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1話 親に置いて行かれた"あの日"

 高く組み上げられた足場は、その頂に近づくほどに風の通りが良くなる。


 俺は丁寧に育てた一房の瑞々しい果実を、その木を祀るための祭壇へと供えようとしていた。


 見上げれば、この街の象徴である巨大な樹木の壁が、陽光を遮るほどに美しく広がっている。


「……よし、これで、最後の一房だな」


 独りごちたその瞬間、足元の板が、わずかに、だが致命的に軋んだ。


 重心が不自然に外側へと逃げていく。


「――あっ」


 抗う術もなく、視界がぐるりと回った。


 空の青と、御神木の深い緑が、万華鏡のように激しく入れ替わる。


 地上の喧騒が急に遠ざかり、代わりに耳元で激しい風の音だけが鳴り響いた。


 最後に見たのは、必死にこちらへ手を伸ばす誰かの影と、眩しいほどの木漏れ日。


 (……いけね。……今日は、リカと遊んでやるって……約束してたのにな……)


 身体に伝わる衝撃を覚悟した瞬間、俺の意識は深い、深い闇の底へと吸い込まれていった。


「パパ……!」


 最後にかすかに聞こえたのは、愛する娘の声だった。

 記憶を持ったまま貴族として異世界に転生していた。


 そう、異世界ガチャ大当たりだ。


 そんな俺が、今、なぜ馬小屋の藁の上で、目を覚ましているのだろうか。


*一週間前*


「ルカ様、お目覚めですか?」


 リーリャの優しい声で目が覚めた。いつもの朝だった。


 窓から差し込む朝日。

 焼きたてのパンの香り。

 リーリャが淹れてくれた紅茶。


 俺には、この平和な日常が何よりも宝物だった。


「今日も良い天気ですね」


 リーリャが微笑む。


 彼女は赤ん坊の頃から俺の世話をしてくれた。


 母親が俺に興味を示さなかったから、リーリャが俺の全てだった。


「うん。今日も本を読むんだ」


「ルカ様は本当に勉強熱心ですね。五歳とは思えません」


 そりゃあ、中身は三十代のおっさんだからな。


 そんな秘密を胸に、俺は本のページをめくった。


それが、俺の知る平和な日々の、最後になるなんて思いもしなかった。



 夕暮れ時。


 最初に気づいたのは、リーリャの表情だった。


「……ルカ様、部屋から出ないでください」


 窓の外から、何かが聞こえてくる。


 最初は遠い雑音だった。それが徐々に大きくなり、やがて怒号に変わった。


「辺境伯を引きずり出せ!」

「俺たちの金を返せ!」

「子供もろとも焼き殺せ!」


 ーーは?


 前世の記憶があるから、理解が早かった。


 暴動だ。それも、相当に怒っている。


「リーリャ、何が……」


「大丈夫です。すぐに収まります」


 リーリャの手が震えている。


 ガシャン!


 窓ガラスが割れた。


 燃える松明が部屋に転がり込み、カーテンに火が燃え移る。


「きゃあっ!」


 リーリャが俺を抱きしめた。


 炎の熱。煙の臭い。外からの怒号。


 ーーおい、死ぬのか?また?


「あなた、急ぎましょう!」


「ああ、馬車の準備はできている!」


 よかった!助かるぞ。


 俺を気にも留めず、廊下を走る足音が、俺の部屋の前を通り過ぎた。


「……え?」


 止まらず、足音は遠ざかっていった。


「……置いて、行かれた……?」


 リーリャの腕の中で、俺の体が震え出した。


「ルカ、こっち!」


 リーリャに手を引かれて、俺は煙の中を走った。


 振り返ると、屋敷が炎に包まれ、俺の五年間の記憶が、全部燃えていた。


*現在*


 馬小屋の藁の上で目を覚ました。


「……くさっ」


 自分の臭いにも、もう慣れた。


 『三日で慣れ、一週間で日常になる』


 前世で聞いたそんな言葉を、こんな形で実感したくはなかった。


「ルカ、起きた?」


 リーリャが、街から戻ってきた。


 手には小さなパンが一つ。昨日と同じ、硬くて不味いやつだ。


「これ、二人で分けよう」


「ううん、ルカが全部食べて。私はさっき、食べたから」


 嘘だ。リーリャの頬は、一週間前よりも明らかにこけている。


 俺のために、自分の分を削ってる。


「……半分こ」


 俺がパンを割ると、リーリャは困ったように笑った。


「ルカは優しいね」


 いや、ただ、リーリャを失って、ひとりぼっちになるのが、怖いだけだ。


 硬いパンを噛みしめながら、俺は考える。


 辺境伯の爵位。親の借金。荒れ果てた領地。


 何一つ、使えるものがない。


 だけど、俺には一つだけ使えるものがあった。


 【読心】のスキル。


 転生時に授かった二つのスキルの一つ。


 もう一つのスキルは……まぁ、今は関係ない。


 【読心】は便利だったけど、すぐに使わなくなった。


 理由は単純。うるさすぎるんだ。


 人の思考が一気に流れ込んでくるから封印した。


 でも、今は違う。


 リーリャの貯金は、あと数日で底をついてしまう。


 このままじゃ、二人とも飢え死にだ。


「ルカ? どうしたの、難しい顔して」


「……ねぇ、リーリャ」


「なあに?」


「明日、選挙に出る」


 リーリャの手が止まった。


「……選挙?」


「うん。新しい領主を決める、市民選挙」


 昨日、街で噂を聞いた。


 両親が逃げて、この領地は無法状態になっている。


 だから市民たちが、自分たちで領主を選ぶことにしたらしい。


「でも、ルカ……あなたはまだ五歳よ?」


「関係ないよ。混乱してるから、誰でも立候補できるんだって」


 リーリャは俯いた。


「……危険すぎるわ。市民はあなたのご両親を憎んでる。もしルカだとバレたら……」


「大丈夫」


 俺はリーリャの手を握った。


「俺、勝ってみせるから」


 本当は、全然大丈夫じゃない。


 五歳の子供が演説なんてできるわけがない。


 でも、やるしかない。


 リーリャを守るためなら、何だってする。


*翌日・広場*


 街の中心にある広場は、人で溢れていた。


 数百人はいるだろうか。


 みんな、疲れた顔をしている。


「税金を下げてくれる領主がいい!」

「いや、治安の回復が先だ!」

「食料をなんとかしてくれ!」


 口々に叫ぶ市民たち。


 その中を、俺は歩く。


 ボロボロの服に一週間風呂に入っていない体。


 人々が俺の周りから距離を取るのが、明らかにわかった。


「……くっせぇガキだな」

「どこの浮浪児だ?」

「親に捨てられたのか、可哀想に」


 でも、俺の正体には気づいていない。


 良かった。これなら、リーリャの心配は杞憂だ。


 広場の端に立ち、俺は深呼吸する。


 五年ぶりだな。


【読心】のスキルを、解放する。


 瞬間、世界が変わった。


『税金が半分になればなぁ……』

『子供が腹を空かせてる。どうにかしなきゃ……』

『フォルデンめ、どこに逃げたんだ?』


 ーーああ、やっぱりうるさい。


 頭が割れそうだ。


『新しい領主、誰がなるんだろう……』

『税金さえ安ければ、誰でもいい』

『いや、盗賊をなんとかしてくれる人がいい』

『おっ○いの大きいお姉さんが領主になればいいのに……』


 ーー最後のは無視しよう。


 思考の洪水に耐えながら、俺は情報を整理する。


 市民が求めているもの。


 食料の安定供給。税の軽減。そして安全。


 この三つだ。


『……あのガキ、もしかして……』


 ーーん?


 一つの思考が、俺に向けられている。


 中年の男性だ。目が鋭い。


『いや、まさか。辺境伯の息子は、もっと綺麗な服を着てたはずだ』


 ーーセーフか。


 でも、油断はできない。


 長居は禁物だ。


 必要な情報は集めた。


 俺は広場を後にした。


*夜・馬小屋*


「おかえり」


 リーリャが迎えてくれた。


「顔色が悪いけど、大丈夫?」


 リーリャの前では、弱音は吐けない。


「うん、大丈夫」


「……ルカは強い子だね」


 リーリャが俺の頭を撫でてくれた。


 その手には、針で刺した跡がたくさんある。


 俺のボロボロの服を、夜な夜な何度も繕ってくれていたんだろう。


 それに、あることに気づいてしまった。


 リーリャのお気に入りだった銀色の、小さな花の髪飾り。


 いつも大事にしていたのに、なくなっている。


「……リーリャ」


「なあに?」


「髪飾り、どうしたの?」


 リーリャの手が止まった。


「……ああ、あれ? どこかで落としちゃったみたい」


 ーー嘘だ。


 【読心】を使うまでもない。


 売ったんだ。俺のために。


「リーリャこそ、俺なんかのために……」


「何言ってるの」


 リーリャは笑った。


「私はルカと一緒にいたいだけだよ」


 その言葉が、胸に刺さる。


 前世では、誰も俺のために泣いてくれなかった。


 家族は……まぁ、いなかったし。


 でも、リーリャは違う。


 俺のために、全てを捨てた。


「……絶対に、負けられない」


 俺は拳を握りしめた。


「明日の選挙、絶対に勝つ」


「ルカ……」


「リーリャのためにも、なんとしてでも勝ってみせる」


 リーリャは何も言わずに、俺を抱きしめてくれた。


 ーー大丈夫だ。俺には【読心】がある。


 市民が何を求めているかも、わかった。


 あとは、それを実現する方法を考えるだけ。


 問題は、五歳の子供に、それができるのかってことだけど。


 藁の上に横になりながら、俺は天井を見つめた。


 明日、俺は領主になる。


 そして、リーリャに笑顔を取り戻させる。


 それだけを考えて、俺は眠りについた。

 ここまで読んでいただきありがとうございます!


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