トラブルシューティング
スマホに着信があったのは、深夜の1時をすでに回っていた。
桜花さんはお風呂に入っていたので、リビングにいたのは俺だけ。桜花さんの携帯電話が引っ切り無しに掛かってきていたから、気になってディスプレイを見た。
瑞希と表示されていたから、中村さんかと思い、出てみることに。
「桜花ですか! お父さんが倒れて、今、花園の病院にいるんです!!」
出るや否や、叫ぶようにして言ってくるので、緊急性を要するモノだとすぐにわかった。
「俺です。刹那です! 桜花さんはお風呂なので、俺から伝えてすぐに向かいます」
「刹那さん? あぁ、桜花があっちの家に泊めたのですね。わかりました。病院の場所は桜花も知っているので、すみませんが、言伝、お願いします」
それでは。
瑞希でも慌てることってあるんだ。って、早く桜花さんに教えないと!
走って廊下に出て、お風呂場に突撃した。ら、裸で髪を拭く桜花さんの姿がそこにある。俺が焦りすぎてノックを忘れてしまってどうするよ……。
どうしてこうも女性の肌は綺麗なんだろうか。
腕を上にあげているから、腋の窪みが妙に淫靡なフェロモンを醸し出しているようだ。
「君は……殺されたいか……?」
全力で顔を横に振る。って、そういうことでもなくて!
「和馬さんが倒れたって、瑞希が!」
一瞬にして、空気が変わった。
先ほどまでの表情とは打って変わって「病院は?」と、聞いてきたので、瑞希から聞いた情報を1つ漏らさず桜花さんに話す。
行動はとても早い。
髪を拭いたら下着を付けてスーツを着こむ。
シワ1つなくて、乱れは瞬時に直される。
まだ髪は濡れたままだったけど、緊急を要するために仕方ないことだと割り切ったのだろう。
「明日は電車で戻ってもらっていい? お金は渡して」
「俺も行きます」
「もう時間も遅い。それに君は学生だ。学業を疎かにしてはいけない」
「学生である前に1人の人間です。心配なまま学院に戻っても集中出来ないですよ」
少しだけ考え
「やっぱりダメだ。ここで寝て、起きたら学院に戻るんだ」
この人は本当に頑固だ。
こうと決めたら、絶対に曲げない。
「嫌です」
もう時間がないかもしれない。
今も楓お姉さまは1人で苦しんでいるかも。
「俺にも引けない時はあります。それにこんな押し問答している時間も勿体無いですよ」
「だが……」
「桜花さん!」
「父さんの容体を確認したら瑞希と帰ってもらう。いいね?」
「わかりました」
それに、俺のほうでやらないといけないこと。聞き出さないといけないことがある。桜花さんでもわかるだろうけど、あの人から聞かないと気が済まない。
テレビを消してガスの締め忘れがないか確認してから、外へと飛び出して、車に乗り込む。
当然、俺はリアシートに乗った。
「どうして後ろなんだ?」
それは……ですね。
ポケットからタオルを取り出して、運転している桜花さんの邪魔にならないよう、髪を拭いていく。
まだ濡れているというのに、艷やかで滑らか。雛の髪の毛を触っているような感覚。
「すまない」
嫌がる様子もなく、少しだけスピードを上げて、次々と車を追い越していく。
お父さんの緊急事態なのだから仕方がない。
幸菜だっていきなり熱を出したり、此花に来る前はいきなり倒れたりしたから、桜花さんの気持ちは嫌ってほどわかる。
「いえ、こっちこそすみません。勝手にこんなことしてしまって」
勝手にタオルまで持ち出している始末。
何度も言っていると思うけど、別にストーカー気質でもないし、桜花さんがどれだけ魅力的でも惹かれることはない。と思う。多分……。
雛も魅力的な子だし、なぎさだって負けず劣らず。
だけど、楓お姉さまの魅力には敵わない。
あぁ、本当に恋しているんだなぁ……。
自分の好きな人はなにがなんでも1番にしてしまう。いや、見えてしまうんだ。
恋とは魔法のようなモノで、形がある物でもない。
形があればどれだけ楽だろう。相手に自分の気持ちを伝えるのに楽だし、どれだけ、好きかもわかってもらえる。
愛にも同じことが言えるけど、僕には愛と恋の違いは未だにわからない。どちらも好きということには変わりないから。どちらも心が入ってるので、心から好きということは間違いないだろうけど。なんだか哲学的な話になってしまった。
粗方、髪を吹き終え座席に座り込む。
いくら桜花さんの運転とはいえ、法定速度を超えるスピードで運転しているので、車がコーナーに差し掛かれば車は揺れる。踏ん張りだけで耐えぬいていたから、結構ま負担が足にかかっていた。
「もうすぐ着くよ」
少し体をずらして、前を見てみる。
学院とほぼ同規模の建物があり、さすがは花園グループ直属の総合病院というだけはある。
右折して中に入ると、駐車場は最近ではよく見る、入場券を抜き取って入るタイプの物だった。
ウインドウを開けて華麗に入場券を抜き取り、すぐ近くの枠に車を停める。
停まるとすぐにドアを解放して、病院に駆けていく。
いくつかの車が停まっていて、なんだか不思議な感じがするけど、それよりも和馬さんの容体を確認するのが先か。
桜花さんの背中を追いかける。
「桜花! こっちです」
私服姿の瑞希が俺達を出迎えてくれる。
「自動ドアは閉まっているからこっちに」
必要最低限の灯だけが付いていて、受付はすでに業務は終了。診察もやっていないから、大きな空間に3人だけ。何回、経験しても慣れるもんじゃないなぁ。
エレベーターに乗り込み、7階まであるボタンの5階のボタンを押す。
ドアが閉まるのを待ってから桜花さんが問いかける。
「意識はあるのか?」
「えぇ、ですけど、手術は絶対に必要みたいで、検査の結果を見てから、日程は決めるそうです」
「そうか」
2人の会話に少しだけ疑問を持った。
「知っていたんですよね」
桜花さんは深呼吸して「あぁ」と答えた。
「もう何ヶ月も前だ。取引先の人と夕食を食べに行った帰りだ。お酒が入るかもしれないため、行きはタクシーを使った。帰りも同じように帰る予定だったが、父さんが少し歩きたいというので、電車で帰ることにした。その時だよ。腹痛を訴えたのは」
「病院を嫌がった和馬さんは、すぐ近くのホテルで休憩したんですね」
それなら合点が行く。
言わば、あの写真は撮られるべくして撮られたわけだ。
それも実の娘に雇われた探偵に。
「今日にも週刊誌に載るだろうな」
桜花は常に冷静だ。怒っている時も自制し、周りに気を配り行動する。あのときも正常な思考が回っていれば、写真にも気づけたんだろうけど。
「桜花は気にしていないようですよ」
「まぁな。綺麗に写っていればそれでいい」
パンッと音が鳴って、ドアが開かれる。
2人してクスクス笑い、病室へと向かう。
VIPルームにいると思ったら普通の個室に入院するようで、お金持ちなのに貧乏くさい。と、思ったのは黙っておこう。
中に入れば、ベッドに結構な人だかりができている。
俺は少し離れていたほうが良さそうか。
何人かの女性はドアの開く音に気付いて、こちらに振り向いて一礼してくれた。
俺も一礼だけして、病室から出ることにする。
静かに誰にも気付かれないように。
後手にドアを閉めて、スマホの使いやすい待合所まで向かう。電波が医療機器に支障を来す場合があるためだ。
基本、待合所での携帯電話の使用は許可されている所が多い。一番いいのは屋上だけど、深夜に屋上に行くのは不審者と思われても仕方ない。
あまり大きな声を出さなかったらいいだろう。
ポケットからスマホを取り出して、楓お姉さまの番号をタップした。
出てくれなくてもいい。ただ、知らせておきたいだけ。案の定、留守番電話に繋がる。
「楓お姉さま。夜分遅くにごめんなさい。でも、お知らせしないといけないことがあります」
どう説明したらいいだろう。留守番電話機能はそう長くは残しておけない。
「お父さんが倒れました。検査の後に手術までするそうです」
それを言ってもなにも感じないだろう。
「雛が心配してますよ。私も……いっぱいお喋りしたいです。すべてが終わったら」
機会音がして、録音を終了させらてしまう。
「最後まで、言えなかったか」
それはそれでよかったかもしれない。
なにが言いたかったのかも決まってなかったし、もし、ここでイラぬ事を言ってしまったら本末転倒だったかも。
言いたいことも言えないもどかしさ。
会いたいのに逢えない愛おしさ。
なに言っているんだろう。熱でもあるんじゃないか?
自分で自分を疑うようになるとは。
「楓に電話ですか」
「えぇ。でも、これももうすぐ終わりますけど」
時間がない。これ以上、好き勝手はさせない。
間違いは誰かが正してあげないといけない。それは年齢関係や性別は関係ない。
「温厚な俺でも、大好きな人だからこそ、怒ってあげないと」
だから
「瑞希にも無茶を言ってしまうけど、いいかな?」
「えぇ。可愛い弟くんのためですもの」
そっと抱きしめてくれる。
「私も桜花もみんなが楓を大好きなんです。もう私達ではあの子は止められない。刹那。お願いします」
「任せておいて」
耳元でもう少しだけこのままでいさせて下さい。と、かすれた声で言ってくる瑞希を、俺は優しく受け止める。悔しいのは俺だけではないし、怒っているのは俺だけでもない。
たぶん、1番悔しがっているのは瑞希だろうし、1番怒っているのは桜花さん。
やるしかない。もう戻れないし戻らない。
瑞希が落ち着くまで、ほんの数分。
「もう大丈夫です」
「それじゃあ戻りましょうか」
病室に戻る間はなにも会話はなかった。
深夜と言える時間も終わり、朝の3時を少し回っている。さすがにもうそろそろ帰るように言われてもおかしくない。
病室に戻って、和馬さんと向き合う。
「アリス・アイル・アーシェ。それがあの子の本名だよ」
この人は本当に凄い。俺がなにを知りたいかをいともたやすく見抜いてくる。
ペンと紙を用意してくれ。
そういうと、桜花さんがすかさず用意してくれる。
スラスラと書き終えたと思ったら
「ここの住所に親御さんが住んでいる。どうするかは君次第になる」
「ありがとうございます」
病状や容体を聞く必要はない。
安心させてあげるためにも、早く楓お姉さまを奪い返すだけだ。
住所の書かれた紙をポケットに入れて「行きましょうか」と、車の鍵をクルクルと回す。そういう仕草が女の子らしくって、なぜだか笑えてくる。
「そうですね」
俺と瑞希が歩き出す。
そっとドアを閉めるとき、桜花さんと目があった。
わかってますよ。
俺は俺の出来ることをします。だから、待ってて下さい。




