きっかけ①
わたしが医者になろうとした理由は2つある。
1つは親友の足を動くようにしてあげたい。なんて馬鹿みたいな考えで、2つ目、これなんてホントに笑い話にしかならない。だって、好きになった人間の職業が医者だった。
失笑してしまうほど、いや、わたしの昔を知っている人間だったら、寝言は寝て言え。って突っ込まれても不思議じゃない。いや、現実で言われたっけ。
医者になってもう4年。
月日が流れるのは早いもので、研修ばっかで色んな科をたらい回しにされていたら、2年が2ヶ月のように流れていく。
毎日のように患者は変わって、セクハラするために病院に来ているかのようなおじいちゃん。病院にお見舞いに来て迷子になるおばあちゃん。なんてザラに存在する。
病院なんてサバイバル。
まぁなんだ。でも、この職業に就いてよかったって言えることがいくつもあったけど、実際はとある少女を受け持ったときに1度、挫折を味わった。
だけど、その少女は最後まで笑って、最後までがんばって、そしてこの世を去った。
「先生は先生らしくやっていこう」
たぶん、この言葉がなければ、今のわたしは存在しなかったんだろうと思う。
なにを言いたいかと言えば、この職業が天職だったと言いたいわけで、これから先はわたしの高校から今に至るまでの物語。
「恭子! 起きろって」
高校2年の春、机にツップして寝ているのに、いつも騒がしいあいつが今日も起こしにきやがった。
この女子高に入学して1年が経つ。だけど、友人と呼べる人間はあいつぐらいしかいない。
今日も授業がいつの間にか終わっていて、HRさえも終わってからあいつは起こしに来る。
クソ真面目で成績も上から数えたほうが早い奴なのに、なんで下から数えたほうが早い奴を起こしに来るんだよ。
それがわたし、門脇恭子から見た沢渡ちさとの第一印象だった。
高校なんて行く気がなかった。中学のときからやんちゃばっかしてたから、中学の連中に友達と呼べる人間が存在せず、自然と1人でいるのが多くて目を付けられたんだと思う。
女子高、しかも進学校に押し込められたわたしには、苦痛でしかなく、ちさとの声に反応もせず黙って寝たふりを続けることにした。
ハァって小さな溜め息が聞こえて、なにやらポジションを変えたのか、いい感じに日差し避けになっていたのに、日差しがわたしの顔に降り注いで眩しい。
なんて、悠長なことを考えたのが間違いだった。
「起きないならこぉだぁー」
って、いきなりわき腹を擽ってきやがる。自慢ではないが擽りにものすごく弱い。
ちさとは容赦なんて言葉を『今だけ』忘れて、思う存分にわたしのわき腹を擽り回して、わたしはツップした体勢から跳ね上がって、背筋がビーン! そして、腹筋が割れるかと言うぐらい笑いこけながら
「ち……ちさと! やめ! やめろ!? 起きたから止めてくださいオネガイシマス」
「ふふふ。私に嘘は通用しないのだよ」
わたしはワトソンでもなければ、犯罪者でもねぇよ。
……ゼェゼェ……ハァハァ。
ちさとのせいで放課後から疲労困憊。
最悪な1日が今日も始まる。てか、わたし夜行性だから、今から活動時間だったり。
「今日はバイト?」
「そうだよ」
大きな欠伸をして、教室をぐるりと見回してみる。
ポツリと友達同士で喋りこんでいるグループがちらほらといるぐらいで、他の連中は部活なり帰宅するなりした後だ。
あの混雑な昇降口に先陣を切って突っ走れるほど、根性も座っていないので、これぐらいの時間にひっそりと帰宅するのベストな選択と言える。
果報は寝て待て。
ことわざの通り、寝てたら良い事もある。ってことで、ポジティブ思考にいこう。
机の横に掛けてあるカバンを手に取り立ち上がる。
後ろにいるちさとを無視して立ち去ろうとしたら、制服の襟を掴まれた。
「ちょっと待った!」
予想以上の力で襟を引っ張られて、呼吸が一時停止。
ブレザーの丈夫さのおかげで、完全に気管が閉鎖にまで追い込まれ、いきなり襟を放すものだから酸素が急に入ってきて、ゲホゲホ咳き込む。
マイペースさが取り得のちさとは、わたしの現在の状況もお構いなしに自分の主張を優先する。
「バイトばっかしてるけど、金が必要なの?」
「まぁな」
ちさとには黙っているけど、ついに念願の中型バイクの免許を所得することに成功した。
黙っているのは驚かせるだめで、特に他意はない。
バイクの免許はともかく、バイクの値段は凄まじく高い。安くても10万円。
安いバイクは長い距離を走っていたり、転倒した形跡があったりして状態がいい物が少ない。
それに欲しいバイクがあった。
CB400FOUR(通称ヨンフォア)
本田技研から発売されたバイクでDOHCエンジンを搭載するといった、本田技研でも人気のあるバイク。
古いバイクだけど、人気が高くて70万円はくだらない。
1度だけ見たことがあって惹かれてしまった。
それをちさとにも味わわせてみたい。そう思ったから内緒でコツコツとバイトをして、もう少しのところまで来ている。
「どうする? またマクドで駄弁るか?」
バイトまで時間があるから、わたしから提案すると「そうしよっか」って、わたしは教室を後にする。
ちらちらってわたしとちさとに視線が突き刺さってくるけど、あまり気にすることはしない。
慣れって怖いな。
それから4ヶ月が過ぎて、ついにヨンフォアを手に入れた。
真紅のタンクが特徴でちょっと古めしいのもチャームポイント。4本出しの純正マフラーはアクセルを少し回せばブオォーンっといかしたマフラーサウンドを醸し出す。
顔のニヤけが止まらない。
クラッチレバーを握って、ギア一速に入れる。
緊張の一瞬に胸の鼓動がバイクのエンジンのように、どんどん回転数を上げていくのがわかって、それと比例してアクセルを開けながらクラッチレバーを少しずつ放すと、ゆっくりとバイクは加速していった。
「クゥウウウウウウウウウウウウウ」
今なら仕事が終わってビールを煽って「ぷはぁー」っていうおっさんの気持ちがわかる気がした。
風を浴びて髪の毛がバサバサ波打つように揺れるのが、これまた気持ちいい。
街中を制限速度ギリギリまでスピードを出してみる。
鼓動がレッドゾーンにまで上がって、胸が苦しいなんて物じゃない。呼吸をしているかもわかっていなくて、空を飛ぶ鳥のようだ。
無我夢中で走り続けた結果。県を1つ越えていることに気づかずに走り続けていた。
そして、地元に帰ってくる頃には陽は完全に沈んで、深夜の23時を過ぎている。
「やっちまったなぁ」
調子に乗って県外に出たもんだから、門限を完全に越えてしまっている。
厳格な父親だから門限なんていう時代錯誤な決まりを設けている。
子供だから従わないといけないのは、どこの家庭でも一緒。
「子供なんてやってらんねぇよ」
コンビニに止まってカフェオレをチビチビ飲みながら、折りたたみ式の携帯を覗き込む。
何通かメールが来ていた。
確認しなくても誰だかわかるというか、電話帳に10件ほどしか登録しないんだからちさとしかいない。
案の定、ちさとから『なにしてるの?』とか『ぶー』とか不機嫌なメールのオンパレード。
ちさとも門限あったよな。
20時には家に帰っていないといけないとか言ってたっけ。あいつの父親も市議会議員とかなんとかだって言ってたな。
わたしの気持ちは高ぶったままで、ラジエターを搭載していたら、ここで踏みとどまることが出来たのかもしれない。
わたしはちさとにコールした。
「もしもぉおおおおおおおおおおおおおし」
不機嫌オーラを声にしてみました!
耳がキーンってなるほどの大声がスピーカーから流れ出てきて、急いで携帯を耳から離すが耳には甚大なダメージを受け、さらにちさとの声が木霊している。
落ち着くのに数十秒はかかった。
携帯を耳に当てなおして、お嬢様のご機嫌取りを開始する。
「わ、悪いって」
「気持ちが篭ってない!!」
「だったら、今から良い物、見せてやろうか?」
自慢したくて仕方ない。
門限なんてわたしの頭から消え去っていて「時間的に無理だよ」なんていう、ちさとに「抜けだしちまえ」っていうと、ちさとは「なんとかしてみる」って言って、30分後にちさとの家の近くのコンビニで待ち合わせすることになった。
コンビニに着いて携帯で時間を確認してみる。まだ20分しか経ってなくて、ちさとはまだ来ていないようで一安心。
いや、ここはわざと遅れたほうがよかったか。なんて考えていると、すぐにちさとが姿を現した。
息を切らしているので、抜け出してからずっと走ってきたんだろうな。
「遅くなっちゃった」
って、わたしが跨っているバイクを見て、なにも思わないのか……。
「別に構わないけど……なんか気になることあるだろ?」
ちさとは顎に指を当てて「ん~」って唸るけど
「特にないかな。服装もいつもどおりだし」
いやいや、鈍感な根性の持ち主のようで、平常運転なちさとにわたしはうな垂れるしかなかった。
長い時間(30分)をかけて、やっとのことでバイクを購入したことを伝えることに成功した。
だって「このバイクさ、誰のだと思う?」と、聞いてみたら「ダメだよ。他の人のバイクに跨っちゃ」なんて言い出す始末。
わたしのバイクだと信用させるのに、免許証まで見せても信用せず、バイクの車検証まで見せてやっとこさ信用するって、どこまで信用がないんだって話だよな。
「でも、このバイクって古臭いよね」
実際、古いから。
ちさとはグルリとバイクの周りを1周して「これ、2人乗りできるよね?」言ってくるので「出来るっちゃ出来る」ただし、道路交通法違反だけど。
「ちょっとだけ私を乗せて走ってよ」
「ヘルメットないだろ。警察に捕まるのヤダ」
バイクに乗りたてのわたしは、それぐらいの気持ちしかなかった。正確に言えば、免許所得から1年経過していないと二人乗りは違反になってしまう。だけどちさとは
「逃げればいいじゃん。だって道路交通法は現行犯逮捕だよ。犯罪は捕まったら犯罪になるのです! 嘘とおんなじだね」
この女……度胸が据わってる。
「わかったよ。でもちょっとだけだからな」
「やったね。で、どう乗ればいいの?」
と、バイクを道路に出やすいように旋回させてから、まずわたしがバイクに跨る。その後にちさとが後ろに跨って、ガッシリとわたしの腰に手を回してきた。
初めての2人乗りをするけど運転し辛い。
教習所で教わった乗り方ではないけど、ちさとが乗りやすいならこれでいいか。と、なにも言わずわたしはバイクを走らせた。
さすがに県外にまで行った甲斐があって、エンストもすることなく近くの川にまで到着するも、わたしはバイクを止めずにひたすら川沿いを走り続ける。
「気持ちいいだろ」
少し大きめな声でちさとに問いかける。
「すっごい! 車から顔出すのと違って、ものすごい風の抵抗感じるけどそれがまた気持ちいい!!」
さらに2人してヘルメットを被っていないので、髪の毛が縦横無尽に暴れて、止まれば髪の毛は見るも無残な光景になっていること間違いなし。
快楽を得るにはなにかを失わないといけないのは、この世の常なのかもしれないな。それが髪の毛ってのも笑い話だけど。
20分ぐらい走って、街並みも少し都会チックになり高層ビルなどがチラホラ見えている。
「そろそろ戻るか」
「そだね」
ちょうど赤信号だったから、対向車、後方確認にしてUターンをした時だった。
赤いランプが発色したと思えば、私の耳をつんざく大きなサイレンの音が響き渡る。
「そこの2人乗りのオートバイの人、すぐ横に止まりなさい」
パトカーから警察官がマイク越しに停車を求めてきた。一瞬にしてパニックに陥って、その場で固まってしまっていた。
「早く逃げないと!」
ちさとの声に答えるように、アクセルを全開にして地元へ逃走。
信号なんて見てないし、止まってる余裕はない。
メーターはすでに160kmまで上がっていて、景色が逆走しているようで、わたし達だけが別世界の住人になったみたい。だけど現実はすぐ後ろにパトカーが威圧的に迫ってきて、マイクから発せられている声は、すでにヤクザのようにドスの利いた声に変わって、警察官とは到底思えなかった。
必死になって減速と加速を繰り返して、カーブを曲がっていく。
ちさともわたしが必死に運転しているのがわかっているから、なにも言わずにただしがみ付いているだけ。
もう少しで地元に戻ってこれる……。
そんな気の緩みだったのか、ただわたしのドライビングテクニックが劣っていたのか、そんなの決まっていて両方とも欠如している。
T字路に差し掛かり、ギアを落として右折しようとバイクをバンクさせた途端〝ガン〟って音がして、いきなり制御を失う。
もうなにがあったかなんてわからない。
ただ、地面に叩きつけられて、カーリングの玉のように滑っていくのだけは覚えている。
サイレンが鳴り止み、誰かの声が聞こえて視線をそっちに向ける。
綺麗な制服を着込んだ警察官が2人でなにやら言い合った後、パトカーに乗り込んでその場から消えていく。
逃げやがった。
腕や足がズル剥けになって、血があふれ出し、触れば熱を持って痛みを与えてくる。
「……ちさと……大丈夫か……」
周りを見渡してみてもちさとの姿がなかった。
私が遠くに飛ばされたのか、はたまた逆か。バイクは進行方向とは逆に向いて横転している。ハンドルは曲がって、タンクも左右に凹みがあるのが見てわかる。
バイクなんてどうでもいい。
機械なんて直そうと思えば直せるんだから。
痛む体を動かして、ちさとを探す。
見つけ出すのにそんなに時間はかからなかった。
20mほど先にピクリとも動かない人間の体があって、ガードレールの支柱を中心にして、ちさとの体はくの字に折れ曲がっていた。
「ちさと!」
怪我をした右足を引きずるようにして、ちさとへと駆け寄る。
口から血が溢れ出していて、呼吸しているのはわかる。だけど、ローソクの火を消すこともできないほどに弱弱しくて、今にも死んでしまいそうで……。
わたしはその時は必死で、ひたすら助けを叫び続けた。
そこは川沿いの民家がほとんど存在せず、工場地帯で深夜に仕事をしている会社はほとんどなくて、工場は沈静が存在しているだけ。さらに追い討ちをかけるように人通りもほとんどなかった。
それでもわたしは必死で叫び続ける。
携帯で119に電話をすることなんて頭の隅にもなくて、ちさとが死んでしまう! って、ただ叫び続けるだけしか出来なくて……。
叫んで、叫んで、叫んで、声が枯れて、それでも叫んで!!
それでも誰も来てくれなくて、わたしは10代になって初めての涙を流した。
高校からの付き合いだけど、こんなわたしを構ってくれたのは、ちさとだけでそれがウザイと思ったこともあったけど一緒にいて嫌じゃなかった。
今日だって、ただ驚かせたいって思っただけで、すごいって思わせたくて、それがこんなことになって。
「ちさと……ちさと!」
どれだけ叫んでも反応がなくて。
そんな絶望の中にいた、わたしに一筋の光が差し込んできた。
とても眩しい光に手をかざして光の正体を確認する。
白いセダンっぽい車が停車して、運転席から人が降りてきた。
「大丈夫か!」
降りてきた長身の男性はすぐさま、わたし達のほうに駆け寄ってきてくれて、携帯を取り出してすぐに119番をしてくれている。
電話を切ると今度は別のところに電話をしているようで、わたしは呆然と彼の行動を見ているしかできない。
携帯をポケットにしまうと
「君は大きい怪我はないようだね」
「わたしなんかより、ちさとをなんとかして!」
長身の男性はシャツの袖を捲くると、ちさとに視線を落として、なにやら全身を確認している。
「彼女はこのまま動かさないほうがいい。もうすぐ救急車が来るから止血だけしておこう」
自分のシャツを力ずくに破いて、出血のひどい部分に縛り付けていくのを見て、わたしはさらに涙が溢れてくる。
よかった……ホントによかった……。
どこの誰かも知らない人だけど「大丈夫。彼女は僕が救ってあげるから」と風で乱れた髪の毛でも気にした様子もなく、わたしの頭を撫でてくれて微笑む。
数分後に救急車が到着して、彼は救急隊員の人になにかを告げてから、ちさとがレッカーに乗せられて、運ばれていくのを見届ける。
「君も僕の車に乗って、病院で手当してもらおう」
「でもちさとをほって」
「言っただろ? 彼女は僕が救ってあげるって。君も一緒の病院に行くんだ。それで納得してくれるかい?」
コクリと頷いて、車に乗り込む。
わたしのバイクは邪魔にならない場所に撤去されていて、事故の大きさを物語っていた。




