第19話 失敗(マティアス視点)
「トルメルカを燃やした痕跡が、見つかるかもしれない」
そう言ったリリアベルの言葉で、マティアスは瞬時に理解した。
(──ああ、失敗した)
焦りと、嵐のような自分自身に対する怒りが湧き上がり、叫び出したい衝動に駆られたが、爪が食い込む程に拳を握りそれを抑え込むと、ただの善良な幼馴染に見えるよう慎重に、普段通りの穏やかな微笑みを作った。
「リリーは、何か気付いた事があるんだね?」
怯えを写した宝石のような赤い瞳を見つめながら、不安を和らげるように優しくリリアベルの背中を撫でる。
触れた手に彼女の震えを感じ、マティアスの心は締め付けられた。
促すと、リリアベルは素直にニナニナがなくなっている事を話してくれた。
「希少な花が同時に二つも……しかもどちらも魔獣の暴走に合わせて無くなるなんて、偶然とは思えないの。森でトルメルカを使用した人物が、花を盗むために起こした事件なのかもしれない。お願い、違うかもしれないけれど、グリフォンが暴れた原因がトルメルカじゃないか、調べて欲しいの」
「わかった。すぐに騎士団と魔法解析班に伝達するよ。──リリー、大丈夫だよ。約束するから、元気を出して」
言いながら、マティアスの心は押し潰されそうだった。
リリアベルは、犯人が毒の材料を集めていることに気付き、マティアスの事を心から心配している。
それが手に取るようにわかり、彼女を不安にさせているのが自分の失敗のせいである事に、マティアスの心は荒れていた。
感情を抑える事に限界を感じたマティアスは、ちょうど薬室へ戻って来たマルコにリリアベルを託し「すぐに伝えに行ってくる」と言い訳を残して、逃げるようにその場を離れた。
「──くそっ!!!!」
人気のない廊下まで来ると、マティアスは咆哮とも言える程の唸り声で悪態を吐きながら、拳を思いっきり壁に打ちつけた。
ジワリと血が滲むが、彼の怒りは治らなかった。
「完全に失敗した。私のせいだ」
髪を乱暴に掻き乱しながら、吐き捨てるように言った彼の目には、ジワリと涙が滲んでいる。
控えていたフーゴが、見た事のない主人の様子に眉を寄せた。
「どうされたんです? 失敗とは?」
マティアスは大きく息を吐くと、魔法解析班が常駐している魔法塔へと歩き始めた。
「薬草学の教師だよ!! リリーが解毒薬を作ろうとすれば、何か動きがあるだろうとは思っていたが、まさか一日に二度も魔獣をけしかけて来るなんて思いもしていなかった。こんな危険な方法をとる奴だとわかっていれば、リリーを自由になんてさせなかった!!」
「薬草学の教師? 探していたシナリオの登場人物が、今回の犯人という事ですか?」
フーゴに重ねて質問をされ、マティアスはさらに苛立ちを募らせた。
「そうだよ! 犯人は確実にガーシャロを狙っていた。あの花は図鑑にすら載っていない。存在を知っているのなんて、伝説の話を受け継いで信じている薬草学者達か、シナリオを知っている奴だけだ。それに、解毒薬を作ろうとしているリリーが一番欲しがっていたのは、奪われた花弁じゃなくて葉だった。つまり花弁は毒の材料だって事だろ? そして同時に、ニナニナも盗まれている。こんな偶然ある?」
捲し立てるマティアスの言葉に、フーゴが口を挟む隙もない。
「襲撃にトルメルカを使うのだってそうだ。あんな方法、普通は思いつかない。そもそも医師団か薬室に関わる人間じゃないと入手すら難しいじゃないか。恐らく犯人は、毒を完成させるレシピを知っている。ああ──何で今まで気付かなかったんだろう。薬草学の教師がヒロインに助言を授ける役割なら、毒の存在も解毒薬の事も、全て最初から知っているに決まっているじゃないか」
話しながら自重気味に笑うマティアスに、フーゴは顔を青ざめさせた。
マティアスは、今回の二つの魔獣襲撃事件の犯人が同一犯で、しかもそれがシナリオに登場する最後の人物──薬草学の教師だと確信している。
人に助言を与え導く時、無知な者がその役割を担えるだろうか?
答えは否だ。
精神的な問題ならまだしも、薬草学の教師が与える助言は、植物の採取や薬の調合に関する専門的なものだ。
だが、最初から集めるべき材料や作り方を知っているのに、ヒロインを助ける役割に甘んじている。
さらに今、解毒薬を作るヒロインを助ける筈の人物が集めているのは毒の材料だ。
つまりは──。
「殿下の話だと……つまり、シナリオの薬草学の教師は毒を作るためにヒロインを助け、材料を集めさせていたという事ですか?」
マティアスは絶望を孕んだ瞳で、フーゴに笑いかけた。
「そうだよ。正解。薬草学の教師は、きっと自分では花を集められないんだ。場所を知らないとか、育てるための魔力が足りないとか……理由はいくらでもある。私はシナリオをなぞりながら、リリーと花を集めていけば、そのうち薬草学の教師を見つけ出して、今までと同じように穏便にシナリオを壊せると思っていた。でも違った」
声には、憎悪が滲んでいる。
「シナリオで花を見つける事ができるのは、ヒロインか、リリーか、攻略対象として一緒にいる私だけだ。奴は、どうしてか知っているんだ。リリーが花を見つけられると。目をつけられているのはリリーで間違いない。学園か王宮にいる私より、薬室にいるリリーの方が見張り易い筈だ。早々にニナニナを手に入れ育ててみせた彼女が学園に行く事を知って、森でガーシャロを見つけないかついて来たんだろう。リリーが少しでも安心できるように花を見つけようと、焦って私が森へ連れて行ったせいで、犯人が材料を集める手助けをしてしまった」
「そこまでわかっているなら、リリアベル様に話してみてはどうですか?」
「言える訳ないだろう! 私のせいで、彼女は危険に晒されているんだよ? なんて言うの? 『君を餌にしていたんだ』って正直に言って、それで愛して貰える? それに、犯人は毒を作ろうとしているのは間違いないし、リリーもそれに気付いている。リリーは解毒薬を作るのにさらに必死になる筈だ。私のためにね。わかる? 自分も怖い筈なのに、私のためにやっているんだよ!!」
感情が昂り、マティスの目から一筋、涙が頬を伝った。
「……私が彼女のためだけに生きているのと同じで……リリーも、私を救うことだけを考えている。今、花を集めるのを……解毒薬を作るのをやめろなんて言えば、彼女はきっと私を救えない未来の不安に押し潰されて、壊れてしまう。早く彼女との幸せを掴みたくて……焦った私が、彼女を餌にして薬草学の教師を見つけ出そうとしたのが、そもそも失敗だったんだ。花を奪われたのも、リリーを不安にさせたのも、危険に晒したのも、全て……私のせいだ」
マティアスは長いため息を吐き、涙を拭った。
その灰色の瞳は、冷静さを取り戻していたが、酷く濁っていた。
「グリフォンを使ったのは、恐らく計画にはなかった筈だ。ニナニナなんて、リリーに『分けてくれ』と言えばいいだけだったんだから。ガーシャロを奪った時の傷を隠すために、焦って怪我人を増やそうと思ったんだろう。ニナニナを奪ったのはついでだ。だがこれで、犯人は三人に絞れた」
シナリオに登場する来年の薬草学の教師は、今いる王城薬室のメンバーから選ばれ、そして今、犯人は怪我をしている。
マルコは、マティアスが自ら選んで入れた護衛だ。
コンラート室長はどこにも怪我を負っていない。
フーゴは、呟く。
「エドモント副薬室長、タニア、グレアムの三人ですね」
マティアスは正解だと言うように、ゆっくりと瞬きをした。
「三人の言動に注意しろ。必ず薬草学の教師を見つけて、確実に潰す。リリーには何も言うな。彼女はこれまで通り、自由にさせる。今回やりすぎたおかげで、犯人は暫く大きくは動かない筈だ。彼女に危険がないよう、私が先に全て終わらせればいいんだ」
マティアスがフーゴに放った命令は、最後には自分自身への宣誓に変わっていた。
焦りと後悔と怒りで、マティアスの胸は、苦しいままだった。
次回更新は2025年12月24日昼予定です。




