第6話 全ては君のために 2(マティアス視点)
自習室の天井をぼんやりと眺めながら、マティアスはフーゴに言う。
「シナリオが始まる二年後……いや、それが終わる三年後までは、どれだけ私が彼女に愛を伝えていたとしても、リリーは信じない。だからまだ言えない」
出会ったあの日、リリアベルはゲーム内容の他に、こうも言っていた。
「登場人物にここがゲームの世界だって話したら、何が起こるか怖すぎて言えないの。話した瞬間、そのせいで世界がなくなっちゃったら? そうじゃなくても、頭がおかしいって思われて、病院に入れられたり、どこかに閉じ込められるかもしれない。そうしたら、マティアス様を助けられなくなっちゃう」
リリアベルは怯えながら、それでもマティアスを救おうと花を探してくれていた。
その姿に、息ができない程ギュッと胸が締め付けられたのを、今でもはっきり覚えている。
(リリーは、全部忘れればいい。そんなことに怯えず、ただ幸せに暮らしてくれれば)
そう思って、マティアスは彼女の記憶を消した。
話を聞いていた子どもがマティアス本人だと知れば、リリアベルは、シナリオの行方とはまた別の恐怖や悩みに襲われるだろう。
マティアスは彼女のため、せめてシナリオが完全に終了する三年後までは、全て知らないフリをする事に決めていた。
疲れた表情のマティアスに、フーゴが駄目押しとばかりに尋ねる。
「ですが、シナリオは始まらない筈では? 二年後の最終学年の頃には、宰相閣下のご子息も、騎士団長のご子息もここにはいません。魔法省長官のご子息も、数学教師も──それにあの平民の少女も、手は打ちました。それでも、まだ駄目なのですか?」
マティアスは、シナリオを壊すため、リリアベルから聞き出した攻略対象達をこれまで必死で探し、いなくなるよう手を回していた。
宰相の息子は、今年の秋から特待生として隣国へ留学するようマティアスが学園長に推薦した。
騎士団長の息子は、実力があったため早くに騎士爵を与え、来年には特例で卒業し辺境領の任に就かせることが決まっている。
魔法省長官の息子は、大魔導士に弟子入りさせ学園には最初から在籍していないし、数学の教師は別の学校へ行かせた。
そして時間は掛かったが、ようやく去年、ヒロインを見つけ出し、宰相の息子とは別の国へ留学させている。
薬学が盛んな国で、ヒロインの魔法の特性と有用性を伝え、マティアスと懇意にしている貴族の研究員と、すでに婚約も結ばせた。
幼いリリアベルが言っていた「ゲームの強制力」というものが存在するのか気になって、ヒロインの姿はマティアスも直接確認しに行った。
だが、ヒロインをその瞳に映しても、マティアスの心には、何の感情も湧かなかった。
「──よかった」
その時のマティアスの安堵と言ったら、計り知れないものだった。
マティアスの魂は確かにリリアベルを求めている。
だが、何らかの力でヒロインに心を動かされるかもしれないという可能性は、彼にとっても常に最大の恐怖だったのだ。
(ゲームの強制力はない。シナリオは変えられる。リリーとの未来を……掴み取れる!)
マティアスはそう確信した。
だが、攻略対象達を遠ざけ、これだけ手を尽くしても、マティアスの不安はまだ拭えていなかった。
フーゴの言葉にため息を吐き、マティアスは両手で顔を覆った。
「それだけじゃ足りないんだ。まだ……まだヒロインを助ける薬草学の教師が見つかっていない。シナリオを完全に壊すには、その人物も見つけて遠ざけないと」
リリアベルは、記憶と説明がかなり曖昧だった。
梨々香だった頃の記憶は、家族の事も、幼少期の事も、どんな生活を送っていたかも、特別印象的だった出来事しか覚えておらず、たくさんの虫食いがあるように、多くの部分が抜け落ちていた。
それはゲームについても同じで、攻略対象やマティアスのエピソードについては詳しく話せたが、お助けキャラについては、外見や特徴を全く覚えていなかったのだ。
「リリーが今記憶を取り戻したのは想定外だったけど、そのおかげで、何か糸口が見つかるかもしれない」
もう一度、魔法でリリアベルの記憶を消すこともできる。
だがあの魔法は、何度も掛けると精神への負担が大きい。
リリアベルの心の平穏と、危険性を天秤に掛け、マティアスは彼女をそのままにする事にした。
「今は、色々な事を一気に思い出したばかりだから、梨々香だった頃の記憶だけが分かれてしまっているけど、梨々香もリリアベルも彼女なんだ。そのうち馴染んでくる筈だから、それは問題じゃない。……きっとすぐ……いつもみたいに、マティーって呼んでくれる」
リリアベルが記憶を取り戻した、あのお茶会の時。
口調が変わった彼女を見て、マティアスは魔法が解けてしまったことに気付いていた。
そして、すぐに手を打った。
「あの日、殿下がレニエ家を出るなり、飛び級制度の確認と、王城薬室の人員募集の停止を命じられた時は、何事かと思いましたが……殿下の予想通りになりましたね。リリアベル様が婚約破棄をしたいと言いだす事も含めて、全部」
驚愕を瞳に滲ませたフーゴにそう言われ、マティアスは嘆息した。
「だってリリーだよ? 記憶が戻ったなら、絶対にまた私のために薬を作ろうとする筈だし、シナリオが直前に迫っているなら、安全のために私から離れようとするのが自然だ。直接破棄を言い出されたのは本当に拷問だったけど……リリーが私の望み通りに提案に頷いてくれて、心底嬉しかったよ」
「リリアベル様が、殿下の話を信じて下さってよかったですね」
「ああ、本当に。あの内容では……婚約を白紙にする材料になんて、到底ならないからな」
マティアスがリリアベルに提案したのは、生徒会運営の放棄と、長期間の社交の拒否。
これを実行するのが、ただの平凡な貴族令嬢だったなら、確かに婚約を白紙にする材料には充分だっただろう。
通常、王族やその婚約者が生徒会運営で実力を示さなければいけないのは、それ以外に、実績を積む場も、自身の価値を皆に証明する場も、普通はないからだ。
だがリリアベルは違う。
リリアベルは自分の優秀さに気付いていない。
彼女がすでに殆ど終わらせている王太子妃の勉強は、本当は学園を卒業したさらに後、マティアスが王太子に任命され、正式に婚姻を交わすまでに終わっていればいいものなのだ。
学園の試験でリリアベルが常に一位でないのは、無意識に梨々香の頃の記憶と、今の世界の常識が混ざり、そのせいで僅かにミスをしてしまっているだけ。
マティアスや他の人間がそれを指摘できる普段なら、それは何の問題にもならない。
彼女の聡明さは教師陣はもちろん、国王や重鎮達も認めている。
さらには人当たりも良く人望もある彼女が、わざわざ生徒会の運営で小さな実績を作る必要もないし、飛び級で卒業できることの方が余程凄い。
貴族として社交の場に数年出ない事も、まだ十六歳の彼女にそれ程の余波はない。
学園ですでに同世代との友好は深めてあるし、優秀な人材との繋ぎはマティアスが行えば良いだけなのだ。
しかも彼女は、ただ引き篭もって社交を拒否する訳ではない。
難関の王城薬室に入り、薬の研究を行うのだ。
ただ社交の場で着飾って微笑むだけの令嬢より、国のためになる事を生み出せる令嬢の方が、王太子妃に相応しいに決まっている。
「婚約を白紙にする材料というか……より確実に結婚するための材料にしかならないですね」
僅かに肩を竦めたフーゴに、マティアスは冷ややかな目を向けた。
「当たり前だろう。リリーは私が死ぬシナリオを回避する事しか考えていないけど……シナリオが存在するままだと、どんな結末になっても、私との未来はない。それじゃ駄目だ。私はリリーと結婚したい。彼女と心から愛し合いたいんだ。そのためにも、薬草学の教師を見つけ出して、完全にシナリオを潰す」
仄暗い熱が、その美しい瞳に宿る。
「リリーは解毒薬を作るために、花を集めるはずだ。そうしたら、きっと誰かが興味を惹かれて、彼女に接触して何か動きを見せる。私は絶対に、それを見つけてみせる」
マティアスは大きく息を吸って立ち上がると、フーゴの肩を叩き、ゾッとするような冷たい灰色の瞳を、美しく細めた。
「さあ、また一働きして貰うぞ」
リリアベルのためにどこまでも謀略を尽くし、暗躍する絶対的な主人に僅かな畏怖を抱きながら、忠誠を誓うフーゴはただ静かに頷いた。
ここまで読んで頂きありがとうございます!
リリアベルとマティアス。
お互いを救うために、それぞれ別のベクトルで走り始めた二人は、これから一体どうなるのか?
ぜひ見守って頂けると嬉しいです。
面白いと思って下さった方は、ブクマ登録、ポイント評価よろしくお願い致します(^ ^)




