負けられない
苛立つ俺を宥めてくれたのは桜花さんではなく、楓おねえさまのお父さんだった。
「そう怖い顔をしないでくれないか。灯が怯えてしまうじゃないか」
薙刀を振るっていた少女は少し強張ったように、薙刀を抱え、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
俺は急いで泣かせないよう「ごめんね」と、笑顔で謝りを入れる。
この子は関係ないじゃないか。
冷静に考えれば、この子達はただ連れて来られただけ。そう考えれば、おかしいのはそこで笑っている男が諸悪の根源。
すべてをぶち壊したのはそこにいる花園和馬。
そう言い聞かせた時だった。
「おとうさまをわるくいうなっ!」
木製の薙刀を俺に向けてくる少女。
こんな小さな子を洗脳までしているとは……。
どこまで腐っているんだ!
隣にいる桜花さんはこめかみ辺りを押さえて、なにか考え事をしているみたい。あの肩こりしそうな体勢で空気椅子をしている彫刻の像みたいな。
「灯、お客様に向けてはいけないよ。そうだ、さぁやのお手伝いしてあげてくれないか。あの子は頑張り屋さんだから、灯が手伝ってあげないと、また夜遅くになってしまう」
俺を見ながら渋々「わかりました」と、薙刀を持って、俺の隣を通り過ぎる。
ガラス張りのテーブルにソファが3つって、テレビや冷蔵庫はもちろん、ワインセラーなどもあったりで、やはりお金持ちなんだなと理解する。
ソファに手を向け、座りなさい。とジェスチャーしてくれる。
「お酒は飲めないからお客様ようだがね」
そう言って、桜花さんに「ジュースでも淹れてくれるかい」と、言うとグラスに氷を少し入れて、オレンジジュースを丁寧に差し出してくれた。
あ、どうも。
なんだか、調子が狂う。
真剣な話をする雰囲気では到底無い。
「それで? なにをしに来たのかな」
ソファにべったりと背中を預ける形で言ってくると、なんだか見下されているようだ。
だからと言って、俺はさっきのように取り乱したりはしない。こういうときこそ冷静にならないといけない。
心を取り乱したら、負けてしまう。
1代で世界に名を残す企業を立ち上げた人間だ、俺なんかでは到底太刀打ちできないだろうけど、気持ちだけは負けたくない。
花園楓が大好きだって気持ちで負けたくない!
「楓お姉さまの居場所を教えて下さい」
「知らない……。と言えば?」
知らないはずはない。
確信は得ているから。
「知らないはずはないですよ。園田志帆さん。あなたの差し金でしょう」
ふーん。というと、今度は前かがみになって俺を見てくる。
「しらばくれても無駄です。もうすぐ妹からメールが届きます。今調べてもらっているんですよ」
今日のお昼、園田さんからメールが来た。
提示連絡かのようなメール。テレビや週刊誌などではすでにスキャンダルになっていることが記されていた。
それが決定打となった。
「おかしいんですよね。有名人だと自負したくはないですけど、巷では有名な方なので話しかけてくれる子はたくさんいます。ですけど、あの子は自然過ぎました。後輩達はみんな、緊張しながら声をかけてくれて、次第に慣れていくのですが、あの子は最初から緊張した様子がなかった」
「それは、その子がただ馴れ馴れしいだけではないのかな?」
「確かにそういう子だったのかもしれません。ですけど、近すぎました。前もって俺が男であることを知っていたように思える節があったんですよ」
デマカセに言っているように見せかけたのだけど、どうだろう。ハリウッドでも活躍できるぐらいの演技はしていると思う。
「どういうことかな?」
「簡単です。珈琲を淹れてくれたんです」
それは失態だったね。そう言わんばかりのオーバーリアクションで額を手でパーンと叩いた。
「普通、お嬢様に珈琲は出しません。お茶といえば紅茶なんですよ」
そして、クスクスと笑うと
「君にも少しは知恵というのがあったんだね」
と、言ってくる。
なんか俺が馬鹿みたいじゃないか。否定はしないけど、テストでは学年3位なんだ。それなりに知恵は付いているはず。
断定できないのが俺らしい。
「まぁいい。楓の居場所は把握している。だが、教えることはできない。瑞希にも教えていないから訊いても無駄だよ」
「そうですか。ならここに居ても意味はありません」
俺は帰ろうと立ち上がる。
はぁっと、ため息をつく和馬さんを見ても、俺は立ち止まる気はなかった。
「待ちなさい」
「待ちません」
待てるわけがない。この人から聞けないのなら、もっと別の人から訊くだけだ。
「こちらとしてはね、君を巻き込むわけにはいかないんだ。長年の因縁に終止符を打たねばないんでね」
「なんですか? その因縁とは」
俺が質問すると「話が長くなる」といい、もう一度座り直すように即してくる。言いなりになるは癪だったけど、ここは堪えて言われるままに椅子に座り直した。
「桜花、少し席をはずしてもらないかな」
すぐ後ろで成り行きを見守っていた桜花さんが俺を見て、なにも言わずこの場から去っていく。
少し恐怖はあったけど、ここで怯んでいるようでは有栖川と対等に戦うことはできないだろう。
男2人となった部屋で、どちらからともなく喋り出すこともなく、ちょっとだけ沈黙を挟んだ。
「楓。どうして楓という名前になったか知っているかい」
小さな声で昔を思い出すように語りかけてくる。
「楓とはね、紅葉のことなんだ」
それはなにかの本で見たことがある。
確か、植物分類上では楓も紅葉も区別しないとか書いていたと思う。
「誕生日が12月24日で、秋とはまったく関係ないのに楓なんだ。ただお母さんの名前が紅葉だったから」
クスクスっと笑って、天井を見る和馬さん。
「僕は子供を作るのに反対だったんだ。ただ彼女が生きていられる時間を共有したかった。それでも子供を産みたいというんだよ。こっちの気持ちも知らないで」
なんて言葉を掛けていいのか困ってしまった。
そして、なにかに取り憑かれたように、さっきまでとは少し和馬さん本人の雰囲気が変わったように思う。
「僕は彼女の頑固さに根負けしてしまってね。初めて彼女を抱いた。とても細くて、ガラス細工のようで、強く握れば壊れてしまいそうだった」
こんな話を俺にして、なにを言いたいのか。
「ただ、楓が産まれてきてくれたことにも感謝している。幸いって言葉は不適切なのかもしれないけど、彼女と同じ病を患うことはなく健康児でね。大きな産声を上げて存在を主張しているのだと思ったよ。「私はここにいるよ」「ちゃんと産まれて来たよ」そう僕には聞こえたんだ」
和馬さんの語りはまだまだ続く。
「初めてハイハイしたときはイギリスに居た。紅葉が動画で送ってくるんだよ。今日の楓はこうだったよって。毎日毎日、僕はその動画を見ては元気をもらっていたよ」
そして、俺を見て和馬さんは締めくくる。
「僕は、家族を守るために、家族といる時間を捨てて、慣れないことに挑戦し続けて、逃げ出したくても逃げられない環境に身を投じて、花園を育て上げたというのに、なにも守れていなかった。桜花には苦労をかけたし、瑞希には感謝してもしきれないほどだ」
頬を伝う涙に、父親の偉大さを知った。
この人は誰よりも娘を愛し、誰よりも苦悩し、誰よりも罪を受け入れた。そう思えてしまった。
誰にも弱さを見せずに突き進むには、なにかの支えが必要で、それが家族だったということ。
「有栖川紅葉さん。楓お姉さまのお母さんの旧姓ですよね」
「よく調べたね。君にしては上出来だ」
雛と2人で必死に夕方まで街にある図書館に行ってみたり、ネットで広範囲に調べてみたりして、こっちだって必死なんだ。
ただ、なぎさには申し訳なく思うこともある。
早川の事も早くに調べていたら、痛い目に合わなかったんだから。
まぁそんなことをなぎさに言ったら
「そんなこと、どうでもいい~」
とか言いそうだから言わないけど。
「でも、それを知ったところでどうにもならないがね」
もちろんその通りだ。でも、こうして楓お姉さまを知っていくのはとても楽しくて、つい時間を忘れて調べてしまう。
もしかしたらストーカー気質なのかもって、そんなことはしないよ! ただ出来心で……。
ドツボにはまるとはこの事か。
話が脱線してしまう悪い癖、治さないと。
「昔話をして時間を引き伸ばしてもどうにもならないですよ。俺の気持ちは変わりませんから」
「僕はただ、楓のフィアンセをキズモノにしたくないだけなんだ」
フィアンセって!
親公認ですか。そうですか。なら
「余計、引き下がれない」
きっぱりと言い切る。
なんと言われようと連れ戻す。
あの人はこっちの気持ちも知らないで、いつも勝手にやり過ぎなんだ。だから、今回はガツンっと言ってやるんだ。
「もう一度、お父さんって言わせてみせます。結婚なんて紙切れ1枚の関係だけど、家族って、血の繋がりって嫌でも切れないんです。幸せを育む。というのは2人ではなく3人で、4人で、もっと多くなるかもしれない、産まれてくる子供達と共に幸せになるってことなんだと思う。だって、子供って幸せを運んでくるキューピットなんですから」




