失いたくないから
翌日が休みだと忘れていた。
「おはようございますなのです」
頭に三角巾を巻いて、手には雑巾を持ち、机を丁寧に拭いている雛の姿が視界に飛び込んできた。
制服が汚れないよう、エプロンをしている特殊な姿に俺は朝から棒立ち。
男の子特有の生理現象ではないと断定出来るほどの膨張っぷりに、布団から出ることができない。
映画でのヌードシーン後には必ずある、シーツを体に巻くあれはやってみたいけど、下半身だけを隠したらモロバレだよね。
でも、純粋に清楚に育った雛は「赤ちゃんはコウノトリさんが運んできてくれるのです」と、語っていたので、男の子にはゾウさんではなくキリンさんが付いていると言っても信じてくれそうだから怖い。
間違いなく、道を聞かれたら付いて行っちゃうタイプ。
そんな優しい妹は休みの日だというのに、せっせと掃除に精を出す。
「朝食の準備をしますので、少々お待ちくださいなのです」
雑巾やバケツをシャワールームに隠してから、手を洗い、新しいエプロンに着替えると料理を開始。
将来は良いお嫁さんになるに違いない。
時計を見ると朝の9時40分ほどで、完璧に寝過ぎたと言える時間だった。
下半部のアナコンダは青大将ほどになったので、布団から出て、寝間着から制服に着替えた。
「遅くまでお調べになっていたのですか?」
料理の手を止めることもなく、話しかけてくれる。
「そう……なのかな。幸菜と電話をしていたんだよ」
「私は反対です」
怒ることなく、悲しむこともなく、喜ぶこともなく言われると怖くなるのはなんでだろう。
幸菜に楓お姉さまを連れ戻しにいくと言ったら反対された。
「にいさんは馬鹿ですか? しんちゃんですか? の◎太くんですか? すみません。◎び太くんに失礼でした」
俺には失礼ではないと、しんちゃんだってクレヨンか洗濯屋で、てんで違うんだからねっ!
なにを言ってるんだよ。健全な男の娘なんだから、変なこと考えちゃダメじゃないか。危うく人生の数年を牢屋で過ごすことになりそうだったよ。
すでになにかが違う気がするけど。
「それは言い過ぎじゃない? 確かにガンマンでもないし、お尻ブリブリ出来ないけどさ」
「それではなにが出来るの?」
「えっと……」
妹の持病が悪化したときにだけ、妹に変装出来たり……。
他には、な、な、なにか隠された未知なる力が秘められて
「ません」
電話越しで俺の心を読まないで!
「にいさん」
今度は真剣な声で呼ぶ。
「今回はそう簡単に事が進むと思えません。すでに花園グループは有栖川の策略に溺れています。花園楓もいないとなぎさちゃんから聞きました。有栖川は裏では暴力事件にも関与しています」
だから……。
いつもの幸菜とは違い、最後の方は弱々しくなっていく。
「にいさんが怪我をしたり、怪我で済まない場合もあるかもしれません! そうなったら」
「俺は幸菜の傍にいるよ。ずっとそうだったでしょ? でもさ、放って置けないんだよ。あの人ってさ、なんでも出来るって思われがちだけどさ、出来ないこともあるんだ。それに冷静なわりには、早とちりして自滅したりもするんだよ」
涙を流すこともするんだ。
そんな弱い楓お姉さまを見たらさ、助けるしかないじゃんか。
いつも幸菜と電話をするときはベランダに出るのだが、今日はベッドに座って話をしている。
月明かりよりもLEDの光が必要だったから。
幸菜と電話をしている最中だと言うのに、俺は新聞記事であったり、インターネットの記事であったりを読み漁っていた。
「にいさん」
ごめんね。
妹の電話に集中しないで、別のことをしているとか悪いのはわかっているけど……。
「そんな紙切れに、有力な情報は載っていませんよ」
「幸菜?」
「インターネットの画像は明日にも週刊誌に掲載されます。言い逃れも出来ないほど本物です」
ゆきな……。
「新聞記事では煽り記事にしていたり、大袈裟に報道していたりしますけど、株主の方々はあまり不安がっていたりしません。ですから、進退をどうこうというお話にはならないです」
「でも、ここまでの事態になって」
「金銭問題に関わった人間は元有栖川の社員です。しかも、比較的黒幕に近い人間であるのもわかっていますから、大きな問題にすることもない。それが株主の言い分になります」
幸菜から黒幕の詳細を聞かされて、怒りを覚えると同時に恐怖も襲ってきた。人身売買は当たり前、殺人にまで手を出していて、少女誘拐もしている。
「証拠は?」
「ありませんよ」
幸菜は言葉を続ける。
「叩けば埃が出る。出ません。出るのは札束です。現地の警察を金で黙らせ、あたかも存在しなかったようにする。それが有栖川のやり方。にいさん1人ぐらい簡単に抹消するでしょう」
…………。
「本当に助けるの?」
危ないことに首を突っ込まないで!
そう言いたいのだろうけど、言葉にしないのは幸菜らしくって、クスクスっと笑ってしまった。
「にいさん!」
真剣に言っているのに、なにを笑っているんですか!
幸菜の気持ちがテレパシーによって伝達されているかのようにわかってしまう。
双子で産まれて、初恋の人で、とっても大切な人。
ちょっと腹黒い部分があったり、俺を女装させたりとびっくりするなことをするけど、
「ごめん。失いたくない」
なにを。
そんなの決まっている。
「そうですか。なら、こちらからオファーを出しておきますので、今日の夕方に学院の正門に向かって下さい。そちらに車を用意しておきますので」
「え? 幸菜?」
プツ。
恥ずかしかったのかな? なにが? なにがだろう。
たまに幸菜の気持ちがわからない。
まぁ、なにはともあれ幸菜に言われた通りにしてみるか。
そんなこともあり、夕方という曖昧な時間設定なので、何度か正門まで見に行かないと。
用意してくれた朝食を食べながら、事の顛末を語ると、なぜか不安そうな顔をした。
不安という言葉は間違いかもしれない。
心配とも少し違う気がする。
初めて雛の気持ちがわからない。いつもは表情から読み取れるのに。
雛は先に朝食を食べていたようで、申し訳無さを感じながらのご飯はいつもより美味しさが失われたように思う。
朝食を食べ終え、少ししてから来客がやってきた。
掃除中の雛が対応してくれたのだが、雛では手に負えない相手だった。
「失礼します」
昨日、部屋に居なかったアーシェが俺の前にいる。
「はい。おはようございます」
至って冷静に挨拶をする。
雛はどうしたものかと、距離をとって動きやすい位置にいる。
なにかあれば部屋から飛び出て助けを呼びに行こうと考えているのだろう。
「それでなにかよう?」
「えぇ、あなたは監視対象となっており、こちらが用意した給仕を追い返したので、私が直接監視します」
まぁ、そうなってもおかしくないよね。
アーシェにしてみれば、変に動かれるのは御免被りたいのだろ。
それほど有栖川も余裕が無いというところか。
「それは構わないけど、夕方にお出かけするけど付いてくるの?」
「どこにですか」
「花園の本拠地でも行っておきます。あ、お迎えは花園桜花さんが来てくるの」
威圧になるかと、デマを言ってみたら、それが予想以上に効果をあげた。
「少し席を外させてもらいます」
肉食獣に追われている子鹿のように、慌てて壁に派手にぶつかってよろけながら、廊下に消えていった。
大丈夫かな。
敵ながらドフッ! っと、鈍い音をさせていたし、まだ寝ていたであろうなぎさが部屋に来て
「呼んだ?」
恥じることもなく、大あくびをし、俺の食べかけの朝食をペロリと平らげてしまう。
「やっぱり雛子のご飯は美味しいね」
美味しいね。じゃないよ!
俺の朝食が……。
「はわわわわ……」
なんでか雛は、見てはいけないモノでも見たかのように固まってしまっている。
「雛? どうかしたの?」
はわわわわと言い、返事が帰ってこない。
俺となぎさは顔を合わせて、なにかおかしなことがあった? とアイコンタクト。お互いに首を傾げると
「お、お、お、お、お、おかしくないのですか!!」
なにかおかしいの?
え? 雛が正常で、俺となぎさがおかしいの?
理解できずにいると
「も、も、もういいのです……」
と、なぜか今度は落ち込んで、なぎさ用に置いているスポーツドリンク。俺にはコーヒーを用意してくれた。
ありがたく、口をつけて、いつもと変わらない少し甘みがあって、喉越しの良さはさすが。
「アーシェさんはどうするのですか」
「まぁ、来るなら来るで構わないし、来ないなら来ないでいいと思うよ。ただ、雛はいつも誰かといるようにしてね」
雛を人質にするかもしれないから。
中等部にまでは手が伸びていないと思うけど、用心に越したことはない。
そして、夕方になって俺は正門に行くと至極普通の乗用車が止まっていて、そこには嘘から出た実が体現されていたのは俺自身もびっくりだよ。




