第11話 タニア
研究内容の報告は無事に済み、リリアベルのニナニナについての報告は、コンラートとエドモントから『優』の評価を貰えた。
王城薬室三階の自分の部屋。
マティアスが選んでくれたふかふかのソファに腰掛けたリリアベルは、総評と今後の助言などが書かれた、『優』の金印を押された通知書を見ながら、ホッと胸を撫で下ろした。
「はあ……本当によかったです」
肩の力が抜け微笑んだリリアベルに、タニアが湯気の立つ分厚めのマグカップを手渡した。
受け取って中を覗くと、ホットミルクに少し溶けたマシュマロが浮いている。
「顔色は戻ったみたいね。本当にただの緊張? 体調、辛かったらすぐに言うのよ?」
「はい、もう大丈夫です。ご心配お掛けしてすみません。これ大好きです。ありがとうございます」
こくりと一口飲むと、甘さが口の中に広がり、胸の辺りが温かくなる。
ふんわりと優しい香りが鼻の奥に広がった。
「入ってすぐに『優』が貰えて、よかったわね。さっきも言ったけど、本当に凄いわよ。私は今回ギリギリ『良』だったから、次また頑張らなくっちゃ」
部屋の中央、作業台から椅子を引っ張って来て隣に腰掛けたタニアは、わざと肩をすくめて見せると、自分の分のホットミルクをぐいっと喉に流し込んだ。
報告会の結果は五段階評価で、評価が高い順に『秀』『優』『良』『可』『不可』のどれかに分けられ、研究員は一年間の最終評価で『良』以上の評価を得る必要がある。
それ以下でもクビになることはないが、二年連続で『可』や『不可』になると、次の年の個人の研究予算が削られたり、研究内容の大幅な変更が必要になるので、皆必死だ。
リリアベルは珍しいニナニナの栽培に成功し、比較検証もできている。
本当は『秀』でもよかったくらいだが、まだ開花前ということもあり、今回は『優』の評価で落ち着いた。
「早くマティアス様にも、結果を伝えたいです」
リリアベルがはにかんで言うと、タニアがニヤニヤしながら自分で己の身を抱きしめながら悶絶した。
「はあーーーー、なあに? その顔。可愛すぎる! リリアベルってば、マティアスの事、大好きなんじゃない。いいわね、その初々しい感じ」
笑顔で指摘され、リリアベルの顔には急にじわと熱が集まった。
「い、いえ。私はそんな……! 彼とは子どもの頃から婚約しているだけで──」
「いいの、いいの。何も言わないで。わかってるから。大丈夫。はー、まさか職場で恋愛の話ができる日が来るなんて、夢みたいだわ。ずーっと男ばっかりで辟易してたの」
リリアベルは話題を逸らしたくて、顔を赤くしたまま慌てて質問した。
「タニアはいつから研究員をしているんですか? ずっとって事は、長く在籍しているんですよね?」
タニアはリリアベルの微笑ましい動揺を眺めにっこり笑むと、年上らしく、そのまま話題の変更を受け入れた。
「私は、王立学園を卒業してそのまま入所できたから、もう十年ちょっとは働いてるわね。コンラート室長とエドは私より古株。でも十年の間に何人か入れ替わって、グレアムが確か六年目……くらいかしら? アランは去年の春に入ってきたばっかりよ」
気さくに会話が飛び交う日々を思い返し、リリアベルは目を丸くした。
「意外です。皆さん長い付き合いなのかと思っていました」
「爵位とか呼び方とか気にしないで話しているから、そう感じるんでしょうね。コンラート室長が前侯爵家当主なのは知ってるわよね? 今はご子息に家督を譲ってらっしゃるけど。エドは研究の功績をあげまくってるから、実は自力で伯爵位を賜っているのよ。バケモノよね。私は子爵位止まり」
「え……? でも、王城の新年祝賀会などでお会いした記憶がないのですが……」
王城で催される新年の祝賀会は、春先に開催され、朝から晩まで国中の貴族が入れ替わり城を訪れ、国王に挨拶をする日だ。
社交の場としても非常に重要な日で、時間帯はバラバラでも、基本的に殆どの貴族が城に集まる。
リリアベルはマティアスの婚約者として準王族扱いなので、一日中彼の横で挨拶の様子を眺めているのだが、エドモントやタニアに会ったことはなかった。
「ああ、その時期って毎年雪風邪の時期と被っているでしょう? 王城医師団だけじゃ王都の支援の手が回らないから、薬室研究員は薬草の管理と薬の準備に追われて、参加免除になるのよ。だからリリアベルに貴族として会ったことはないわ。お茶会や夜会なんかにも滅多に行かないし」
「じゃあ、私も来年は祝賀会は免除になるんでしょうか?」
「んーまあ、希望にもよるだろうけど、陛下が許可すればって感じじゃない?」
その後に言われた「マティアスが許さないだろうけど」という言葉は、リリアベルには聞こえていなかった。
さらりと答えたタニアの言葉に、リリアベルは考えを巡らせた。
(忙しい時期が社交と重なっているなら、来年の祝賀会は私も参加しなくていいかもしれない。そうすれば、マティアス様との仲や私の適性を勘ぐる人が出てきて、婚約を白紙にしやすくなるかも……)
もし祝賀会のような大きな行事にも参加しなくて良くなれば、マティアスが言っていた「社交に出ない」という方法をより実行しやすくなる。
バッドエンドを回避するためには、やはり研究員という立場は最善だったように思えたが、同時に、リリアベルの心にはちくりと棘が刺さった。
(マティアス様と離れなきゃいけないけど……好きだっていうこの気持ちは、いつか消えてくれるのかな……? 今まで私が着ていた銀糸が輝くあのドレスも……他の誰かが着て、いつかはマティアス様の隣に並ぶんだよね)
例えバッドエンドを回避できても、シナリオにはマティアスとリリアベルが結ばれる結末は存在しない。
リリアベルは、自分ではない誰かとマティアスの未来の想像を振り払うように僅かにため息を吐くと、タニアに質問を続けた。
「やっぱり、皆さん王立学園を卒業してすぐに入所しているんですか?」
「ううん。結構バラバラよ。私の時は、偶然募集があって、運よく採用されたの。在学中に一緒に働かないかって誘われてて──あ、私が学生の頃の薬草学の先生がね、コンラート室長だったのよ」
「え! そうだったんですか!?」
リリアベルは驚きで思わず声が大きくなった。
「授業が本当に面白くて、自分でも薬草について調べ始めるようになって……それで薬草学が大好きになったの。だから私もいつか王立学園の教師になって、コンラート室長みたいな素敵な授業をして、皆に薬草学の楽しさを伝えたいのよ」
「それは、素敵な目標ですね」
楽しそうに話すタニアを見ながら、リリアベルは僅かな希望を抱いた。
(シナリオに出てくる薬草学の教師は、タニアなのかな? そうだといいな……。私のことも、マティアス様のことも知っているし、優しい彼女なら、もしシナリオ通りに私がマティアス様を危険な目に遭わせるような事になったら、きっと止めてくれるわ)
タニアは、優しく気さくで親切だ。
薬室に入ってすぐのリリアベルを普段から気遣ってくれて、今もこうして顔色の悪かった彼女を心配して、リリアベルが安心して休憩できるよう、自身の研究や仕事もあるのに、わざと雑談を続けてくれている。
お助けキャラが、彼女であって欲しい。
そうすれば、悲惨な結末をより遠ざけることができるかもしれない。
そう期待を込めて、リリアベルは思い切ってシナリオに関わる事を聞いてみる事にした。
心臓がバクバクと音をたてる。
緊張で震えそうになる指を隠すため、ぎゅっと温かいカップを握り締めて慎重に口を開いた。
「あの……タニア。ガーシャロっていう花を、知っていますか?」
タニアの反応を一つも見逃さないよう、リリアベルは大きな赤い瞳でじっと彼女を見つめた。
突然の質問に目を丸くしたタニアは、パチリと瞬きをして、カップを机に置く。
リリアベルは永遠にも感じられる一瞬を過ごしながら、ゴクリと喉を鳴らし、タニアの言葉を待った。




