十四 浅井家の正月
1561(永禄4)年正月 近江国小谷城 実宰院昌安見久尼
久しぶりに正月の小谷城に来ました。
父の久政が主のうちは足を向ける気になれなかったのですが、弟の新九郎が当主になったので、年賀の挨拶に来たのです。
昨年8月、野良田の戦いで新九郎が深手を負ったと聞いたときは心配しました。
弟の体は次第に冷たくなり、一度、心の臓の動きも止まってしまいました。しかし奇跡が起きて、再び心の臓は動き出し、体も暖かくなっていきました。
その後の新九郎の活躍は目覚ましいものでした。
10月の評定で父を隠居させると、翌11月には高島郡の大半を手に入れました。
評定では父が戦だけを弟に任せようとしたのに、政の実権も鮮やかに奪ったと聞きました。父は突貫工事で造った竹生島の仮の館に、雪の季節になる前に引っ越したようです。この正月に父に挨拶に行く武将や商人はごくわずかだと聞きます。
新九郎は、野良田の戦いでは猪突猛進ぶりが目立っていましたが、11月の戦いでは朽木家を事前に調略し、田屋の伯父上を別動隊にして敵の城を落とすなど、戦巧者ぶりを見せました。
あまりの変貌ぶりに、死にかけたときに狐が憑いたと陰口を言う者もいます。
新九郎は来年の種籾を選ぶために塩水に浮かべ、沈んだ重いものを選ぶようにと言ったそうです。確かにどこでそんな知識を得たのだろうと不思議に思います。死にかけたとき夢枕に弁財天様がお立ちになって、色々と教わったと言っているようですが、そんなことがあるのでしょうか。
しかし、評定の後で訪ねてきた新九郎は、長い人質生活で心を病んだ母のことを思い、涙を浮かべてくれました。30歳以上も年上の男に嫁がされた妹のことを私と一緒に憤ってくれました。家族の記憶を持ち、共感してくれる。私はそれで十分だと思っています。
この乱世に苦しんでいる人は日ノ本に多くいます。もし新九郎が一度死に、何かが宿ったのだとしたら、それは天からの使いではないかとすら思います。今の新九郎は以前のような甘さがありません。父を城に戻すつもりもないようです。そうした厳しさも、この乱世では必要でしょう。
新九郎が望むのなら、他家から来る姫を守護しましょう。この体格のために結婚は諦めましたが、武芸は家中の男にも負けません。
そんなことを考えながら歩いていると、小谷城の大広間に着きました。
「おお姉上、来てくださったのですね。明けましておめでとうございます。」
満面の笑みを浮かべて新九郎が迎えてくれました。
「姉上、久しぶりにお会いできて嬉しいです。」
新九郎の陰から出てきたのは竹若丸ですね。竹若丸は久政の妾の子ですが、可愛い弟です。竹若丸も母を早くに亡くしています。やはり久政は周囲の女性を不幸にするようですね。
「まあ阿久さん、お久しぶりね。」
この声は海津殿、伯母上ですか。祖父の亮政の長女ですが、夫の田屋明政殿と父の久政が疎遠になってからは、小谷城に顔を見せなくなっていました。
「姉さまー!」
ぶつかるように飛びついてきたのは伯母上の娘たちですね。
家族が笑顔で会える正月は、とても久しぶりです。
ああ、目が潤むのを止められません。最近、泣いてばかりいる気がします。
こんな大女が泣いても可愛くなどないのに。
小谷城大広間 浅井竹若丸
元旦を祝い、家族が集まりました。
当主となった新九郎兄上に阿久姉上、伯母上の海津殿、その娘である従姉妹たち。
こんなに多くの親戚が集まるのは久しぶりです。
城の入口で姉上が泣いていましたが、私も泣くほど嬉しく思いました。
今は祝宴が始まり、お膳が配られています。
お膳の真ん中に、金色に輝く鮒が載っています。何でも兄上の考えた鮒の黄金煮という料理だそうです。味噌を作るときに出る溜まり醤油と蜂蜜で琵琶湖の鮒を煮たと聞きました。
一口食べてみます。
何と!甘さと辛さが絶妙に混ざり合って、もの凄く美味しいです。
兄上は武勇に優れ、政もできるのに、こんな美味しいものまで考え出すとは凄いです。
私は兄上のお役に立ちたいのですが、本当にお役に立てるでしょうか。
いや、弱気になってはいけません。
傅役の三田村の爺からは、兄上も少し前までは武芸しか出来なかったと聞きました。ちょっと信じられませんが、私も頑張れば変われると思うことにしています。
男たちの膳には酒も付いています。
よく見る濁り酒ではなく、透明なお酒です。
澄酒として有名な、奈良の寺院で作られる南都諸白だそうです。
兄上は近江でも澄酒を造ろうとしているらしく、来年の秋には最初のものが出来てくるようです。
「おお、これは雑味がなく、すっきりしていますな。」
「さすがに濁り酒とは違いますな。」
皆が盛り上がっています。
そんなに美味しいのかな。
思い切って飲んでみました。
「おお、竹若丸様も飲みますか。ささ、ぐいっと。」
隣にいる三田村の爺が杯に注いでくれます。
何杯か飲むうちに、何だか体がぽかぽかしてきました。
あれ、おかしいな。目がぐるぐる回ってきました。
「竹若丸、大丈夫か。うわ、酒が一瓶空いてるじゃないか。まさか全部飲んだのか。爺、どうして止めてくれなかった。」
兄上が大声を出しています。
「殿、何をおっしゃいます。男にはいつか酒を飲む日が来るのです。竹若丸様は今日がその日だったというだけのこと。どうか喜んでくだされ。ひっく」
「駄目だ、爺は酔っぱらってしまっている。竹若丸、しっかりしなさい。」
ああ、姉上が膝の上に私の頭を載せてくれたようです。幼い頃はよくこうしてもらいました。
「誰か、水を!」
兄上が叫んでいます。
みんなに迷惑をかけてるみたいだけど、家族がドタバタしていて、何だか幸せな気分です。
ああ、気が遠くなっていきます。
次の朝、爺が兄上と姉上にこってり絞られていました。
私も叱られました。
でも何だか嬉しかったな。




