悪意の波動を感じる
大人になるというのは、恥じらいを捨てることだと悟りを開いた。ネット辞書では『心の迷いが解けて心理を会得すること』と書いていたので、間違いではないだろう。
入場ゲートを抜けて、中に入るとまずはクラゲにLEDの光線を当てて、カラフルなイルミネーションでお客さんを圧倒していた。
大きなクラゲ、小さなクラゲ、細長いクラゲ。水槽の数は20を超えるほどあり、室内をブラックライトで照らしているから、こっちまで空中を漂っているような錯覚に陥る。
すぐ隣を見ればなぎさが水槽に顔を近づけて「食べたら美味しいのかな?」って……食欲旺盛なのは良いけどさ、鑑賞を楽しむことも覚えようね。
食べれる食べれないはどっちでもいいけど、透明な生き物に光線を当てると、ここまで綺麗になるとは。
「ねぇ、早く行かないとショー始まっちゃうよ」
なぎさは腕時計を俺に見せてきて、イルカショーまで時間がないことを知らせてくる。だって、これが観たいから連れて来られたんだし、見るなら真ん中ぐらいのいい場所から観たいしね。
「そうだね。行こうか」
後でもう1度見て回ればいいか。と、先にイルカショーのあるステージへと向かうことにした。
パンパカパーン!
「おめでとうございます! イルカショー20万人目の来場者になります!?」
安っぽいBGMと複数のクラッカーが俺となぎさを出迎えた。続いて、飼育員の方だろう女性が拍手と共に現れ、先ほどのセリフが告げられた。
周りのお客さんも拍手に加わり、ちょっとしたパーティーの主役の気分だ。だが、いきなりの出来事でこっちはポカーンっとしていると、あれよあれよと関係者専用通路へと押し込また。
そのまま、更衣室と書かれた扉の前に連れて行かれ、別の飼育員さんが2人分のウェアを持ってきて、「これ彼女で、こっちは君ね」と強引に掴まされる。
「2人はカップルですよね。でしたら2人でショーに参加してもらいましょう。20分ほどでショーが始まりますので、早くウェアに着替えてもらって、着替え終わったらお声を掛けてくださいね! ではでは~」
と今度は更衣室に押し込められた。
「ロッカーは空いている所を使ってもらっていいので」
ガシャンと扉を閉められる。
なんだこれ。
夢か幻か花園の陰謀か。1番最後の答えが妥当に聞こえるのはどうして妥当。
あ、ダジャレはもういいですよね。ごめんなさい。
今まで黙っていたなぎさが
「ヒャホーイ」
と、声を荒げる。
「イルカと一緒に泳げるとは夢でも見てるみたいだねっ!」
瞳を輝せて、本当に嬉しそう。それに俺が持っていたウェアを取って、自分の体にあてがう。
「どう?」
素直にいうと絶対に似合っている。
似合わないワケがない。
「似合うよ」
「あ、ありがとう」
頬を赤く染め、体をクネらせる。
うん。なんだろう。この違和感。
あぁ、なぎさが女の子っぽく恥じらうから、こんな雰囲気になっちゃったのか。
「てかさ、ここって男子と女子に分かれてないんだね」
言われてみればそうだ。
言われるがままに押し込められたから、気にしなかったけど、確かに衝立も無ければカーテンのような物もない。
「着替えるから後ろ向いてて」
さすがのなぎさも裸を見られるのは恥ずかしいらしい。
見てるこっちも恥ずかしいから、言われた通りにするけどさ。
だけど、ベルトを外す音や、上着が擦れる音がエロさを醸し出すのは言うまでもないこと。ラッキースケベが起きるなら、今なんだけどなぁ……。
だけど、ウェアを着るときの音だろう、バサバサとするビニール素材の音だけはエロさを感じないのはどうしてなんだ!
「おわったよ」
振り返ればウェア着込んだなぎさがいた。
細いボディラインが露わになって、小ぶりな胸は普段よりも格段に大きく魅せる。
「えへへ。これでイルカと一緒に泳げるね」
こっちの感情も知らないで無邪気な笑顔がそこにある。
ピーしちゃうぞ♪
「はい。刹那」
今度は俺の着替える番が来た。
「今度は私が後ろ向いてるね」
ウェアを受け取り、なぎさが後ろを向いたのを確認してから着込み始める。だって、露出狂の性癖は持ちあわせていない。
俺が服を脱ぎ始めると「なんか服の脱ぐ音ってエッチぃよね」なんて、女の子も同じように感じる服の音。最強だよな!
「いいから早く着てくれない?」
ごめんなさい。
急いで着るから打たないでぇえええええええ!?
「着替え終わりましたぁあああああああ」
なぎさの元気の良い声が関係者用通路に響き渡る。
「2人共、お似合いです! さぁ行きましょう」
こっちのお姉さんはノリが良く、なぎさの元気に負けず劣らずな人でなんか嫌な予感しかしない。
大抵の嫌な予感は当たるのが相場で、回避させようものなら、主役の座を奪われる覚悟がなければいけない。
甘んじて受け入れようではないか……。
痛くない程度でお願いしたいけど、誰に言えばいいですかね? 裏方さんとかプロデューサーさんとか提督さんとかいらっしゃいませんかー。
なぎさの隣に行こうとすると
「彼氏さんはこっちですよ」
いつの間にか背後にもう1人、飼育員さんが存在していたようで、なぎさが手を振って見送ってくる。
あぁ、なんか落ちが見えてきたよ。
手を振り返して、飼育員さんの後ろを付いて歩く。扉を何枚か潜り室内から外へと抜けた。駅から見えていた海が、足下で小さく波を寄せては返す。
どちらも無言のまま数分ほど進み、多分ステージ裏に到着した。
出番はまだか! と、イルカのイル君とカーちゃんの姿も見える。
「では彼氏さんはこの中にお入り下さい」
本気と書いてマジと読んでいいですか? うん。いいよな。だってさ、大砲の中に入れって……俺は玉ですかそうですか。
「では、説明しますね」
もう少ししましたら、ショーが始まります。
そこで、彼女さんは先にショーに参加して頂き、彼氏さんにはドーンっと登場。
着地は海になります。そこで、すぐにイルカさん達を向かわせますので、イルカの背びれに掴まって、舞台に登場して頂く手筈になります。
質問。疑問。拒否は受付はできませんので。
ガチャン。
強制的に大砲の蓋が閉ざされて、飛び出される筒の先だけが真夏の日差しを魅せてくれる。もっと別のモノを魅たかったけどね。
真夏ともあって、さすがに蒸し風呂に入っているぐらい熱い。
暑いでは言い表すことができなかったから、熱い。
「さぁやってきました! シーワールドの名物。イルカショーはっじまるよー」
おぉ。意外と早い始まりにちょっとだけ安堵。だけどさ、もしこっから飛ばされたら、俺、ズタボロじゃない?
普通だったらローラーの付いた板に寝そべるとかするじゃん。でもさ、めっちゃ生身なんですけど……?
疑問形だろうが過去形だろうが、答えてくれる人がいないのはちょっと寂しい。
観客の入りは良さそうで、大きな拍手が沸き起こっているのがこっちにまで聞こえてくる。
「今日は20万人目のお客様と一緒にやっていきます。お隣にいるのが、その20万人目のお客様!! なぎさちゃんでーす」
紹介されるだけでこれまた大きな拍手が沸き起こる。
ガチャッ! ウィーン……。
お、底が動いて大砲の先へと押し上げていく。
「そして、その彼氏さんもいるんだけど……」
オーバーリアクションでおでこに手を当てて探すフリをしているんだろう。と想像すると緊張してきた。
でもどう飛ぶんだろうか。入り口付近になれば速度が上がりそうだ。
だが、一向に速度は上がらない。
そして、顔が大砲の先から露出する。
2階建ての家のベランダぐらいありそうだ。
ドン! っと背後で紙吹雪が……そう思った矢先だった。どう飛び出すのかと待ちわびていたら落下した。
飛び出すのではなく、ただの落下。
「だって、飛び出したら危ないですもんね!」
だったら先に言えよっ!
こちとらなにも準備してねぇよっ!
迫り来る水面!
焦る俺!
よし! あた……。
バチィーン……っ!!
さっきまでの歓声が一瞬にして静寂に変わる。
だって俺、お腹から落ちたもん。
物凄く良い快音、響かせましたもん。
お腹……物凄く痛いもんっ!
全身をムチ打ちされたような痺れる痛みが走り、痛み耐えようと声を挙げるけど、海の中なのでモゴモゴと酸素を吐き出すだけになり、リアクションも観客にはまったく見えない。
これぞまさしく『ヤラレ損』と言うやつである、まる。
「さ……さぁ、みんな! イル君とカーチャンを呼ぼう!? せぇの?」
安否が心配なのか一瞬吃る。
そして、小さな子供たちの声で「イルくーん。カーチャーン」と叫ぶ声が聞こえると、目の前にイルカが2匹登場して、俺の前を通り過ぎる。
一瞬の出来事だったから、どうすればと思っていたら背後からツルっとする感触が。そこで「あぁ背びれに掴まるのね」っと、イル君とカーチャンの背びれを掴む。
それが合図のようで、イル君とカーチャンが勢いよく俺を救出する。
「ゴボッゲボッズボッメポッ」
こいつら、スピード出しすぎだろうがぁああああああああっ!!
口を閉じることも出来ず、到底、人間では出せない速度で爆走するイルカ。
止まれと叫べば、ダイレクトに海水が胃に到達する。
シヌ。絶対チヌ。魚だけに。
そして、最後はスロープになっている飼育員さんの前に俺を運べば任務完了。お魚さん頂きましゅなのです。
が、スロープも途中で切れている。全面スロープだとイルカがジャンプしたとき、底に体をぶつけちゃう可能性があるもんね。
あぁ、嫌な予感しかしないじゃないですかー。
嫌な予感は以下略。
見事に膝が直撃。そして、イル君とカーチャンから手が離れ、俺、水難。
2匹は餌が欲しいので置き去りに。
俺……シンダ。間違いなく逝く! と、神は居たのだ。黒と白の肌をしているのは縁起悪いけど。
イルカよりも大きいんだから存在感抜群だね。ってぇえええええええええ!
口先だろう部分が股間を捉え。いや、捕え。一気に海面へと浮上。そして、今度は空を飛んだ。
「おっと! シャチのティコちゃんも登場だぁあああああああ!」
なにこの熱い展開! 気温が暑……。
ベチンっと床に叩きつけられて、天を仰ぐ形で着地。「せつな。おかえりなさーい」と、呑気ななぎさの声を聞いて、生きていたことを実感するとは。
まぁ、笑いありの拍手ありので、ウケが良かったからもういいや。
「た、た、だい……ま」
絶対に出来ない体験ではあったけど、もう2度と体験しないと心に誓った瞬間でもあったのは言うまでもない。
「悪意を感じるのは俺だけ……?」
発信源は主にサングラスを掛けた4人組のほうからって、メイドさん増えてるし………………。




