2人の距離
リーサの事件も一件落着したのは、メイドが現れてから数日が経った後のこと。
私の手術の日が決まって、生死をかけた闘いが幕を開けようとしている。
とか言えば、ちょっとはかっこが付くと思っていたけれど、そんなことはない。
すでに一人では身動きが出来ないぐらいに衰弱してしまっている。
それでも手術をするのは、このままでは死ぬしかない現状を打破するのが目的。
2ヶ月後に死ぬか、明後日に死ぬかの2択に、私は明後日を選んだまでのこと。
女装にぃさんには、なにも言っていない。
お母さんには、手術が終わってから言って欲しいとお願いしているから、心置きなくこの世からさよならできる。
外は綺麗な星空が所狭しと輝いて、大きなお月様が夜道を照らす太陽の代わりをしているかのように、存在を主張している。
病室から眺める景色も見納めが近づいていると思うと、些細なことが気になってしまう。
例えば、駐車場の外灯が1つだけ光っていない。普段であればどうでもいいことなのに。
外の景色を見ているのもいいけれど、スマホを手に持ってメールを開く。
新規作成をタップして、宛先をにぃさんのアドレスを呼び出してあげる。
ただ、呼び出すまでに3分ほどの時間を費やし、落とさないように両手でスマホに内容を書き込んでいく。
所謂、遺言をメールに綴っている状況。
現代文明はとても便利に出来ていて、私が死んだ後にでもタイマー機能を使えば、メールを送れるようになっている。
それを利用してにぃさんに最後の謝罪をしておきたいと思った。
スマホのディスプレイに、時間をかけながらタップを繰り返し、文を作っていくのだけど……。
「……どうして」
指が動いてくれないんでしょう。
なにかに縛りつけられたように、動かなくなってしまう。
次を打ち込もうとするけど、動こうとはしてくれない。
スマホを布団の上に置いて、両手を開いては閉じてを繰り返してみたけれど、正常に指の機能は果たしている。
もう一度、スマホを握って打ち込んでいこうとするけど、やっぱり動かない。
「そりゃそうだ。感情なんて自分の意思でコントロールできるもんじゃないからな」
いつの間にか、先生が私の病室に入り込んでいた。
「先生はネズミかドラ○もんですか」
音もなく某ヒロインのお風呂場に現れて、合法的に某のび太が覗きを敢行する辺りが、先生と同レベルだと言いたい。
「わたしをあんなチンチクリンな青い球体と、一緒にしてもらいたくはないんだが」
それじゃあ、某のび太とは一緒にしてもいいのかな。スペックは某のび太の数千倍は上なんだけど。
不服そうに言っているけれど、表情は笑っていた。
手に握られたスマホを奪い取られて、内容を確認しているのか、ディスプレイを凝視する。
「全然、打ち込まれてないじゃねぇか」
1行を打てたか、ぐらいで奪っておいて文句を言う医師を見たことない。いえ、目の前に存在しているから悩ましい。
「打ち込む前に奪うからじゃないですか」
声を張り上げているつもりなのに、かすれ声になってしまって聞こえているのか不安になる。
「あぁ……悪かった。それじゃ続き頼むわ」
手に戻されたスマホのディスプレイには、私が打ち込んだ文章とは違う文字が表示されていた。
それは私に対する質問だった。
生きたいと願うかどうか。
クエスチョンも無ければ、○もない文章に医学に文章力は必要ないのが立証された。
「病気ってのはな、気持ちが重要なんだよ。病は気からっていうだろ? あれはあながち間違っちゃいない。気持ちっていうのはスポーツにしてもそうだが、気持ちで負けると思ってたら、もうそこで試合は終わってんだよ」
それにな。と続きを喋っていく。
「お前は自分しか見てないだろ。ちょっと考えてみたらわかるだろう? お前が死んだら悲しむ人間がいるんじゃないのか? 幸菜、お前は死んだ後だからいいよ。でも残される人間の気持ち考えてやれよ。あいつはお前の死を引きずるに決まってるだろ」
確かに少しは引きずるかもしれないけれど、今のにぃさんは1人じゃない。
女の子ばかりだけど、友達がいて、義妹がいて、義姉がいて、みんながにいさんを助けてくれる。
その中に私がいないだけで、時間が経てば命日にお墓参りをする程度になって……忘れ去られるの。
「時間が忘れさせてくれます」
言葉数が少ないせいで、きつい口調になってしまっているけど、そこはさすがの医師というべきか、寛大な心の持ち主で……あるはずもないので前者である。
だけど、この先生は意外にもカウンセリングの資格を持っている。
カウンセリングより恐喝のほうが素性的には似合っている。と、言葉には出して言えない。
「お前ってやつは……」
呆れたように言葉を吐き出して、私の髪を優しく撫でてくれる。
優しいお姉さんのように。
「わたしは怖いんだよ。またあいつのように殺してしまうんじゃないかって」
「麗華さんだね」
「そうだな。あいつとお前は似て非なる者……って、どうして知ってる」
「先生のことならなんでも知ってます」
とだけ言うと、「まぁいいか」と、自分の過去を見られているのに、それほど気にしていない。
医学会の狂犬と呼ばれる人は、過去を振り返らない。
ちょっとかっこいい。
私だったら、どうやって復讐するかを考えて、法に触れない程度に生き地獄を味わわせている可能性が120%。
「過去を振り切るには、今で断ち切るしかないんだよ」
「今を。ではなくて?」
「今をってなると、未来が存在しなくなっちまうだろ。今で断ち切って、未来に進む」
髪の毛を触る手が微かに震えている。
「手術の内容は麗華と一緒なんだよ。状況も似てる。本当はもっと早く手術をしたかった。でも、お前の気持ちを無しにしてはやりたくないんだ。生きるも死ぬもお前次第」
明後日はがんばれるか?
視線が重なって、アイコンタクトをしているかのように、言葉が脳に流れ込んでくる。
だから、わからない。っと、視線を外してしまう。
「それが答えか……」
ゆっくりと立ち上がって、最後におでこに手を置いて「おやすみ」っと、小さな声で言うと、病室を出て行く。
閉じられたのを確認して、手に持っているスマホのディスプレイをタップする。
もう、にいさんへのメールは気力が削がれたので、もういいかってなってしまった。
だけど、毎日のように送られてくるメールにだけは目を通しておきたい。
何気ない日常をメールで報告してくれて、入院中の私が、学校に戻ってこれるようになっても大丈夫なように気遣いしてくれて……。
もう、無理だよ……にぃさん。
幸菜からメールが帰ってこなくなって、2週間は経とうとしている。
母さんにメールで確認したら、いつもよりも重いらしく、回復にはしばらくかかると思うと返事が返ってきた。
それならと数日でもすれば返信があるかもしれないと待ってはみたものの、返ってくる気配がない。
「今日もお返事がないのですか?」
「うん。そうなんだ」
夜の8時。
この時間は俺の部屋にみんな、楓お姉さま、なぎさ、雛が俺の部屋に集まっている時間帯。
なぎさはベッドの上で足をパタパタさせながら、ライトノベルを読んでいる。
女の子がパタパタさせているのは可愛らしくて好きなんだけど、ジャージでそれをするなんてナンセンス!!
スカートでそれをするから、見えるか見えないかのもどかしさを増幅させ、合法的にパンツを見れるかもしれないんだ!
ちょっと体を動かしてみたり、洗濯物を取り込むふりをしたりしちゃうのに!
この子は萌えをわかっているのかわかっていないのか。
それに引き換え、雛と来たら……。
食堂で夕食を食べ終えたばかりだと言うのに、部屋に戻ってきてすぐ、みんなの紅茶を用意してくれる。
なぎさの義妹の凛ちゃんは、まだ中等部だというのに会社の経営をしているため、こっちには来ないで部屋で仕事をしていることが多いらしい。
らしい。というのは、俺がその現場を見たことがない。
嫌われてはいないらしいけど、俺にはツンツンしていて、デレの凛ちゃんと出会ってみたいのですよ!
うん。俺が雛のような口調で言うとキモイことがわかったから、口には出さないでおくのがいいか。
「私も心配になってくるのですよ」
隣に座って、一緒になって心配してくれる可愛い義妹。
「見捨てられた可能性は捨てきれないわ」
それに引き換え、部屋に備え付けのノートパソコンでなにやら調べ物をしながら、紅茶を優雅に飲む姿はどこぞの貴族かのような楓お姉さま。
貴族ではないけれど、世界でも10本の指に入る大企業。
花園グループの1人娘。
毒舌がなければ、とても素敵なお姉さまなのに。
とても残念。
「そんなことはございませんよ」
いきなり背後から気配がしたと思ったら、メイドさんの中村さんがニコニコして、俺を励ましてくれた。
のはいいけど、びっくりするから普通に登場して欲しい。
あれ?
ふわっとメイド服のスカートが翻り、顔に直撃させたのか、してしまったのかわからないけど、前に嗅いだ匂いとは違っている。
「中村さんはコロンを頻繁に変えたりします?」
「いえ? 柔軟剤を変えたりもしておりませんが?」
俺が不思議がっていると楓お姉さまが椅子を回転させて、こっちに視線を向けてくる。
「前はどんな匂いがしたのよ」
「柑橘系の匂いだったんですけど、今は幸菜が好きなポプリの匂いとだと思うんですけど」
確か、あのポプリの匂いはオリジナルブレンドだと聞いたことがある。
だから、中村さんが幸菜と同じポプリを使っている可能性は0に近い。
「色々な方のお部屋のお掃除をしているので、その中に幸菜様の匂いに近いお部屋をお掃除していたのかもしれません」
「それはあるかもしれないですね」
女の子はみんな独自の香りを持っている。
雛は甘い花の香りがするし、なぎさは汗く……さっぱり系で、楓お姉さまは大人っぽいクリーミーな香りを醸し出す。
高等部だけでも600人以上のお嬢様が在籍している此花女学院。
広大な敷地に幼少部から高等部までのエスカレーター式のマンモス学院であれば、可能性は十分にあると言える。
「ごめんなさい。少し用事を思いだしたわ」
いきなり立ち上がったため、椅子と机が大きな音を立ててぶつかりあい、なぎさもライトノベルから視線を外すほどの騒音だった。
すぐさま、中村さんが後を追っていく。
「なにかまずいこと言ったかな」
特に気に障ることは言っていないんだけど。
「気にすることないよ。本当に用事だけかもしれないし」
なぎさは何事もなかったかのように、読書の体勢に戻っていた。
雛も普段と変わりなく飲み残しのカップを片付けに行く。
俺だけがその行動に引っかかりを覚える。
「すでに働かれている方は、このようなことは頻繁にあるのですよ」
カチャカチャとカップを洗いながら、説明をしてくれる。
だけど、電話が掛かってきた後だったら納得もできるけど、いきなり用事を思いだした。なんて、不自然だと思う。
「ねぇ。次の巻どこにあるの?」
この子の空気の読まなさときたら……。
押入れに入れているキャリーバッグから、なぎさがお求めになっているライトノベルの次の巻を取り出して手渡す。
そんないつもと変わらない日々を過ごしていた。
数日後、とある人物からの電話で、物語は進み出すことになるとは、この時には想像もしていなかった……




