トラブルテレフォン
数日が過ぎて、私の体に少しずつ変化が起こりつつある。
散歩と称して、中庭を歩いているだけで息切れを起こすようになり、小休憩を入れることになった。
ベンチに座って空を見上げる。
雲がちらほら漂っている空を飛行機が意気揚々と、人々を別の国へと運んでいた。
鳥かごの中で飼われている私は、自由という世界に飛び立つことさえも許されない。
囚われのお姫様! なんて気休めに思ってみたけど、お姫様には程遠い姿の少女だった私は、傷をさらに抉るだけだと気づくのに、1秒とかからなかった。
トクン。トクン。
自分の胸に手を当てて、鼓動を数えてみる。
ひとつ。ふたつ。みっつ。
正常に鼓動を刻んでいく。
鼓動と同調するように、スマホのバイブが引っ切り無しに震えて、早く電話に出ろよ! って催促してくる。
ポケットからスマホを取り出して、画面を見つめてみた。知らない番号だったからポケットに戻そうとしたけど、なぜか私はその電話に興味を持ち、画面をタップしてスマホを耳に押し当てた。
「もしもし」
気負けしないようにだけは気をつけて、電話の応答を開始した。
相手も「こんにちわ」と、子供じみた声が聞こえてきて、少し拍子抜けしてしまう。
それでも強気な態度で応戦する。
「私になにかようですか? それとも間違い電話でしょうか」
「いえいえ、間違いなんて起きないですよ? 立花幸菜さん」
子供じみた声の少女は自信過剰とは言葉が悪いですね。自信満々に私の名前を言い当てくる。
だからと言って、びっくりする事もないし、焦る事もない。
常に最悪の事態を考えて行動していれば、にぃさんをネタになにかしらの要求を訴えてくる人間がいるのは想定できる話。
「それで、ご用件とは?」
もう1度。胸に手を当ててみる。
今度はさっきよりも少しだけ鼓動が大きく、そして早くなっているのを感じ、ギュっと胸を掴む。
電話がかかってきてから、胸がチクチクと針で刺されているかのような痛みが、神経を伝って脳へ痛みがあることを教えてくる。
「とっても大事な用があるんですよー」
「その前に名前ぐらい名乗る余裕もないの?」
強気な口調で相手を威嚇する。
「名乗る必要があるとは思えないので」
だったら、非通知でコールぐらいしましょうよ。
冷静に突っ込みを入れてみる。
「そうですか。でしたら病人も暇ではないのでこれにて」
「あなたのお兄さんのことバラしますよ!!」
失礼します。とは言えなかったことを少し後悔した。
だって、私はこんな小物の相手をしているほど暇ではなかった。
弱い人ほどよく吼えると言うけれど、それはあながち間違いではないと思う。大きな声を出して相手を怯ませるのは常套手段。
その行為の有用性は認める。けれど、すべての人間に効果が得られるかと言えばNOと言える。
「あら、そうですか。ではにぃさんに伝言をお願いしたいのですが」
電話の向こうで、どのような表情をしているのか気になった。
いともたやすく切り札がかわされた勇者のように、瞬きを忘れた顔つきでもしているのだろうか。
「自分のご兄妹がどうなってもいいと言うの!?」
喜怒哀楽。
人は喜び、怒り、哀しみ、楽しみを持ち合わせている。
表情豊かなのは好印象をもたらしたりするのだが、怒りだけは他の人に見せてはいけない。
怒りは自分の弱さを肯定すること。
この子の場合は精神的な弱さを見せた。
切り札としていた脅し文句が回避され、彼女の精神は焦りに焦って、怒りを露にした。
もう、その時点で勝敗は決まっている。
「えぇ、構いません。それでは」
私は耳からスマホを離した。だけど
「花園楓には気をつけなさい」
聞こえたのか聞こえていないのか知らないけれど、助言となる言葉をスマホに向けて囁き、画面をタップして通話を終わらせた。
敵に塩を送るなんて私も焼きが回ってしまったのか、胸の痛みで精神崩壊でもしてしまったのか。
スマホをポケットにしまい、深呼吸。
1回、2回の深呼吸では大きな変化はなかったものの、3回、4回となんども繰り返していくうちに、段々と胸の痛みも和らいでいった。
よかった。っと安堵した自分がいることに戸惑いを覚える。死にたいと思っているのに、不自然極まりない。
だけど、まだ死ぬわけにはいかない。もう少しだけ、後、1ヶ月だけでも生きることが出来れば、私の命は悪魔にだって、死神にだって捧げましょう。
掴んでいた手を緩め、皺になったTシャツを軽く引っ張って、皺を目立たないようにしてみたけど、やっぱり軽く残ってしまう。さほど強く握っていた自覚はないにしても、無意識に握っていたんだろうと納得しておきましょうか。
ベンチから立ち上がって、もう1度だけ、空を見つめる。
さっきよりも白い雲が広がっていて、雲の隙間から太陽の光が溢れ出し、それが神秘的な情景となって、天国の存在を肯定しているかのように見えた。
「さて、調べ物でもしましょうか」
視線を病院の自動扉に戻し、歩みを進めた。
花園楓。にぃさんの敵となるか味方となるか……。
先にアポを取っているので、指定の場所へと歩みを進めた結果が、医師の人が駐屯している部屋だった。
患者が入っていい部屋ではないのだろうけど、インターネットを使うには、ここの部屋かナースステーションかの2択。さすがの私もナースステーションはご遠慮してしまうので、他の先生がいないとき限定で、使わせてもらっている。
遠慮がちに扉をノックをしてみる。
返事がない。ただの屍のようだまる。
…………。
何度もここで使わせてもらっているのだから、私も同じネタ繰り返すのはやめてみてはどうでしょう。などと自問して自答はせず、勝手に扉を開けて中へと進入を試みた。
中には赤い髪がトレードマークの不良医師、門脇恭子大先生がなにか資料を見ながら、真剣に考えている。中の内容がプライバシーに関わるモノだとしたら、私が見てはいけないので「失礼していいですか?」っと、声をかけておく。
「あぁ、ちょっと待ってくれ」
手に持っていた資料を机の引き出しに仕舞い込んで、部屋の中央に掛けられている時計を確認した。
「もうこんな時間だったのか」
学校の職員室に置いているようなシンプルな机が4つずつ向かい合うように置かれていて、そのグループが6つほど出来上がっている部屋に先生が1人だけ。
休みの先生も居たり、救急患者で出払っていたり、外来患者の診察であったり、医師という職業は多忙を極める印象を受ける。
けれど、それ以外は和気藹々《わきあいあい》と仲良くやっているのも、見受けられるのだけど、この先生だけは1人でいることが多い。
朝の検診の時は看護士さんを連れて歩いているけど、それ以外はほとんど1人。
私が気にしたところで、なにかが変わるということもないけれど、大好きな担当医さんともなれば、少し気になってしまう。
大好きって言うのは内緒でお願いします。
「パソコン。使うんならこっち来いよ」
窓際の一番奥の一角が先生の机。
日当たりのいい席な割りに、背中に本棚が設置されているので、なにかと人通りが多そうで、気が散って落ち着けなさそうな場所に到達しないといけない。書類がどっさり山積みされている机などに当たらないよう、慎重に先生の隣へと向かったのだった。
精密検査の書類と定期検診のデータ用紙を、机の上に広げて、あっちを見たらこっちを見てを繰り返す。
結果を言えば変わらない。
なにをどう足掻こうが、死に直結する。
ただ、生存確率を1%でも上げることが出来ないか。患者の負担を低減する方法がないか。背中にある本棚から医療関連の本を手にとって、大雑把にページを開いて読みふける。
そして、本を元に戻して、机に帰還。なにか良い案がと思ってみたのが間違いだった。
机に肘を置いて、頬に手を添える。
外の景色を眺められるこの席は私は嫌いじゃない。そして、少しだけ昔を思い出してしまった。
彼女の担当医になって数年になる。
それだけの時間を共有しているというのに、彼女を救う方法が手術しか思いつかない。それも生存確率はとても低い。一種のギャンブルとも言える。
医者として最善を尽くした結果が彼女の死。
なんて笑い話にさえ出来ない。
他の医者達は笑い話なんだろうけどな。
死なんて嫌ってほど見てくるし、嫌ってほど身近な存在へと変化する。わたしだって何人もの死を見てきた。ただ、多くがご老人達で、言い方が悪いかもしれないが、人生のほとんどの時間を使い果たした、言わば寿命と言われてもおかしくない人ばかり。
今回はまだ15歳っていう、人生の半分も使っていない子供だ。なんとかして少しでも長く生きさせてやりたい。
当時のわたしは、先輩のベテラン医師に今回の手術をしてみたい。と相談したことがあった。答えは即答でNGが返ってきた。
わたしは「どうしてですか!」と、怒鳴り散らして、相談したベテラン医師に噛み付く。
「日本での成功例は1/20。そんな手術を誰が新人のお前に許可をすると思っている。医学生時代にお前が何人の命を救ったかはしらんが、人っ子1人のために、この病院の信頼を失えるか」
勝てば官軍負ければ賊軍。と手術の成功で、この病院はヒーロー扱いされるだろう。けれど、失敗すれば悪役に変化する。その比率が1:9。いや、それ以下かもしれない。
気が付けば先輩医師をぶん殴っていた。
「あんたはこの病院の保身だけしか見ないのか!? 可能性の低い患者は切り捨てて、可能性の高い患者だけ、手を施してヒーロー気取りかよ!」
その後は他の医師達に取り押さえられて、謹慎処分をしかと受け止めた。病院を追い出されるかと思ったけど、そこまで行かなかった。
わたしの過去の功績が役に立ったようだ。だけど、もう私に手術や大掛かりな処置以外は、寄り付こうなどと思う医師はいない。
「……相談できなかった」
食事のときのやりとりを思い返すと、相手のペースにやられっぱなしだったよな。
わたしも節目の歳を迎えようとしているのに。
やっぱり誰かを頼るのは、もうヤメにしよう。
私は気持ちを切り替えて書類の束を手に取り、いつ親御さんからお願いされてもいいように準備をしておく。
それが成功率を少しでも上げられる唯一の方法だと信じて、今は突き進むしかないんだ。
「失礼していいですか?」
声を掛けてきた少女を見やり、見せられない資料が机にてんこ盛り。
とりあえず「あぁ、ちょっと待ってくれ」と、手に持っていた資料の束を引き出しに放り込む。机の上の資料は、別の患者のモノなので、机の端っこに固めておくことにした。
約束していた少女に、こっちに来るように声をかける。
他の医師の机は資料や書類の山、わたしも人のことは言えないが、まぁ……片付いているほうだと自負しておく。
少女は机に当たらないように慎重に、こちらに向かってきた。
机の下に置いている、私物のノートパソコンを机に広げ、コンセントやLANケーブルを繋げていく。
普通はダメだが高校生ともなれば、勉強で行き詰ったりしても、親が教えることが出来るか? なんて疑問は出来ないほうが大多数だろうから、他の医師が出払っている時間だけ、使わせてやる約束をしていた。
「思春期だからって変なサイトにアクセスするなよ」
ニヤっと唇の端を吊り上げながら、からかい半分、注意半分。
「そ、そんなことしません!」
予想していた反応を見せてくれる少女に笑みがこぼれたが、服の胸の辺りが少し皺になっているのを見つけてしまい、気になったので声を掛ける。
「胸が痛むのか?」
少女は胸元を確認して「さっき中庭で散歩しているときに虫が服に飛びついてきたので、掴んで逃がしたからでしょう」と挙動不審な素振りで言ってくるから、わたしも「そうか」とだけ短く告げて、窓の外へと視線を向ける。
今日も変わりない風景が広がるなか、窓に映る少女を観察することも忘れない。
服の皺。彼女は虫を捕まえたと言ったが、皺が残るほどの力で握れば、虫も潰れてしまう。
嘘か本当かはわからないが、今まで以上に彼女の行動は注視しておくほうがいいだろう。なんて、考えを巡らせ、外を見ながら「タバコ吸いてえなぁ」とニコチン切れの禁断症状が姿を現した。




