2人の気持ち
昼食は無事に軽傷で終わり、スーパーで晩御飯の食材を買い込んで面白みもなく家に帰って来る。アクシデントなるものは、そう簡単に起こるモノではないらしく、引き起こすモノだと実感。
今日は家でのんびりして、明日の朝から観光することにした。
今からどこか行くにしても、3時間もすれば太陽は日本の裏側に姿を消して、お月様が日本の空を彩る。
彩ると言っても、宇宙から日本を見ればクリスマスのイルミネーションのように、煌々《こうこう》と日本列島を輝かせているのですけど。
その後はトランプをすることになった。七並べ、ババ抜きなどの定番ゲームはもちろん、なぜかトランプタワーを作り始めたりと、2人ではこうもならなかったに違いない。
もっと静かに時間が過ぎていったはずで、もっと刹那との距離は近かったはず。
「お腹すいたー」
お昼を食べてからまだ4時間ほどしか経っていないのに、スポーツ少女の胃袋は空っぽらしい。
「夕食は雛がご用意致します」
と、台所に向かい、さっき買ってきた食材を取り出して、手際よく刻んでいく。
「俺も手伝うよ」
雛子ちゃんの隣に立ち、ミンチをボールに移す刹那。
なんだかんだ、うまくやっているみたい。
傍から見て、本当の兄妹が仲良く料理をしているように見えるけど、雛子ちゃんはどう思っているんだろう。やっぱり家族として、妹して見られているのには不満があるのだろうか。私には知る余地もないけど、今の関係には満足しているのかもしれない。
「私もなにかお手伝い出来ませんか?」
「でしたら、玉葱を刻んで欲しいのです」
嬉しそうに1歩、隣に移動して私が入れるスペースを開けてくれる。
「なんだか面白そうなことしてるね」
なぎささんもキッチンに来て、なにかやりたそうに見ているので、刹那が「こっちで一緒にやろうよ」と、なぎささんも参加することに。そうなれば「私も見ているだけではいられないじゃない」と花園楓も参加して、みんなで晩御飯の支度をすることになった。
慣れない手つきを見かねて
「玉葱など丸い野菜を切る時は、猫の手よりもそっと野菜を押さえてあげるようにして、切ってあげたほうが切りやすいのです」
と、アドバイスをくれる。言われた通りにしてみると、ぎこちなさは拭えないものの、さっきよりも切りやすい。
だけど、それに伴って涙が止まらない。
玉葱の硫化アリルが飛散し、それを守るために涙が出る仕組みなのはわかっているのに、それを防ぐすべを知らないとは。
「幸菜お姉さま、包丁を貸して頂けますか」
包丁をまな板の上に置くと、引き出しから砥石を取り出し、砥ぎ始めた。
「玉葱を切る時はこうやってよく切れる包丁を使ってあげると良いのですよ。他には冷蔵庫で冷やしたり、扇風機の風を換気扇に向けてあげたりするのも効果的なのです」
刹那から聞いていたけど、料理の知識、腕前はさすがの一言に尽きる。
今どきの家は、包丁を差し込んで引くだけの単純なモノが主流なのに、我が家は時代遅れの完全な長方形の砥石。それも相当に使い込まれているそれで、雛子ちゃんはせっせと包丁を研ぐ。
「とても良い包丁なのです。長い間、使い込まれているのですが、キチンとお手入れされているので、少し研ぐだけでいいのですよ」
砥ぎ終わった包丁を水で洗い流し「これで切ってみてください」と、柄を向けて渡してきてくれたので、言われた通りに切ってみる。
トンっと軽く添えるだけで切れてしまう。
トン。トン。トン。
「ホント。目が染みなくなった」
「力になれてよかったのです」
ニコっと微笑む。
素直に思う。この子に好かれている刹那は幸せ者だと。
それに気づいてあげれていないのは、残念だけど。
夕食の献立はみんなで作ったハンバーグ。お味噌汁とコーンサラダは雛子ちゃんが1人でささっと作ってしまった。
私は玉葱を切ったし、刹那となぎささんはミンチを捏ね、花園楓はハンバーグを焼いた。毒が入ってないか心配。
テーブルに場所を移して、小学生に戻ったように、みんなで「いただきます」と、手を合わせ食べ始めた。
ポプリの香りが部屋の中に充満している。オリジナルブレンドで、少し刺激の強い配合なため、慣れていない人は不快に思うこともある。
客間には花園楓となぎささん。私の部屋には雛子ちゃんが一緒の布団で眠っている。
長旅で疲れたのか、布団に入るとすぐに小さな寝息が聞こえてきた。ほんと、小動物のような子。
髪を触るとサラサラしていて、赤ちゃんの髪に触れているかのよう。
起こさないようにそっと布団から出て、部屋から出て行く。
外灯の光や車のヘッドライトなど、深夜でも明るいのは病院も家も変わらない。
素足のまま階段を降りて、サンダルに足を突っ込む。
ひやりとした感触が足の裏に伝わってくる。
玄関のノブを回して、夜の散歩へと繰り出すことにした。
住み慣れた場所だけど、夜にはまた違った景色を見せてくれる。明るさが変われば世界が変わるような気がして、たまに夜の世界に足を運びたくなる。
星を見上げ、酔っぱらいのおじさんを見て、夫婦げんかの声が耳に入ってきて、平和な国に生まれたことを実感した。
10分ぐらい歩いて、住宅街から少し離れた場所に目的地としていた公園がある。
2人しか乗れないブランコ。恐竜の形をした滑り台。今ではネコ避けに緑色のフェンスをしている砂場。それぐらいしかない小さな公園。
刹那とよく遊んだ場所の1つ。
なんとなくブランコに座って、地面を蹴って少しだけ勢いをつけた。前後に揺れる私の体に風が当って心地よい。夜とはいえ真夏だと体に熱が篭ってしまう。
「体のほうは大丈夫なのかしら」
隣の空いているブランコに腰を下ろす。
誰が隣に居るかなんて言わずもがな。
「あなたに心配されるほど悪くはない……です」
一応は客人であり、年上であるから敬語だけは使うことにした。
キィ……キィ……。とブランコが中心に来たときは必ず鳴き声を発している。設置されたら、誰も手入れをしないのだから仕方ない。
「ブランコって1人で乗るのね」
「昔は背中を押してくれる人が居たけど、今はどうでしょう」
今は誰を見ているんだろう。
私の前から居なくなって4ヶ月という時間は、人を変えるには十分で。
隣からも鉄と鉄がこすれ合うがした。
「刹那。私達に頭を下げたのよ」
地面を蹴るのを止めた。
「幸菜が学院に戻ってきたとき、友達が居ないのは寂しいから、私達だけでも友達になって欲しい。だそうよ」
一呼吸置いて
「馬鹿よね。ホント馬鹿! 私はあなたの妹を殺そうとしたのに!! どうしてあいつはこうも馬鹿なのよ!?」
深夜の住宅街だというのに、苦情が来てもおかしくないほどの大声をあげるのはやめて欲しい。
「行きましょう。さっきの声で苦情が来てもおかしくありません」
ブランコを止めて立ち上がる。
大きく深呼吸をするのがわかった。
落ち着くのを待ってから、ゆっくりと歩いて帰路につく。
「私の兄はいつもそうです。私が悪いのになにも言わず、なにも変わらず接してくれる。私のせいで友人を無くしてもなにも言わなかった。すべて知っているでしょう。でもなにも言わないんです。どうしてだろうと考えた。普通の感性を持っていたら怒って、頬を叩くぐらいはするはず。でもそれをしない。あなたにはわからないと思うので言ってあげます。優しさほど凶器になるモノはないんです。あなたも兄の凶器が胸に刺さっているんでしょう。棘でも刺さったようにチクリ。チクリ。と痛み、そして、いつか消える。いつ消えるかはあなた次第です」
今度は私が深呼吸する。
なにを私は言っているんだろう。どうでもいい人に聞かせなくてもいいことを言ってしまうなんて。でも、花園楓がここまで声を荒げるとは思いもしなかった。そこまで刹那に、なにかしらの気持ちを持っているんだろう。
ちらっと……顔でも覗こうと思ったけど、やめておくことにした。弱い自分を見られるのは誰しもイヤだろうから。
家に着く寸前まで無言だった。
なにせ、コミュニケーション障害の2人が並んで、和気藹々《わきあいあい》とお喋り出来るはずもないわけです。
もう少し散歩しようと思っていたのに。
「それで、そろそろ名前で呼んであげたら?」
玄関の前で背後から言われた。
ドアノブに手を伸ばしかけたときに言ってくるとか、タイミング測りすぎでしょう。
「気分が乗ればいいます」
あなたに言われたくないけど、あなたにだけは負けたくない。大切な人を奪われたくない。
明日は笑おう。笑って……なにをしたらいいのかわからない。けど
「あなたに取られるの癪に障る」
寝ている人達を起こさないように、静かにドアを開けて、静かに階段に登って部屋に戻った。
私が部屋に戻った後、客間のドアが閉まる音がしたのを聞いてから、ベッドへと戻った。
「おかえりなさいなのです」
寝ているモノだと思ったから、少しびっくりした。
「ただいま」
優しく前髪を撫でてあげる。
すると、ガシっと抱きついてきて
「お姉さま。雛は幸菜様も大好きなのです。楓お姉さまも大好きなのです。だから、仲良くしてください」
「そうね。頑張ってみる」
そのまま、雛子ちゃんに抱かれて、私は眠りについた。




