2人の世界の終焉
太鼓の音が胸を圧迫してくる。
電球が中に入っている提灯がいくつもぶら下がっていて、すぐ側には連なるように出店が並んでいた。
甲高い声やドスの利いた声、女性の活気ある声があっちこっちから聞こえてきて、遊びにきたお客さんを楽しませようとしているのがわかった。
私達はとなり町の小さなお祭りに来ている。
駅から境内に続く道に綺羅びやかな出店が立ち並ぶ。
何年ぶりだろうと記憶をたどってみたけど、何歳だったか思い出せないほどの記憶しかなかった。
夏休みになると病室の白い天井を眺めるのが日課になっていたから。
冬よりも夏のほうが体調を崩しやすい私の体は、悪びれた様子もなく、ただ胸を締め付けては苦しめてきた。
だけど、それも今年はやってこない。
手術は15時間にもおよび、一時は生死を彷徨ったほどの大手術を乗り越えたんだから、それぐらいの見返りはあってもいいと思う。
私が記憶しているのは3日後からのことだった。
一瞬だけ、手術後に目を覚ましたらしいけど、私の記憶にはインストールされていないようで、なにかがあったみたいだけど、なにも覚えていない。
「幸菜。苦しくない?」
「大丈夫です」
少し苦しいけど、我慢できないほどではないので大丈夫と答えた。
「それよりもなにか食べますか?」
昼食も軽くにしているので、男の子の刹那はお腹も空かせているだろう。
「お腹ペコペコだよっ! なにか食べさせてよっ!」
刹那よりもなぎささんのほうが限界だったらしい。
定番の焼きそばにしようか、焼きとうもろこしにするかで少し迷ったけど、5人もいるんだからどちらを買っても食べきってしまうだろう。だったらどっちも買ったらいいよね。
「では、買いに行きましょうか」
「だったら私は席をとっておくけど、テーブルはどっちにあるのかしら」
素で言ってるようで、あっちかしら。こっちかしらと顔を左右に振って探している。
お嬢様はお祭りに行ったことがないようだ。
あるいはお嬢様の行くお祭りは、テーブルが用意されていて、執事が白いお皿にのせ「こちらが焼きとうもろこしです」と、運んできてくれるのかもしれない。
太鼓の替わりにクラシックが流れているのかもしれない。なんて想像してみただけで少し笑えてきた。
「なにかおかしなことを言ったようね」
「えぇ、お祭りにテーブルなどはなく、立って食べるのが基本です」
他のお祭り客を見ても、歩きながら綿菓子を食べ、ラムネやコーラなどを飲んでいる。
「お行儀が悪いのですよ」
と、雛子ちゃんはいうけど、羽目を外せるのはこういった行事でないとできないのである。
親子で来ている人達も、普段は立って食べていたら怒るはずだが、楽しそうに家族団欒を満喫している。
「そのうち、雛子ちゃんにもわかるときが来るかもしれない」
大人になって、家族を持ったら雛子ちゃんも我が子が楽しむ姿を見たら、怒ってなどいられないだろう。
「お腹すいたー」
往来のど真ん中でへたり込む、なぎささんの腕を抱えて「あっちにベンチがあるから、そこで食べよう」と、ベンチを指差す。
私は雛子ちゃんと一緒に焼きそばと焼きとうもろこしを買いに出店へと足を運ぶ。
「へぃらっしゃい」
頭にタオルを巻いたおじさんが、焼きそばを豪快にかき混ぜてながら挨拶をしてくる。
「焼きそばを2つください」
「あいよ。べっぴんさん、悪いけど3分ほど時間いいかい?」
「えぇ。大丈夫です」
巾着から長年愛用している財布を取り出して、夏目さんを1枚用意する。普段だと高いと思う値段も、お祭りとなれば、こんなものかと思ってしまう不思議。
慣れない環境に緊張しているのか、頭にタオルを巻いたおじさんが怖いのか、私の袖を掴んで怯えていた。
「大丈夫」
優しく頭を撫でてあげる。浜辺の砂を触っているような髪質なので、触っているだけで癒やされてしまう。
刹那がこの子を放っておけないのも頷ける。
髪を撫でてあげると嬉しそうに、顔を私の体に預けてくる。そういう仕草がとても似合う子。守ってあげたくなる子。
「怖がらせちゃったみたいで悪いね。少し多めに入れておいたからそれで許してくれな」
出店のおじさんがオマケしてくれた。
怯える少女……恐るべし。
「ありがとうございます」
さすがに雛子ちゃんは無理だろうと、私が感謝の言葉を言うと
「あ、ありがとうなのです」
小さな体がさらに小さく折り畳まれる。
おじさんも「また来てくれな」っと、優しい笑顔を振りまいてくれて、もう一度、頭を下げてから、焼きとうもろこしの屋台に向かった。
作り置きがあったので、すぐに買うことが出来た。
ベンチにも戻るとなぎささんが刹那の肩にしなだれていた。空腹で座っているのもままならないご様子。
「買ってきましたよ」
焼きそば2つと焼きとうもろこしが3本。
甘辛いソースの匂いと、醤油の香ばしい匂いが届いたのか、犬のような嗅覚を発揮。
もし、尻尾が生えていたら、風切音を鳴らし喜んでいるに違いない。
「飲み物買ってくるから、幸菜と雛は先に食べてていいよ」
刹那は立ち上がって、周りの騒がしさとは逆に、物静かに歩いて行った。
私も追いかけようとしたけど、なぎささんに腕を取られ「焼きそば!」と、唇の端からヨダレが溢れそうになっているのを見て、追いかけるのをやめてしまう。
私よりも大きな背中が人の波に呑まれ、見えなくなってしまうまで見届けて、みんなでベンチに座り、温かいうちに食べ始めた。
なぎささんを除いた3人はやはりお行儀、マナーを気にしているようで、手を付けようとしない。
他の人なんて歩きながら食べてるのに。
お腹を空かせた野獣さんは、割り箸を器用に使い、焼きそばを貪り食べている。
では、私も焼きとうもろこしを1口齧る。
醤油がいい味を出していて、とてもおいしい。
「はいあーん」
雛子ちゃんの口元に近づけてあげる。
それでも口を開けようとせず、ジッととうもろこしを見つめるしかしない。
「私が食べたのは食べれない?」
「そういうわけ……ではないのです」
私ととうもろこしを交互に見やり……パクついた。
小さな口を目一杯開け、芯の部分まで噛みちぎる勢いがあった。
「おいひぃなのでふ」
さっきまでのお行儀はどこに行ったのか、口に物を入れながら感想を言うなんて。
「お二人もどうぞ。温かいうちに食べないとおいしくないですので」
花園楓に無理矢理押し付けるような形で渡す。それぐらいしないと受け取らないだろうし。
「あぁ! おいしそう!?」
隣では野獣とかした人が美女の焼きとうもろこしをむしゃむしゃ食べ始めていた。ただ、お互いに放そうとしないので、顔がものすごく近い。ちょっとエッチく見える。まさしく美女と野獣。
隣も食べ始めたようで、お上品に箸を使い、口に焼きそばを運ぶ。
1口運べば止める理由はなかった。
それからはパクパク食べていく。時折、メイドが食べている焼きとうもろこしを齧りながら。
夕食を終えた頃、刹那が帰って来た。
全員で「あ……」っとハモったのは偶然で、刹那の存在を忘れていたから、焼きそばも焼きとうもろこしも残っていないのを知ったのは必然で。
手に抱えている人数分のペットボトルが切なく見えてしまう。笑おう。そして誤魔化そう。
「みんな……ひどいよ……」
それからはみんなでお祭りを堪能した。
刹那となぎささんは食べ歩きながら、私と雛子ちゃん。それに花園楓とのバトルを見物。
金魚すくいでどちらが多くすくえるか。
ポイを渡され、元気に動き回る金魚を見つめる。
赤と黒。黒は出目金だから破けやすいので、今回は見ないふり。
小さな赤い金魚を狙ってすくい上げる。
1匹先取し、少し胸を張って気を良くしたはずだった。しかし、隣の少女が凄かった。
小さな手を水面スレスレで固定し、金魚がゆっくり泳いでいるのを品定めして、斜めにポイを入れる。そして、すぐに持ち上げ、お椀に金魚を入れる。しかも黒の出目金を。
「やったのです!」
満面の笑みでお椀に入った出目金を見せてくれる。お椀に入っているのは出目金の他にも、赤い金魚は6匹ほど泳いでいる。
1匹すくって、胸を張ったのが恥ずかしいです。
花園楓もなんとか1匹すくい、私達の勝負は引き分け。
雛子ちゃんは15匹をすくったところで、自分からポイを出店のおじさんにポイを返した。
「これ以上は苦しくなってしまうのです」
お椀いっぱいに入っている金魚達がかわいそう。と、すぐに池州に戻してあげるのを見て、周りの大人たちが拍手し始め、ちょっとした騒ぎとなってしまった。
頬を赤く染め、照れ隠しをするように私の腕に頬を寄せてくる。店主さんが「金魚。持って帰るかい?」と聞かれたけれど「寮まで遠いですし、亡くなってしまうと悲しくなってしまいますので、ご遠慮しますなのです」と、拒否した。
確かに、どんな大きさであろうと死は尊く、この子にとってはもっとも悲しい出来事なのかも。
それでは失礼します。雛子ちゃんが立ち上がるので、みんなも立ち上がり、先に進んでいく。
色んな出店があり、りんご飴やミルクせんべいなどの定番はもちろん。珍しい出店と言えば『ひよこすくい』というのがあり、あの黄色のヒヨコを金魚のポイですくうと言うもの。黄色に混じってうずらもチラホラ見受けられるけど。
そして次なる戦いの場は射的。
刹那となぎささん。今回は見物することにした雛子ちゃんは、1つの綿菓子をちぎりながら食べている。
メイドはデジカメでカメラマンをやっていて、食べるとか楽しむを放棄。
コルクを押しこみ、狙いを定めて……トリガーを引いた。
コンっと軽い音がしただけで、景品は揺れることもせず、平然とその場に立ち尽くしている。
「馬鹿ね」
ムっとして、花園楓を見る。
「上の部分を狙うのではなくて……」
上半身を前に突き出す。
それに伴い、お尻を突き出すような格好に。
カップルで来ている人、家族連れのお父さん、私達より年下だとわかる子供たちが、花園楓に見惚れてしまう。
浴衣というコスチュームも相俟って、厭らしさが倍増している。
「下から突き上げるようにすれば……」
今度は言葉責めですか。
この人は自分の体をもう少しわかってあげるべき。
そうでないと、耳を引っ張られている旦那さん。彼女さんの巾着がお腹にヒットしている彼氏さん。ろ、露骨に下半部を押さえる少年達がもっと増えることになりそう。
パコンっと音とボタっと景品が落ちる音。
「落とせるのよ」
世間の男の人達をですか……。
フランクフルトを食べるなぎささんに、淑女の嗜みを教えるにはどうすればいいでしょう。頬を膨らませ、食べる姿はこれまた……。お嬢様方から恥じらいというものが欠如している。
私に女としての魅力がないだけなのかも。
小さな溜息が漏れる。
花園楓と張り合うも一進一退の攻防が繰り返され、勝負にならない。エロさでは完敗だけど。
そして、時刻は20時30分。
後30分で花火が始まる。
「私は帰ります」
ここに居ても、刹那に気を使わせるだけ。私がいなくなれば刹那は近くで花火を堪能できる。
寂しいけれど、わがままを言うのは終わりにしなくてはいけない。だって、私は……この気持ちに終止符を打たなくてはいけないから。
始まりはいつだっただろう。思い返してみたけど、物心ついてからというもの、刹那のことが好きだったかもしれない。
好きという感情かどうかはわからないけど、恋をしていたのは覚えている。
刹那の笑う顔が見たくて、私は笑う。そしたら刹那も笑ってくれる。
それだけで頑張ろうって思えたし、生きていたいと思った。だけど、生きる。と言う意味を理解したとき、私は死にたいと思った。
私が生きていると苦しむ人が大勢いることに気がついた。
お父さん、お母さん。
私がいつ死ぬか怯えながら生活して、私のせいで夜遅くまでお仕事をすることになった。庭付きの大きな家に住んで、家族でバーベキューをするのが夢だと語っていたのに、私の治療費のせいで、2階建ての小さな家に住むことになってしまった。
刹那も学校が終われば友達と遊びたかっただろうし、そのせいで付き合いが悪いと、誘いさえされなくなったのも知っている。本当は多くの友人を作って、色んな所に遊びに行って、彼女……なんかも出来ていたかもしれない。
「幸菜。あそこ、みんなで行こうか」
「あそこ?」
帰ろうと背中を向けていたから不意打ちになる格好だった。けど……あそこってどこ?
そのまま背中を押され、私達は出店の並ぶ通りから退散することに。
あそこ。
女性や男性の秘部を指すのではなく、懐かしい場所を指すのに使われる。
安全のためです。どこぞの変態さんが興奮しないように。
さて、あそことはあ・そ・こでした。
境内は山の中腹にあり、向かいには自動改札という文明の利器が採用されている駅がある。それを繋ぐ商店街。
そして、境内を越えて山道を歩いて行く。
手術の後のリハビリは順調で、最近ではウォーキングマシンで30分ほど、病院の中庭を30分。散歩している。
足場がアスファルトから砂利に変わり、女の子は下駄なので砂が足の裏にくっついて、痛いし気持ち悪い。山頂に向かうにつれて草木が生い茂り、獣道を歩いている気分にさせられた。
れっきとした道なのだけど、ここには人がほとんど訪れない。理由としては山頂に向かうだけで、行き止まりだから。それに、こんな坂道。誰も登ろうとしませんよ。
時刻は20時50分。
後10分で花火が打ち上げられる。
駅の裏手に大きな緑地が作られていて、そこから花火が打ち上がる予定。予定は常に変動するもの。デートの時間は30分前に来るように、30分早い時間を設定しておくこと。自分は30分後に着くようにいけば、相手が必ず待ってます。
そんなゲスい女の思考回路はさておいて。
山頂に到着した御一行は兄の苦行に耐えぬいた足の裏を軽くマッサージしてあげる。
「雛、1番最初に行こうか」
なにも知らない雛子ちゃんは手招きされたので、刹那の隣に行くと脇に手を入れられて、高い高いの格好になる。
「お、おおおお、おおおおおおおお、お兄さまぁあああああああああああああ」
顔を真っ赤にさせ、足をプラプラ。
「雛は軽いね。ちゃんとご飯食べてる……のにね。とりあえず石垣に手を着いて」
恥ずかしいやら嬉しいやらで「でへへへ」って効果音は付きそうな笑みを浮かべ、刹那の言う通りにする。
そして、下駄を掴み上げ一気に押し上げる。
落下事故防止のために石垣が作られた展望台。それは街を一望できるのが売りだったのに、自殺者が急増したことから、2メートルはありそうな石垣が出来た。
人の出入りがなくなった1番の要因。
それを超えるのは容易だった。
雛子ちゃんがやったように、刹那が持ち上げて、刹那は自力で這い上がるだけ。
私の調子がいいときに何度か来ては、2人で景色を一望している場所で、たぶん、今でもこうして景色を見ているのは私と刹那の2人だけかもしれない、秘密の場所だった。
なぎささんは特別な方法で登る。
いきなり刹那に向かって走りだしたと思ったら、ジャンプ。そして肩に足を掛けてジャンプ。
スタっ!
体操選手顔負けの着地を決め、誇らしげに胸を張る。
無茶過ぎるでしょうに。着地を間違えて、石垣を超えていたら……この石垣が5メートルほどに増築されるでしょう。
花園楓は……さすがに高い高いでは持ち上がりそうにないので、肩車で登ることにしたのを、憤慨に値する侮辱だったよう。
「私が太っているとでも言いたいの。そう言えばいいじゃない。それとも軽いですね。なんて言って、この場をやり過ごそうとしているのなら、私よりも重い。基、重装備をしている人間達を侮辱しているのよ。わかって言っているのかしら」
理不尽だ。じゃあなんて言えばいいのだろう。考えてみたけど答えとしては「標準ですよね」としか言いようがない。
刹那と同じぐらいだから標準体重は50キロ半ば……。
なにも考えなかったことにしよう。うん。あ、ちなみに私は40キロ前半ですので、普通に高い高いで這い上がりました。
ブスっとしているお嬢様を必死に宥めている刹那は、とても楽しそうで嬉しそうで。
ただ私は横目で見るしかできない。
ふぅ。と息を吐き出す。だって、2人のやり取りを見ていたら、気持ちはもう遠のいてしまっているのが見て取れる。
そして刹那が石垣を登った瞬間。
大きな花火が花を咲かせた。
駅の裏側から花火が上がるので、ここまで来ると余波はほとんどこない。
花火が綺麗に広がった後にドーン。と音が届く。
みんなが口をそろえて「きれい……」と、見惚れている。
「みんないい子ばっかりでしょ?」
私にだけ聞こえるように、耳元で刹那が囁く。
「……そうですね」
「ねぇ幸菜。嫌だった?」
「……そういうわけではないです」
「いつかは幸菜と変わらないといけない。そのときに1人だったら寂しいと思ったんだ」
「べつに……」
「1人よりも2人。2人よりも3人のほうが楽しいよ。だからみんなに無理を言って付いてきてもらった」
それは知っている。
でも、それが苦痛にもなっているのを、この人は知らない。意識はしていないんだろうけど、刹那は変わってしまった。
もう私だけの刹那ではなくなってしまったのだ。
「ねぇ刹那。私は……」
グッと言おうとした言葉を押し留める。
「なに?」
「なんでもありません。……にぃさん」
負けを認めよう。もう刹那には私よりも大事な人が出来たのだから。
見苦しい姿だけは見せないように。
負けを悟られないように。
「ありがとうございます」
にいさんが驚いたように私を見ようとしたけれど、それより先に、にいさんの肩へ顔を置いた。
あぁ、泣かないようにしてたのに。
みんなに気づかれないよう、花火が終わるまでには泣き止まないと。
でも、花火が終わるまではこのままでいよう。
そして、刹那よりもかっこよくて、優しくて、愛嬌があって。総じて言えば刹那よりも魅力的な人と幸せになって、私を選ばなかったことを後悔させてあげる。ということ。
だけど、この時間が終わらなかったらいいのに……。




