少女の覚悟・彼女の決意
今日は夢を見た。
にいさんと一緒に夏祭りに行く夢。
私はピンクの可愛い浴衣を着て、にいさんと腕を組みながら夜店を1つ1つ見て回っていく。
たこ焼き、イカ焼き、焼きとうもろこし。
くじ引き、輪投げ、射的。
金魚すくい、スーパーボール、ヨーヨー釣り。
わたあめ、ミルクせんべい、ベビーカステラ。
どれも美味しそうで楽しそうな夜店ばかり。
子供たちがじゃれ合いながら、すぐそばを走り抜けていく。他にも小さな赤ん坊を抱っこして、夜店を指さして近づいていく夫婦や初々しいカップルの姿もあった。
人でごった返しの中、私とにぃさんはゆっくり、夜店を見て回っていく。
時々、たこ焼きを買って一緒に食べたり、金魚すくいをしたりした。
私が1匹、にぃさんが2匹。
店主さんが口の付いたビニール袋を用意してくれて、掬い上げた3匹を一緒に入れて持って帰ることにした。他にもスマートボールを交代でしたり、子供たちに大人気のお面を買ったり。
もう高校生だというのに、無邪気に楽しんでいた。
だけど、時間が経つにつれて、周りから人が居なくなっていく。
太鼓の音や音頭の歌は、お腹に響くぐらい大きい。
少し騒いだら、またお腹がすいてくる。
2人で焼きそばを食べて、焼きとうもろこしを半分こ。
そしたら、人が完全に居なくなった。
提灯が神々しく光っていて、境内に続く石畳はどこか別の世界へと繋がっているよう。
なぜだか、私に『こっちにおいで』と、手招きしているように見える。
腕を組んでいたけど、今は手と手を握り合っていた。
1歩、前に進む。
さらに1歩。
歌声が消えていく。
どんどん進んでいく。
太鼓の音が消えて、夜店がなくなっていって……。
最後はにいさんが居なくなった。
真っ暗。
闇の中に1人で立っている。
ピンク色の浴衣も消えていて、生まれたての姿。
あぁ、最後に私の妄想を夢で見ただけなのね。
夢を見た理由を解き明かしたとき、夢から現実へと引き戻された。
目を覚まして、テレビ台に置かれている時計を見た。
まだ、朝の5時を少し回っているだけ。
手術まで4時間もある。
緊張しているのかと思ったけど、それほど鼓動が大きくなったり、早くなったりしているわけでもなかった。
ただ、扉の向こうに人影が見える。
ゆっくりと扉が開いて、人影の正体が姿を現した。
2足歩行で私の側までやってきて、鞄からなにかを取り出そうとしているので、声を掛けてみる。
「そんなモノ、必要ないです。ちさとさん」
屋上での一件以来、姿を見せていなかった。
車椅子を使っていないってことは、もう隠す必要がなくなったということ。
その代わりに30センチほどのナイフが握られていた。
まだ、鞘から引き抜いてはおらず、すぐに使用できる状態ではない。
「すごいね……。顔も見えない状態でよく私だってわかったよ」
純粋に褒めているのか、驚いているのか。
どっちにしても、数時間後には意味を無くすのだから、どっちでもいい。
「ちさとさんとお喋りがしたかったので、来て頂けて嬉しいです」
「私はそんなつもりで来たんじゃないの」
ナイフを掴んで、お喋りに来る人がどこの世界にいるんだろう。
「偽装結婚。楽しいですか?」
ちさとさんがどんな表情をしているのかは知らない。
「広瀬修一さん、いえ、本当だったら名前は沢渡修一さん。ちひろさんの異母兄妹。バイクの事故の時に再会したんですよね」
そこで、ちひろさんは脅迫を受けた。
どのような脅迫かはしらないけれど、偽装結婚までしてちさとさんに近づいたということは、それ相応の理由があるのかもしれない。
「ちひろさんはどうしたいんですか?」
「私は……」
ちひろさんが言葉を詰まらせる。
自分の気持ちとは正反対なことをしているのは、自分でもわかっている。
だけど、門脇先生への悪戯は止められない。
矛盾しているのは、自分でもわかっているんだろうけど、止められない。
「だから、私を殺しにきたのでしょう? だったら、このまま放っておくほうがいいです」
「それは、どうして?」
「明日にはわかります。私を信じてもらえますか?」
なにかが擦れる音がした。
手に握られていたナイフがないので、鞄に戻したことがわかる。
「ありがとうございます」
ちさとさんはなにも言わずに出ていこうとするので
「門脇先生をお願いします」
患者の私がいうのもなんだけど、先生はすべてを背負い込もうする節があるから、壊れてしまいそうな気がしている。
扉が擦れる音がして、人の気配がなくなった。
深呼吸をする。
私の大好きなポプリの香りを嗅ぐのも、もう最後かと思うと、なぜだかもう少し香りを濃くしてもよかったと今更、感じた。
朝の6時30分には看護師の方たちが部屋を回って、患者さんを叩き起こしていく。
私の所にも来たけれど、起きているのを確認して「今日は頑張ろうね」って、励ましの言葉をかけてくれた。
その後すぐに、門脇先生がやってきた。
「生きってっかー」
今から手術を担当するとは思えないほどの気軽さで話しかけてくる。
このまま死んだふりでもしてみようかと。
だけど、最後ぐらいは良い子で迎えるのもいい。
「生きてますよ」
先生が私の傍にまでやってきて、すぐ横に置いているパイプ椅子に腰を下ろした。
なけなしの力を振り絞って、顔を先生のほうに向けた。
胸ポケットが膨らんでいないのを見ると、今日はタバコを吸いに来たようではないみたい。
「調子はどうだ?」
おでこを触って体温を確認する。
今度は手首を握って、脈を測定。
見た目は赤い髪の怖そうな人だけど、実は繊細な面もあって、もしかしたら私よりも女の子をしている部分があるかもしれない。
「問題はなさそうだな。あるとしたら気持ちのほうか」
私の気持ちは変わらない。
にぃさんがこれ以上、苦しまないで済むのは、私がいなくなることしかない。
家族である以上、血筋は争えないし絆は途絶えないもの。
「まぁ、楽しみにしていろ。嫌でも成功させてやるから」
髪の毛をワシャワシャと子犬でも撫でるように、豪快に撫で回してくる。
髪の毛をカットしていないので、伸びっぱなしで醜い。
「今度は、お前が刹那を支えてやれるようにしてやるからな」
笑いなどない、純粋に真っ直ぐな言葉。
絶対に成功させると、瞳が訴えている。
だから、なにも言わずに黙っていよう。
運命とは、神様にしかわからないストーリー。
小説に似ている。
読者はわからない先を作家は知っている。
「それじゃあ行くな」
先生が病室を出て行ってすぐに、お父さんとお母さんが入ってきて、2人は変わった様子もなく、いつものように無駄話をした。
私が緊張しないようにって、2人が気を使ってくれているのが見て取れる。
2人は知らないから。
そうやって、気を使われるのが私を死に追い込んでいるのだと。
立花幸菜の状況は平行線を辿っている。
いい意味でもあり、悪い意味でもある。
それでも、手術を決行するに決めているから、わたしからすればどちらでもいいのだが。
手術まで少しだけ時間がある。
外の喫煙室でタバコを吸おうと、胸ポケットに手を伸ばした。
だが、そこにはタバコが入っていない。
ツイてないな。
一度、自分の机に取りに戻らないといけないのが、めんどくさい。
だけど、集中する前や自分を落ち着かせる時には、タバコが必須になっていた。
医院長室の前を通り抜けないと医師達の部屋には辿り着けない仕様で、バッタリ出会してしまったときは、今日の運勢は悪い日だ。
院長室を横切った際、誰かと話をしているようで、安っぽい木目調の扉から、少しだけ声が漏れている。
なにか聞き覚えのある声だったが、私は気にせずタバコを引ったくって、外へと歩みを進めた。
喫煙所では患者がタバコを吸っていた。
別に咎めることはしない。
死期が早まるだけで、いざこざ言うのは、そいつの人生を否定するようなもんだから、わたしはウダウダ言う気にはなれなかっただけ。
パジャマ姿で談笑しているのを見ると、タバコから繋がる縁もあるんだと感じる。
私にも話しかけてきてくれるので、聞かれたことは答えたし、セクハラ紛いのことを言ってくる患者には、来週にでも注射しまくってやろうと心に誓った。
まぁ、冗談だけど。
タバコを吸い終えてからは、手術の準備をしなくていけない。
一世一代の大勝負。
もう、あいつの二の舞いはごめんだと心に言い聞かせる。
手術の時刻までもう1時間ほどに迫っていた。
執刀医はもちろん、わたし。
助手をしてもらうのは、先輩の医師。
全身麻酔で行うので、麻酔医に看護師が6名ほどいる。
看護師は途中で交代するが、医師達は交代を許されない。
一応、8時間を目安にしているけれど、長くなることはあっても短くなることはないだろう。それぐらいの難しい手術と言える。
確か、研修医も何人か来ると聞いていたが、まぁ、外野は外野だから、気にしない。
手術に必要なものはすでに用意されていて、後は細菌感染などを起こさないように、消毒などを行うだけだった。
それなのに……。
ドアが開いて助手をしてくれる先輩かと思ったら、別の人物がそこにいた。
広瀬修一。
呼んだ覚えのない人間がそこにいたんだ。
「わたしはあなたを呼んだ覚えはないのですが」
不敵な笑みを浮かべて、彼はこう言った。
「今回の助手は、僕が担当しよう」
そう簡単に助手を代えられる手術など、医師になってから1度も聞いたことがない。
「僕は、今から行うオペを成功させたことがある。前任者よりは力になれると思うが?」
「結構です。お帰りください」
即答してやった。
ここは広瀬修一が務めている病院ではない。
それなのに干渉してくるなど、裏があっても不思議ではない。
それにこの病院は花園が1枚噛んでいる。
金にモノを言う人間ほど、裏でなにをしているかわからないのが現実。
「僕は医院長に言われて来ているんだ」
「だからなんです? 今回の執刀医はわたしです」
この男はもう過去の人間。
ここに居られては気が散るだけでしかない。
「成功率を上げるには、僕が必要だと」
「うるせぇって言ってんだ!!」
大声を出したから、準備をしていた看護師達がこっちに視線を向けてくる。
「はぁ、ここまで気を高ぶらせては手術もなにもないだろう。ここは僕が引き受けるとする」
「寝言は寝てから」
「医院長命令だ。文句があるなら医院長に言うんだな」
もうはちゃめちゃ過ぎて、なにがなんだか。
だけど、幸菜はわたしだから、手術を受けると決めたんだ。
こんな所で、はい。そうですか。と引き下がることはできない。
「そう簡単には引き下がれない。あんたがどれだけの功績を医学会にもたらしたかなんて、どうでもいいことなんだよ!」
わたしの手で幸菜を救う。
それがあいつとの約束。
同じ過ちは繰り返さない。
「だから、出てけ!」
言いたいことは言ってやった。
看護師達は間に入るタイミングを無くしてしまい、傍観するしかない状態。
そんな空気の中、目の前の男は
「それは出来ない」と、冷静とは別の表情をして言ってくる。
どうして、こんな奴を好きになったのか、今のわたしには理解できない。
若気の至り。ということか。
「仕方ない。では、医院長命令で君には退出してもらうとしよう」
オペ室に置いている電話に手をかけたときだ。
「その必要はない」
振り向いて、一番最初に目に飛び込んできたのが、金色の髪の毛だ。
腰まであろう長さなのに、身長は私よりも小さい。眼の色は日本人らしい黒で、ハーフのように思える。
「広瀬修一。ここから退出してもらおうか」
「赤の他人に指図される覚えはないのだがね」
わたしは金髪の彼女に目を奪われていた。
女のわたしが見ても、綺麗な容姿をしていたから。
それもあっただろうけど、険しい顔をしていたから。
怒っている?
目の前にいる男に?
それは違うような気がする。
だったら誰にだろう。
……はぁ。
金髪の彼女がため息をついた。
「楓にはしっかりと躾をしないといけない」
ボソリと呟く声だったから、わたしにしか聞こえていない。
楓。
聞いたことのない名前だ。
ただ、幸菜に関係があるのだけはわかるが。
「この病院は花園和馬が買い取った。この手術は門脇恭子を執刀医として手術を進める。部外者はさっさと出て行け!」
有無を言わせない、勢いで宣言をする。
だが、広瀬は動こうとしない。
それに追い打ちをかけるように、口を動かす。
「おい、そこの部外者。外で警察の連中が待っている。沢渡ちさとへの脅迫および、立花幸菜への殺人未遂までのおまけ付きだ」
大きな声で宣言した途端に、1つしかない扉からスーツの男達が数人、入ってきて逮捕状らしきモノを広瀬に見せつけた。
驚愕した表情をしていたが、一瞬にして手錠をかけられ、すぐさま連行されていった。
一瞬の出来事過ぎて、わたしとしてはなにがなんだが理解できない。
「驚かせてすまない。私もすぐに退場するが、門脇恭子。私からもお願いだ……。この手術を成功させて欲しい。よろしく頼む」
深々と頭を下げ、彼女はオペ室を出ていこうとするので、わたしは呼び止めた。
「おい、あんたの名前は?」
彼女は立ち止まり、背中越しに答える。
「花園桜花だ」




