十七 絹と真珠
飲食物以外の特産品も考えている。
一つは絹だ。近江には渡来人の秦氏に由来のある土地がいくつかある。このため、秦氏の伝えた養蚕も行われていた。ただし蚕の品種が中国よりも劣るため、良い絹が作れていない。
生糸にできない質の悪いものは真綿になったり、紬糸になる。
とりあえず真綿の布団を作ってもらった。
戦国時代にはまだ布団がなく、衣をかけて寝るだけだった。真綿の布団は非常に高価だが、衣に比べれば格段に暖かい。
養蚕の仕切りは石田正継と小堀政次に任せている。
ちょうど二人が部屋に入ってきた。
「殿、失礼いたします。」
「おお、よく来たな。早速だが、真綿の布団の評判はどうだ?」
「素晴らしいと評判でございます。正月の将軍家への献上品にも含めましたが、義輝様も大層お喜びになったと聞いております。」
「私も使わせて頂きましたが、まさに天上の寝心地ですな。将軍家だけではなく朝廷にも献上してはいかがでしょうか。」
政次の提案するように、朝廷に献上するのは良い案だな。戦乱が続く中で朝廷は困窮しているはずだ。
「うむ、新助の案は良いな。朝廷にも献上しよう。鮒の黄金煮も一緒に贈るか。」
もう一つの特産品として取り組んでいるのは淡水真珠だ。
上手く養殖できれば欧州に高値で売れる。
いずれ南蛮商人と取引をする際の目玉商品になるだろう。
現代の日本では中国産に押されているようだが、以前は琵琶湖でも養殖していたらしい。
淡水真珠は海で養殖される真珠と違い、核を入れずに養殖することが多いらしい。
有名な志摩の真珠はアコヤ貝を使うが、淡水真珠は別の貝を使う。
その一つである池蝶貝は琵琶湖原産と聞いたことがあったので、探していた。
すると田屋家の領地である海津や塩津の漁師が知っていた。
そのため、淡水真珠の養殖は田屋の伯父上に任せている。
今日はその報告のために田屋家からも使者が来るはずだ。
「新九郎様、失礼いたします。」
「これは従妹殿。寒い中、よく参られた。」
内政会議のもう1人のメンバーは俺の従姉妹だ。
伯父上に琵琶湖の真珠の話をしたところ、滅多な者には任せられぬと言って、田屋家の中でも本当に限られた者だけが関わっているらしく、小谷城には従姉妹が報告に来るようになった。
この従姉妹殿は田屋の伯父上の長女だ。歴史では後に海津局と呼ばれる。
海津局は浅井家が滅んだ後も茶々を支え、淀殿が大阪城の実質的な主となった後は、淀殿の意を受けて対外折衝などに活躍した。
凄いのは、大阪城落城後に今度は浅井三姉妹の末娘であるお江を支えるため、徳川家に仕えたことだ。あの千姫の面倒もみたらしい。
浅井家が滅べば豊臣家、豊臣家が滅べば徳川家と仕える家を変えながら、生涯、浅井三姉妹を支えた女性だ。
まだ結婚もしていないが、父として頭が下がる思いだ。
「貝の件はいかがか。」
「最初は多くの貝を死なせていましたが、いろいろ工夫して、半分くらいは生き残るようになりました。」
「それは凄い。よく工夫をされたな。」
「ありがとうございます。一年後くらいにはご試食頂けるように努力いたします。」
淡水真珠は非常に高価なものなので、秘中の秘だ。
だから淡水真珠の養殖は、食用の貝を養殖していることにしてある。
石田正継や小堀政次のことは信頼しているが、召し抱えてすぐにあまり重い秘密を抱えさせるのはよくないと思っている。
従妹殿が凄いのは、顔色一つ変えずに食用の貝の話として真珠の報告をしてくれるところだ。試食といっているが、一年後くらいに真珠の試作品をつくりたいという意味だ。
さすが、淀殿の懐刀としての歴史上の活躍に恥じない胆力だ。
伯父上の信頼も厚い。最初に伯父上から淡水真珠の件は従妹殿が仕切っていると聞いたときは驚いたが、こうして話していると納得する。
戦国時代の女性たちは歴史の表舞台に立つことが少なく、名前も残っていないことが多い。
しかし機会があれば、もっと能力を発揮できたと俺は思っている。
従姉妹殿には、ぜひ内政型の女性武将の先駆けになってほしい。
城の外から来るメンバーが揃ったので、小姓に近習の増田長盛も呼んでもらった。
さあ、内政の会議を始めようか。
今日の議題は物流の件だ。
「従姉妹殿、湖北の水運の状況はいかがだろうか。」
「はい。湖北三津の荷揚げ量は順調に増えています。やはり津料を引き下げたのは効いていますね。新九郎様の狙い通り、領内の北国街道を陸路で運ぶ荷は減っているようです。」
おっ。さすがにこの聡明な従姉妹は俺の意図に気付いていたか。
「山本山城の阿閉様などは関銭が減ったと嘆いておられるようです。」
山本山城は小谷城のすぐ西にあり、北国街道を抑えている要所だ。
歴史では阿閉家の裏切りが小谷城落城につながったと言われている。確かにここが敵の拠点になったら厄介そうだ。
「さすが従姉妹殿だな。北国街道を抑える家があまり力を持つのは避けたいと思っている。さらに言えば、いずれは領内の関所をなくし、関銭をなくそうと思っている。陸路の荷が減っていれば、関所をなくす説得もしやすくなるかと思ってな。」
「なるほど、陸路の荷が減り、関銭の収入が減っていれば、関所廃止への反対が弱くなるということですか。」
「そのとおりだ。」
「兄上、質問してもよろしいでしょうか。」
竹若丸が聞いてきた。最初は遠慮していたが、最近は積極的に発言するようになった。
俺が頷くと、竹若丸は質問を口にした。
「浅井領の関銭は浅井が決めることができますが、他家の関銭は手が出せません。たとえば六角家が朝妻港に荷を奪われた腹いせに、京に向かう荷への関銭を引き上げるようなことはないのでしょうか。」
「なるほど。確かに目の前の収入を気にするなら、引き上げたくなる者もいるだろうな。だが、それは悪手だ。」
従姉妹殿が俺の代わりに説明してくれた。
「六角が関銭を引き上げれば、若狭から京阪に向かう荷は、琵琶湖を通る物も陸路で来る物も双方に影響が及びます。それに加えて東山道から来る荷にも影響することになります。すると、京阪の物の値段が目に見えて上がってしまうでしょうから、京阪の人々は六角を恨むでしょう。六角家に対する朝廷の心証も悪化するでしょうね。それから、津料は港の使用料という性格もありますが、関銭は通過するだけで銭を取るものですから、関銭を引き上げると商人の反発も大きいでしょう。」
俺からも話した。
「竹若丸、商人を敵に回すのは避けるべきなのだ。戦が近づいたとき、兵糧や武具を売ってもらうだけではない。諸国の情報も商人から得られる。俺は関所をなくすだけでなく、いずれは寺社などが保有している市や座の特権をなくして、誰もが自由に売買できる楽市楽座をやりたいんだ。関所をなくし、楽市楽座にすれば商人は浅井領に集まってくる。ところで、楽市は先代の六角定頼公が観音寺で行っていた。そのことを見て育ったのが六角義賢だ。かっとなって津料は上げたようだが、関銭を引き上げることまではしないだろう。むしろ、考えなしに関銭を引き上げるような愚かな当主なら、こちらの対応は楽になる。」
「ありがとうございます。勉強になりました。」
うむ、竹若丸は素直でいいな。
竹若丸は従姉妹殿のような切れ者ではないが、実直だ。
いずれ俺の片腕になってくれることを期待している。




