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イケメンチャラ男とポンコツチョロイン

ハルシュタットの青い傘

作者: 空原海
掲載日:2021/12/18

アンリ様主催「クリスマスプレゼント企画」参加作品です。




「だーかーらーっ! UMBRELLA! I'VE LEFT MY UMBRELLA HERE!

「You know right? It's the blue one! I'm just here to pick it up!」


 苛立って声を張り上げるも、禿げ上がったジジイは薄笑いを浮かべたまま、首を傾げている。


 ハルシュタット。

 美しい景観の、世界遺産に登録された湖畔。

 ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』のロケ地。

 古代ローマ時代から現在まで採掘の続く、世界最古の岩塩坑を擁する街。

 ハルはケルト語で塩。シュタットはドイツ語で場所のこと。

 塩の場所。塩の街。


 俺は今、そのオーストリア・アルプスの(ふもと)にある、まるで童話の世界のような街の、童話の世界のようなカフェレストランで、店主らしきハゲ頭に、通じない英語で(わめ)いているところだ。

 人のよさそうなジイさんに、ガキらしく、理不尽な癇癪をぶつけて。




 仕事が入る度、俺を放って海外に飛んでいたランさん――『母さん』呼びを禁止されてる、俺の生みのハハオヤ――は、俺が自分で自分の面倒を見られると判断すると、海外に同行させてくれるようになった。

 そして、放置。そして、このザマ。






「傘、持って出なさいよ」


 ヒールにつま先を滑らせるランさんの肩に、コートを当てる。

 裏地の背中上部に『Aquascutum LONDON』のロゴと、歴史がありそうなかっこいい紋章みたいな図柄の刺繍、それから『CRAFTED IN ENGLAND』の文字のタグが縫い付けられたトレンチコート。

 ハンフリー・ボガートが愛用していた、イングランドのレインコート。


「雨?」

「そう」


 袖に腕を通すと、ランさんは扉に立てかけてあった青い傘をちらりと見た。


「この傘。ランさん、覚えてる?」


 どきどきしながら口にしてみる。

 やめときゃいいのに、わざわざ血の池にダイブする俺は、犍陀多(かんだた)を笑えない。


「ここで買ったっけ? 綺麗な色ね。ここの湖に似てるわ」

「……そうだな」


 頬にキスされ、「外に出なさい。色んなものを見なさい。ただし、面倒ごとはやめて」とランさんは仕事に出た。

 カツカツとヒールを響かせ、高そうなコートに高そうなカバンを持って、背筋を伸ばした後ろ姿。

 バリバリのキャリアウーマン。子供の影なんてどこにもない。


 ランさんは傘を持っていかなかった。

 俺の青い傘の隣りに並ぶ、ローズピンクの傘。

 どこかのブランドの高そうな傘は、持っていくのを忘れたのか、不要だからなのか。

 必要になったらビニール傘でも買うか、取り引き会社の人間や部下から渡されるんだろう。


 昼飯は一人で適当に食え、と渡されたユーロ紙幣と硬貨――14歳未満だからと、クレジットカードは預けてもらえなかった――をブルゾンのポケットに突っ込み、ホテルを出た。




 雨の中、観光がてらブラブラ。

 冬ではないが、観光のメインシーズンではない。

 雨が降っているからか、出歩く観光客はあまり目につかない。

 時折カメラを構える人を目にしたが、カメラが濡れることを恐れてか、すぐに退散していった。


 傘の柄をクルクル回し ハルシュタット湖沿いの広い一本道を歩く。

 視界はすべて、霧雨(きりさめ)のカーテンで灰色がかっている。

 鮮やかで明るい色で彩られているはずの壁や屋根、看板は雨粒の煙で白み、ぼやけているし、湖の水平線も山の稜線も。かすんで境目がない。



 湖畔沿いの道を抜け、木造の古い家々の並ぶ狭い道に入ってみれば、上り坂。斜面に並び立つ建物はどれも童話の世界のようで、自宅マンションのある南麻布の景色とは、まるで違う。

 そのまま突き進んで、石畳の細い階段を上って、右手には山、左手には湖、前後には山肌に並ぶ木造の家、というおとぎの世界をぐるりと見渡す。


 もう十分だ。

 昼飯を食おう。


 元来た道を戻ろうと足を踏み出すと、濡れた路地に足をとられそうになった。

 石畳はこれが嫌だ。

 滑るし、つま先を引っかける。


 舌打ちして、足を蹴り上げると、つま先から雫が飛び散った。

 雫の先にはハルシュタット湖。

 ランさんがこの傘の色と似ている、といった湖は、雨と分厚い灰色の雲とで、今は暗く(よど)んでいた。


 一本道を進むとマルクト広場に抜ける。

 そこで古めかしいけど気取らない、さほど高そうには見えないカフェレストランに入った。






 金持ちの外国人観光客、その子供が一人なのか?


 目の前のウェイトレスらしき中年女の不審そうな表情からは、そんな台詞が聞こえてきそうだった。

 なるべく無邪気そうにニッコリ笑って、首からぶら下げた映画製作関係者証を持ち上げてみせる。

 オバさんは露骨にひそめていた眉を上げ、観光地の人間らしい、余所余所(よそよそ)しい営業スマイルを浮かべた。


 映画製作関係者の子供なら、仕方ない。


 きっとそう思ったんだろう。

 映画業界は音楽業界と並んで、()()()()()




 重そうな焦げ茶色の木製のテーブルについて、置かれたメニュー表を眺めるも、全然わからない。

 ドイツ語、英語、あとはよくわからん他国言語。


 観光地なら、料理写真くらい載せとけよ。

 内心舌打ちして、さっきのオバさんを呼ぶ。


 英語のメニューを指さされた。そして、読めないのか? と聞いてくる。

 うるせぇ。読めるけど、読めねぇんだよ。

 

 メニューには料理名と、その料理の説明が書いてあって、説明がよくわからないのだ。

 単語はわかる。だけどイマイチ想像がつかない。

 オーストリアの郷土料理なんざ、調べていない。


 ニッコリ微笑んでカタコトのドイツ語を口にしてみる。『旅行者のためのドイツ語』みたいなドイツ語会話集で読んだフレーズ。


「ヴァス・エンフィーレン・ズィー?」


 おすすめは何ですか?


 オバさんは脂肪で奥まった緑っぽい目をキラキラさせて、白い顔を真っ赤にして、俺を見て頷いた。

 そして太くてシワシワの指で一つの料理名を示す。


 ニジマスの塩焼き。


 ハルシュタット湖で穫れるニジマスに、ハルシュタット名物の塩。

 あとはサラダにパンだった。


 オーストリア到着初日に食べた、平べったくてデッカイ豚カツみたいな揚げ物は、悪くはなかったが、豚カツの方が断然好きだと思った。

 それからハルシュタットに移動して、ホテルで提供される、バターや脂でコッテリとしたメイン料理に、しょっぱすぎるサイドメニュー、モソモソとした小麦ボールみたいな、味のないよくわからない物体、そしてそれらが何人分なんだよ! と突っ込みたいくらい盛り沢山、といったオーストリア料理にはそろそろ辟易していた頃だった。

 そんなわけだから、あまり期待していなかったのだが、シンプルに塩で焼いただけのニジマスは、とても美味しかった。


レッカー(おいしかったよ)!」


 皿を下げにきたオバさんに言うと、オバさんは笑って頷いた。




 店を出ると雨は止んでいて、俺はまたブラブラと歩き回ろうと辺りを見渡す。

 どこに籠もっていたのか、先程は見当たらなかった観光客がわらわらと沸いている。


 それからホテルに戻ってしばらくして、傘を忘れたことに気がついた。






 そして冒頭に戻る。


 結局、ディナータイム前になると、昼間のオバさんが再び店にやって来て、オバさんが俺を見てランチタイムの観光客だと気がついてくれた。

 そして傘を手渡される。

 どうやら、俺が忘れたのをオバさんが気がついて、店の裏に保管してくれていたらしい。


「ダンケ・シェーン!」


 手を振って店を出ると、オバさんとジイさんが揃って手を振ってくれた。




 傘の、少し緑がかった青。

 赤ん坊の頃の俺の目と同じ色だとランさんが言っていた。

 懐かしそうに目を細めたランさんの横顔。

 クリスマスプレゼントはその傘がいい、と口をついて出た。




 昨年のクリスマス。

 当日になってランさんが、俺にクリスマスプレゼントを買ってやると言い出し、カップルやら家族やらがごった返す恵比寿に連れ出された。


「なんで恵比寿なんだよ?」

「恵比寿のイルミネーションが一番好きなの」

「この時期、どこだって同じじゃん。つーか、恵比寿って、俺が好きそうな店あんの?」

「さあ?」

「さあって……」


 大人っぽく洒落た店ばかりが並ぶクリスマスの恵比寿を、ランさんと二人で歩く。

 確かにイルミネーションは綺麗だ。

 冬のツンと張り詰めたような空気に、オレンジ色一色のライトが飾り付けられ、光が滲む。

 特に、レッドカーペットの先にある、バカラの巨大シャンデリアは、確かにランさん好みだ。

 ランさんは、なんだかんだ言ってミーハーだし、なかでもクラシックハリウッドが異様に好きだ。


「げっ。雨降ってきた!」


 ポツリと頭に落ちた雨粒が、次第に大きく、激しくなっていく。

 俺達は慌ててガーデンプレイスに逃げ込んだ。


 突然降り出した雨を(しの)ぐのに駆け込んだ、恵比寿三越で買ってもらった傘。


 雨上がり。澄んだ空気の満ちたハルシュタット湖。

 その水の色に似ている、と思った。


 マルクト広場の雨に濡れた石畳。

 空を覆っていた分厚い雲は抜け、淡いローズクオーツの交じった、ラピスラズリのような神秘的な夕暮れ空。

 街頭で照らされたピンクや黄色、水色のカラフルでオモチャみたいな壁。


 深緑色の木々に、灰色の山肌。残雪を被るダッハシュタイン山塊を仰ぎ、ホテルに戻った。

 ランさんが、昨年のクリスマス、雨の恵比寿を覚えていなくても構わない。


 この傘は、ハルシュタットの青。ハルシュタットの青い傘だ。






挿絵(By みてみん)

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なろラジ大賞3の1000文字短編「映画とごっこ遊び(https://book1.adouzi.eu.org/n7964hi/)」の少年の数年後のお話です。


恵比寿三越が閉店する前のお話。

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前日譚1000文字掌編「映画とごっこ遊び」
主人公のその後は長編「ダフネはアポロンに恋をした

また、今作と対になるクリスマスラブストーリー(短編)「シュビップボーゲンを覚えてる」も、併せてご覧いただけると幸いです。
― 新着の感想 ―
[良い点] この御作品も言葉にできない……! 『サウンド・オブ・ミュージック』は観たことがありますが、ハルシュタットがロケ地だとは知りませんでした。 というかハルシュタットの地名を初めて知りました(恥…
2023/01/12 20:51 退会済み
管理
[良い点]  お洒落なタイトルが印象的です。そして風景、情景、色彩描写が美しく、まるで映画を観ているようでした。大人びた雰囲気の主人公は、自分の存在を確かめながら生きているような感じで、生きてきた環境…
[良い点] やはり描写がリアル。日常をそのまま切り取ったかのよう。 前回の転生先はオーストリアだったのですね。(笑) 「雨」がタカシの深層心理を表わしているのでしょうか。本当は「母」と呼びたい、一緒に…
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