幸せはいつもコーナーを曲がった先にあるのだから
居た堪れない視線は翌日のほうが強かった。
朝から楓お姉さまの部屋へ行ってみたけど、やっぱり反応はなく、気持ちは今日の空と一緒で雲ひとつないブルー。
言い方だけは爽快かもしれないけど、心は青よりも藍色に近い。
朝は雛の手作りで、俺の好きな和食を用意してくれた。
小さな机で食べる朝食は新鮮でもあったけど、ここにいない人を思うと悲しくなった。
雛と2人。いつものようにお喋りしながら学院に登校する。どんな視線を浴びようと雛はお喋りしてくれる。
未来ちゃんのときに出来なかったことを、今しよう。そういう気持ちが伝わってきて、俺も雛に負けまいと弱気な気持ちを表に出さないようにしよう。
雛と別れた後、教室に向かわずに特別棟の1階、図書室に向かった。
教室に行ったって、クラスメイトから心配されるだけだと思ったから。
授業まで30分も残っている。
スライド扉を開けて中に入るとカウンターには、なぎさのときにお世話になった……名前なんだっけ?
「園田志帆です」
女の子には常備されている心を読むスキルによって、俺の失礼な考えはものの10秒で、読解されてしまった。
「ごめんなさい」
「いえ、私も自己紹介をしておりませんでしたから」
丁寧に席に案内されて、珈琲まで淹れてくれた。
なにも言わず、ただ向かいに座ると一緒に珈琲を飲み始める。
ただ無言で飲んでいるのもあれなので、お喋りでもしようか。だけど、ライトノベルは読むけれど、小難しい小説は読まないしなぁ……。
「実現できない夢を追うべきじゃないのはもちろんだけど、もし地平線が見えるなら追うべきだ。幸せはいつもコーナーを曲がった先にあるのだから」
いきなり園田さんが喋り始めて、少しびっくりした。
「えっと? どういう意味?」
そう言うと、ニコっと笑って説明してくれた。
「アレッサンドロ・ザナルディという方が言った言葉です。元F1レーサーで6位入賞が最高です。結果が出なかったのもあり、世界カート選手権に移り、年間チャンピオンにもなります。ですが、レース中の事故で両足が吹き飛んでしまい、病院に着いたときには体内の4分の3の血液を失って生死を彷徨っていました。彼が目覚めたのが8日後。悲しみを堪えながら妻は両足を切断したことを彼に告げます。ですが彼は『なに悲しい顔をしているんだい。僕は生きているじゃないか』っと、妻を安心させようと声をかけてあげますが、その日から妻の顔に笑顔が無くなってしまいます」
悲しい話だなと俺は思った。
「彼は妻の笑顔を取り戻すために……もう一度カートに乗ると言うんです。ちょうど、事故で走れなかった残りの周回を走ってみないか? とオファーがあり、快諾していたのです。妻は猛反対。医師たちも止めますが、壁に体重計を立て掛け、医師に体重計を踏ませると、80キロ。そしてザナルディは120キロ。大丈夫だ。と医師を納得させ、彼は手で操作できる改造車であったにも関わらず、足で操作すること望んだのです。そこで時速300kmを超える速度で走り、自分は大丈夫だと妻に見せつけるとやっと妻の笑顔が戻ってきたのです。そこから色々なレースに参戦しますが、ハンドサイクルでオリンピックを目指すという目標に切り替え、レースから離れ練習に明け暮れ、オリンピックの代表に選出。そこで金メダル2つに銀メダル1つを獲得する快挙を成し遂げたときに言った言葉ですよ」
「とんでもない人だね」
「えぇ、ですけど、色んな苦悩に悩まされている人に勇気を与えてあげることが出来たと思います。だから、立花様も勇気をもらってください」
楓お姉さまに関わるニュースを見たのだろう。
「ありがとう」
「はい。とても良い顔に変わりました」
どっちが年上なんだか……。
こうして年下の子に励まされると、俺は弱い人間なんだと思い知らされる。
「それは違います」
お世辞にも否定してくれるけれど、実際にそうでしょう。弱いから悩むし、弱いからなにも出来ない。もっと賢くて強かったら、楓お姉さまだって……。
「立花様しかもっていない強さを私は知っております。長嶺さんもそうでしょう。だから、落ち込んでいるときは励ましてあげたくなるのです」
それを弱さと言ってはいけない。
「ザナルディのようにポジティブですよ」
園田さんは俺と正反対でポジティブな考えなようだ。
「やれることをしてみませんか?」
悪あがきだっていいじゃないですか。なにもしないよりマシだと思いますよ。
そう言って、僕の手を握る。
地平線が見えるなら……か。
そうだな。そうだよな!
だったら、することは1つしかない。
「お願いがあるんだけど、いいかな?」
「はい。ではお昼休みからにしましょう。今は時間も少ないですし」
こうして、今日から時間の余すかぎり図書室で情報収集することになった。
珈琲を飲み終えてから、図書室を後にして教室に向かった。
やっぱり昨日から同じような視線を受けるが、園田さんのおかげで、この視線にも動じることが無くなったように思う。
「情報っていうのは、弱い者いじめするためにあるんじゃないわ。弱い者が強い者に勝つ道具に過ぎないのよ」
なぎさが苦しんでいるときに言われた言葉をふと思い出した。この助言のおかげで俺はなぎさを救えた。
今回も同じで楓お姉さまを救うにはどうすればいいか情報を集めて、それをまとめて行動していかないと、今回は花園と有栖川の戦いに頭を突っ込むのだ。それ相応の報いは受ける必要も出てきそう。
痛いのは嫌だけど、楓お姉さまのためなら……。
そう思うと体が熱く感じる。
「やぁやぁ、なぎさちゃんの登場だよ?」
背中をバシっと叩いておいて、疑問形なのは意味があるんだろうか。
「あれ? 落ち込んでると思ったのに」
「落ち込んでもいられないでしょ?」
なぎさはキョトンっとしたと思ったら、俺の体に飛びついてくる。
汗の匂いとなぎさの匂いが入り混じり、女の子特有の柔らかさに、俺よりも身長が高いというのに、人形のように軽い。
いつものじゃれ合いだと、周りの同級生達は見ているけれど、こっちは色々と大変なんだよ!
でも役得だと言い聞かせて、理性と激しい戦いに負けないよう堪能する辺り、なぎさの扱いにも慣れたんだな。
どうも女の子としての嗜みを忘れたなぎさと一緒に、お喋りしながら教室に行くと、クラスメイトの方々が一斉に取り囲んでくる。
「なにかお手伝いできることがあれば言って下さいね」
「私達は立花さんの味方ですので」
「マジ氏ね! 無能な男はマジ逝け!」
あぁ……あの強烈な野次飛ばしてた子って俺のクラスメイトだったのね……。
彼女には正体がバレないようにしないと、確実に殺られる!
最後の野次には反応せず
「みなさん、ありがとうございます! もしお力が必要になったら、そのときはよろしくお願いします」
俺はみんなに頭を下げると拍手で俺のお願いを受け入れてくれた。
みんなに嘘を付いているのに、こうも優しくしてくれるのは心が痛い。けれど、みんなの気持ちが暖かくて……。
此花女学院に来て、初めて涙を流した。
「ちょっと幸菜!」
なぎさがポケットからハンカチを取り出して、瞳から流れ出してくる涙を受け止めてくれる。
あぁ、少し汗の臭がする。けれど、それもなぎさらしくって……。
「それとですね」
東雲さんが嬉しそうに言ってくる。
「推薦投票の結果を見ました? 掲示板に貼られていましたけれど」
俺は首を横に振る。
「なんと! です。中間発表で40%を越えていますよ」
あれ? 中間発表って半分の結果を示すって言ってたよな? そうだとしたら開票率50%に対して40%を超えているというのは。
クラスがざわめき、もしかして。という気持ちがクラス中に蔓延する。
「花園女学院では初の推薦投票による生徒会長が誕生するかもしれません」
なぎさも言っていたけど、推薦投票って66%もの推薦が必要なんでしょ? それに楓お姉さまでも61%で推薦投票は漏れたと聞いたんだけど?
聞いた話では楓お姉さまは信任でも出馬していたので、そちらのほうで決まったみたい。
「わ、私なんかに生徒会長は務まりませんよ!」
溢れだした涙もなんのその。
生徒会長になってしまったら幸菜になんて言われるか。
「そして、花園生徒会長を救い出し、学院の生徒から王子様の称号をもらうんだよ」
なにその最近読んだライトノベルでありましたよ? みたいなストーリーは。
生徒会とまったく関係ないし。
でも、もう1年早かったら喜んで生徒会に入っていたと思う。
はぁ。ため息はネガティブにさせる行為。
そう言い聞かせて、ふぅ。っと深呼吸に切り替える。
おし、落ち着いた。
今は生徒会の事よりもやらないといけないことがあるんだ。そんなの後で考えればいい。
「さぁみなさん。もうすぐ授業です。今日も1日頑張りましょう!」
落ち込んでなどいられない。
だって、俺は楓お姉さまを助けるナイトになると決めたんだ。もしかしたら、俺は社会から抹殺されるかもしれない。けど、大好きな人が救えるのなら、俺は……。




