第15話 動き出した毒
暫くの間、剣と角がぶつかり合う残響や、巨体が木々に衝突する轟音が響いていたが、やがてそれらが止み森に静けさが戻ると、通常の演習用の道で待っていたリリアベルとマティアスの元へ、フーゴとマルコが戻って来た。
「──それで?」
マティアスに問われ、フーゴは少しばつが悪そうな顔をし、マルコが服の内ポケットからハンカチを取り出した。
「これ、見て」
マティアスとリリアベルの前、マルコが手に乗せたそれを広げて見せると、中には黒く焦げた小さな木片が包まれていた。
リリアベルは目を見張った。
「これ……トルメルカ?」
その呟きに、マルコが面白そうに口端を上げた。
「へえ? よくわかったね。そうだよ。ホーンディアが現れた道に落ちてたんだ」
「トルメルカって?」
マティアスに尋ねられ、リリアベルは困惑した表情で説明した。
「……トルメルカは、魔法で燃やして発生した煙を吸うと、酷い興奮状態を起こして錯乱してしまう木なの。悪夢を見ているような状態になって、攻撃的になるわ。魔法で燃やしさえしなければ問題はないのよ? 葉は薬効が高いから、隣国では厳重な管理の元で多く栽培されているし、薬の材料としてよく使われているの」
「フーゴがまともにこの煙を吸っちゃってさ。正気に戻すのに時間が掛かって、マティアス達を見失っちゃったんだよ。それで助けに入るのが遅くなったわけ」
肩をすくめるマルコの横で、フーゴが申し訳なさそうに視線を下げた。
「……申し訳ありません」
マティアスはそれを一瞥すると、焦げたトルメルカの破片を手に取った。
「リリー、魔法で燃やすって、魔獣の魔力でも可能なの?」
「……人も魔獣も扱っている魔力は同じだから、効果は同じ。でも……」
リリアベルが揺れる瞳でちらりとマルコを見ると、彼がそのまま言葉を引き継いだ。
「でも、学園の森にはトルメルカは生えてない。これを燃やしたのは、ホーンディアじゃない」
「なるほどね。じゃあ、誰かがわざとこれ持ち込んで燃やして、ホーンディアをあんな状態にしたってことか。魔力痕は残ってなかった?」
「はい。まだ完全には調べきれていませんが、今の所は何も」
「そう。リリーが危険な目にあったんだ。絶対に犯人を見つけて。次の森での演習は、調査のために中止するよう通達するよ。……リリー、どうする? あの花の所に戻る? 犯人がいる以上、すぐに森を出た方がいいんだけど、さっきあの花に凄く興味を引かれていたよね?」
マティアスに尋ねられ、リリアベルは頷いた。
時間が経った事で、震えは止まっていたし、心も落ち着いている。
(今を逃したら、もう二度とガーシャロを手に入れられないかもしれない)
万が一のバッドエンドからマティアスを救うためには、解毒薬の材料がどうしても必要だ。
「マティー達がいいなら、あの花の所に戻りたいです」
「わかった。じゃあ、行こうか」
マティアスと手を繋ぎ直し、四人は再び、先程の開けた場所へと向かった。
「あの……それで、どうしてマルコがここに?」
実は彼の存在がずっと気になっていたリリアベルに尋ねられ、マルコはさらりと言った。
「ああ、僕は君の護衛なんだよ」
「え? 護衛?」
「そうだよ。マティアスに頼まれて、護衛ってバレずに溶け込めるよう、一年も前から王城薬室で働いてた。それも今日無駄になったんだけどね。あ、珍しい植物を採集するのが仕事なのは本当だよ。まあ、植物っていうか情報収集の方が多いんだけど。戦うより諜報活動の方が好きだし」
驚きで言葉が出ないリリアベルは、マティアスを見た。
彼は少し恥ずかしそうに頬を掻き、困ったように微笑んだ。
「黙っててごめんね。王宮で働く人間は、仕事中は基本的に護衛とかつけないでしょ? やっぱり心配で。リリーは絶対飛び級で卒業できるだろうなって予想していたから、先にマルコを薬室に入れておいたんだ。私の部下として顔が知られていない者の中では、マルコが適任だったし、万が一のために、こっそり守って貰おうと思って……怒ってる?」
こてんと首を傾げながら覗き込まれ、リリアベルは苦笑するしかなかった。
「ううん……怒ってないわ。物凄く驚いてるけど、でも結果としてそのおかげで助かった訳だし……うん、ええと……これからも宜しく……でいいのかしら?」
チラリとマルコを見ると、笑みを返された。
「薬室の先輩として頼ってくれていいよ。目つきが悪いのは受け入れてね。護衛中だとどうしても力が入っちゃってさ。前髪で隠してるけど、どうにも鋭くなっちゃうんだよね」
「リリアベル様。マルコはこの口調の通り、誰に対しても無礼な奴なのですが、腕だけは本当に優秀なんです。護衛だと周囲が気づかない方が、お仕事もこれまで通り円滑にできると思います。どうか彼の振る舞いをお許し頂けるとありがたいのですが……」
深刻そうな顔のフーゴに言われ、リリアベルは笑った。
「全然気にしていないから大丈夫。むしろこの一ヶ月ずっと先輩として過ごしてきたから、私もマルコには敬語のまま話したいくらいなんだけれど」
マルコに対する口調をどうするか、リリアベルは悩んでいた。
マティアスの婚約者であるリリアベルは、準王族だ。
その認識のままでいくなら、もちろん護衛任務についているマルコに対して敬語は必要ない。
だが、年齢的にはマルコの方が恐らく上。
マティアスとは婚約を白紙にする予定なのだから、ただの貴族令嬢として接するなら、適切な距離を保ち敬語が必須だろう。
さらに彼は王城薬室の先輩でもある。
敬語のままか、それともやめるか。
真剣な表情で唸っているリリアベルに、マティアスはふっと笑った。
「そこはリリーの好きにしていいよ。護衛に敬語は必要ないんだけど、まあ、薬室内ではマルコが先輩だからね。どちらでも」
「僕は敬語のままがいいな。急に親密になってたら怪しまれるし」
「わかりました。じゃあ、これまで通りで宜しくお願いします」
マルコに対し、主人の婚約者が敬語を使うのが嫌だったのだろう。
フーゴが嫌そうな顔をしたのを見て、リリアベルは思わず笑ってしまった。
和やかに話しながらガーシャロの所まで戻った四人だったが、開けた場所に踏み入った瞬間、全員がピタとその足を止め、目を見張った。
「何これ」
眉を顰め、一番最初に口を開いたのはマルコだった。
リリアベルは唖然としながら、ふらふらとガーシャロに近付いた。
眉根を深く寄せ、花の前に屈むと、震える手でそっとその葉に触れ、呟いた。
「……ひどい」
先程まで美しく大輪の花を咲かせていたガーシャロは、まるで急いで毟り取られたかのように、花弁が殆どなくなっており、地面にはその乱雑さを表すように、たくさんの赤い花びらが散っていた。




