選択
「刹那お兄ちゃんからお電話あったよ」
特に変わり映えしない翌日。
優香ちゃんは今日も私の病室で読書を嗜んでいた。
「ホントに!? なにか優香のこと言ってた?」
「ちゃんと良い子にしているかって聞いてきたよ」
まったくの嘘だけど小学校1年生には効果は大きく、「良い子にしてるしてる」と無邪気に声を荒げる。
「ホントかなぁ~ お野菜はちゃんと食べていますかぁ~」
子供ながらの嫌いな食べ物は野菜全般。それは優香ちゃんも例外ではなく、ピーマンや人参を代表にして、異種格闘技戦を毎日のように繰り返す。
「だ、大丈夫だもん! お野菜食べれるもん!!」
ちょっとからかい過ぎたようで、優香ちゃんのボルテージがヒートアップして、顔を真っ赤にさせている。
さすがに病人。しかも私と同じぐらいの重病人。あまり気を高ぶらせるのは体に負担をかける。
すぐに私は優香ちゃんの気を静めるように
「そうだね。もう1年生だもんね。ちゃんと刹那お兄ちゃんに良い子にしてるよって言ってるから大丈夫よ」
さらさらの髪の毛を装備した頭を優しく撫でてあげる。すると満面の笑みを浮かべ「えへへ」っと可愛らしく笑う。
そして爆弾発言。
「だって、良い子にしてたら、せつなおにいちゃんが結婚してくれるって言ってくれたもんね」
どうしましょうか。
1・1・0番にコールしましょう。此花女学院に変態女装ロリコン野郎が潜伏していますよって、公衆電話からだったら、私だってバレないと思うし。
「ゆきなおねえちゃんも一緒に結婚するんだよ? せつなおにいちゃんがナイジェンリア? にお引越しすれば、ゆきなおねえちゃんも一緒に結婚できるって」
小学1年生に一夫多妻制を進める15歳は犯罪者ですね。少年法? そんな法律は私の前では無意味と化しますので、あの馬鹿にぃさんは有罪確定です。
あぁ……。
学院で変なことをしたりしていないか心配。それに『花園楓』がにぃさんの正体を知ってしまったのは、良し悪しはあるが、まぁいいでしょう。
警察に突き出したりしていないのを見れば、おもちゃにする気なのでしょうね。安心ではないけど、当分の間の安全は確保できた。
「ゆきなおねえちゃん?」
考え事をしていて、ぼぉーっとしていたようで、優香ちゃんが私の顔を覗き込んでくる。
だから「私と優香ちゃんは幸せ者だね」っと、作り笑顔で返事をする。
「うん!」
無邪気っていいな。
なにも知らないっていいな。
兄妹じゃないっていいな。
ないものねだりとわかっていても願ってしまう。同じ年頃だった私は夢見る少女で、お母さんと一緒にドラマをよく見ていた。2人が苦難を乗り越えて幸せになるお話を見て、お母さんは涙を流しながら「いいお話だったね」と私に話しかけてくる。
小さい私は涙を流す理由がわからなかったけど、ドラマの2人は幸せになった。というのはわかった。
「ねぇねぇ、2人はお父さんとお母さんになったの?」
まだ恋人なんて言葉を知らないので、2人は家族になったと私は思った。だけどお母さんは「違うのよ」って言って「家族になる前の恋人になったのよ」と教えてくれた。
……恋人。
じゃぁ私と刹那は恋人なのね。勝手な思い込みをするのは未熟さ故の過ち。それを気づかないで「どうすれば恋人になれるの?」とお母さんに質問する。
「名前で呼び合うのが恋人かしらね」
と教えてくれた。
そうか、だったら私と刹那は『恋人』で間違いない。
私はドラマのように、いっぱい喧嘩したり、いっぱい仲直りしたり、いっぱい名前を呼んだりして、結婚して、ずっと一緒に居るの。
そんな小さい時の思い出が、大きなスクリーンに映し出されたかのように、鮮明に私の視界を覆い隠す。
そして、次の思い出に移ろうとしたが、大きく揺すられたような……。
「ゆきなおねえちゃん!」
切羽詰ったように、優香ちゃんが私の腕を掴んで、涙を流しながら揺すっていた。
どうしてこの子はこれまでも取り乱しているのだろう。それが不思議で、私は隣で涙を流している少女を見つめる。
「だいじょうぶ?」
大丈夫と聞かれても、なにが大丈夫なのかが全然わかっていない。
私になにがあったかは時計が教えてくれた、なぜか時刻が瞬間移動でもしたかのように、十分ほどの時間が過ぎ去っていた。
あれ? 空白の時間が存在している? 少し浦島太郎の気分を味わう。
「うん。ありがとうね」
もし、誰もいなかったら。と、考えてみたけど、特になにも感じなかった。ただ、もう少しだけ生きてはいたいな。
もう少しってどれくらいかと言われれば、もう少しとしかいいようがないです。
自分の体のことは自分が1番わかるんですよ。
私に残された時間はほとんど残っていないんです。
「今日もこちらにいらっしゃったんですね」
車椅子のお姉さん、ちさとさんは今日も屋上に来ていた。
「今日からリハビリだからね。今日も時間があるんだよ。お話に付き合ってくれるかな?」
「えぇ。お付き合いします」
ちょっと上から目線だったかな。
それを気にした様子もなく、ちさとさんは言葉を吐き出していく。
今日の朝の出来事や昔話など他愛もない話、やんちゃしていた時の話なんかは、私なんかには到底、飛び込むことのできないような世界のお話だったから胸を躍らせた。
「つまらない昔話とかごめんね」
「いえ、私には経験できないだろうなってお話ばかりで面白かったです」
素直な気持ちを伝えるけど、ちさとさんは少し顔を下に向けてしまった。
「ここからは少しだけ真面目なお話だけどさ。いいかな?」
私は小さく頷いた。
「私の足が動かなくなったのと一緒に、親友も無くしたんだよ。どんな理由だと思う?」
どんな理由って問われても、足が動かなくなった理由と関係があるものと思った私は「なにか責任を感じて会いづらいのでは」と答える。
ちさとさんは「残念」と短い単語で間違いを指摘してきた。
では、他にどんな理由があるんだろう。
「正解はね……2人して同じ人を好きになっちゃっただけでした!」
と、遠くを見ながら笑う。
「それが私の旦那ってだけ。落ちがなくてごめんね」
それ壮大なオチがありましたね。
要約すると、2人で男性を取り合う形になって、ちさとさんが勝った。それを機に2人は疎遠になったと。
どこのドラマ事情なんでしょうか。そんなデンジャラスな展開を青二才の私には、アドバイスなど出来るはずもないのに。
「ん~スッキリした!」
と背伸びをして、ホントにスッキリした顔しているから、私は困惑するんです。
「仲直りしたいとか思わないのですか?」
普通なら、そう思うのだろうけど、この話の2人は違うようで、私にはあまりにも理解し難い。
「喧嘩もしてないのに仲直りって言われてもねー」
「ですけど、仲違いしているではないですか」
「確かに疎遠にはなっているけど、私はあの子の為ならなんでもするよ。ま、幸菜ちゃんにはまだわからないだろうけどね」
なにか含みのある言い方だったけど、そこにはなにも触れず、にぃさんを思い浮かべていた。
また、にぃさん。
おめでとう。にぃさん。
あれから、なにが変わったと言われれば、なにも変わっていない。ただ自分の気持ちを封印しただけで、私には同じ日常が続いている。
「ねぇ、幸菜ちゃんはもうすぐ死んじゃったりする?」
唐突な質問だったけど、私は「えぇ」と即答した。
なにも隠すことではない。
死とは生物と呼ばれる生命体に、必ず訪れるので私は素直にそれを受け入れる覚悟は持っている。
「足掻いたりしないの?」
「足掻いて、どうなるという話ではないので」
無機質な回答を続けていると自覚している。
だって
「足掻けば足掻くほど家族を苦しめちゃうんです。私の治療費を稼ぐのに、お母さんとお父さんは朝から夜までお仕事。私の面倒を見るために毎日来るのにも時間を使う。そして……」
「お忙しい中、お呼びしてすみません」
「いえ、私達こそお任せしっぱなしで」
わたしの患者さんのご両親である。
今日は、患者さんには内緒で呼びつけて、容態の変化などを説明する予定だ。
ここで間違えてはいけないのは、ご両親を不安にさせない言葉の選別。1歩間違えれば、ご両親に精神科やカウンセリングをおすすめすることになってしまう。
わたしもカウンセリングの資格を一応は持っている。よく取れたよねって、大学の友人達は驚愕の表情で言ってくる辺りに殺意が芽生えた。
もし、わたしの患者になったら医療ミスと装って、胃カメラ飲ませまくってやると意気込んでいる。
どうでもいい話は去年に置いておく。
ご両親を呼びつけたのには、きちんと理由があった。
1つは近況報告。
「入院してからのデータがすべて出揃いまして、いくつかご報告をさせて頂こうかと」
この子は特殊なケースで、家にいるよりも病院にいることのほうが多い患者さん。1人の子が成人にまでかかるお金は3000万前後のお金を要する。だが、この子は治療費がさらに加わり、一般の子よりも、さらにお金がかかる。
金銭的なことなどは、少しでも先に言っておかないといけない。
「お嬢さんの状態なのですが、あまりいい状態でない。とお伝えしますが、明日、明後日で、どうこうというわけではありません」
真剣な眼差しだったのが、少しだけ安堵を見せる。
「ですが。前回の入院時よりも状況が芳しくありません。前回は体温、脈拍、血圧は常に一定でしたが、今回に関して体温は上がり、他の2つは徐徐に低下していっています」
「……それで娘はどうなるのでしょうか」
常に安心出来る状態ではなかったが、今回はさらに悪い状態である。
ご両親の表情は、わたしの言葉1つで喜怒哀楽が瞬時に変化する。
双子の兄に関しては健康体なので、放置プレイ真っ只中で女学院に放り込む。という暴挙を振るっているのに。
「このまま放置すれば、半年か1年持てば……良い方です。ただ、表面上にしっかりとした症状が現れていませんので、もう少しは伸びることもあるかと」
わたしは残酷な言葉を突きつけた。
涙を流すお母さん。
なのに、わたし達、医者は涙を流す行為は絶対にしてはいけない。諦めるわけにはいかないから。
そして、ここから本題。
「それで……です。娘さんに手術を施そうと思っています」
用意していたノートパソコンを2人に見せるようにして、ゆっくり、わかりやすく手術の内容を説明していく。
「手術の費用などは国からの補助金などを利用すれば、一般の方でも受けれる額になります」
金銭的な配慮も忘れてはいけない。
アラブの油田王のように、寝ていたらお金が湧いてくる人など、この病院の患者に存在しないから。
「でしたら、先生にお願いしたいのですが」
「成功率は5%です」
「「えっ!」」
ご両親が目を丸くする。
「アメリカで最先端技術を用いても10%あるかないかになります。さすがに補助金などを使えないので、莫大な金額が必要になってしまいます」
わたしの話を聞いてはいるのだろうが、心、ここに在らず。で少し放心状態。
「まだ娘さんには言っていません。ご両親から言いにくいようでしたら、わたしからお伝えもします。ですが、先にご両親の気持ちの整理を。と思いまして、先にご報告させて頂きました」
残酷な宣告。
1年の死か手術で死ぬか。成功すれば見返りは大きく、数十年は約束されるだろう。
「わかりました。少しだけ考えさせてもらいます」
「ご連絡はいつでも構いませんが、出来る限り迅速にご回答をお願いいたします」
失礼します。と、ご両親が退席していく。
お父さんのほうは安定していたけど、お母さんのほうは大丈夫だろうか。
はぁ。少し緊張した。
こういうのは、いくら経験しても緊張はするし、患者の家族が涙を流しながら帰っていく姿が心を痛める。
「煙草、吸いに行くか」
ノートパソコンの電源を落として、部屋の明かりのスイッチをOFFにする。そして、扉を閉めて深呼吸。
武者震いだとでも言うかのように、わたしの手は震えていた……。




