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第2話 一番大切なこと

 風のような速さで自分の部屋へ戻ると、リリアベルはノートを広げた。


 最大の目標は、バッドエンドを回避すること。

 そしてもし回避に失敗した時のため、マティアスだけでも救えるように、解毒薬を完成させておくこと。


 そのためには、まず記憶を整理しなければいけない。


「ええと……ゲームの内容は……」


 真剣な表情で、リリアベルは時間も忘れてペンを走らせ、ガリガリと文字を書き連ねた。






 恋愛乙女ゲーム【愛の花と恋の毒】は、ゲームプレイヤーであるヒロインが、十八歳で王立学園に転入する所からスタートする。


 この世界には魔力が存在し、限られた人間だけが、ささやかな魔法を使える。

 魔力を持たない、もしくは少ない者は各領地にある一般学校へ通う。

 魔力量の多さや、魔力の特殊性を認められた限られた者だけが、王都にある王立学園に入学する事ができるのだ。


 ヒロインは平民出身で一般学校に通っていたが、『植物の薬効を高める』という特殊な魔力を持つことが判明し、突如、王立学園に転校することになる。


 そこで、お助けキャラである薬草学の先生の助言を受けながら、様々な薬を調合していく。


 第一王子マティアスや、他の攻略対象者達と親密になる程、ヒロインの調合スキルがアップする。

 親密度を上げるためのイベントをクリアすると、報酬として薬効の高い珍しい花を手に入れることができる。


 それが、ハッピーエンドに辿り着くための重要なアイテムなのだ。


 最終的には、各攻略キャラに登場する悪役令嬢達が、ヒロインや攻略対象を殺すために毒を作るのだが、ハッピーエンドなら、集めた花を使って解毒薬を作る事ができる。

 だが親密度不足や複数のイベントクリアに失敗すると、調合に失敗して解毒薬が作れず、バッドエンドになってしまうのだ。


「毒と解毒薬の()()()()()だなんて、酷い話だわ」


 悪役令嬢達が作る毒は、ヒロインと攻略対象がイベントで受け取る花々を使って作られる。

 解毒薬と毒は、花びらや茎、根など、使用する部分が違うだけだ。

 まるで二人の愛の奇跡を死で塗り潰そうとするように、悪役令嬢達もヒロイン達と同じ花を集めて行くのだ。


「解毒薬に必要な材料はわかっている」


 マティアスのルートのイベントで集めるのは五種類の花。

 

 学園の奥の森に咲く幻の薔薇、ガーシャロ。

 湖の底に咲く透明の花、メロレア。

 種が希少で、魔力を栄養に育つ、ニナニナ。

 始まりの樹と呼ばれる世界樹に咲く花、フォーレ。

 そして、一年に一度、一日しか咲かない星見草(ほしみそう)だ。

 

 どれも貴重で珍しい花だが、シナリオを知っているリリアベルなら、何とか手に入れることは可能だろう。


「完成した時に薬が光り輝くのもわかっているわ。問題は、調合方法がわからない状態で、二年で解毒薬を完成させられるかどうかね」


 材料が同じである以上、ゲーム開始よりも先に解毒薬の調合を完成させ、嫉妬に狂った自分が毒を作り出さないように材料を全て捨てておく必要がある。


 そして()()()()()()()は──。

 

 






 その時、小さく扉をノックする音が聞こえた。

 返事をすると、心配そうな顔で入ってきたのは、父ベルナールだった。


「やあ、リリー。体調はもういいのかい?」


 凛とした印象であるリリアベルに対し、ベルナールの面差しは優しげだ。

 リリアベルは母似だったが、その黒髪と赤い瞳の色は、父と同じだった。


 リリアベルは急いでノートをしまい、笑顔を作った。


「ええ。もう大丈夫。お父様、ご心配をお掛けしてごめんなさい。あの……マティアス様は、突然お帰り頂くことになって、怒っていらっしゃらなかった?」


 マティアスの見送りは、当主である父が引き受けてくれた。

 不安気なリリアベルに、ベルナールは笑顔を返す。


「はは、まさか。そんなことで()()殿下がお怒りになる訳がない。さっき、お見舞いのお花も届いていたよ。後で部屋に飾らせよう」


 本当に様子を見に来てくれただけなのだろう。

 顔色が良くなっているリリアベルを見て安心したのか、ベルナールは彼女の頭を撫で、すぐに出て行こうとする。


 リリアベルは急いで父を引き留めた。

 

「待って下さい、お父様」


 バッドエンドを回避するためには、課題は山積みだ。

 時間はどれだけあっても足りない。

 すぐに行動に出た方が良いだろう。

 

 そう考えたリリアベルは、回避のための()()()()()()()を実行に移すため、父の許可を得る必要があった。


「お父様、どうしても聞いて頂きたい、()()()()()があるのです」


 突然いつになく真剣な表情でそう言うリリアベルに、ベルナールは僅かに眉を顰めると部屋の中に引き返し、ソファに腰を下ろした。


 リリアベルも、机から離れ、父の正面のソファーに座り直す。


「それで、大切な話っていうのは?」


 穏やかながらも真面目な表情で、ベルナールは尋ねた。

 リリアベルは長いまつ毛を伏せると、短くため息を吐いた。


(本当はこんな事言いたくない。でも……マティアス様を確実にお救いするには……)


 ズキリと痛む胸を無視して、リリアベルは真っ直ぐ父を見据えると、言った。


「お父様、私──マティアス様との婚約を、()()()()()んです」


 突然の思わぬ申し出に、ベルナールは思わず目を丸くして聞き返した。

 その頬は引き攣っている。


「……リリアベル。父はちょっと耳が遠くなってしまったみたいだ。歳のせいかな。はは……あー、もう一度言ってくれるかな? 今、なんて──」


「婚約を、破棄したいんです」


 再びはっきりとそう言われ、ベルナールは絶叫した。


「いやいやいやいや、ちょ、え!? 何故!?」


「……マティアス様の隣に、私は相応しくないので」


「え、待って。どうしてそうなったの!? 君達()()()()()()()()()よね?」


 困惑する父に指摘され、リリアベルは婚約してから今日までの事が思い出され、胸が苦しくなった。


 同い年の二人は、五歳で婚約を結んでから今日まで、喧嘩をする事もなく、良い関係を築いてきた。

 マティアスはいつも優しかったし、彼女を見つめるときの、柔らかく細められた灰色の瞳が、リリアベルは大好きだった。


 だが、それはゲームの()()()()()()()()なのだ。

 二人の関係が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだから。


 リリアベルが、解毒薬を作っておく以外にやらなければいけない、()()()()()()()


 それは、マティアスとの婚約をシナリオ前に破棄し、()()()()()()()()だった。






(婚約を結んだままだと、嫉妬して悪役令嬢ルートを突き進んでしまう可能性が高すぎる。ヒロインが誰を選ぶかまだ決まってはいないけど、マティアス様に出会えば、きっと彼を好きになるわ。だって……あんなに素敵な人、他にはいないもの)


 ヒロインが選んだのがマティアス以外のルートだったとしても、どの結末でも、リリアベルがマティアスと結ばれる事はない。

 どうせ結ばれないのなら、シナリオが始まる前に婚約を破棄して、距離を取るのが一番良いはずだ。

 彼の近くにいなければ、嫉妬に狂うことも、毒を飲ませることも回避できるはず。


(私以外に微笑むマティアス様を見続けるなんて、耐えられないもの)


 リリアベルの決意は固かった。

 だが、父は彼女の意思を真っ向から拒絶した。


「駄目だ! 破棄なんて、()()()()()()()だろう!」


「ですが、中立派の侯爵令嬢である私でなくても、マティアス殿下に相応しいご令嬢はたくさんいらっしゃいます。筆頭公爵家なら第一王子派の地盤はさらに強固にできますし、西の侯爵家なら軍事力の強化が、隣国の姫君なら貿易面での成長が大きく期待できます。賠償金も私が持つ鉱山を担保にすれば──」


 本心で言うなら、リリアベルはマティアスに他の令嬢なんて勧めたくはない。

 だが、こちらから一方的に破棄してでも婚約者の座から離れなければ、いつかシナリオ通りにマティアスを殺してしまうかもしれない。


 リリアベルは必死で言葉を重ねた。

 だがベルナールは青い顔を白くさせ、顔をブンブンと横に振る。


「リリー……なあ、リリアベルや。お前まさか、()()()()()()()()()なんてそんな()()()()()()を、殿下に向かって、この父から言わせようとは思っていないだろうね?」


「……婚約は王家と侯爵家での家同士の契約なので、お父様からご説明頂ければとは思っていましたけど」


「いや無理!! 絶対無理!! ()()マティアス殿下に、私がそんな事を言ってみろ。一瞬で首を刎ねられる自信があるぞ!!」


 父のあまりの剣幕に、リリアベルは眉を顰めた。


「お父様、王族に対して破棄を申し出るなど、確かに不敬なのは認めます。難しい申し出だということも。……ですが、マティアス様は()()()()()()()()()()()()()()です。しっかりご説明すれば、必ず国のためになるとご納得頂けると思うんです」


 真剣に語るリリアベルを見て、ベルナールは困惑した。


「リリアベル……お前もしかして、()()()()()()()()()?」


「わかっていない……とは?」

 

 リリアベルは訝し気な表情で首を傾げた。

 本気でそう聞き返す娘を見て、ベルナールはドッと力が抜け項垂れると、頭を抱えて深く深く、ため息を吐いた。


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