十六 米と特産品
1561(永禄4)年二月中旬 近江国小谷城 浅井新九郎
小谷城は山城なので、冬は寒い。
二月は雪が降ることも多く、領内の見回りの回数を減らしている。
このところ特に寒く、雪が積もっている。
そういえば、戦国時代は小氷期にあたり、現代よりも気温は低かったと聞いたことがある。
今日は内政の会議しか予定がないので、その前にこれまでに内政面で取り組んできたことを確認して記録しておこうと思う。
家督の継承を決めたときのような大きな評定は滅多にないが、内政については週に一度集まって議論している。家臣には政の評定とも呼ばれているが、要するに内政担当者の定例ミーティングだ。
参加者は百々内蔵助、石田正継、小堀政次、増田長盛、竹若丸とあと1名だ。
竹若丸は、最初はメンバーに入っていなかったが、正月の宴の後で三田村左衛門と百々内蔵助から進言があり、入れることにした。
どうやら俺のやる内政が従来のものとはずいぶん違うと内蔵助から聞き、左衛門が竹若丸も評定に入れたほうが良いと考えたらしい。確かに竹若丸は、元服後は浅井家の中核を担うことになるので、今から慣れてもらったほうが良いだろう。左衛門は普段はちゃんと傅役を務めてくれている。
もう一人のメンバーは、この時代では意外な人選ということになるだろう。
内政面では、湖上の水運を握る商業振興策以外にも、できることはいろいろやってきた。
まず、米の増産は戦国時代の内政の基本といえる。
籾の塩水選別は昨年のうちに直轄地で行った。
重い籾は中身が詰まっているので良いのだと説明したが理解されず、弁財天様のお告げがあったと言ってみたが、それでも疑わしそうな百姓が多かった。
結局、百々内蔵助がうまく説得してくれた。
ああ、ちょうど内蔵助が部屋に入ってきた。
「殿、失礼致します。少し早すぎましたでしょうか。」
「いや、そのようなことはない。今、思い出していたのだが、籾の塩水選別を百姓たちに説明するときは、うまく説明してくれて助かった。」
「いえいえ、年寄が話したほうが皆も安心するというだけのことでございましょう。」
それは謙遜だな。やはり経験豊富な老将が話すと、若い俺が話すより説得力がある。
台風などの災害が無ければ、これで米の収量が増えることを今年の秋に実感してもらえるだろう。
取らぬ狸の何とやらだが、秋に予定どおり多くの収穫を得れば、各地で米の備蓄をさせておきたい。
農業は自然が相手なので、人の思うようになるとは限らない。台風以外にも大雨や冷夏も怖い。小氷期だから現代よりも冷夏は多いのだろうな。いざ不作となったときに備蓄米を放出できるよう、準備はしておきたい。
特産品の開発にも取り組んでいる。
最初に作ったのは鮒の蜂蜜醤油煮だ。
鮒は琵琶湖の名物なので、鮒の甘露煮を作ろうと思ったのだが、砂糖が無かった。何か甘いものはないかと思って探したら蜂蜜はあるようだった。
蜜蜂の日本における歴史は意外に古く、日本書記にも記述がある。
だが蜂蜜の入手は簡単ではなかった。戦乱によって養蜂は廃れていたようで、養蜂家を見つけるのは苦労した。秋も深まったところで、ようやく山の奥でひっそりと暮らしているのが見つかった。
蜂蜜は薬としても使われる貴重な品なので、養蜂家は蜂蜜を取り上げられると最初は警戒したらしい。どうにか安心してもらい、今では浅井家の家臣として蜂蜜づくりを頑張ってもらっている。
醤油もまだなかったので、味噌を作るときに出来る溜まり醤油を使った。
苦労して作った試作品だが、蜂蜜のおかげで綺麗な黄金色になったのは、思わぬ副産物だった。
そこで、鮒の黄金煮と名付けた。
正月料理の膳に出したところ、皆の評判も良かった。
竹若丸も美味しそうに食べていたな。
ちょうど竹若丸が部屋に入ってきた。
「兄上、失礼いたします。」
「おお、来たか。ちょうど今、鮒の黄金煮のことを書き記していたのだが、竹若丸はあの味をどう思ったかな?」
「はい、これまで食べたことがないほど美味しゅうございました。」
そうか、それは良かった。正月は酔いつぶれてしまったので感想を聞けなかったし、その後も聞きそびれていたからな。
「殿、将軍家でも好評のようでございましたな。」
内蔵助が言ったように、朽木家の関係で縁の出来た将軍家にも正月に贈ったが、こちらも好評だったようだ。
「うむ。だが蜂蜜が希少なので、今は多くはつくれない。そこで、来年の春は蓮華草の種を集めてもらい、米の収穫が終わったら、田んぼにまいてもらうつもりだ。」
「兄上、蓮華草は綺麗ですが、蜂の役に立つのでしょうか。」
「おお、役に立つぞ。蜜蜂は蓮華の花の蜜が好きなのだ。蓮華草をたくさん植えたところに蜂を放てば、美味しい蜜をつくってくれる。」
それに蓮華草はマメ科の植物だから土地に窒素を固定してくれる。化学肥料などないこの時代にあっては、土を肥やしてくれる貴重な草でもある。
そのほかの特産品としては、澄酒の生産にも取り組んでいる。この時代では奈良の寺社で作られる南都諸白がブランドだが、精米歩合を向上させ、雑味をなくすことで新たなブランドを築きたいと考えている。
現代の大吟醸では米を半分近く磨くが、江戸時代初期の足踏み精米では1割くらいだったようなので、2割も磨けば十分差別化できるようだ。このあたりの知識はラノベの内政チートを読んで興味をもって自分で調べていたのだが、役に立つ日が来るとは思わなかった。
なお、精米は人の力で行うのは大変なので、歴史では江戸時代に始まる水車を使った精米を行っている。
水車を使った作業は、12月頃から井口家に依頼して密かに始めている。水車の形などを試行錯誤して、どうにかこの冬に仕込みに間に合った。
今年の秋の新酒が楽しみだ。




