進行する病
屋上の扉を閉めて、大きく深呼吸した。
胸になにかが詰まったように息苦しい。
とんとん。
胸の中心、鳩尾より少し上を軽く叩いて、刺激を与えてあげる。
そうするだけで、胸のつっかえが少し取れたように、呼吸が楽になっていく。
数分。
落ち着くまでに要した時間。
深呼吸して、一息ついてから階段を下りていく。
私の体から悲鳴が聞こえる。気にしても意味がないから咳き込みそうになりながらも病室に向かって進み、病室に戻ってきてすぐにベッドに倒れこむ。
どれだけ呼吸を繰り返しても、酸素の供給が行き届いていないようで、餌を与えられている鯉のように口をパクパク。
ホントに長くないんだなぁって実感。そして、安堵。
ベッドのすぐ上にある酸素吸引機のチューブを鼻に取り付けて、過呼吸が収まるのを必死に待ち続ける。
苦しいのは生きている以上、嫌なのは変わらない。
1番、楽な死に方は拳銃で頭を打ち抜くのが、痛みもなく死ねるらしい。
憶測の域なので、信用したらリアルで痛いめに合うことがしばしばあるので注意が必要。
そんな度胸もないのに、馬鹿なことに知識を使っているとは、私も焼きが回ったのでしょうか。
なんて、胸が苦しくてベッドで倒れているしか出来ないときほど、どうでもいい事が頭の中をぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐると目まぐるしく駆け巡ってくる。
正直、ウザったいのでご遠慮願いたい。
胸に手を置いて、少しでも落ち着けようと深呼吸を繰り返す。だけど、今回は強敵でそう簡単には消えてくれそうになかった。
どれぐらいの時間が経ったとか全然わかってなくて、ただ門脇先生がいつ戻ってくるかの予測すら立てられない。ナースコールを押せば誰かが来てくれるけれど、なぜだか呼ぶ気が起きない。
「悪い。遅くって! お前なにやってんだ!?」
ちょうど運がよかったのか、門脇先生が病室にやってきた。
「ちょ……ちょっと……胸……が……苦し……くて」
「そんなことは聞いてないんだよ。なんでナースコール押さねぇんだって言ってんだ」
ナースコールを押したようで、室内に看護士の人の声が「どうかされました?」と少しだけ焦ったように室内に響き渡る。
「わたしだ! 今すぐこっちに救急セット回してくれ」
「わかりました!!」っとマイクを慌てて置いたのだろう雑音と共に、音声が途切れて1分も経たないうちに、看護士さんが数人と救急セットがガシャガシャ揺れながらやってきた。
それから私はといえば、あんなことやこんなことをされて貞操を奪われてしまったのです。
タダで奪われてしまったのは、とても
「偽造、捏造はよせっ!」
あらら。顔にでも出てしまっていたようで、見透かされちゃいました。
なんて暢気なことを言えるのは、呼吸も正常に戻ったからで、現在は点滴を打たれてベッドで安静にしている。
門脇先生が軽く頭にチョップをして、私の脳内音声に突っ込みをいれ、弱っている私はただ頭で受け止めるしかない。
コテッってSEが似合いそうなほどの力。
「もう大丈夫か? 苦しい所はないか?」
「はい。もう問題はないです」
いつものトーンで返事をする。
「母親には連絡しておいたから、もうすぐ来るんじゃないか」
窓を全開に開けて、胸ポケットからタバコを取り出し、口に咥えるとステンレス製の大きなライターで火をつける。
お腹から声を出す。と聖歌隊やコーラス部などではよく言われる言葉だけど、お腹から煙を吐き出す。なんて言葉が今現在、この病室の一角で実践されてます。
臭いを残したくないのか、外に向かって思いっきり煙を吐き出す医者の図。そんなに吸いたいなら外の喫煙所に行った方が気楽に吸えるのに。などと、もう数十回は突っ込みを入れたと思う。
それにしてもお母さんに知られてしまったのは、私としてはあまり良くない。
なぜか誇張してお父さんに話をするクセがある。それをお父さんが真に受けてしまうので、すぐに気を使ってくる。
私はそれが嫌だ。
特別扱いされているようで嫌だ。
にぃさんと同じように扱って欲しい。なのに、私はちやほやされて、転べば2人がやってきて「大丈夫か?」「怪我はない?」と心配して声をかけてくる。だけど、にぃさんだけは違う。私の手を取って走り出していく。
「ゆきな! あっちであそぼうよ!!」
なんて、昔のことを思い出しては懐かしむ。
走馬灯をスロー再生しながら見ていると例えたらわかりやすいと思う。死ぬ間際に見るモノとは違い、ゆっくりと鮮明に視界に浮かび上がらせながら見せてくる。
まるで脳内でDVDの映像を見せるように。
そんなにぃさんが好きだった。
自分と同じ目線で見てくれる。他の人のように気遣ったり、同情したりしない。だけど、私が苦しい時は心配してくれる。
なにもかもわかってくれている。
だから兄妹だというのに恋をしたんだ。
「そういえば、母親か父親からなにか聞いてるか?」
未だにタバコを吸いながら、白い煙を吐き出して私に問いかけてくる。
「なにってなにをですか?」
その質問に質問で返す。
その行為の示す意味は、なにも知らない。
「なにも聞いてないか。わたしから言うのはタブーかもしれないが」
と、前振りだけして
「お前の手術の提案を両親にさせてもらった。成功率が高くない。だが、成功したときの恩恵も大きい。成功率を数字で表すと5%ってところだ」
最後の1口だったのか、タバコをポケット灰皿に擦りつけ、赤く光っていた火種が消えていく。
それが私の命の灯火のように思えた。
「その5%って確率でいうと20分の1ですか? それとも200分の10ですか? それによっても大きく変わってくると思いますけど」
「ほんとにお前って頭だけはキレるっていうか……」
ガシガシっと頭を掻き毟る。
「……前者だよ」
「それでお母さんとお父さんは……どっちを選んだのですか?」
「どっちも選んでないよ」
静かに遠くを見ている。
先生からすればどっちを選んで欲しいのだろうか。
このまま先生の経歴に傷を付けずに死んで欲しいのか、それとも経験のために手術を受けて欲しいのか。
「お前はどうしたい? このまま最後を迎えたい。それも1つの生き方だからわたしは止めない。手術をするというのであれば、1%でも成功率を上げて挑むまでだよ」
なぜか先生がいつもと違うように見えた。
無駄に優しい言葉を使っているようで、不自然すぎて気持ち悪い。
「本当は母親の口から言って欲しかったけど、このままじゃお前が死ぬ前に言い出しそうだから先に言っとく」
「後は自分で決めろ」と言わんばかりに、選択を叩きつけてくる。
「タイムリミットはそんなに長くないと思え」
「わかりました」
体力の問題。という意味でのタイムリミット。
だけど、私は拒否するだろう。
まだ、やらないといけないことがあるから。
その後はお母さんがやってきて、先生から私に起きたことをすべてぶちまけられて、お母さんが放心状態になった。
一瞬、意識さえ飛んだように体がぐらっと傾いたりして、病人の私がお母さんの体を支えるという、形勢逆転の図を現実に垣間見たような気がした。
それでも、お母さんはなにも言わずに最後まで聞いて、私を見る目がやわらかくて、私は視線を外す。
そして、手術のことも話したと聞いて
「この子が自分で決めればいいと思っています」
とお母さんには珍しい答えに、私と先生は少し面を食らう。
「この子も15歳。もう自分がどうしたいとかは、この子で決められるはずですので、私からどうこう言うつもりはないです」
「ですが、まだ15歳! まだ死ぬには早すぎるでしょう!!」
先生の叫びも聞き入れる様子は毛頭ない。
お母さんは首を横に振り「夫と決めたことですので」と、すべて私にまかせると言ってくれたのは嬉しかった。
なにも聞かなくてもわかると言ったように、先生は「そうですか」と、少しトーンを低めに答えて
「わたしからは言えるのはここまでなので」
「失礼します」と言いながら病室から姿を消す。前に「後でまた来る」と口だけを動かして、私は小さく頷いた。
先生が居なくなって、お母さんと2人きりになったけど、どちらも重くなった空気のせいか沈黙してしまう。
少しだけ時間が止まったようになったけど、お母さんが重い空気を払いのけ、私の耳に振動を送ってきてくれた。
「幸菜はどうしたい?」
そうだ。私はまだお母さんに自分の気持ちを伝えていない。
このまま死にたい。
なんて、ストレートに伝えたら涙を流すかな。それとも気絶してしまうかも。
「もう少しだけ待ってほしい。それからなら手術……受けてもいいと思ってる」
お母さんは「そう」とだけ言って、ベッドで横になっている私の髪を優しく撫でてくれる。
いつぶりかな。お母さんが私の髪を撫でてくれたの。
いつの間にか、お母さんの手に皺が増えて、アカギレも増えていた。
そんなお母さんの顔は優しく微笑んでいて、幸せそうな瞳で私を見てくる。それがどうしてかなんてわかるはずもなくて、だけど……涙が溢れてきてしまう。
お母さんが慌てたように、ハンカチを鞄から漁り出して、横に横に流れていく涙をハンカチが吸い上げていく。
「わがまま……言って……ごめんなさい」
「幸菜からわがままを聞くのって久しぶりな気がするわ」
と言いながら、お母さんも涙を流し出してしまう。
綺麗だった肌もカサカサで、苦労させてしまっているに違いない。
お母さん。もうすぐ楽になるよ。って心で言ってあげる。
よかった。
ちょっとだけ死ぬのに抵抗がなくなったよ。お母さん。




