きっかけ⑤
大学時代は特に平凡に時間が過ぎていく。
私立の医科大学の連中なんて、金持ちの子供しかいなくて、特に此花医科大学になれば此花女学院からの成り上がりばっかり。
朝の挨拶が「ごきげんよう」なんだから、一般人のわたしは異世界人かのように、誰も近づこうとしない。
それに大学の講義が終われば、すぐにバイトが入っていたから、どこかに遊びに行くこともなかった。
6年の月日はあっけなく終焉を迎えて、研修医の時代。
此花大付属病院に所属することになったのだが、外科、内科、整形外科、いくつもの科をたらい回し。
それだけで2年もの歳月を過ぎ去って……。
「医者のイメージってもっと……」
救命病棟24時みたいに、もっとこうスペクタクルな現場を想像していたのに、外来の診察ばっかり。
だけど、やっと入院患者の担当を任せてもらえるようになって、少しずつ前に進めてるってやっと実感が湧いてくる。
「せんせぇ。お腹すいた」
ピンクのパジャマに黒く長い髪を束ねて、綺麗なポニーテールがチャームポイントらしい、彼女がわたしの担当の子。
先生と患者っていうより、姉と妹って感じに近い。
「お前な……わたし、先生な? 医者なんだよ」
「それは知ってる」
体温を計り終えるのを待っている最中の会話。
熱っぽいから見て欲しいと、呼ばれて来て見れば、ただの喋り相手の催促だったり。
確かに患者とのコミュニケーションは、医者として必要ではあるが。
「わたしは麗華のために居るわけじゃないんだ。他に患者だっているんだぞ?」
少し説教じみた言い方になってしまったが、この患者には無意味だったようで
「私に死ねっていうのね」
およよよよ……。
何年前の泣きマネだよ。
和服姿の美少女がおよよよよ。だったら、見ていて抱きしめてあげてもいいだろうけど、ピンクのパジャマの微少女がやっても、微妙に浮いてるだけ。
「はいはい。これでも口の中に入れてろ」
ポケットから飴玉を取り出して、彼女に手渡す。
麗華は「やったね」っと、パリパリっと包みを剥がしてポイっと口に放り込む。
「微妙に生暖かい」
「そりゃあ、3時間ぐらいポケットの中に入ってたからな」
「隠し味はそれかぁ……」
隠し味ってなんだよ。
味が表に出てたら、それ隠せてないだろ。
ピピッ!
体温計が計り終えましたよー。と教える音を奏でたので、問答無用で脇から体温計を抜き取りかかる。
「ひゃう」
「変な声出すな!」
「や、優しく……抜いてね……」
「変な言葉使うな」
彼女は心臓が弱く、入退院を幾度も繰り返しているせいで、友達を作る余裕もなかったせいで家族以外のお見舞いは皆無。
そのせいだろうか。
彼女の行動には幼稚っぽさが窺えるのは。
体温計を引っこ抜いて、A4紙に37.4度と記入。
熱っぽいっていうのは嘘ではなかったようだが。
「他に胸が苦しいとか。呼吸がしづらいとかないのか?」
「それはないけど、ちょっと体が火照って」
「あ、そうっすか」
「冷たくないっ!」
自分の体の処理はご自分でお願いします。
冷たくあしらって、火照った体を冷まして頂こうという、気の利いた趣向は効果抜群だったようでなにより。
それよりも、だ。
薬を増やすかどうかを先輩に聞いたほうがいいな。
彼女の場合、薬の種類も多くてこれ以上は増やしていいのかどうか。
「とりあえず、安静にしておくように」
「はーい」
わたしは病室を後にする。
扉を閉めて、少しだけ彼女のことを想像してみる。
もし、わたしが彼女で「親御さんには余命宣告されている」って事実を知ったら、どうするだろうか。
世界一周旅行にでも出かけるとか。
ラスベガスで一攫千金とか。
わたしは馬鹿か……。
もし、麗華が知ったら……。
それから3ヶ月。
彼女は次第に衰弱していき、もう1人では外に出て行くことが出来ない。
そうなったらベッドに寝たきりの状態が続き、悪循環を繰り返すことになる。
「麗華。散歩行くぞ」
彼女の回復を願って、日課と称して車椅子で散歩をするようにしていた。
「うん」
あれだけお喋りだった彼女も、今はずいぶんと口数が減って、まるで別人のように思えるときもある。
それでも、ベッドから車椅子に移動させて、外へと連れて行く。
ナースステーションの前を通る前に、看護士に外出することを伝えると「はい。いってらっしゃい」と、わたしと麗華に挨拶をして、彼女は自分の仕事へと戻る。
エレベーターに乗り込み、①のボタンを麗華に押させると、エレベーターはゆっくりと下に。
「今日は暑いだろうな」
「もう夏だもんね」
病院内は冷暖房完備なので、夏は涼しく、冬は暖かい。
日本の風情である四季を完全に無視した建物で、職場環境としては最高にして、文句の言いようが見つからない。
エレベーターを降りて、正面の自動ドアを潜り抜けると、夏真っ盛り。
太陽も嫌がらせ真っ盛り。
声に出して「あちぃ」って叫びたくなるほどに、日差しが照っていて、もう病院に戻っていいかと言いたくなった。
それでも、どれだけ暑かろうと中庭をゆっくりと歩いて、草木や花を一緒に見ていく。
「昨日はまだ蕾だったのに、綺麗に咲いてるね」
「ホントだ。花なんて全然知らないけど、こんなにすぐ咲くものなんだな」
花の名前も知らないけど、色とりどりの花が咲き乱れていて、花の成長の早さに少しながら驚いた。
「ねぇ。先生ってさ、どうしてお医者さんになろうとしたの?」
「話すと長くなるからパスって」
「ダメ。だって、今のうちに聞いておかないと、私の時間はもうすぐ止まるんだもん」
「おまえ……」
「なにも知らないって思ったら大間違いだよ」
自分の体だもんな。
どれだけ周りが偽っても、前回のように弱っていっても、今回は違うと体が教えているのかも。
「仕方ないな」
ゆっくり中庭を歩きながら、言い聞かせるよう、妹にバカな姉のバカ話をするように語っていった。
麗華はなにも喋りもせずに、ただ鼓膜でわたしが発する振動を聞き取っている。
話は20分ほどで終わってしまうほどの尺しかないので、あっさりと完結にまで到達してしまった。
小説で例えるならショートショート。と呼ばれる分類に属されるのではないか。
「もう終わり?」
子供を寝かしつけようとして、絵本を読んで聞かせたら逆効果だった。
そんなオチに少し似ている。
「終わり。大学時代は留年できないから勉強とバイトで必死だったし」
「それじゃあ、どうしてお医者さんになってるの? 途中で諦めてもよかったと思うけど」
幾度となく考えた。
裕福な家庭じゃないのに、親父や母さんに負担ばっかりかけている。
いっそ、大学を辞めて就職したほうがいいじゃないか。
だけど、退学届けをもらうことも、誰かに相談しようとしたこともない。
「かっこよかった」
無意識に出てきた言葉だった。
「別に顔が芸能人に似ているとかなかったけどさ、こうなんつうか……正義の味方も選ばれた人間しかなれないのと同じで、医者も選ばれた人間にしかなれない。だけどな、どんな人でも治せるってかっこいいじゃん」
幼稚園児のような単純さ。
笑いたければ笑えばいい。
「あはははは。先生って子供っぽいね」
思った傍からこの仕打ち。
「でも、先生らしくていい」
彼女は視線を落として呟く。
「もっと生きていたいなぁ」
麗華を病室に送り、ベッドに寝かせる。
いつもよりも長い時間、外に居たために疲労が顔に出ているほど、体はダルいのだろう。
水に浸したタオルで汗を拭ってやると、気持ちよさそうに腰をくねらせた。
「それじゃあ、仕事に戻る」
「うん……がんばってね」
背中越しに手を振って、病室を出た。
病室の前に、わたしの先輩が立っていて「話がある」と、先輩に急かされ小さな待合室に連れて行かれる。
きちんと清掃された部屋に先輩と2人。
椅子に座るように言われることもなく話は始まったのである。
「彼女にもう近づくな」
命令のような言い方なのに、優しいトーン。
わたしだって医師の端くれだ。
先輩の言いたいことはわかっているつもりだった。
彼女はもうすぐ死ぬから情が移るようなことはするな。と言いたいのである。
「彼女はもう助からないんですか」
先輩は無情にも「あぁ」とだけ答えた。
「彼女は生きていたいって思ってます! それでもわたし達はなにも出来ないんですか!!」
「そうだ! 俺達に出来るのは彼女を少しでも長く生きさせてあげるだけしかできん」
わたしの叫びは無常にも砕け散って、現実だけが突きつけられる。
それを受け入れたくないんだ。
70・80のおじいちゃん、おばあちゃんなら、天寿を全うしたと納得できる部分もある。
だけど、彼女はまだ19歳で、これから人生を謳歌していくというのに……。
わたし達にできるのは延命治療って、これでも医者なのだろうか?
あれだけ必死に勉強して、知識を得たというのに。だ!
「俺は、お前を失いたくない。お前は医師として大成していくだろうな。だから、これも経験として現実を受け止めろ」
歯を食いしばってやるせなさを殺す。
先輩はドアを開けて、現場に戻ろうとしてこう言った。
「今のお前は医者としては失格かもしれんが、人間としては正解だと思うぞ」
……バタン。
「はぁー」
陰気な気持ちを体から吐き出す。
それでも抜け切らない感情はあるが、幾分かマシにはなるだろう。
このまま現場に戻って平常心でいられそうもないので、もう少しだけ落ち着いたら出て行こう。
そう決めたものの、なかなかドアを開けることが出来ない。
自分の気持ちを押し殺せるほど、自分は出来た人間じゃないんだな。
失恋は押し殺したというのに。
いや、恋なんてものは所詮、その程度の価値しかなかったんだ。
命は恋よりも重く、儚い。
先輩には近づくなと言われたけど、わたしはわたしなりにがむしゃらに麗華を助ける方法を模索しよう。
なんだか心のモヤモヤが消え去って、心が軽くなったのを感じ、わたしはドアを開けて現場に戻ったのだった。
そうして、日は進んでいく。
それから、麗華の病気について調べに調べて、1つの答えを見つけることが出来た。
麗華と同じ病気は手術をすれば治るってこと。
ただし、日本での成功例は数が少なく、良い方に見積もっても8%ほどの成功率。
アメリカなどの最先端技術を駆使すれば、もう少しは成功率をあげれそうだ。
なんで先輩はこのことを黙っているんだ?
疑問は後回しにして、先輩を問い詰める。いや、説得する。
「それは知っているさ。俺だってもう12年は医者をやっているんだ」
頭をボリボリ掻きながら、書類に目を通しては書き込んでいく。
「だったら」
「お前は絶対に成功させることが出来るのか?」
灰皿から狼煙のような煙が、室内のあっちこっちで炊き上げられて、換気扇はフル稼働中。
まるで、エンジンの焼けた車から吐き出される排気ガスのように思える。
そんな良くない環境で、医者は仕事をしていたりする。
そして、医者は診察だけじゃなくて、書類関係も多い。
先輩も書類を片付けている最中で、狼煙が上がっている数だけ書類を始末していると思ってもらっていい。
「絶対ではないですけど、少しでも希望があるならやってみてもいいと思うだけです」
「それで失敗したら彼女は死ぬ。それに医療ミスなんて言われてみろ。お前、ここに居れなくなるぞ?」
タバコを口に咥えて、めんどくさそうに髪の毛を掻き毟る。
「話はそれだけか? 俺も忙しいんだ、お前もやることあるなら、さっさとやっておけよ」
まるで害虫が寄ってきたかのような対応に、わたしの感情は害虫よりも怪獣に近い。
炎を吐き出してビル群を破壊していく怪獣。
わたしの場合は怒声を吐き出しただけで、怪獣よりも可愛らしい抵抗しか出来ず、それでも感情にすべてを委ねる。
彼女は生きたいと言った。
最初に出会ったときは、生きていたいとか死にたいとか言わない子が、だっ!
生きたいと願って、それを可能に出来るのは医者である、わたし達だけだというのにっっっ!!
どんな言葉を吐き出したのかは覚えていない。
言いたいことをぶちまけたら、室内にいた同僚や先輩達がわたしに視線を向け、言い終わりを確認しまた書類に視線を戻す。
「だったら、親御さんに説明してやってみろよ」
先輩の視線はなぜか気が立っているような鋭い目つきをしていた。
「死ぬ覚悟で手術しませんか」
肺に溜まっていたであろう煙が言葉を一緒に吐き出され。
「生存確率は0に等しいです」
0ではない。成功確率が低いだけで。
「死んでも、わたしの責任ではありません」
失敗するとは限らない。
「娘さんの体にメスを入れさせてください」
……
…………
………………
少しの沈黙。
「俺が言いたいのはそれだけだ。親御さんがやってもいいってんなら好きにやってみればいい」
先輩は席を立って、ドアの向こうへと消えていく。
追いかけようと思ったけど、ここで追いかけるのは自分を否定するの同様なのではないか。
先輩も否定はしていない。
だったらやることは決まっている。
病院のデータベースから麗華の実家の番号をメモして、受話器を取り上げて電話番号を打ち込んでいく。
何度目かのコールで留守番電話に繋がったので、用件は話さずに病院に来たら連絡してほしいとだけ吹き込んで、受話器を元に戻す。
後戻りが出来ない状況に自分を追い込んで、逃げ道を塞ぐ。
それぐらいの覚悟で挑まなくては、今回の手術は成功しえない。
もう少しで楽にしてやるからな。
親御さんに手術の内容を説明するも、難色を示したのは言うまでもない。
だけど、麗華の気持ちを優先したい。とのことで、麗華にも手術の話をするとすんなりと了承した。
彼女の体力のこともあり、話をした来週に手術をすることを伝える。
躊躇いもなく「わかった」としか言ってこない。
もしかしたら怖いのかもしれない。
自分の体を切り刻まれるのは、いくら経験していても怖い人は大勢いる。
その中に麗華も入っているのだろう。
だから、手術の2時間前にわたしは麗華の元に顔を出した。
「よぉっ」
比較的、普段と変わらない感じで挨拶。
「おはよう」
こっちも普段とは大きく変わった様子はない。
ベッドで横たわる彼女の髪を、手で軽く梳いてやると子犬のような表情をした。
「今日はがんばろうな」
髪から頬へと移り、麗華がわたしの手を掴む。
「せんせ。最後にもう1度だけ聞いていい?」
「なんだ?」
「これからもお医者さん続けてくれる?」
なにバカな事を言っているんだろう。
「当たり前だろ。お前を治して、もっとたくさんの人を治していくんだよ」
彼女は笑う。だから、わたしも笑う。
「そっか。そうだよね」
いつもと変わらない彼女に安心だった。
だから気づかなかったんだ。
「それじゃあ、準備があるから先にいくな」
わずか数分という短い時間だったけど、手術の前に顔を出しておいて正解だったかな。なんて、悠長な気持ち。
「うん」
そして、小さく手をふる麗華を背にして、病室を出て行く。
「……ごめんなさい。辛い思いをさせるけど、せんせは……もっとたくさんの人を救っていける人だから」
10時間にも及ぶ手術は彼女の死で幕が下りた。
麗華は知っていた。
手術に耐えれるほどの体力がないこと。
手術をしなくても1ヶ月ほどで死んでしまうこと。
だから彼女は、死ぬ前日の流れ星に願ったのだ。
「私の命1つで、せんせがもっとたくさんの人を助けていけますように」
っと。




