2人の時間
「そうですか。なんとも嫌な予感しかしないですね」
就寝時間も過ぎて、点呼を終えれば自分の時間が生まれる。と、言っても幸菜と電話するぐらいだけど。
現在は自宅療養中の身で、退屈な毎日を送っているようだ。
こっちは勉強についていくだけで必死だというのに、アーシェの事や文化祭の出し物などで、こっちはオーバーヒート寸前だよ。
今もアーシェの話題で話し合っていた。
「確かにそうなんだけど、楓お姉さまはあまり気にした様子がないというか……」
普段から他人には興味はないけど、有栖川ともなれば話は別だと思う。
父親の会社のライバル企業。そこのお嬢様はいきなり転校してくるなんて、怪しいに決っている。だけど、学院ではいつも一緒にいるけど、俺にも楓お姉さまにも、なにか仕掛けてくる様子が見えない。
だからなのか、いつもと変わらない日常が続いている。
「そうですか……では、今回はこちらから動いてみましょう。アーシェさんの情報は、私のほうで集めておきます。それと花園楓には秘密にしていて下さい」
「どうして?」
「いらぬお節介になります。花園グループが動いてない現状、そこまで重要視していないんです。ただの一般庶民が有栖川グループにイタズラをするのですから、よく思わないと思います。それにふた……」
「ごめん。最後の方が聞き取りづらかっただけど?」
「なんでもありません! わかりましたね!! 絶対に言ってはいけません。なぎささんにも雛子ちゃんにも!?」
目の前にいないのに、すごい剣幕で捲し立ててくる様子が想像出来る。
ホント、元気になってよかった。
死の淵から蘇ってきたのに後遺症も残らず、リハビリも順調。後は先生から許可が出れば……。
「……聞いてます?」
「え? ごめん。ちょっとぼぉーっとしてた」
「別に大したことじゃないのでいいですけど、もう少しだと思います。私がそちらに向かうのは……」
わかっていることを幸菜に言われると、なんだか少し涙だ出てきた。
なんて言って別れたらいいんだろう。
やっぱり前もって言っておくほうがいいのかも。
なぎさや楓お姉さまは、いつもと変わらずに平然と「そうなんだ」「そうなの」と言いそうだけど、甘えん坊の雛は泣いてしまうんじゃないだろうか。
最初はどうなるんだ? って心配だった。けど、なぎさと出会って、楓お姉さまに秘密がバレて、雛に男だと打ち明けて……。なんだかんだでやってこれた。
それもこれもみんなのおかげで。
「そちらに残りますか?」
「なに言ってるんだ。幸菜のために女装までしてるのに、俺が残っちゃったら本末転倒じゃないか。妹のためならこれぐらい、どうってことないよ」
「……ありがとうございます」
「だから、きちんと体調を整えておくこと。それじゃあもう遅いから電話切るね」
「はい。おやすみなさい刹那」
「おやすみ幸菜」
タップして電話を切った。
少しだけ、夜風に当たろうとテラスに向かう。
白く塗られた木枠にガラスが埋め込まれたデザインの扉を解放するだけで、地上6階のテラスへ出ることができる。
手すりの前にまで行って、大きく深呼吸。
まだまだ暑い季節だというのに、外は少し肌寒く感じる。
「ふぅ……」
手すりに肘を置いて、夜の森に目を向ける。
風が吹けば葉と葉が擦れあい、ざわざわと音を鳴らして、月明かりが外灯にも負けずに世知がない世の中を映し出す。
俺はこの学院の異物であって、ここに居たいと願うのはおかしい。
そうだ、おかしい。
風邪だって、体内にいてはいけないウイルスが入ってくるのが原因で、それを駆除することで回復する。
俺はそのウイルスなんだ。
俺がいなくなれば正常な学院に戻るだけ。
だから……。
もう一度だけ深呼吸をして、テラスから室内に戻る。そして、ベッドにダイブ。深い眠りにつくのに時間は要したけど、なんとか眠りにつくことが出来た。
放課後。
毎日、第3音楽室で練習をすることになっており、今日も練習を終えて、みんなと別れたばかりの昇降口。とある人物。なんて言わなくてもわかるだろうけど、楓お姉さまを待っている。
下駄箱を覗いたら、いつもの革靴が中に入っていたので、まだ帰宅していないのは確認済み。
部活動や文化祭で遅くまで残っている人もいて、まだまだ待たなくてはいけないだろう。けど、待っている時間がなぜだが嬉しい。
どうしてかと言われると自分でもわからないけど、驚く顔を見てみたい。あのお姉さまだから驚くことはないだろうけどさ「ホント馬鹿ね」とか「寮で嫌ってほど一緒なのに」なんて言ってくるのはわかりきっていることだ。
それでも、ここ最近は学院で鉢合わせしても嫌な顔をすることはなくなって、一昨日も帰りが重なり一緒に下校した。そのときも仲の良い姉妹が帰宅しているように、ただ世間話をしながら寮に帰っただけだった。
最近、少し変わったように思う。
どうとは言えないけど、なんとなく雰囲気が和やかになったように感じる。
そういえば、楓お姉さまのクラスって出し物はなにをするんだろう。聞いた話では、3年生は大学受験を控えているので、大それたことは出来ないから例年通りでは、展示になることが多いらしい。
大学受験とは言っているが、此花女学院は大学も存在するので、ほとんどの人はそのままエスカレーター。受験もへったくれもセンター試験もスルー。
お金持ちっていいねぇ。
人生、金ありゃ苦はないさって黄門さまも言ってたし。
「なに馬鹿なこと言ってるのよ」
「ひゃう!」
突然の来訪に変な声が出ちゃったよ。
「出てくる声がおかしいのには突っ込まないのね」
「私、女の子ですから」
「はいはい。私を待ってたのならありがとう。それじゃあ行きましょうか」
「呆れられてる!」
俺を放って進むので、早足に追いかける。
試合前のソフトボール部だけがグラウンドで練習に明け暮れている脇を通って、正門へと向かう。
なにも言わず、ただ隣を歩くだけ。
それだけなのに、なぜだか嬉しくて、自慢したくなるのはなんでだろう。
「そういえば、軽音楽同好会の申請書類が生徒会にまで上がって来ているけれど、本当にやるのね」
「はい。面白くなると思いますよ」
申請書類には、メンバーと曲目を記載して、おおよその時間や必要な機材などあれば、申請して通れば用意もしてくれる。
生徒会長なんだから書類には目は通すだろうし、申請を許可するのも楓お姉さまなのだから、少しだけ無茶を言ってもなんとかしてくれるだろうと予想している。
偽物の曲目の1曲目。教科書にない物をチョイスして、後は適当に見繕ったものを提出したけど、なにも言ってこないってことは申請は通ったのだろう。少し安堵。
「今日は少し早いから公園に寄って行きましょうか」
「構いませんけど、珍しいですね」
正門を抜けて、数分歩けば公園に到着。
公園というよりも広場に近い。
滑り台や鉄棒、ブランコがあるわけでもない。芝生が綺麗に整えられていて、ベンチが等間隔に置かれているだけの公園。それなのに、姉妹で語り合う姿がとても多く、恋人同士のような距離で座っているから、目のやり場に困る。
ん? ここに俺もいるってことは、同じような展開になるってことだよね。
隣を歩く楓お姉さまの顔を覗きこんでも、普段と変わらない仏頂面で緊張感の欠片も感じない。
少しぐらい雰囲気に流されてもいいと思うんだけど、自分独自の空気を持っていらっしゃる方には、この空気を吸い込んでも自分の空気に変えてしまうようだ。
「ここぐらいでいいかしら」
なぜかベンチを選択せずに芝生の上に座ろうとする。
このままだったらスカートが汚れてしまう。ポケットからハンカチを取り出して、芝生の上に広げてあげる。
「あら、なかなか気が利くじゃない」
「これでも妹ですから。それにしても、なんでベンチに座らなかったんですか」
「折角、こんなに綺麗に整えられている芝生があるのに、ベンチなんかに座ったら勿体無いじゃない」
隣に来なさいよ。
そういうかのような眼差しを受けて、俺は隣に腰を下ろした。
「確かにそうですね」
これだけ芝生の状態が良ければ、サッカーの試合だって出来そうだ。そういう発想だけはまだ男の子が抜けきっていない。
このまま大の字に寝そべりたくなる。
ふかふかで丁度いい硬さだから、雲ひとつない今日の天気だと、17時現在でも十分に暖かくて欠伸をこぼしてしまう。
「大きな欠伸ね。赤ん坊でもあやしているみたいだわ」
「だって、暖かいんですよ? 眠たくもなりますよ」
仕方ないわね。っと、頬にか細い指先が触れ、俺をそっと倒しこんでいく……って! 後頭部に柔らかいモチモチの感触が伝わってくることは……これ、膝枕じゃないか!
周りからの視線が突き刺さってくるのもあれだけど、目の前に楓お姉さまが所有する特上級の胸がそそり立っていて、顔を少しずらさないと顔を直視できないとか、とても育ちがいいようでなにより。そんな凶器を持っているにも関わらず、楓お姉さまの甘いコロンの香りがなんとも言えない刺激をプラスアルファ。
ほんとにこの人はサキュバスだよ……。
ゴクっと唾液を飲み込む音が聞こえてくるほど、緊張しまくってしまい、まるで操り人形にでもなってしまったかのように、自分では動くことが出来ない。
「どうかしら、私の膝枕は」
モッチモチでムッチムチで最高です!
なんて言ったら変態さん扱いになるので「気持ちいいですよ」とだけ言っておく。
それを聞いて機嫌が良くなったのか、頬が少し釣り上がった。
イタズラっぽい笑いは何度か見たことはあったけど、こう優しく微笑みかけてくれたことって……俺が記憶している中では初めてだと思う。
こんな顔も出来るんだ……。
この笑顔を見れただけでも、ここに来て正解だったと思えるほどの美しくて可愛い笑顔。
「ねぇ、楓お姉さま」
「なにかしら?」
「文化祭、楽しみですか?」
「そうね。なにを仕出かすか、わからない妹のおかげで去年よりは忙しくなりそうね」
「ヒドイ言われようですね。ですけど、去年以上に盛り上げてみせますよ」
「楽しみにしているわ」
太陽光を遮るように、乳白色の手のひらが目を塞ぐ。
真っ暗になったおかげで、爆発しそうだった鼓動が落ち着きを取り戻していき、完全に正常な心拍にまで戻ったときには、完全に眠りについていた。
スゥ……スゥ……。
女の子のような寝息をしながら眠るのは反則だと思う。
ゆっくりと手を退けると、男の子とは思えない寝顔をした私の義妹がそこにいる。
喜怒哀楽がはっきりしているから、つい意地悪をしてしまう。怒ったと思ったら笑っていたり、涙を流して感動していたと思ったら雛子とじゃれ合っていたり。
見ていて飽きないから、意地悪してしまう。
猫っ毛の髪を撫でてあげると、ニコっと笑顔になった。
どんな夢を見ているのよ。もしかしたら起きているのかもしれない。
そう思って、頬を突いてみた。
くすぐったそうにするだけで、起きている様子はなさそう。
「ごめんなさい」
なにについての謝罪なのか。それは私があなたを裏切るからであって他に意味はない。
水面下で事は動き出している。そして花園グループは窮地に立たされることになる。
まだ瑞希は気づいていないようだから、あの人達も気づいていないはず。
ただ、まだ動きがないことを考えれば、回避される可能性も考慮して動いていないのだろう。
有栖川が次に取る行動は……東条を味方に付けること。
御三家の2つがくっつけば、叩き潰すのは容易。今回の鍵は東条がどちらに動くか。いえ、有栖川が東条を説得出来るか。
そのとき、私は……。
ズキリと胸が傷んだ。
もうずっと昔のこと。何年もの時間を消費し、やっとここまで辿り着けた。
もう引き返せない。止まることは許されない。負けることは許されない。そして、あの人だけは許せない。
「文化祭。楽しみしてるわね」
眠りこけている刹那に言っても返事はなかった。それでいい。私と刹那は違いすぎるのだから、いずれはすれ違う運命にあったのよ。
カバンからカメラを取り出して、電源を入れた。
背面ディスプレイに刹那の寝顔が映し出され、私の指は自然とシャッターを切った。




