第14話 思わぬ人物
「リリー、絶対に私から離れないで」
低く、だができるだけ穏やかにマティアスに囁かれ、リリアベルは悲鳴が漏れそうになる口をグッと閉じ、こくこくと頷いた。
リリアベルは魔力こそ多いが、騎士を目指している訳でも運動神経がずば抜けて良い訳でもない。
戦闘のための訓練や演習は受けておらず、明らかに威嚇している大型の魔獣を前に、ただただ恐怖に包まれ、逃げ出したい足を必死に抑えて、マティアスの言いつけを守って側にいるのがやっとだった。
「リリー、防御魔法を纏って。できる? 深呼吸して」
迫って来ているホーンディアを見つめながら、マティアスがリリアベルに身を守るよう優しく指示をする。
一頭目のホーンディアは、先程の跳躍で僅か五メートル程の目の前まで距離を詰めてきていた。角を向けて威嚇したまま、じっとこちらを見つめている。
手を震わせながら、それでもリリアベルは足手纏いにならぬよう、唇を血が滲む程噛み締め、魔法を展開させて防御のための淡く発光する膜を纏った。
魔力を多く消費するが、魔獣の放つ魔法攻撃や打撃による衝撃をある程度は無効化してくれる。
「マ……マティーにも」
消えそうな震える声でそう言ったが、マティアスに止められた。
「駄目だ。魔力を無駄にできない。自分の身を守ることだけ考えて」
その時、奥にいたもう一頭のホーンディアが大きく吼え、リリアベルは思わず大きく肩を揺らして身を引こうとしてしまった。
──パキ。
極限の緊張が広がる張り詰めた空気は、リリアベルが踏んだ枝が折れる小さな音で破られた。
それが合図とでも言うように、目の前にいたホーンディアが角に魔力を込め大きく頭を振ると、散弾のように勢いよくそれを放ってきた。
「目を閉じて!!」
リリアベルの肩をグッと抱き寄せたまま、マティアスが声を張り上げた。
ホーンディアの攻撃を打ち返すようにマティアスも魔法を放ち、空中で衝突したそれらが閃光のように眩い光を放ちながら、大きな火花を散らし爆音を鳴らす。
小さな煌めく粉になって降り注いだ魔力の残滓が、マティアスが作った魔法の盾に触れジジジと音を立てた。
攻撃が当たらなかった事で、ホーンディアは業を煮やし作戦を変えたらしく、今度は直接角で二人を貫こうと、物凄い速度で突進して来た。
一頭では確実でないと思ったのか、後ろのもう一頭もそれに追従し巨体を唸らせ走り出している。
(マティアス様──!!)
眼前に迫る恐怖で、リリアベルはぎゅっとマティアスにしがみ付き、固く目を瞑った。
──その時。
「殿下!!」
聞き慣れた声と同時に、ギイイーンという硬質な剣が交差したような音が響き、続いてドッと大きく地面が揺れた。
「──お前達、遅いぞ」
はあ、と息を吐きながらマティアスが言い、リリアベルを抱いていた腕の力が緩まった。
「……え?」
恐る恐る目を開いたリリアベルは、目を丸くした。
目の前に迫っていた二頭のホーンディアは、弾かれたように二人から距離が離れており、最初に現れた一頭の方は、角の一部が折れている。
二頭の戦意は薄れていないようで、間合いをはかるように未だこちらを睨みつけているが、その瞳には僅かに怯えが見えた。
だが、リリアベルが驚いたのは、そこではない。
マティアスが作った魔力の盾の向こう側──ホーンディアとの間に、リリアベル達を守るように背を向けて、二人の男が剣を構えて立っていたのだ。
一人はわかる。
先程マティアスを呼んだ声の主、短い青髪の騎士フーゴだ。
だがその隣に立つもう一人の男性──少し小柄で重めの深緑の髪をしたその人物は──。
「……マルコ?」
無意識にリリアベルが名前を呟くと、マルコは振り返ってニヤリと笑った。
「あーあ。バレちゃったね、マティアス」
どういう事かと問おうとしたが、ホーンディアが大きく唸り声を響かせた事で、リリアベルは口を噤んだ。
マティアスが言う。
「説明は後だ。フーゴ、マルコ。あの二頭をできるだけここから遠ざけて無力化して来い。絶対にこの花を傷付けるな。私は離れてリリーを守る」
「はいはーい」
「承知しました」
二人は背を向けたまま返事をすると、一気にホーンディアへ向かって走り出した。
フーゴは身体強化の魔法を駆使し、突進してくるホーンディアの鋭い角を剣一本で受け止め、さらには僅かに押し返している。
マルコは魔力で剣を作っているのか、電撃のようにバチバチとその刀身を光らせ、大きく振った先から魔力の刃を飛ばしてみせた。
騎士であるフーゴは当たり前だが、研究員であるマルコも、何故か戦い慣れた様子でホーンディアの攻撃を次々と交わしている。
激しい動きで前髪が揺れ、覗いた瞳は好戦的な光を灯し、口端は僅かに上がっている。
困惑しているリリアベルを腕に閉じ込めたまま、緊張が解けたマティアスが優しく微笑んだ。
「もう大丈夫だよ。リリー、ここは危ないから、二人がホーンディアを片付けるまで、少し移動しよう。ここへはまた後で戻って来られるから」
フーゴとマルコはホーンディアを遠ざけようと、二頭の意識を外へ向け挑発するように攻撃をいなしている。
自分達がここにいては、戦いの邪魔になるだけだろう。
リリアベルは美しく輝くガーシャロをじっと見つめ、素直に頷いた。




