十九 織田家からの使者
1561(永禄4)年5月中旬 小谷城 浅井新九郎
斎藤義龍が亡くなってから数日後、早くも織田家から使者が来た。
安養寺氏種と一緒に話を聞くことにする。
使者は丹羽長秀と名乗った。おお、これが織田家臣の中でも有名な丹羽長秀か。予想どおり、落ち着いた雰囲気の知将という感じだ。
「近江によく参られた。敵国の美濃を過するのは大変であっただろう。」
「恐れ入ります。美濃は混乱しておりますし、少人数で通過することはどうにかなります。」
「それで、ご用の向きは何でござろう。」
「当家はこれまで貴家と誼を通じて参りましたが、一歩進めて同盟を結びたいと考えております。」
「ほう、織田家は正式な同盟を望まれるか。」
「はい、当家は東に今川、北に美濃と大敵を抱えております。三河の松平とは和睦を結んでおりますが、信頼できる同盟相手を探しておりました。浅井殿は野良田の戦いで六角を破り、さらに高島七頭に勝利なされました。心強い同盟相手だと我が殿は考えております。」
同席している安養寺氏種が訊ねた。
「同盟の条件はどのように考えておられましょう。」
「されば、浅井殿は西に六角という大敵を抱えておられます。美濃を攻めてほしいとは申しませぬ。さらに当家の信頼の証として、当主三郎の妹君である市姫を新九郎殿に嫁がせたいと考えております。」
「何と、市姫様を当家に嫁がせると。」
氏種は驚いている。六角家のように家臣の子を養女にして嫁がせ、目付の武将もつけて当家を支配しようとするのとは訳が違う。
織田家はお市を人質に出すようなものだ。しかもこちらに出兵の約束も求めない。
条件が良すぎる。
「丹羽殿。それでは当家に有利すぎるであろう。織田三郎殿の大切な妹御を嫁に頂けるのであれば、こちらは名を差し出そう。織田殿の一字を頂き、これからは浅井長政と名乗るつもりだ。」
「おお、我が殿の名をもらってくださるか。」
「うむ。六角義賢から押し付けられた名前を返上し、次の名前を考えていたところだ。此度は自分で望んで名乗るからには、死ぬまで俺の名前は長政だ。織田殿には、末永く兄弟として共に栄えることを願うと伝えてくれるか。」
長秀は喜んで尾張に戻っていった。道中の無事を祈る。
あとは婚姻の時期だが、近江と織田の間には美濃がある。婚約をしておいて、織田の美濃攻めが終わってから実際に婚姻することもありえると伝えたが、長秀からは、早く婚姻することが信長の望みであると言われた。
婚約よりも婚姻したほうが、同盟の強度は強いと周辺諸国に思われる。
織田家は斉藤家と今川家を敵にしていて、武田家とも友好的なわけではない。三河の松平家とは友好的なようだが、敵が多い割に味方が少ない。そのため婚姻を急いでいるのかもしれない。
お市には、稲刈りが始まって斎藤家が軍を動かせない十月に輿入りしてもらうことになった。
敵地を通ってお市が嫁いでくることについては、織田家に考えがあるようだった。
しかし、こちらとしても無事に来てもらえるようにできるだけのことをしよう。
氏種と相談して、美濃の情報を収集し、お市を陰から護衛するため、忍びを雇うことにした。当家とつながりのある忍びはあるか聞いたところ、やはり甲賀の山中家の名前が出てきた。
山中家には、是非家臣にしたい男もいる。依頼したら、その男に会えるかもしれない。
それにしても、ついに名前が長政になった。俺には馴染みのある名前なので、しっくりくる。
1561(永禄4)年5月中旬 近江国小谷城 浅井長政
丹羽長秀が尾張に戻った数日後、斉藤家の使いが来た。
使者の名は斉藤飛騨守、龍興殿の側近である。
「このところ貴家と当家は不幸にも対立しておりましたが、もともとは縁戚でござる。当家では義龍様が亡くなり、龍興様が当主となったこの機に、浅井家と同盟を結びたいと考えております。」
「ほう、当家と同盟か。義龍殿は伯母上を娶っておきながら六角と結び、当家に牙を剥いた。今になって同盟とは、いささか虫が良すぎはしないか。」
「義龍様の不義理はお詫び申し上げます。しかしながら、六角家と対立している貴家にとって、当家との同盟は意義の大きいものと愚考いたします。」
恩着せがましい態度に好感は持てない。
同席している安養寺氏種が飛騨守に聞いた。
「して、同盟の条件はどのように考えておられる。」
「貴家と当家の絆を一層強めるため、龍興様の妻として貴家の姫を迎えたいと存じます。二代続けて貴家の姫が当家の当主の妻となれば、両家の絆は揺るがぬものとなりましょう。」
話にならない。先代の義龍は浅井家の姫を妻としながら敵に回ったというのに、龍興にまた嫁に行かせたとして、今度も裏切らない保証など何もない。
もともと織田家と同盟した以上、斉藤家との同盟は断るつもりだったが、織田家を選んで正しかったと改めて思った。
氏種がこちらを見たので、黙って頷く。話にならないのは氏種も分かっているので、俺から話すか氏種から話すか目線で聞いてきたのだ。
氏種は俺に軽く一礼してから、飛騨守に向き直った。
「この話はしばらく考えさせて頂きます。」
「そうでございますか。貴家にとって悪い話ではないと思いますが。では、返事をお待ちいたします。」
飛騨守はすぐに返事が得られないことに不満そうだった。
話にならないとはいえ、即答で断ると相手の面子を必要以上に潰してしまう。後日、稲葉山の龍興殿に宛てた書状で丁寧に断ることにしよう。
1561(永禄4)年5月下旬 尾張国清州城 織田信長
近江から長秀が戻ってきた。
「使者の任、ご苦労だった。浅井はどうであった?」
「されば、市姫様を妻に迎え、当家と同盟を結ぶことに同意しました。」
「であるか。」
「さらに、織田三郎殿の大切な妹御を妻に頂くのだから、自分は名を差し出すと言われて、殿から一字を頂き、長政と名乗ると。」
「そうか、長政と名乗るか。新九郎殿が自らそう言ったか。」
お市を嫁に出す儂の顔を立てるために、名を差し出すか。
浅井新九郎、なかなか義理堅い男のようだ。
同盟相手に選んだ儂の目に狂いはなかったな。




