最終日の夜
勝負は5日間に渡って繰り広げられる。
テストの合計点が高いほうが勝ち。という単純明快なルールで、同じ点数だった場合は俺の勝ち。
それぐらいのハンデをもらっても、どうと変わるモノでもないので、あっさり了解してくれた。
現在は時間も進み深夜の1時。楓お姉さまは先にベッドで眠ってしまったが、俺はもう少しだけテスト勉強に励むことにする。
ノートとシャーペンの芯が擦れ合う音、ベッドから寝返りを打つ際に奏でる布団の音がムードを作り上げていく。
そんなムラムラする気持ちが徐々に湧き上がってきたときだ。
カチャン。っと、小さな音がしたので、玄関に視線を向けると中村さんがメイド姿で中に入ってくる最中だった。
腰を屈め、脱いだ靴を整えている姿は、いつ見ても気品がある。
立ち上がって、こちらに顔を向け
「すみません。お邪魔してしまいました」
普通に喋っても、ベッドで眠っている人は起きないだろうけど、小声で謝罪してくる。
俺もそれに釣られて「気にしないでください」と小声で返す。
特に面白いこともしていないけど、お互いに笑いがこみ上げてくる。
ジェスチャーでコーヒーを飲むかと、身振り手振りしてくるので、両手を合わせて『お願いします』とジェスチャーを返す。
中村さんが行動を開始するのを見届けてから、俺もテスト勉強を再開した。
やらないといけない状況って言うのは時間を短く感じさせると思っていた。だけど、充実した時間ほど長く感じる。
それを最近になって知ったのは、今までが平凡過ぎたからなのか、今が異常だからなのか。
「こちらに置いておきますね」
邪魔にならないように、少し離れた場所にコーヒーカップを置いてくれた。そして、もう1つカップを置いて、中村さんも座り、コーヒーを1口煽る。
「珍しいですね」
ここに来てから、飲食をする姿を見たことがなかった。
いつもは仕事中という大義名分があるからなんだろうけど、部屋にいるときぐらいはもっと砕けて対応してもいいと思う。
「時間が時間ですので、ご容赦くださいね」
「いえいえ、俺達の前だけでも普段通りの姿を見せても構いませんよ」
いつもの優しい笑顔で答えてくる。
それにしても、こんな夜遅くになにか用事だろうか。
テスト勉強をしているのは、中村さんも知っているはずだけど。
「そんなお優しい刹那様にこれをお届けに来ました」
胸元に手を突っ込んで、なにやらウィッグのようなモノを取り出す。お約束だけどさ、その胸元には4次元空間でも存在しているのか?
カンガルーでもないんだから、普通に鞄に入れてくるとかしようよ。
「こちらは骨伝導スピーカーが搭載されているウィッグです。これを着用して頂きまして、私がお答えをお伝えすれば勝利確実でございます」
要するに……だ。
このウィッグを装着して、カンニングをしろということか。
「すみません。受け取れません」
一瞬のタメもなく、拒否する。
「どうしてですか? 楓にあんなことやこんなことを出来るんですよ?」
確かにそれは魅力的だけど
「勝負なんですから、自分の力でどうにかしたいんです。だから、受け取れません」
ノートに視線を戻すと、すぐにテスト勉強を開始する。
「ここ、間違えています」
綺麗な指が問題の箇所を指し示す。
「ここはですね、ここをこうやって、こうすれば簡単に正解になります」
これぐらいは問題ないでしょう? と言いたげで「ありがとうございます」と教えてもらったお礼を伝えると、それからも「ここは……」と丁寧な解説を交えながら、テスト勉強を見てもらった。
メイド服のお姉さんに勉強を見てもらう不思議な図。
だけど、もしお姉ちゃんが存在していたら、こんな感じで勉強とか見てもらえるのかなぁ。そう思うとお姉ちゃんというのも捨てたもんじゃない。
「手のかかる弟って、なかなか良いものですね」
あ、別に刹那様のことを言っているわけではないですよ? なんて、後付けされた言葉はガッツリと俺の心に響いていますよ?
「楓はなんでも1人でやり遂げてしまいます。それは良い事なのでしょうけど、見ていて辛い部分でもあります。私がもっとしっかりしていれば頼ってきてくれたのでしょうか。私がもっと強ければ頼ってきてくれたのでしょうか。なので、このようにお勉強を教えてあげるのは、私のわがままなのかもしれません」
どこか昔の記憶を探っているかのような眼差しで、問題集の端っこに可愛らしい動物が描かれていく。小学校の頃に流行したハムスターが冒険をするアニメのキャラクターだ。
こんな時にどんな言葉を紡げばいいのだろう。
どんどん描かれるキャラクター。
もうすぐメインキャラのハム郎が書き終わってしまう。
「家族にはわがまま言っていいんですよ。幸菜なんてわがままばっかりです。雛も最近はわがままになっちゃいました。なぎさは……言わなくても傍若無人なので、わがまま以上ですね。楓お姉さまはまだですけど」
後は指を描けば出来上がってしまう。
だからっ!
「俺は幸菜も雛もなぎさも楓お姉さまも……そして、中村さんも、俺の中ではもう家族の一員です。もっとわがまま言って下さい」
「では」
間髪入れず
「2人っきりのときは瑞希とお呼びください」
「えさま……お姉さま……お・ね・え・さ・ま!」
グラグラと視界が揺れる朝の目覚め。
いつもは部屋の隅で丸くなって毛布に包まっているから、目を開けると部屋を一望出来て、さらに楓お姉さまの寝顔を間近で見られるオマケ付きだ。
だが、代償として体がパキパキと瞬間接着剤で固められたように体が硬い。そして、疲れが抜けない。
今日は木目調の模様を視界に捉えながらの起床。
首がヤバイ方向で一時停止して、背骨からコキコキっって悲鳴が聞こえてくる。
「おはようございます」
いつも通りの中村さんが朝の挨拶と一緒にコーヒーを用意してくれた。
「今日が試験の日だってわかっているのかしら」
すでに制服に着替えている楓お姉さまの姿があって……って
「今何時ですか!!」
「7時30分なのですよ」
ど、ど、ど、どうして起こしてくれないんだよ!
無理にでも体を動かして、急いで支度をしようと立ち上がろうとしたら、雛の手が俺の体を座らせようと逆の方向へ力を加えてくる。
「お姉さまは朝食を取って下さい。雛は髪を梳きます」
トコトコ走る音がして、すぐにまたトコトコ戻ってくる。
化粧台の上に置いているブラシを取りに行って、戻ってくると「いきますなのです!」と、緊張した声でブラッシングを開始した。
ブラッシングする雛も、ブラッシングされる俺も、なぜか緊張していて、2人してブリキのオモチャのような動きをしてしまう。
「なにやっているんだか……」
登校の時間が迫っているのでコーヒーとトースト1枚が今日の朝食だ。 本当の事を言えば、朝はこれぐらいが丁度いい。
寮の朝食は朝から豪勢で、押し車に乗せられてフルコースが運ばれていくのを何度も目撃している。
さすがに……引いてしまった経験がある。
「まだ時間はありますので、急ぎにならなくても大丈夫ですよ」
急いで食べようとするのを見てか、安心させようと中村さんが声を掛けてくれる。
トーストを咥えながらコクリと頷くと「動かないでくださいなのです」って、雛に怒られてしまった。
5分ほどで食べ終えると、雛のブラッシングも納得の行く出来のようで上機嫌だ。
シャワー室の洗面所で歯磨きをして、部屋に戻ると楓お姉さまが
「早く着替えなさい」
と、新婚の妻が夫のスーツを手渡すドラマのワンシーンが展開される。要するにハンガーに吊るされている制服を手渡してくれただけだ。
だが、そのさり気ない行動が男心を擽る。
なんだかんだで、1番心配してくれているのは楓お姉さまだったりするのかもしれない。
普段は誰よりも寝ているのに、今日は俺より先に起きていた。ただ、それだけしか根拠がないし、それほど長い付き合いでもないけど、なんとなく。
それにしても時間は停滞してくれないから困りモノだ。
遅刻しては本末転倒とまでは行かないけど、あまり良い出だしとは言えない。
急いでパジャマ姿のままスカートを履く。
ファスナーを閉めて、フックを留めてからパジャマのズボンを下ろせば、卑猥な一物を露出させる事なく着替えが出来る。上着はもう諦めて露出させ、ブラを装着した後、パッドを詰めて形を整える。
悲しいけど、この仕草も慣れてしまった。
「幸菜様」
中村さんの手には俺の鞄が握られていて、無駄のない動作で差し出してくれる。そして、優しい笑顔で「いってらっしゃいませ」と俺の背中を押してくれる。
「行ってきます」
俺も笑顔で答え、1番最後に起きた人間が1番最初に部屋を飛び出す。
「お姉さま。待ってくださいなのです!」
慌てて俺の後ろを雛が追いかけて。
「まったく……それじゃあ行ってくるわ」
「はい。お嬢様もいってらっしゃいませ」
いつも通りのペースを保って、1番最後に部屋を後にした楓お姉さま。
5日間に渡る激しい闘いの火蓋が切られたのであった。




