嘘からの開放
日が経つに連れて、体の変化が表に現れてくるようになった。
自分でも隠しきれない。
日課となっている、屋上でのちさとさんとのお喋り。そこにたどり着くまでには、エレベーターに乗って屋上への階段をのぼらないといけない。
まずは部屋からエレベーターにまで行き着くまでに息が上がり、屋上の階段をのぼれば、肩を揺らすほどの疲労感が体を支配する。
額から汗が流れ出してくるけど、それは無視して息を整えるために大きく深呼吸を繰り返す。
それでも息が整うまでに10分少々の時間を要した。
それだけの時間、汗を放置していたからすでに乾いていて臭いがしないかと、肩の辺りをクンクンと犬のように嗅いでみたけど、汗臭さは特に感じない。
屋上へ続く鉄の扉を押して開放する。
いつものようにちさとさんが車椅子に乗って、病院の駐車場を眺めていた。
ゆっくりと歩いて、驚かせないように隣に立ち「彼氏でも探しているんですか」と、最初に出会った時のお返しをしておきましょう。
「うん。そう」
とぶっきらぼうな返事しか返ってこなかった。
「なにか……ありましたか?」
いつもは明るくて、子犬のように騒がしく、色々なお話をしてくれるお姉さんなのに、今日は少し様子がおかしい。
「うん。少しね」
自分の心情に嘘を言わないのは、ちさとさんらしい。
「私でよければお話、聞きますよ」
だけど、ちさとさんは「まだゆきなぽんには言えないな」って、笑顔で言ってくる。
どういう意味なんだろう。
私と関わりがあるみたいな言い方に、心当たりを探しても、すぐには見つからない。
そこに間髪入れずにお喋りしてくるので考える暇を与える気がない。そんな印象を受ける。
だから、お喋りしているちさとさんの間に割り込んで
「なにを隠しているんですか」
と、聞いてみた。
最初に出会った時から不思議だった。
車椅子の人がどうしてここに入られるのか。とか、どうして、私と接触してきたのか。とか。
屋上で電話している人を見かけて、声をかけてくることが不自然。
最初から私と接触するのが目的だったなら合点がいく。
「そっかー。バレちゃってたか」
悪びれた様子は一切感じない。
それに、答える気すらないんだと思う。
「頭の回転がいいねぇー。お姉さんはびっくりだ」
「はぐらかさないで下さい」
もう年貢の納め時だと察したようだったけど、それでもちさとさんは具体的な回答はしなかった。
「幸菜ちゃんはさ、弱いよね。仮面の裏側はものすごく弱い。なのに、どうして誰にも頼ろうとしないのかな?」
「それは、もう覚悟しているからです。私はもうすぐ死にます。どう足掻いても死んでしまうんですから、迷惑だけはかけたくないです」
ポケットに入れているスマホをギュっと握る。
言葉とは裏腹に、にぃさんに迷惑をかけているのは……私の最後のわがままだったり。
「私の家族は父と母、それに双子の兄と私です。いつも私の家族は私に優しくしてくれて、いつも笑ってくれて、私の存在を認めてくれて」
だけど
「それが私にとって苦痛なんですよ。いつの頃から、そう思っていたとかはわかりません。だけど、私がいなかったら3人で普通に生活しているだろうって想像を毎日のようにしています。」
私がもっと早く死んでいれば、にぃさんはもっと違う人生を進んでいたのに。
私が産まれてこなければ、にぃさんはお父さんからもお母さんからも、もっと……もっと! 愛情を注がれていたに違いない。
「私も同じ気持ちになったことあるな」
ちさとさんはどこか懐かしむように、遠くを見ているようだった。
「私がいなかったら、あいつは幸せだったのかな。なんてさ。いっぱい考えた。プロポーズされた時なんて死んじゃいたいって思って、リストカットしようとしたらさ、旦那に打たれた」
ちさとさんは自分の左の頬を摩りながら
「死にたいなら死ねばいい!」
なんだ、ただの理想主義者なのか。と、心が答えを出した。
「だったら、誰も悲しませずに死んでくれ!!」
そんなの無理に決まっている。
産まれてきてしまったのだから、最低でも家族は悲しむ。
「臭いよねぇ。臭すぎるよね」
目の前にいるちさとさんがゆっくりと立ち上がる。前のようにふらつくこともなく立ち上がる。
だけど、風に煽られて体が一気に傾く。そして、ちさとさんの体はアスファルトに叩きつけられた。
私が1歩、踏み出すけど「来ないで!」
誰からも助けはいらないという拒絶。
フェンスを掴み、ガシャン。と、音を立てながら、時には強風に煽られながら、それでも時間をかけてもゆっくり立ち上がっていく。
「ほら、立てた」
目の前のお姉さんは、小さな子が初めて自転車に乗れたと喜んでいるかのような笑顔で私を見てくる。
「幸菜ちゃん。そんな臭い言葉で、私は立ち上がることが出来たし、前に進もうとしているの。だからさ、足掻いてみなよ。叶わない願いでもいいじゃん。周りから批判されてもいいじゃん。それが力に変わるならがんばってみよ」
その姿を見て私は……否定した。
言葉には出さない。だけど、否定する。
そうしないと私自身が壊れてしまいそうで怖いから。
「ほら、座ってください。また風に煽られて倒れてしまいますよ」
ちさとさんが座りやすいように、車椅子を移動させてあげる。
ちさとさんは座ろうとはせずに、私を睨むように見ているのを、見て見ぬふりをした。
「恭子を人殺しにしないで!!」
バンっ!
いきなり屋上の扉が開いて、私の担当医である門脇先生が姿を現した。
たまたまって言葉の通りに、わたしは彼女を見つけた。
担当している患者の容態が悪化した。との連絡を受けて、処置を終えて、部屋に戻るところをたまたま。
ここ最近の彼女の具合は平行線。悪い方向に。
それなのに、彼女は「特に体に変化はありません」の一点張りを貫き通す頑固娘。
わたしは、彼女にバレないように距離を開けながら、彼女の後ろを付いていく。
エレベーターに乗り込む彼女を見送り、上か下かを確認。
エレベーターは最上階まで行き着いて、次の人を乗せるために下降してくる。そうか、屋上か。
ここからだと2階上に進まないといけないけど、わたしはエレベーターを使わずに階段を選択した。
エレベーターを使って鉢合わせ。なんて、笑い話にさえならない。
体力には自信はないが、大きな足音を立てないように静かに階段を上っていく。
1段、また1段。
最上階で降りたということは屋上にでも行っているんだろう。最上階に用事なんてそれぐらいしか思いつかないしな。
最上階に着くのに3分もかからなかったと思う。
目的の彼女を見つけて、私はやっぱりな。と、心で呟いた。
屋上に繋がる扉の前で息を整えている。
引きこもりだって、たかが数分の道のりを歩いただけで10分も息を整えるのに必要とはしない。
ベッドの上で安静にしていれば、今のところは症状は出ていないのか。
息も整ったようで彼女は屋上へと進んでいき、消えていった。
すかさず、わたしも彼女を見失わないように、そして見つからないようにゆっくり、扉を開けて覗き見る。
風がビュンビュン吹き荒れて、髪の毛を乱れさせる……ウザったいから突撃してやろうか。なんて考えていたけど、とある人物と接触しているのを見て、もう少し様子を窺うことにした。
最初に診察に来たときに、接触したようなことを言っていたから、驚くことはなかったが、なにを話しているのか興味がある。
まぁ、ここからだと聞こえないけどな。
それにしても、ちさとの様子はなにやらおかしい。
数年ぶりに会って、なにも変わってない奴だな。なんて思っていたけど、どこか上の空って感じで、あいつらしい騒がしい感じが見て取れない。
「もうちょっと大きな声で喋れよ」
なんて愚痴りたくもなる。
少しして、ちさとがなにやら車椅子の肘掛けに手を置いて立ち上がった。
「…………」
リハビリの担当からは立ち上がることは出来るみたいだと、報告は受けていたが、それは補助があってのこと。今は誰も助けてくれない中で、自分の足で立ち上がろうとしている。
あいつも変わろうと……いや、変えようとしているんだな。って思うと、今の自分が馬鹿らしく思えてきてしまう。
ビューン! っと強風が吹き荒れ、ちさとがバランスを崩して、アスファルトに叩きつけられる。急いで幸菜は補助に回ろうとしたが「来ないで!」とちさとは拒絶し、自分の手でフェンスにしがみついて、自分だけで立ち上がろうとする。
ここまでは聞こえないけど、なにかを口走りながらちさとはがむしゃらな姿を晒し、時間はかかったものの自分の力だけで、立ち上がることに成功した。
それを見て、共有できなかった時間がもどかしく思えて「……ふぅ」っと、ため息なのか心の蟠りが抜けたのか。
邪魔だったか。
扉を閉めようとした瞬間だった。
「恭子を人殺しにしないで!!」
閉めようとした扉を蹴り飛ばして、2人の前に飛び出してしまっていた……。
ま、まぁなんだ。
一瞬、カメラのフラッシュが目の前で焚かれたように、真っ白になってしまったもんだから……つい、な。
2人は大きな音にビックリしたようで、完全にわたしを見つけてしまっていて、引くに引けない状況。
仕方ない。
「ちさと。そいつになに言ってもわかんねぇよ」
わたしは2人の傍に近づいて、わたしの患者である立花幸菜に「病室に戻って、言い訳を考えておけ?」と睨みを利かせ、この場から排除する。
わたしの患者はみんな空気を読むことに長けているので、なんの抵抗もなく病室へと帰っていく。
キィーっと錆付いて重み(実際に重い)のある扉を開け、バタンっと閉まった音を聞いてから、ちさとに向けて言葉を吐き出す。
私が大学に行ってから……10年ぶりぐらいか。
「久しぶりだな」
医者としては数日ぶりだが、友人。親友として。
「…………」
患者としてならウザいぐらい喋ってくるのに、親友としては無言かよ。こいつの考えていることは、いまいちわかんねえな。
それに風が強くて髪の毛がバッサバサ靡いて、顔にバッシバシ当たるし。
車椅子の車輪を腕の力で転がして、わたしの横を進んでいくちさとを見送った。
「いつから足は動くようになった?」
なんて、空気の読めるほど、性格はよく出来ていないんだよ。
車椅子は止まることもなく進む。
「答えてやろうか。あの事故から1年ぐらいでお前の足は動いてたんだろ?」
ちさとに背を向けて、言葉という振動は特定の場所や事象がない限り、360度に振動を発生させる。
「その足があいつとの繋がりだもんな。足が動けば、あいつとの繋がりが途切れるが、わたしとは親友でいられる」
親友だから言ってやらないといけない。
「その足が動かなかったら、わたしは後悔の念でお前の前には現れず、あいつを自分のモノに出来る」
友情か恋かの選択に、ちさとは恋を選んだ。そして、その恋は今も続いている。
だけど、親友の恋は実らなくなった。
わたしとちさとは同じに人を好きになり、それを理由に疎遠。
ちさとの足は動かない『設定』を貫き、それを貫いたがために苦悩したのだろうな。
そんで、どこからか、あの患者のことを耳にしたんだろう。どこから……なんて1つしかないけどな。
「わるい。もう吹っ切れてるから気にすんな」
ちさとのほうに向いてみる。
扉に手をかけた状態で、蝋人形のように動きを止めていた。
……はぁ。
めんどくさい。
風は空気読まねぇし。バカは固まってるし。なんて考えながら、ちさとの横で立ち止まる。
「泣くならもっときゃうんきゃうん泣きやがれバァカ」




