澄香:この白線を踏み越えたら、きっと私は私でなくなる。
必要以上の有刺鉄線が張り巡られている所を抜け、有刺鉄線の無機質にはどう考えても不釣り合いな豪奢な白い門の前に立つ。何処か圧迫感がある。入るのを禁止するような空間の流れ。まるで掟の門のようだ。門番は居ないけれども、理性がここを通過することを拒絶している。ここを通ったら罰せられる、そんな気がして。ここには、本来門番が居る。根拠は無いけれど絶対にそうだ。だからそのきっとおぞましいであろう何かを待つことにした。消極的な動きかも知れないが、知らない場所で積極的な動きなんてするものでは無い。出る杭ってのは当然のように打たれるものだ。この世界だろうとなんだろうと、それは変わらない。結局同じ人間だ。
待つこと数時間。座りこんだ場所はもういい加減にしろと石を体に突き立てる。その痛さが自我を私に拾わせた。気づけば、太陽は仕事を終えて月が仕事を始めている。門には、気づけば門番がいた。どれくらいの時間、私はこうしていたのだろうか。それは、判然としないけれど長いことは確かだ。たとえ、それが三十分だったとしても、それはきっと伸び縮みを繰り返している。しっかりと考えながら生きていたら確かな物なんて一つも無いのだ。ここに来てからの今迄の私は何を考えていたのか……。
木が爆ぜる音が聴こえる。木を殺すかのような音だ。本当に殺しているのかもしれない。木に生死の区別があるかは分からないけれど、もし有るとしたらそうなんだろう。そう考えると、焚き火は木の渡柄杓を含んでいるなんて事も言えてしまうな。そんなこと思いながら焚き火を見るともなく見たら、焚き火は周りの色を少しずつ吸い取って白い煙に変えていた。今はもう黒と赤と白しか、ここには存在しない。混ぜても黒にしかならない世界だ。この世界というキャンバスの上ではひょっとしたら違うかもしれないけれども。
考えても仕方が無いと思われる焚き火のことをひとしきり考えた後、私は立った。待ち人は来たのだから動き出さなければならない。そんなことは自明の話だ。色を吸い取られて、すっかり冷えてしまった黒色の石の上を歩く。道の水溜まりが凍った薄氷を踏んだ時みたいな音が色が無い夜にがしゃがしゃ騒がしく無遠慮に鳴る。門前に立つと、門番は蝋燭に火をつけたらすぐ消えてしまうという事態が義務付けられている洞穴によく似ている目を此方に向けてきた。
『ここの門は、誰かに入っていいと許可されて入るものではあらない。これは自分が考えて入るものである。この先には君の帰り道がある。しかし、見るものが見ないと行き止まりでしかなくなる。』
門番は酷く色彩と精細に欠けた声でそう言った。




