実力のほどは?
翌朝、教室に入ると東雲さんが1人だったので、アーシェのことを言ってみた。
アーシェ自身がクラスに馴染もうとしないし、周りの人も監視するように1歩下がって、彼女を見るだけなので、会話もままならない。
なにかみんなと仲良くなるきっかけさえあれば。
「私は良いのですが、メンバーがどういうか……」
ですよね……。
有栖川という名前がネックになっていて、当分の間は様子見というのが、このクラスの中での取り決めみたいになってしまっている。
お嬢様の世界も大変だよなぁ。
それに女の子のグループも大変である。
女の子の世界ではグループが出来上がる。A子ちゃんのグループ、B子ちゃんのグループ。でもC子ちゃんはどこのグループにも属さず、Aに行ったりBに行ったりしていると『どっちつかず』と言われ、最終的にはどちらからも嫌われてしまったり。
あぁ怖い怖い。
「そうですよね……」
2人を説得できるかな。東雲さんとは普段からお喋りしたり、たまにだけど寮の談話室でもお喋りしたりするので、気楽に声を掛けれたけど、山藤さんと黒崎さんに関しては、あまり仲が良いと言えず、同級生程度の付き合いでしかない。
「私から訊いてきましょうか」
「それでは東雲さんがなにか言われてしまいます」
「いえ、私も立花様のように、どなたにでも優しく出来るようならないといけないと思うのです」
それでは行ってきます。と、2人の下に行ってくれて、すぐに事情を話したのだろう。2人は少し否定的な表情を見せる。
そこまで露骨に出さなくても。とは思うけど、致し方ないことだと割り切る。
数分、お喋りをしてから東雲さんが戻ってくる。
「そうですね。テストしてみましょう。やはり、出会って間もないですから、どれだけの技量をお持ちなのかわかりません」
2人はメンバーに加わるのは良いと言っているが、時間も少ない中で、一から教えるのは無理だという。
俺もアーシェがどれだけ弾けるのかを知らないから、強くは言えない。
「わかりました。では……放課後はクラスの出し物を決めるのでしたね」
「そうですねぇ……日曜日。有栖川さんもご一緒に来ていただきましょう。楽器店に行くのですからキーボードも置いています。そこで見てみましょう」
「わかりました。有栖川さんにもご予定を聞いておきます。ありがとうございました」
と、一礼する。
「いえいえ、それではもう授業ですので」
「そうですね。では楽しい文化祭にしましょう」
東雲さんも笑顔で「はい」と返事を返してくれた。
数日を経て日曜日、俺を含む5人は最後尾に席を取って、街へと突き進む。と言っても、舗装された山道をバスで揺られるだけなんだけどね。
シャトルバスの中はいつにもなく賑やかで、文化祭に向けての話が多く、乗り合わせている生徒達も衣装や飾り付けの道具の買い出しがメインで、後は自分の服などを買い込むのだろうと予想がつく。
「やはり、衣装はゴージャスなモノがいいですわよね」
「機材はどちらのメーカーにします?」
「新しいベース欲しいです」
など、楽器を扱う3人も衣装や機材の話でご執心。こっちも負けず劣らずの賑わいと言ったところか。
俺はマイク持って歌うだけなので、緊張との戦いにだけ神経を注げばいい。
「アーシェはどんな曲がしたいとかある?」
まだメンバーに加わるかは決まってないけど、窓から景色を見ているだけで、一向に話にまで加わる気がないようだ。
「あなたに引っ張り出されただけで、やるとは言ってません」
あらら、ツンなご様子。
デレはいつになったら来るのでしょうか。
確かに、声をかけたら「迷惑になります」としか言わなかったら「私は思ってないよ? じゃあ決定ね」と予定だけを告げて、アーシェの部屋を後にした。
「それでもちゃんと来てくれたんだから、嫌ってわけではないんでしょう」
「嫌です。ですが、来なければ私が嘘を付いたことになります。それがもっと嫌なんです」
ん~。以外とアーシェって負けず嫌いなんじゃないだろうか。最初に出会ったときの印象はクールってイメージだったけど、今の言葉を聞いて、なにかに執着でもあるような感じを受ける。こう内に秘める思い。って、考え過ぎか。
ともかく、腕前だけには自信があるようなのでなにより。推薦した手前、下手なことをされても困るというのもある。
「お得意な曲とかありますか?」
真ん中に座っていた東雲さんがアーシェに声をかける
。
「モーリス・ラヴェル、水の戯れ」
俺には作家の名前からタイトルまで、全くのチンプンカンプン。
3人はその曲を知っているようで、ベース担当の黒崎が東雲さんと俺を越えてまで、身体を乗り出す。
「本当ですか? わたくし、モーリス・ラヴェルは大好きで、特にソナチネは緩急の流れがとても心地よく、音だけで別の世界へ導いてくれるように思います!」
「……そ、そうですか」
アーシェがたじろく。
「そんなにすごいんですか?」
隣にいる東雲さんに聞くと、丁寧に説明してくれた。
「モーリス・ラヴェルは1875年から1937年までご存命だった方で、フランスの作曲家です。先ほど、黒崎さんが仰っていたソナチネは、ある出版社が主催したコンクールのために書き上げ、そのコンクールで唯一、入選した曲だと言われています」
へぇ、なんだかすごいと言われればすごいけど、音楽はJ―POPを聴くことが多く、クラシックはあんまりなんだよな。
「黒崎さん。席、替わりましょうか?」
このまま、身体を乗り出してお喋りしていたら、急ブレーキなどで車体が揺れバランスを崩せば、怪我をしかねない。
それに、俺の太腿に置かれているスベスベな手が心地よいので、どうにかしたかった。
「アーシェもいいよね」
ふんふん。と縦に動かす。
さっきは、たじろいだように見えたけど、実は、同じ作曲家さんが好きなことに、喜びを感じただけなのかもしれない。
それから2人はクラシックの話で盛り上がったようで、意気投合とまでは行かなくても、今度、黒崎さんのお部屋でお茶会をすることまで約束していた。
街に着いたのが10時を少し回ったぐらい。
デパート、それにお花屋さんや雑貨屋さんが立ち並ぶお店は開店したばかりで、ぞろぞろ此花の生徒や一般のお客さんが我先へと歩み出している。
今回、俺達はデパートへの用事は後回しで、黒崎さんを先頭に御用達の楽器屋へと向かう。デパートを横切り、小さな店舗が並ぶ界隈を進み、人気のない裏路地へと入っていく。
「本当にこっちなの?」
「もうすぐです」
裏路地の最奥。そこが目的のお店らしい。
古風とは言えず、ガラス張りの割には手入れが行き届いておらず、白くガラスが曇っていたりする。
カランコロンっとこれまた古めかしい。
「失礼します」
入るなり、タバコの煙が充満していて煙たい。目がパシパシするし、空気が喉を通るときに砂っぽく感じる。
お嬢様、大丈夫なのかな。
もしかして、貞操を奪わていたり!
「さっさと友達を連れてこないと、この動画をネットに公表すっぞ!」
「わ、わ、わ、わわかりました!」
「しゃあねぇ。今日はお前だけで勘弁してやる」
あ~れ~。
薄い本が分厚くなっちゃうよ!
分厚くなるとワンコイン以上になっちゃうから、手にとってもらえる部数が減っちゃうよっ!
それに女装男子×不良少年は激しくマニアックだから、絶対に完売は難しいと思うの。やっぱダメ。ここは早く出た方がいい。
「いらっしゃい。って、君か」
タバコを加えて登場した黒いエプロン姿の女性。
もしかして、ソッチの人! ってこのネタはもういいかな。
「はい。今日は楽譜を探しにきたのですけれど」
黒崎さんは嬉しそうに店員らしき人物とお喋りを始めた。
見た目は20代後半ぐらいだろう、メガネをかけていて、ゴムで髪を束ねている。知的なお姉さんといった風貌に、バンドをやっていたとはさすがに思えない。音楽教師の方がしっくりくる。見た目からして、先ほどの展開はなさそうだ。
他にお客さんがいないのは、開店したばかりだからか、それとも立地条件が悪いのか。確実に後者であることは言うまでもない。
「君が楽譜……クラシックか」
どうして……もそうなっちゃうよね。
「立花様、よろしくお願いします」
黒崎さんに言われ、店主さんの前に出る。
「初めまして、立花幸菜と申します」
「私は村雨茜だ。ここの店主をしている」
灰皿にガシっとタバコを捻じりつけ火種を消す。
姿に似合わず、ワイルドな人だ。
「文化祭で演奏する曲を探しているのですけど」
「それは知っている。この子達の曲はすべて、私が書き上げたモノだ。で、今度はバッハか? ベートーヴェンか?」
この人が書き上げたのか。普通に楽譜として売られているはずもないから、誰かが書いたとは思っていたけど。
「いえ、今回は学院に似合わない曲にしようかと思っていまして」
ほほう。と、唸る村雨さん。
「欲しい楽譜はフェンダー5の学院天国・Greendeyのバスケットゴール・横須賀銀蝿のツッパれ ハイスクールロックンロール登校編と試験編・ミスターチビドレインの抱きしめ続けたい・Somethingエルフのラストチャンス。ありますか?」
みんなが俺に視線を投げかける。
だって、最後のラストチャンスは俺が勝手に選曲した物だ。しかも、これはアコースティックギターだけの曲をアレンジしなくてはいけないから、みんなには迷惑をかけることは避けられない。
村雨さんは黙って暖簾のかかる従業員専用の部屋に戻っていく。
「怒らせちゃった……?」
「大丈夫でしょう」
黒崎さんがフォローしてくれたけど、さすがに自信はなさそうだ。
しかも奥からガシャンっ! って音や バサバサっ! って音がして、なにやら、物を落とした音が響く。
数分は要したと思う。村雨さんがホコリまみれになって戻ってきた。
「ホントにやるのか? あの学院でやれば退学にだってなるかもしれないぞ?」
楽譜の束がレジに置かれる。
ここ数日、みんなで取り決めた決意表明。
退学はないだろうけど、親も呼び出されてお叱りを受けるぐらいは承知の上だ。
「えぇ、私達は革命を起こすんです」
東雲さんが笑顔で答えると他のメンバーも大きく頷く。
「それは君の提案だな」
もちろん、君とは俺のことだ。
「はい。だって、せっかくバンドをやっているんです。クラシックだけじゃつまらないでしょう。私は高等部からの入学ですので、私の提案にすれば、少しは罰も軽くなるかもしれません」
無いとは思うけど。
村雨さんが小さく「私のときも君のような友人が居れば」と、言ったのを俺は聞き逃さなかった。だけど、深入りはしない。
バーコードを読み取り、9240円の代金を支払う。
他に機材も購入したいと言うと、村雨さんは丁寧に教えてくれ、メンバーは機材にギター・ベースを買い込み、100万を超える金額を支払っていた。
お嬢様のお小遣い事情って、一体どうなってんだよ……。
「あの、キーボードお借りしてもいいですか」
「かまわないよ」と、小さな店内にキーボードを用意してくれる。
用意されたキーボードを触るアーシェ。小さな背丈、か細い指先、病的な白い肌。
俺たちが見守る中、アーシェは……見事な腕前を披露した。
キーボードからクラシックが流れ、ピアノとは少し勝手が違うからなのか、不自然な点はいくつかあるけど、キチンと音楽になっている。
「凄い!」
1曲弾き終わると、メンバーみんながアーシェを取り囲み、彼女の凄さを称えるように声をかけていく。
露骨に嫌そうな顔をしていた2人も、アーシェの演奏の虜になったようで、懇願するように「一緒にやりましょう」と、手を取った。
その光景を少し離れた所から見ていると、アーシェと目が合った。どうも、今の状況に困惑しているようで、どうすればいいのか迷っている様子。
「アーシェ。一緒にバンドやってもらってもいいかな?」
俺が助け舟を出してあげると
「こ……今回だけです……」
と、照れたように答えてくれる。頬を赤く染めて言うので、とても可愛らしくて、さっきまでの冷たいクールな少女とは到底思えない。
最高の形でバンドの方は進んでいくのだが、クラスの出し物を思い出すと、こっちはあまり好ましくないスタート。
なぎさのせいだ。
ただ、もう出し物が決まってしまった以上はやるしかない。
なにをするのかって?
それは文化祭当日までお楽しみ。雛も俺のヴォーカルを楽しみにしてくれているから、練習などは見ないようにするといって、今日は寮でお友達と衣装作りをすると言っていた。
なんでも劇をするようで、演目はシンデレラ。
メインのシンデレラは誰がやるのか楽しみで仕方ない。
配役も決っているらしいけど、俺には教えてくれない。
雛に主役をしてもらいたいけど、お姉さま贔屓は出来ないし、楽しみに待っていようと思う。
高まる気持ちとは裏腹に、決して長くはない時間だろうけど、やれるだけのことはやるつもりでいる。
「それではメンバー全員でなにかご一緒の物を身につける。というのはどうでしょう」
みんな口をそろえて「良い提案です」と東雲さんの意見に賛成。楽器屋さんでの買い物も終わったので、デパートで色々と買い込むことにした。
ただ、挨拶をしてお店を出ようとしたとき、店主の村雨さんが「君とはまた会うかもしれないな」なんて言ってきた。なにか深い意味があるのだろうか。それとも……。




