第10話 息を殺して潜む棘
「おおー! 凄いわ! ちゃんと蕾が出来てるじゃないのー!」
王城薬室の裏庭。
リリアベルが研究員になってから一ヶ月が経過し、彼女に割り当てられた区画の小さな温室の中で、タニアが声を弾ませた。
この日は、月に一度の研究進捗の報告日で、評価用紙を片手に王城薬室の全員が、最後の報告者であるリリアベルの温室を訪れていた。
リリアベルが個人研究として行なっているのは、ニナニナの栽培と観察。
ニナニナは、栽培方法に関する研究が少ない。
そもそも種が貴重で一度にたくさんを育てることができないし、種を手に入れても育てるには魔力も手間暇も必要で、手を出す事ができないのだ。
「育ててみたいんですけど……」
そう言ってリリアベルが薬室長コンラートに種を見せると、彼は興奮した様子で了承してくれた。
「いいですね! こんなに種があるなら、そのまま研究対象にするといいですよ。君は魔力量も多いし、育成方法について比較検証ができそうですね」
マティアスに貰ったニナニナの種は、コンラートから助言を受けながら、一粒ずつ別の鉢に植え、それぞれに異なる量の魔力を注ぎ、違いを観察しながら大切に育てることにした。
そしてじっくり育てて一ヶ月。
植えた三分の一は芽が出なかったが、残りは順調に育ち、そのうちの四つの鉢には、すでに可愛らしい蕾が丸く膨らんでいた。
「薬室に入ってすぐ成果報告できるなんて、やるじゃない、リリアベル」
目を輝かせているタニアの横で、コンラートも眼鏡を掛け直しながら、ずいと顔を蕾に近づけて興味深げにしげしげと見つめた。
「そうですね。ニナニナは育てるのが非常に難しいですが、よく頑張っていると思いますよ。比較してわかったことはありましたか?」
ひとまず褒めて貰えた事で緊張が和らいだリリアベルは、事前にまとめていた書類を読みながら、都度質問に答えていった。
「──ということで、一日に与える魔力の総量が同じでも、複数回に分けて与えるより、一度に大量の魔力を与えた方が、発芽率が高く、その後の成長が早い事がわかりました。ただ、検証の数が少ないので、あくまで今回は……という結果ですが」
最後まで説明を終え、おずおずと視線を上げて皆を見ると、全員が真剣な顔で、じっとリリアベルを見つめていた。
ドキリと心臓が跳ね、思わず僅かに身を引いてしまう。
「あの……何か駄目な所がありましたか……?」
しんとした室内に耐えきれず、リリアベルがゴクリと喉を鳴らす。
それと同時に、タニアがリリアベルを抱きしめた。
「いや、かんっぺきよ! 本当に凄い後輩で嬉しいわ!」
タニアにそのままわしゃわしゃと頭を撫でられ、リリアベルは目を白黒させた。
少し遅れて、褒められた事を理解した彼女の頬が、ジワリと赤くなる。
エドモントはリリアベルの手からヒョイと資料を奪い取ると、無精髭を弄りながら感心したようにそれを眺めた。
「いや、大したもんだな。良くまとめてある。採取した花弁をリーン油に漬けておくと薬効が出るのは知っていたが、茎に毒性があるのは、俺も知らなかった」
エドモントの隣で一緒に書類を覗き込んだグレアムも、真剣に目を通しながら言う。
「やはり魔力が多いと、実験の幅が広がっていいですね」
「うんうん、数値もしっかり記録できていますし、報告内容はこれで充分です。今の状態で論文にしてもいいくらいの内容ですけど、どうします? 花が咲いてからにしますか?」
コンラートに問われ、リリアベルは少し悩んだ後、口を開いた。
「できれば、論文にするのは、花が咲いた後でもいいですか? 最終的な薬効や毒の成分も調べたいですし……」
完璧な状態で最初の論文を書きたい──薬室の皆には、意欲的な新人の言葉として、そう聞こえただろう。
だがリリアベルの胸中は違った。
(今、論文を書く作業に追われたら、他の花を探して解毒薬の調合をする時間が足りなくなっちゃうもの。絶対書きたくない)
彼女の思いを知らないコンラートは、優しく頷いた。
「開花も近そうですし、まとめるのは、色々と花弁や茎の成分を分析した後でも問題ないでしょう。じっくりやってみて下さい。私は栽培に失敗したばかりですし、結果が楽しみです」
その言葉に、リリアベルは思わず聞き返した。
「コンラート室長も、ニナニナを育てていたんですか?」
「ええ。植物を育てるのは好きですし、半年前、ちょうどニナニナの種に巡り合ってね。といっても、マルコ君が見つけて来てくれたんですけど」
コンラートが「ね?」と視線をやると、マルコがあくびをしながら答えた。
「元々、マティアスに頼まれて探してたんだよ。珍しい植物探すのが仕事だし」
「マティアス様に?」
リリアベルが驚いた表情をしたのを見て、マルコはサッと顔色を悪くした。
「やば……これ言っちゃ駄目なやつだった」
「あーあ。マルコ殺されるな、これは」
「いや、ちょっとエド、やめて。本当に殺されそう。リリアベル、僕が言った事今すぐ忘れて。今すぐ。あ、忘却茸の粉持ってこようか?」
マルコが焦っている理由がわからず、リリアベルは首を傾げた。
「どうして、言っては駄目なんですか?」
すると、タニアが何故か憐れむように眉を下げた。
だが、その口端は笑いを堪えるように震えている。
「リリアベル……贈り物っていうのはね? 格好つけて渡したいものなのよ。だから、どのルートであなたに渡すニナニナの種を手に入れたかは、秘密にしたいのが男心なの。……ぷくく……ねえ、エド。マティアスって、もしかしてこれ一方通行なんじゃない?」
後半小さな声で話を振られ。エドモントはうんざりした顔でこめかみを抑えた。
「いや、本当、勘弁してくれ。俺にそんな事聞くな。まだ死にたくない」
「え、でもさー」
押し問答を始めた二人を横目に、リリアベルはマルコに尋ねた。
「マルコも育ててみたんですか?」
「いや、僕は採集が専門だから育ててない。種は結構手に入ったから、マティアスに頼まれてた分の残りは、室長と……あとエドとグレアムにもあげたんだ。みんな栽培には失敗してたけどね」
そこへ、タニアの話を切り上げるように、無理やりエドモントが話に加わった。
「グレアムは結構良い線行ってたんだけどな。発芽はできてたし。リリアベルの結果でいけば、俺は与える魔力を小分けにし過ぎたのが駄目だったっぽいな。室長も手を掛け過ぎだったし」
「私は恐らく、単純に魔力量が足りなかったと思います。発芽で止まってしまったのは、そのせいでしょうね」
グレアムが眉を下げて補足すると、コンラートとエドモント、グレアムの三人で、リリアベルの資料を見返しながら議論が始まる。
それを見ながら、タニアが肩をすくめた。
「私は栽培ってすっごく苦手なのよね。本とにらめっこしながら調合する方が好き。来年は王立学園の担当が更新されるから、選ばれるように頑張らなきゃ」
「王立学園の担当……?」
思いもよらない単語に、リリアベルの心はざわついた。
咄嗟に聞き返した彼女に、タニアは器用に片眉を上げた。
「あれ、知らなかった? 王立学園の薬草学の教師は、王城薬室の研究員が担当しているのよ。二年毎に担当が変わるから、今年の研究成果によって、来年この中の誰かが行くってこと。私は元々王立学園の教師になりたかったから、今回こそはって思ってるんだけど……リリアベル、大丈夫? 顔色悪いわよ」
タニアが眉を顰め、リリアベルの顔を心配そうに覗き込む。
彼女の顔は真っ青だった。
(シナリオが始まるのは来年の春……。じゃあ、この中の誰かが……お助けキャラの薬草学の教師ってこと……?)
学園から離れ、ニナニナの栽培も順調なため、リリアベルは知らぬ間に気が緩んでいた。
平穏に見えていた王城薬室の誰かが、リリアベルの運命を左右させるシナリオの登場人物であるという事実を急に突きつけられ、ぐらりと足元が揺れる。
(お助けキャラは……私にとって、敵か味方か……どっちなんだろう……)
唐突に不安に襲われ、吐き気がする。
ギュッと硬く握ったリリアベルの指先は、氷のように冷たくなっていた。
その様子を、マルコが静かにじっと見つめていた。
読んで頂きありがとうございます。
シナリオに登場するお助けキャラは誰なのか?
マティアスはシナリオを阻止できるのか?
リリアベルは解毒薬を完成させて、マティアスを救えるのか?
次回は2025年11月25日火曜日の昼に更新予定です。




