第9話 贈り物
「わあ……!」
マティアスに案内された部屋を見まわし、リリアベルは思わず瞳を輝かせて声を上げた。
リリアベルの部屋は、王城薬室に割り当てられた第三号棟の三階の端。
白を基調にしたすっきりとした広めの部屋には、真ん中に大きな作業用の机が置かれ、部屋の奥にはまだ中身のない大きなガラス戸付きの棚と書類棚、それからクローゼットが並んでいる。
左手の壁際には、書き物用の机と椅子、恐らく休憩用にとマティアスが用意してくれたのだろう、見るからにふかふかそうな一人掛けのソファ。
右手の壁には大きな流し台もあり、その上の南側を向く低い出窓は換気のために僅かに開けられ、柔らかな風がカーテンをふわりと優しく靡かせていた。
「ここが、今日からリリーの部屋だよ。支給の白衣や手袋なんかは、クローゼットの中。──ね、こっちに来て」
誘われてマティアスと共に出窓の所まで行くと、彼が手を伸ばしゆっくりと窓を開けた。
気持ちの良い風が入り、リリアベルの髪を撫でていく。
マティアスも同じように銀の髪をふわと揺らし、微笑んだ。
「外を見てみて。ほら、庭のあそこ。あれがリリーの場所だよ」
窓の外を見下ろすと、建物の正面入り口とは反対側の裏庭が一望できた。
金色の柵で研究員の個人用の区画が分けられ、それぞれが好きに植えている様々な植物のおかげで、色とりどりの庭は個性的な様相をしている。
個人で建てている小型の温室もポツポツとあり、まるで小さな町のように見えた。
マティアスが教えてくれたリリアベルのための区画は、まだ何の植物も植えられてはいなかったが、土は耕されていることがわかる柔らかそうな畝が作られ、可愛らしい温室も用意されていた。
「あの庭は魔力で結界を張ってあってね、それぞれの庭の植物が干渉し合わないようになっているんだ。温室はあの横にある回路に魔力を流すと温度を調整できて、それで──」
楽しそうに説明を続けるマティアスが、外を指し示すために腕を伸ばし、リリアベルと視線を合わせるために僅かに膝を曲げながら彼女に顔を寄せた。
グッと二人の距離が近くなり、マティアスの爽やかなレモングラスのような香りが、リリアベルの鼻を掠める。
すぐ近くで太陽の光を浴びて煌めく銀の髪を眩しくみていると、リリアベルは不思議な既視感を覚えた。
(なんだろう……ずっと昔にも、この香りに包まれながら、銀の光を見たような……)
思わずじっとマティアスを見つめていると、急にこちらを向いたマティアスの灰色の瞳と目が合った。
「リリー? どうしたの?」
きょとんと目を丸くしたマティアスに尋ねられ、リリアベルは咄嗟に誤魔化した。
「あ……素敵な庭だなって、ちょっと見惚れてて。私も何を植えようかって考えていたの」
「そう……」
マティアスは真っ直ぐにリリアベルを見ると、一拍置いて表情を和らげた。
「リリー、実は今日、君に贈り物があるんだ」
そう言ってマティアスは、リリアベルの手を引っ張って彼女を書き物用の机の前に連れて行った。
「その一番上の引き出し、開けてみて」
「ここですか?」
言われた通りに、机の一番上──銀の花飾りが彫刻された引き出しをそっと開けてみた。
そこには、手のひらサイズの、美しいガラス製の透明な小箱が入っていた。
真っ白の綿が詰められた箱を手に取り、リリアベルは驚きで目を大きく見開いた。
ふわふわの綿の上には、薄緑色の菱形をした小さな豆のようなものが、十粒程並んでいた。
興奮で思わず声が震えてしまう。
「マティー……これって……」
箱を見つめたままのリリアベルに、マティアスが目を細めた。
「うん、ニナニナの種だよ」
その言葉に、リリアベルの瞳にジワリと涙が滲んだ。
ニナニナは、花を咲かせても、殆どが種を作ることなく儚く枯れてしまう、魔力を栄養に育つ手間のかかる植物だ。
細い薄紫色の花びらが何枚も重なる、まるでたんぽぽのような丸い可愛らしい花を咲かせるが、魔力の相性によっては成長させることも難しく、花はもちろん、その種は非常に希少でなかなか入手できない。
だがリリアベルが喜んでいるのは、単に希少なニナニナの種をもらったからではない。
ニナニナが、マティアスを救う解毒薬の材料だからだ。
必要な花は五つ。
学園の奥の森に咲く幻の薔薇、ガーシャロ。
湖の底に咲く透明の花、メロレア。
始まりの樹と呼ばれる世界樹に咲く花、フォーレ。
一年に一度、一日しか咲かない星見草。
そして、今マティアスから贈られたニナニナ。
ニナニナは解毒薬ではその花びらを、毒には茎を使う。
収穫してすぐに加工しなければ、一瞬で枯れ始め薬効がなくなる。
シナリオではお助けキャラである薬草学の教師からヒロインが種を貰い、マティアスと共にそれを育てて薬の材料にするのだ。
解毒薬を作ると決めてから、リリアベルはすぐにニナニナを育てるために種を探した。
だがどの商会でも扱っておらず、薬草学の教師が誰かも覚えていない彼女は、入手方法がわからずに困り果てていたのだ。
「この一年、凄く頑張っていたから、私からのお祝いだよ。宝石やドレスにするかも悩んだんだけど……せっかくなら、リリーの薬草園で育てる初めての植物がいいかなって思って」
はにかむように笑ったマティアスに、リリアベルは思わず抱きついていた。
「マティー!! ありがとう!! 本当に嬉しい!!」
それは心からの言葉だった。
リリアベルはぎゅっとマティアスを抱きしめながら、喜びで胸が一杯だった。
(五つの花のうち、ニナニナの種が手に入った。自分の研究室も手に入れた。大丈夫。マティアス様を救う未来に、これでまた一歩近付いてる!!)
喜ぶリリアベルの体温にそっと両手を回し、マティアスもクシャリと顔を歪めて笑った。
「リリー……欲しいものは、これであってた?」
「ええ! 完璧よ!! ありがとう!!」
「……よかった。──そろそろ、下に降りようか。エド達が首を長くして待ってるだろうから」
「そうだったわ。早く行かなくちゃ」
声を弾ませたリリアベルはマティアスから体を離すと、ニコニコと笑みを浮かべたまま、ガラスの小箱をそっと引き出しに仕舞い、クローゼットから白衣を準備し始めた。
それを眩しそうに眺めながら、マティアスは呟いた。
「──あと四つか」
リリアベルの支度ができた後、マティアスも備品室から予備の白衣と手袋、マスクを調達し、二人で作業室へ戻った。
タニアがいる机に呼ばれ、一緒に薬草から余計な棘を取り除く作業をする。
指定されている薬を作るには、使用する薬草の葉の裏にある小さな棘が、薬効を薄めてしまい邪魔になるのだ。
魔法で除去することもできるが、手作業でやった方が綺麗に取る事ができ最終的な薬の仕上がりも良いため、手間ではあるが大事な作業だった。
プチプチプチプチ。
黙々と物凄い速さで手を動かしながら、タニアは同じくらい口も動かした。
「へえー。じゃあリリアベルは解毒薬を専門に研究したいんだ」
興味深そうな大きな声が、部屋に響く。
「はい、今はまず何の毒なのかがわからないと解毒ができませんが、何にでも対応できる初期対処用の解毒薬があれば、もっと助けられる命が増えるんじゃないかなと」
一番にやらなければいけないのは、マティアスのための解毒薬作りだが、答えた内容も嘘ではない。
リリアベルも手を動かしながら話していると、話を聞いていたらしく後ろからエドモントの声が飛んできた。
「なかなか欲張りな目標だな。発想自体は万能薬に近いが、解毒に特化しているってのは面白い。普通は病気に効く薬を作りたくなるもんだからな。なあ? グレアム」
話を振られ、離れた机で作業していたグレアムが眉を下げて笑った。
「そうですね。リリアベルも、私と同じで険しい道を進みそうですね」
どういう事かと首を傾げると、タニアが説明してくれた。
「グレアムは万病に効く薬が作れないか研究してるの。いくつもあった雪風邪の薬を一つにまとめたのはグレアムなのよ」
雪風邪は、前世でいう所のインフルエンザのような病気だ。
季節によって流行る型が違うため、薬もそれぞれに合わせて使い分ける必要があったのだが、二年前に新薬が完成し、どの型の雪風邪であっても同じ薬で対処できるようになったのだ。
「え、そうだったんですか? 凄いですね」
素直に尊敬の表情で目を丸くしたリリアベルに、グレアムが困ったように言う。
「まだそれだけしかできていませんけどね。凄さで言うなら、皆の方が凄いですよ。タニアは上級回復薬の特許を持っていますし、薬草学の専門家で知識量が凄いです。エドは毒草の研究が専門なので、解毒薬についてリリアベルの良い相談相手になると思いますよ」
「皆さん、それぞれ専門が違うんですね」
「そうよ。コンラート室長は植物の栽培方法のエキスパートで、マルコは──」
タニアが説明しようとした時、リリアベルの手元に急に影ができた。
ふと上を見上げると、彼女のすぐ後ろには、マルコが立っていた。
どさりと薬草の入った大きな麻袋を机に置くと、眠そうにあくびをした。
「はい、これ次に下処理してほしい分」
リリアベルは一瞬びくりと肩を震わせた。
重い前髪の下で、眠そうな言動とは裏腹に、鋭い視線がリリアベルを見下ろしていたのだ。
「僕の専門は──珍しい植物の調査と採集。プラントハンターだよ」
リリアベルの隣に座るマティアスは、薄らと貴族的な笑みを浮かべたまま、静かに彼らの会話に耳を傾けていた。
今回、更新に間があくのをお伝えし忘れていました。
お待ち頂いていた方、ご迷惑をお掛けしてすみません( ; ; )
次回は金曜日の昼に更新予定です。




