きっかけ④
あれから2日後、わたしはMドナルドのテーブル席に座っている。
お父さんの友人の署長さんが根回しをしてくれて、学校のほうは1週間の停学処分だけで済んだ。
なぜ停学中のわたしがMドなどにいるかと言えば、とある人物を待っているから。
アイスコーヒーを注文して1時間は経過している。
店側からすれば、回転率が落ちるので篭城されるのは、あまり好ましくないが、客のわたしはどうでもいい話。
最初の20分ぐらいはソワソワしていたけど、待つのが長くなれば自然と緊張することもなくなっていた。
財布と携帯しか持ってきていないのに、それでどうやって時間を潰せというのだろうか。
友達と呼べる人間はもういない。
イコール、メールで時間を潰すのは不可。
携帯でゲームをするというのもあるけど、生まれてからゲームを買ってもらったことがない。
イコール、ゲームのやり方がわからない。
Mドにテレビがあるはずもなく、なにもない状況で1時間待つというのは一種の拷問に近い。
「待たせてしまってすまない」
ようやく、待ち合わせしていた人物が姿を現したのは、予定の時刻から1時間20分を経過してからだった。
「ものすごく待った」
待ち合わせをしていた人物、広瀬修一が困ったように頭をポリポリ掻いているのを見ていると、なんだか笑いがこみ上げてくる。
彼は「そうだ」っと、店員の待つレジへと向かい、テーブルのお品書きを見ながら注文をしているようだった。
注文を聞き終えたのか店員がせっせと注文の品をトレイに載せて、笑顔で頭を下げる。
素直に笑顔が欲しければ黙っていることをおすすめする。
広瀬さんがトレイを持って戻ってきた。
トレイの上にはLサイズのポテトと飲み物が置かれている。
「待たせたお詫びってことでポテト食べていいよ」
さすが大人は違う。
言葉だけではなく、なにか付属をつけてくるあたりが大人っぽい。
「ありがとうございます」
と、ポテトを啄ばむ。
大人の力に屈したわけじゃない。
だって食べないと勿体無いじゃないか……。
「それで、電話でのことだけど本気なのかい?」
「うん。今のわたしじゃ無理だと思うけど……」
「どうして……って、ちさと君のことかい?」
私は小さく頷く。
昨日、電話があって足が動かないと聞いている。
わたしのせいでちさとの足が動かなくなってしまった。
罪滅ぼしになるのかわからない。
わたしが医者になるまでに治っているかもしれない。
それに、目の前でポテトを齧りながら返答を待つ、彼をかっこいいと思ってしまった。
見た目的なものではなく、子供の頃に感じた正義のヒーローのようなワクワク感。
彼が来てから、わたしの鼓動は刻一刻と早くなっていく。
「そうか……なら、僕が家庭教師をしてあげよう」
「へっ!?」
急展開過ぎて、言われていることが瞬時に理解できなかった。
「医者になるのは、ものすごく難しいんだよ」
広瀬さんが詳しく説明してくれる。
医大の合格の難しさや、6年大学であることや、卒業までにかかる費用など、わたし1人ではどうこうできる事ではなかった。
現実の厳しさを痛感させられ、少しナーバスになっているわたしに
「親御さんとしっかり話をして決めるといい。僕のほうは週に2度ほどしか勉強を見てあげることができないけど、医大に行く、行かないに関わらず見てあげるよ」
この言葉使いと笑顔に惹かれていったのは、自分自身でも簡単に気づかされた。
逢えないのが辛い。
少しでも距離を近づけるにはどうすればいいか。
彼と長く一緒に居ようとするにはどうすればいいか。そして、ちさとの罪滅ぼし。
さっき現実を教えてもらえたばかりだけど、すべてを叶えるには……。
「……ありがとうございます」
「ゆっくり考えるといいよ」
気づけばポテトも空になって、すでに1時間を軽く超えていた。
「さぁ、家まで送るよ」
彼はトレイを持って、立ち上がろうとする。ところに
「次はいつ会える?」
自分の中の決意は言わずに、次はいつ会えるかだけを聞くことにした。
医大に行くと決めたことは内緒にして、合格してからのサプライズに取っておこう。
広瀬さんは少し唸りながら
「3日後かな」
「それじゃぁ、3日後。場所はここでいいよな!」
わたしの気迫に押されたのか、逃げるようにトレイに乗っているモノをゴミ箱に捨てる。
「それじゃぁ帰るよ」
また会えるのが嬉しくて、彼に車で送ってもらえるのが嬉しくて、今のわたしの笑顔は人生で最高の笑顔をしていたに違いない。
それだけ、わたしは彼に惹かれていたんだ。
それから数ヶ月が過ぎて、ちさとが復学してきた。
クラスでは、事故のことは盛大に嘘を盛り込まれた形で広まっていたけど、それに反論する気もなくいつもと変わりなく、1人で授業を受けていく。
車椅子で登場したちさとに、クラスメイトは次々に声をかけていく。
「大丈夫ですか?」
「なにかあれば言ってくださいね」
ちさとも「ありがとうございます」と、普段と変わらない様子で返事をしていた。
わたしも内心は安心していたのだが、ちさとの父親からも言われている通り、ちさとには近づかないと決めていた。
謝りも出来ていないけど、今のわたしにはそんな資格がない。
それを後押しするかのように
「もう門脇さんには近づかないほうがいいですよ。親切で今まで付き合ってあげていたんでしょうけど、それがこのような仕打ちで返されたのですから」
このクラスメイトは、わざとわたしに聞こえるように言ってきているのが、はっきりと口調から読み取れる。
あれからわたしは、休み時間に小説を読むことにしているので、なにを言われようと無視を決め込んでいた。
勉強を教えてもらおうと教科書を開いて視線を落とす。
そこまではいい。だけど、すぐに睡魔が襲ってきて集中できない。
そこで広瀬さんのほうから小説を読むことを提案してくれて以来、教科書を見ても眠気に負けることもなくなりつつある。
今日も、近くの書店で買ってきた恋愛小説なんかを読んでは、こんな恋をしてみたい。なんて妄想をすることも……。
そんなことはどうでもよくて、ちさとは返答に困ったように苦笑いでその場を回避したみたいだ。
視線は小説に向けているから、表情などは読み取れないけど、乾いた笑い声で察しは付く。
運よく授業を始めるチャイムが鳴り、蜘蛛の子を散らすように、同級生達は自分の席へと戻っていく。
背後から視線を感じるけど、わたしは気づかないふりをしてやり過ごす。
心苦しいけど、今のわたしはちさとに顔向けできるような人間ではないから。
月日が流れるのはとても早く、学校に行き、バイトに行って、勉強して。
ただそれだけを繰り返しているだけで、1年が過ぎてセンター試験までもう少しとなっていた。
「そこ、間違えているよ」
「うそっ!」
今日はMドでの勉強会の日。
センターも近いということで、追い込みをかけるように、朝からみっちりと指導を受けている最中だったりする。
「ここは、この公式を使うんだ。そして、これをこうして……」
向かい合う形で座っているから、広瀬さんの前髪がわたしの顔をくすぐってきたり、指と指が軽く触れ合ったり、ただそれだけで胸が燃え上がるように熱くなっていく。
受験生だというのに、わたしはなにを考えているんだろう。
「わかったかい?」
「う、うん」
間違えた問題を解きなおしながら、彼の行動を盗み見る。
参考書を手に持って、次の問題を探しているようだ。
「そういえば、進路は先生に言ってあるんだろう」
「うん……言ったら大爆笑されたけど」
「そりゃあ、テストでわざと間違えて、低い点数を取ったりするからだろうな」
そういいながら彼も笑い出す。
「笑うことないじゃん……」
だって、いきなりわたしが良い点数取り出したら、カンニングだとか言われそうだし。
「志望校はあそこかい」
「一応、難関大って言ったら笑われた」
日本で1番、偏差値の高い大学をバカなわたしが志望するとか、やっぱり笑い話なんだろうな。
ただ、志望校なだけで、わたしは別の大学に受けることにしている。それは広瀬さんにも内緒。
此花医科大学。
無謀な挑戦だとわかっているけど、医科大学の中では優秀な人を輩出している大学でもあり、彼の出身校でもある。
内緒で合格して「来年から後輩だ!」 なんて、馬鹿な私に言われたらびっくりしてくれるだろうか?
「まだもう少し時間はあるから、ゆっくり考えてごらん。僕は難大でも合格できると思うけどね」
僕が教えているんだから。
そう言っているかのような自信に満ちた言葉は、絶対に合格しなければいけないって、思わせるほどの未知なる力でも備わっているようだった。
センター、大学の入試も終わって、合格発表の日。
家から大学は県を1つ、跨ぐことになるため、わたしは郵送で確認するようにしている。
スズメがチュンチュンと、朝を知らせている時間。朝の6時だというのに、わたしは目が冴えてしまって2度寝をしようにも出来なかった。
「まだ郵便は来ないわよ」
朝食の準備をしているかあさんが、わたしを落ち着かせるために、暖かいお茶を出してくれた。
そっとコップを持って、口に近づける。
緑茶特有の薄い緑に、すぅっと鼻腔をくすぐる匂いが心を落ち着かせていく。
茶柱が立たないかなぁって見ているけど、立つ気配はまったくなかった。
「そういえば父さんは?」
「もし落ちてたら、なんて声をかけていいか、わからないから仕事に行くって」
娘の合否発表に親父が気を使うっていうのも、なんだか親父らしくて、これはこれでいいか。なんて思えてしまう。
お茶を飲み干すと、すぐに朝ごはんを食べて、すぐにポストを確認してみる。
いつの間にか茶色封筒に白い封筒が投函されていて、一枚目を見てると此花大学からだったので、靴を脱ぎ散らかしてリビングに駆け込む。
「かあさん! 来てた!!」
驚いた様子もなく淡々と皿洗いをしていたかあさんだったけど、手を止めて正面の椅子に座って、一緒に開封を見守ってくれる。
糊で閉じられている背面の開け口を、指でゆっくりと破いていく。
破き終えたら、中の合否を書かれた紙を抜き取って、テーブルの上に置くと
「早く見ちゃいなさい」
わたしの緊張もかあさんにしてみれば、些細なことに過ぎないのかもしれない。
一世一代の大勝負と言っても過言ではない出来事のはずなのに……。
かあさんの言葉に触発されたのか、一気に合否の書かれた紙を広げて
「受かってたぁああああああああああ」
「かあさん! 受かってる!!」
「きゃっはぁあああああああああ」
「わたしってやれば出来るんだよったく!?」
此花医科大学からの合格に、鯉が滝を登っても「あ、そう」って、言い返せるぐらいの有頂天っぷりに
「はいはい。おめでと」
って、また皿洗いに戻っていく。
娘の晴れ舞台にかあさんは無関心なのは、いつものことだったりするから、わたしはあまり気にしたりはしない。
どうしよう。
広瀬さんになんて電話しよう。
やっぱり、平然を装って驚かせようかな。
いや、どんよりと落ち込んだように見せかけて、合格してました! っていうのもいいかも知れない。
時間なども気にせず、ポケットに入れていた携帯電話を握り、広瀬さんに電話かける。
もしかして、仕事かな。
仕事だったら留守番電話に、なんて吹き込もう。
耳にはコール音が鼓膜を震わせる。
そして、
「もしもし」
っと、わたしの大好きな広瀬さんの声が鼓膜を震わせた。
「もしもし! あのさ」
「見てくれたかい? もうそろそろ届いているはずなんだが」
わたしの言葉を遮ってまでも言わなくていけないこと。
「そんなことよりも」
「白い封筒で送ったのだけど」
よほど、重要なことなのだろう。
確かに合否の封筒と、もう1つ封筒があった。
それを手に取ってみる。
特に厚みもない、ただの封筒のように思えるが、綺麗な男性の字でわたしの名前が書かれていて。
「中身を見て欲しい」
なんだか嫌な予感。
「いますぐ見ないとダメ?」
「あぁ。いますぐ見て欲しい」
封筒の裏はシールだけで止められていて、いとも容易く開封することが出来た。
そして、中には1枚の紙が入れられていて……。
イカロスの気持ちを味わった。
空を飛ぶという、人類の夢を手に入れたイカロス。
蝋で作られた翼は、高く、より高く飛ぼうと羽を羽ばたかせ、高く、高く飛んでいく。
だが、蝋で作られた羽は高く飛びすぎてしまったため、溶けてしまい、イカロスは墜落していくだけだった。
「結婚……式……の…………招待状……」
「あぁ……もしよければ出席してくれないか?」
イカロスはまだいい。
青海原に落ちて、息絶えてしまったのだから。
次の言葉が出てこない。
沢渡ちさと。
広瀬修一。
2人の名前が記されていて、2人は結婚するとまで書かれている。
どんな悪ふざけだろう……。
「ごめん……な……さい」
わたしは、電話を切った。
そうしないと狂ってしまいそうだったから。
「恭子? なにかあったの?」
心配そうに声をかけてくれた、かあさんに
「ううん。なんでもない。部屋に戻る」
とだけ告げて、合格通知ともう一通の地獄へのラブレターとでも言えば……。
手に握りしめリビングを後にする。
なんだ……わたしは2人に仕組まれた罠に、まんまとはまっていたのか。
階段を上って、部屋のノブを回して中に入る。
トビラを閉めたところで、もう立ってはいられない。
涙が溢れて止まらない。
どんなに拭っても止まらない。
合格の喜びなど、すでにどこかに飛んで行ってしまって、どうでもよくなって……。
あぁ…………。
恋なんてするんじゃなかった。




