謀反を起こしたときも、一度は許しています。
信勝が再び背き、止むを得ず討ったときは、家臣の前では見せぬようにされていましたが、ひどく傷つき、落ち込んでいるように私には見えました。
兄上は、本当は身内に優しい人です。
私に危険なことをさせるのは本意ではないのでしょう。
しかし、斎藤家と今川家という敵を抱え、なお犬山城の伯父上など一族にも従わぬ者がいる状況で、身内を嫁がせてでも浅井家と結ぶ必要があることは私にも理解できます。
そして誰かが嫁ぐとなれば、父の娘は何人かいますが、気が強く、兄と同じ母から生まれた私が適任でしょう。
舞い終えた後、兄上が小さな声で「済まぬ」と言ったような気がしました。
大丈夫です。お家のため、兄上のために、役割を果たしてみせましょう。
ヒロインであるお市がようやく本格的に登場します。二度の落城を経験した悲劇の女性ですが、姉川の戦いの後も実家に戻されないなど、最初の夫である長政とは仲が良かったと考えられています。長女の茶々が長政の菩提を弔うために養源院を建て、その養源院が焼失すると三女のお江が再建したという資料などを見るにつけ、仲の良い家族だったと思われます。
この家族はもっと幸せに過ごせても良かったという思いは、拙作を書く契機になっています。
そうは言いながらも、この後にお市をいくつかの試練が襲いますが、某有名SLGにならって文武両道のお市は、きっと乗り切ってくれると思います。
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