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壮絶な夏休みも終わり、本日9月1日から学院がスタートするわけだけど、夏休みがずっと続けばいいと願うのは学生として健全な思考だと思う。
なので、二度寝を敢行しようと思う。
「寝ないでくださいなのですっ!」
ガシガシと体を揺すられて、尚も抵抗する俺。
だって、体が夏休みモードなんだから仕方ない。お腹が痛いとでも言ってズル休みしてしまおうかな。
雛の攻撃は続き、今度は布団を引剥がえそうと孤軍奮闘するも、キチンと布団を掴んで離さない俺に抜かりはない。
可愛い妹の行動などお見通しってわけだ。
「起きてほしい……のです」
おや? 今日はなにやら様子がおかしい。
いつもならムキになってやり続けるのに、今日は大人しくなったと思ったら瞳に大粒の水滴が……。
「ほーら! 起きたよっ!」
なんとも妹の涙には弱いのがお兄ちゃんの性癖だったりする。もちろん、お姉ちゃんには泣かされます。
焦って飛び起きた俺だけど、雛の頬が引きつっていて、すでにクスクスと声も漏れている。
最近、こういったやりとりが多くなったような気がして、良い事なのか悪いことなのかと考えてしまう。
それほど仲が良いということなんだろうけど、こう年上としての威厳が保てているのかと。
叱るのも考えたけど、こうやって居られる時間も限られているから、このままのほうがいいのかとも思う。
幸菜の体調も順調に回復しており、リハビリも常人以上の早さでメニューをこなしているらしい。思いの外、入れ替わるのも時間の問題かもしれない。
いつものように雛が渡してくれる制服を着込んで、髪を整え、歯磨きをする。必ず隣には雛が居て、タオルを差し出してくれる。
この時間がいつまでも続けば。思えば思うほど現実が遠のいていくような錯覚に陥っていく。
準備が終わると俺の手を取り、楓お姉さまを起こしに行く。
どこで覚えてきたのか楓お姉さまの起こし方をマスターした雛を横目に、寝ぼけ眼の俺のお姉さまは寝癖が付いた髪を気にした様子なく、シャワールームに消えていく。
いつもの風景がやけに新鮮に見えてくる。
シャワールームから出てきた楓お姉さまはクールでカッコイイお姉さま。いつもお姉さま。
「幸菜。制服取ってくれる?」
木製のハンガーに掛けられている制服を取り、体をタオル1枚で隠している姿をあまり見ないように差し出す。見てしまえば生唾を飲むことになるからね。
「ありがとう」
雛も手伝って髪を乾かしていくのだが、如何せん、腰まである髪を乾かすのは時間もかかれば手間もかかる。だけど、綺麗な純黒のツヤのある髪は一目見ただけで花園楓と印象づけるトレードマークになっているのだから、手を抜くのはどうしてもダメだと言いたくもなる。
ドライヤーの音が鳴り止めば、準備完了。
「朝食にいくわよ」
今日は楓お姉さまを筆頭に半歩下がって俺と雛が歩く。これで893の親分の完成だ。
「へぇ。じゃあ、幸菜は私の子分なのね。良い事を聞いたわ」
半歩、前に出て対等な立場に早変わり。
ホント、心の声を読むチート、どうにかならないだろうか。俺にプライバシーってこの下りも2回目のような気がしてきたので割愛。
いつもながらの超豪華な朝食を取り、8時に寮を出る。
妹達が多い中等部は高等部より5分早く授業が始まり、五分早く終わる。お姉さまのお迎えに行かなくてはいけないという大義名分が存在するからである。
俺と楓お姉さまは学院内ではほとんど一緒にいる事がなく、学院内ですれ違っても会釈をするだけ。
これも最初に取り決めたことで、生徒会長をしている身で妹とイチャコラするのは、どうも風紀を乱しているのではとの考えからそうなってしまった。
まぁ、公衆の面前でキャッハうふふをするつもりは毛頭ないけどね。
なので、一部の生徒からは『本当に姉妹の契を交わしたのか』という疑問を抱かれている。
いくら無口でクールで近寄りにくくても、女生徒しかない此花女学院では、楓お姉さまのはアイドル的存在。
例えるなら宝塚の男性役のような存在とでもいうべきかな。高貴さ、優雅さ、美しさ。俺から見ればどれも引けを取らない。故に人気が絶大。
妹の雛も逆にお姉さま方から大人気。見た目からして守ってあげたいほどの可愛らしさがあり、小さな体にはどうしてこんな武器を装備したのか不明な胸を持つ。だが、1番のチャームポイントは笑顔。憂鬱な時にこの笑顔を見れば、あら不思議と元気になれるパワーが送られてくる。
そんな2人に囲まれて通学しているんだから注目の的になるのは仕方ないこと。
「幸菜さん、ごきげんよう」
「ごきげんよう。千里さん」
「幸菜様。おはようございます」
「はい。おはようございます」
最初の方は同級生で、2人目は中等部の1年生。やはり、この2人と一緒にいればこうして、顔も名前も覚えられるのはすぐだった。
早くに学院に馴染めたのも2人のおかげだし、なぎさが居てくれたのも心強かった。
10分ほどあるけば学院に到着。グラウンドでは運動部の子達が汗を流しながら、飛び、跳ね、走る。その中でも一際目立つのがなぎさだ。
俺よりも身長が高く、クラウチングスタートの体勢に入れば、腰が1つ抜き出ている。見事なプロポーションで陽気な性格から先輩、後輩問わず人気しているけど、自己主張が強すぎるのもあるが、スポーツ少女としての才能が反感を買うこともしばしば。
今年は全国大会を辞退したけど、来年の主役はなぎさでほぼ決まりそうだ。
スタートのピストル代わりに笛が吹かれ、4人が一斉に走りだす。だけど、笛が吹かれた瞬間に勝負は決まっていて、なぎさの体を完全に一歩目から誰よりも前に抜きん出ている。
ゴールした時には軽く1秒は差をつけているにも関わらず、ヘラヘラと疲れた様子をまったく見せない。
他の子は肩で息をするか、膝に手をついているというのに……。
「それではお姉さま。行ってきますなのです」
「うん。いってらっしゃい」
手を振って、昇降口へと向かう雛に、手を振り返す俺。それを見て、隣にいる楓お姉さまは
「あなた、目上なんだから手を振ったり、挨拶を返したりしなくていいのだけど」
と、俺を置いて昇降口に向かう。それを追いかけ
「スキンシップも妹との絆を深める1つですから。なんだったら私もしましょうか?」
「気持ち悪いからやめて。それに私のイメージが崩れるわ」
「いいじゃないですか。部屋での楓お姉さまのほうが私は好きですよ」
なに馬鹿なこと言ってるのよ。っと、そっぽ向いて言ってきた。だって、普段の楓お姉さまのほうが好きなのは事実だし、とても素敵なお姉さまだって、自慢もしやすくなる。良い事づくしなのに否定させると、なぜだか悲しい気持ちになった。
教室に向かうと、いつも座っている最後尾の窓際の近くで同級生の3人がお喋りしている。
「おはようございます」
挨拶をして、カバンを机の上に置き、教科書を取り出す。
「おはようございます……あのぉ……お時間よろしいですか?」
俺に話しかけてきたのは、東雲真心さん。
親しいというわけではないけど、休憩時間にお喋りするぐらいには仲が良い。少し色抜けした黒い髪に、背丈は俺よりも少し低めな至って普通のお嬢様。性格も穏やかで気配りの出来る少女。
「大丈夫ですけど、なにか?」
夏休みが終わってすぐに、なんのようだろうか。
「文化祭のお話をしておりまして、立花さんにぜひともゲスト出演して頂きたいと思いまして」
「文化祭ですか?」
「はい。10月の2周目の土曜日、日曜日が文化祭でして、私達の軽音楽同好会のゲストボーカルでご参加願いたいというお話なのですが」
なのですがと言われても、いきなりで困惑。
ボーカルといえばバンドのメインであり、盛り上げ役でもある。そんな重要なポジションはさすがに遠慮したいなぁ。
「私には荷が重いと思うのですけど」
「そんなことありませんわ。みなさんから信頼されていらっしゃいますし、お姉さまや妹達の中でも話題にならない日はないと聞きます。参加してくださいませんと私達、軽音楽同好会は文化祭に参加できなくなってしまいます。どうか人助けと思って」
「お願いしますわ」
「私からもお願いします」
どうしよう……。
ここまでお願いされたら断りにくい。
それに軽音楽同好会のメンバーはこの文化祭しか発表の場がないことも教えてきて、俺をどうしても参加させようと必死だ。
うーん。だって、これ以上目立つのはさすがに幸菜本人に怒られそうだし、本物は結構な音痴。家でミュージックスタジオという音楽番組を観ているときに少し鼻歌をを聞いたことがあった。さすがの俺も絶句するほど音程を外す偉業を成し遂げた経緯もある。
ここで受けてしまって、来年もお願いします。と言われかねない。
さすがに申し訳ないけどお断りしよう。
「申し訳ないのですけど」
「いいよいいよ。借りてっちゃって」
俺の背後から声がしたと思ったら、突如として重みと柔らかな感触が背中に押し寄せてくる。それに汗の匂いも……。
「なぎさ、勝手に言わないで」
「いいじゃん。どうせ暇なんでしょ」
やることは……ないけど、それでも後でお説教を唱えられるのは俺なんだよ? 正座して延々と頭を垂れる俺の身にもなって欲しいものだよ。
「よろしいのですか?」
3人が俺を取り囲み(背中に抱きついて離れないなぎさはほっといて)真剣な眼差しで、祈るように両手を胸元で絡ませるのを見て、さすがに断り切れなかった。
「わかりました。ですけど、期待はしないでくださいね。そこまで歌が上手ではありませんので」
3人は歓喜の舞を披露するかの如く、ハイタッチやら抱き合ったりして、喜んでくれたのは嬉しいかぎり。
でも、幸菜にはどうやって説明したものかと……。
「私達、生徒会選挙でも立花さんに必ず投票しますのでっ!」
といい、放課後、お迎えに参りますので。とだけ告げて自分たちの席へと戻っていく。
俺、生徒会になるつもりはないし、参加することもないのに、投票されても意味がないと思うんだけど。
「それでは私がお答えしましょう」
背中から離れたと思ったら、今度は俺の前に来て、右手の人差指を伸ばし、クルクルと天井に向けて回しながら
「生徒会選挙は文化祭の最終日に投票があり、12月24日のクリスマスパーティーにて、その場で開票されるのである」
ここまでいいかね幸菜くん? と教師を気取る。なぎさの演技に俺も生徒役を承り「大丈夫です先生」とノリは合わせておいた。
「選挙には2つの制度があり、普通に選挙管理委員に申し出た候補の中から選ぶ信任投票。そして、中等部、高等部の2/3以上の票が集まった場合、信任投票で決まった候補を押しのけてしまう制度。推薦投票があるのです」
少しわかりづらいので自分の頭で整理すると、この生徒会選挙には2つの投票があり、1つは立候補した中から選ぶ信任投票。
そして、憧れのお姉さまや逆にこの人になら生徒会を任せてもいい。と思った妹を推薦出来る制度の推薦投票がある。但し、推薦投票の場合は中等部、高等部の生徒を足して、2/3以上の票がない場合は無効とされる。
生徒会は中等部から書記と会計が選出され、高等部から副生徒会長、生徒会長が選出される仕組みだと教えられた。
疑問は浮上した。
「もし、信任投票で推薦投票以上の票を集めた場合はどうなるの?」
自分のほうが票を集めているのに、落選させられたらたまったもんじゃない。
「その場合はパーティーで再投票が実施されて決まるよ。まぁ推薦された人が辞退したら信任投票で決まった人になるけどね」
はっきり言って、推薦投票で通った人っていないらしいから、気にする必要はないよ。とシメるとちょうど始業のチャイムが鳴り響いた。
「現生徒会長でさえ、3年前の選挙で2/3に到達しなかったんだから」
と、それを聞いて安心した。あの化け物でさえ成し得なかった異業を俺が出来るわけがないからね。
ブーブーとスマホのバイブレーションが起動したので、こっそり確認すると楓お姉さまから『噂をするのはいいけど、バレないようにしなさいね』って、どこかに盗聴器でも取り付けてるのかよっ!
もしかして、また変なウイルスを入れられているんじゃないか? このスマホ壊してもいいかしら。
今すぐにでも投げ捨てたい衝動に駆られつつ『あなたはどこぞのストーカーですか』と返信だけして、ポケットにしまい込む。
怖いわぁ。ホント怖い。




