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第12話 幻の花と秘密

「知ってるわよ。幻の薔薇ガーシャロでしょ?」


 想像に反し、タニアはあっさりとその存在を肯定した。

 リリアベルは思わず狼狽え、言葉がもつれてしまう。


「う、あ……はい、そうで、す。ご存じだったんですね」


 ガーシャロは、学園の奥にある森の中に咲く薔薇だ。

 何枚も重なる真紅の花弁が美しい大輪の薔薇で、金色の葉を持つ幻の花は、その葉が薬の材料に、花弁が毒の材料になる。

 

 シナリオでは、魔法演習中に森で迷子になったヒロインが、探しに来たマティアスと偶然見つける花で、どの図鑑にも載っていない。

 幻の花──つまり、存在しない新種の花なのだ。


 そこで、ふとリリアベルは思った。


(あれ……でも、花の名前が『ガーシャロ』だってことは、確かお助けキャラが教えてくれていたわ。新種なのにすでに名前があるって、どういうこと?)


 彼女の疑問は、タニアの言葉によってすぐに解消された。

 

「ガーシャロは、ずっと昔から()()()()()()()()()()()()()()()()()()幻の花だもの。寧ろ、若いのに知っているなんて、リリアベルは勉強家というか、中々の通よね。私はコンラート室長に教えてもらった時、ワクワクしたわ。学園の森に咲く、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()花だなんて、可愛いお伽話だけど、リリアベルもやっぱりロマン感じちゃうわよね?」 


「……え? そんな逸話がある花なんですか?」


「ん? 知らなかったの?」


 首を傾げて聞き返され、リリアベルは慌てて誤魔化した。


「あの……花の名前しか知らなくて……図鑑にも載っていないし、存在するのかなって思って聞いてみただけというか……」


 モゴモゴと話すリリアベルを気にすることなく、タニアは納得した様子で頷くと、ずいっと顔を寄せてきた。

 好奇心で輝く瞳にリリアベルを映しながら、わざとらしく声を顰めた。


「私は、存在すると思ってるわ。なんでも、お城には()()()()()()()()()()()()()があって、過去に見つかった時の資料が保管されているって噂があるのよ。コンラート室長はただの噂だって言うんだけど、私は本当だと思ってるわ」


「王族しか入れない書庫……」


 リリアベルには、思い当たる部屋があった。


 王宮図書館の奥にある、閲覧禁止の書架が並び警備の騎士が立つ鍵の掛かった部屋。

 子どもの頃、マティアスがリリアベルをその部屋にこっそり招待した時、彼が言っていたのだ。


「リリー、あの棚を覚えておいて。上から三段目の右端の本と、四段目の左端の本。あれ、中身は偽物なんだ。あの二冊を入れ替えると、棚の左右の重さが大きく変わって仕掛け扉が開くんだ。実は奥にも部屋があって、()()()()()に続いているんだよ」


 耳元で囁かれた言葉に、幼いリリアベルは好奇心よりも恐怖心の方が勝った。

 厳重に警備されている閲覧禁止の本が並ぶ部屋に入るだけでも、緊張でどうにかなりそうだったのに、そのさらに奥の秘密の部屋なんて、ただの貴族令嬢が知って良い事では決してないと、幼いリリアベルでも理解できた。


「入ってみる?」


 そう微笑むマティアスの誘いを、必死で断った記憶がある。

 まさかそこに、シナリオに関わる花の資料があるなんて思いもしなかった。


(てっきり、ガーシャロは誰も見つけた事がない新種だと思っていたけど……過去に見つかっているなら、()()()()()()()()()()()()()()()()


 考えを巡らせ黙っているリリアベルに、タニアが言う。


「そう言えば、リリアベルは飛び級でここに入ったから、学園長にも研究報告会の結果を見せに行かなきゃいけないのよね?」


「はい。今日この後すぐに行こうかと」


 王立学園の飛び級制度を利用し卒業すると、入所したい就職先へ、学園長から推薦状を書いてもらえる。

 その代わり、しっかりと成果を上げることが出来ているか、卒業後一年間は、一月に一回、制度利用者は学園長にも進捗を報告しに行かなければいけない決まりだ。


 金印が輝く通知書を握るリリアベルを見て、タニアは眉を下げ憐れむような表情をした。


「それなら、早く行った方がいいわ。学園長、卒業生と話す時は本当に話が長いから、転移門の使用時刻を過ぎちゃうわよ」


「え? そんなに?」


 リリアベルは思わず窓の外を見た。

 まだ太陽は高く、昼を少し回った所だ。

 王城から王立学園までは、王族と許可証を持った者だけは、設置された転移門を潜って一瞬で移動できる。

 使用できるのは日没まで。

 行って帰ってくるのにまだ時間は充分にありそうだが、タニアの表情から察するに、本当に学園長は話が長いらしく、リリアベルは慌てて立ち上がった。


「す、すみません。今から行ってきていいですか?」


「もちろんよ。早く行った方がいいわ。体調は、本当に大丈夫なのね?」


 最後まで気遣ってくれるタニアの優しさが嬉しくて、リリアベルは微笑んだ。


「はい。もう大丈夫です」


 二人で一緒に部屋を出て、扉の鍵を閉めると、リリアベルはすぐに転移門がある王城医師団の棟へ向かうため急いだ。


「行ってらっしゃい」


 タニアはリリアベルの部屋の前で、彼女の後ろ姿を見送った。

 その顔には、貴族的な笑みが貼り付けてあった。









 王城医師団の棟は、薬室の棟の三つ隣。

 その一室、白を基調にした簡素な部屋の中央に、重厚な石造りのアーチ状の門がある。

 アーチで囲まれている空間──人が通り抜ける部分は、転移のための魔力が張られ、まるで鏡のように不思議な光を反射して輝いている。

 王族の魔力にのみ反応するその門は、王族、もしくは王族が魔力で判を押した許可証を持つ者でなければ通れない。

 普通の人間が許可証なしで通り抜けようとすると、弾き返されてしまうのだ。


 学園に行く必要があるリリアベルは、コンラート薬室長から、報告会の結果通知書と一緒に、転移の許可証を渡されていた。


「はあ……これ、慣れないのよね……」


 リリアベルはため息を吐きながら許可証を門にかざし、一瞬強い光を放って揺らいだ魔力の膜を、息を止めながら硬く目を瞑り、一思いに通り抜けた。


 ぐにゃりと視界が歪み、酷い馬車酔いに襲われたような不快感に全身が包まれる。

 どっと何倍もの重力が肩にのしかかるような怠さを感じながら、門を潜り抜けたリリアベルは、眉間に深く皺を寄せたまま、ぎゅっと閉じていた目をゆっくりと開ける。


「──え?」


 門を潜り抜け、辿り着いた王城医師団の門と対になる王立学園の転移門の間。

 赤を基調にした部屋の中、門の前には、くすくすと笑うマティアスが立っていた。


「そろそろかな、と思って待ってたんだ。相変わらず、苦手みたいだね、転移。すっごい皺寄せてる」


 揶揄うように自分の眉間をトントンと指差して笑むマティアスに、リリアベルは耳を赤くし口を尖らせた。


「もう。待っているつもりなら、先に教えてくれればよかったのに」


 むくれるリリアベルを宥めるように、マティアスは優しい手つきで耳からこぼれていた彼女の黒髪をさらりと掛け直した。


「たまにはリリーの驚く顔を見たくなって。……ね、久しぶりに会ったんだから、機嫌直して?」

 

 髪を撫でながら甘く覗き込んでくる灰色の瞳に、リリアベルはグッと責める言葉を飲み込んだ。

 マティアスと会うのは、二週間ぶり。

 子どもの頃から今まで、同い年だったこともあり、そんなに顔を合わせなかったのは初めてだった。


「会えなくて、寂しかった?」


 マティアスに問われ、素直に頷いてしまいそうになるのを、リリアベルは必死に堪えた。

 いずれ離れなければいけないのだから、これくらいで音を上げる訳にはいかない。


「進捗報告の準備に忙しくて、意外とあっという間だったわ」


 言いながら、目が泳いでしまう。

 マティアスは優しい笑顔のまま、リリアベルに手を差し出した。

 学園長室まで、久しぶりに会う婚約者をエスコートしてくれるつもりらしい。

 距離を取らなければいけない筈なのに、リリアベルは条件反射で思わず手を取ってしまった。


「あ……」


 気付いたリリアベルが手を離そうと僅かに身じろぎした瞬間、マティアスがグッと力を込めて手を握った。

 マティアスは動揺するリリアベルを無視して、笑顔のまま言った。


「私は、会えなくて凄く寂しかったよ」


 リリアベルの返事も聞かぬまま、マティアスは優しく、それでいて有無を言わさぬ強さで彼女の手を引き、学園長室へ向かう道を歩き始めた。

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