4月の出来事
もし、この世に神様が存在するのであれば、私は文句の1つや2つを言ってあげたい。
産まれた順番が違えば。どうして双子で産まれたのか。産まれた瞬間から、私は不満があったみたいです。
1500グラムで産まれた私。
それなのに、先に生まれたにぃさんは3400グラム。にぃさんが私の分の栄養を奪っていったに違いない。
未熟児。
その体には持病が備わっていて、私の場合は心臓に欠陥が見つかった。
小さな時の写真を見たら、アンドロイドにでもなったかのように、鼻などにチューブが取り付けられている。でも、その隣には絶対に一緒に写っている人がいる。
どの写真を見ても100枚に99枚は写っている人。
双子の兄で私の初恋の人。
そのにぃさんは今、此花女学院に女装して、私の代わりに授業を受けている。
心の休まる時がない。
病室の窓から4月の冷たい風と一緒に、桜の花びらが舞い込んでくる。
「にぃさん、大丈夫かな」
心配しても、なにも始まらないけど、あのにぃさんなので、トラブルに巻き込まれていないか。など、気になってしまって……。
コンコン。
こちらの返事を待たずに、扉が開ける大人は1人しか身に覚えがない。
「よぉー。ブラコン妹」
主治医の門脇先生。
まだ20代という見た目だけど、心臓病に関する分野では、名前を知らない人はいない。とかなんとか。
赤く染められた長い髪が特徴的で、ラフな物言いが患者さんには好評らしく、この病院では人気が高い。
そんな先生だけど、窓に肘をついて、ポケットからタバコとライターを取り出し、吸い始める始末。
「ここ、病室ですけど」
「そだな」
カチンっ! とコンビニの100円ライターよりも大きいライターの蓋を閉め、ポケットにしまう。
「で、どうっすか。体調」
「煙たくて死にそうです」
「口は問題なしっと」
先生の口が煙突だとしたら、サンタクロースも遠慮したくなるほどの、煙が吐き出されている。
風に乗って、タバコの臭いが病室に充満していく。
個室なので、私だけしか患者さんがいないことをいいことに、よくここでタバコを吸いに来る。
主流煙(フィルターを通して、体に入る煙)よりも副流煙(フィルターを通さない煙(火種の煙))のほうが体に悪いぐらい、医師じゃなくても知っていること。
それを気にもしないとは、お医者さん失格だと思う。
「スプリンクラー作動しますよ」
「大丈夫。センサーの電源落としてきた」
ホントは人間として、失格だと言ってあげたい。
「ま、冗談はさておいて……だ」
ポケットからステンレス製なのか、銀色に光る携帯灰皿を取り出して、タバコをギュっと灰皿に押し付ける。
白く漂っていた煙が冷たい風に乗って、かき消されるも臭いだけは、すぐに消えてはくれない。
「呼吸が乱れたり、胸が痛くなったりはないのか?」
医者としての質問をしてくるのに、時間にして数十分は要したのは……以下略。
「どちらも感じないです」
「そうか」と、私のおでこに手を添えて、体温を計ってくる。
昔ながらの測定方法だけど、私はこれが好きだったりします。
人の手が暖かい。というのは本当なんだと実感できる、数少ない瞬間だから。
「熱もないみたいだな」
特に問題は見られないのは、良いことでもある一方で、いつ同じようなことが起きるかわからない。と、言うことでもある。
私が入院することになった原因。それがはっきりしないからだ。
階段から転げ落ちた時、ふわっと足が軽くなった。
眩暈や体のダルさ、なんかは一切感じなかったのに。
「4日前のような症状は出ていない。それでいいな?」
「はい」
そう。体は好調をキープしている。
表情やしぐさには出してないけど、お腹の中ではムシャクシャしていて、今すぐにでもにぃさんと入れ替わりたい。
「もうすぐしたら、精密検査の結果が上がってくるから、それを見て考えるか。それじゃぁな」
と、病室を後にした……瞬間に廊下から罵声が飛び交うのは、もう日常と化している。
ホント……。
朝の定期健診も終わった時刻を見計らって、小さな来訪者がやってくるのも、日常になってしまった。
ノックも無しに扉が開くときはこの子。
「幸菜おねえちゃん」
日差しを浴び、髪の毛が少し茶色に見える幼女。もとい、優香ちゃんがいつものように、プリントと筆記用具を持って、部屋に遊びに来てくれる。
小学校1年生の少女は、病院という退屈な鳥かごの中で、私と同じように生活している仲間とでも言えばいいでしょうか。
「おはようございます。優香ちゃんは、今日もお姉ちゃんに答えを教えてもらおうとしているのかな?」
「ギクッ!」
と、擬音までも声にしてしまう可愛い子です。
知り合って、もう1年は経つのに見ていて飽きない。
窓を開け放っているから、小さな体には堪えたようで、小刻みに体が震えだす。
「いらっしゃい。一緒にお勉強しましょう」
パァー。と季節はずれの向日葵のように、私に笑顔を見せてくれる。小さな歩幅ながら、しっかりとした足取りでベットに到着すると「どっこいしょ」って、お年寄りのようなセリフを吐き出した。
私の隣に来て、お布団の中に足を突っ込み、冷たくなった足で私の足をサンドイッチ。
小さい子のしぐさって、意表を突いて来ることが多いので、私は好きだったり。
「幸菜お姉ちゃんの足って、とってもあったかいね」
「ずっとお布団の中に居たからよ」
そう。階段から落ちてから、歩くのが怖い。
死ぬことの恐怖よりも、また誰かがいなくなるのが怖くて堪らない。
もし、階段から落ちていなくても、私は刹那の前から消えていたけれど、それは私自身が決めたことであって、要らぬことで刹那にまた迷惑を掛けてしまった。
隣で筆箱から可愛いキャラクターのイラストがラッピングされている鉛筆を取り出して、算数の問題を解こうと鉛筆を握る手に力が篭る。
10+4=
この問題を解こうと、1つ……2つ……。指折りで数えていく仕草が……萌えポイントになって、さらに
「幸菜お姉ちゃんの指も使わないとわからないよ」
優香ちゃんの困る顔を見ているのは面白いけど、お勉強にならなかったら、本末転倒なので両手を広げているところに、私の手を貸してあげる。
そして、やっと答えを導き出す。
「15だよね!」
自信を持って言われてしまう。貸した手……すべて使いきるのはいいけど、答えが違うのはどうかと突っ込みどころが満載です。
がんばって算数のプリントを終わらせ、すぐにお昼寝に入る。私の隣で寝ているのにも訳がある。
髪の毛を梳かしてあげながら、この子の気持ちを私は受け止めてあげることしかできない。
この小さな体は、いつ滅んでもおかしくない状態を綱渡りしている。私も一緒。明日には心臓が止まっていてもおかしくない。
だから、この子の気持ちは痛いほど伝わってくる。
私の場合はにぃさんが傍に居てくれた。どんなに辛くても、もう死んでもいいや。って思ったときも、学校が終わったらすぐに、私を笑わせてくれた人が近くにいてくれた。
優香ちゃんの支えは、私なのかもしれないと思うと、できる限りお姉さんをしてあげたい。
「はぁ……」
溜め息を1つ。
にぃさんは無事に学院生活を送れているんでしょうか。
………………。
心配するだけ無駄な気がしてきました。
コンコン。
「どうぞ」
背丈は170cmぐらい、女性にしては背が高くて、髪の毛はセミロング。美人と思いきや可愛らしさも兼ね備えている、看護士さんの葉月さん。
「優香ちゃん来てる?」
「ここで眠ってます」
葉月さんが優香ちゃんの眠っている姿を見て、小さく微笑む。
「夜、眠れないって夜勤の人から、申し送りがあったからよかったわ」
体温計を優香ちゃんの脇に入れて、定期的な検診をする。
「幸菜ちゃんも測ってくれる?」
胸ポケットから、もう1つ体温計を出して渡してくる。
……。
ほどよく膨らんでいる胸が羨ましい。
体温計を脇に入れる時に、自分の胸を見て、もう1度、溜め息。
目玉焼き程度のお粗末な胸。女性としての魅力が6割減している胸。
お風呂でおっぱい体操をし続けて、2年も経つというのに。
「幸菜ちゃん。どうかした?」
視線がおのずと、葉月さんの胸を捕らえていた。そして、気づかれるんです。
「幸菜ちゃんも、まだまだ成長期だから大きくなると思うよ」
ニコニコ。その笑顔が辛い。
私達の気持ちもわからない癖に!?
ドジョウ釣ったら金をくれ! って家のない子も言っていましたしね。
隣で寝ている姫様は、体温計の音がしても目覚める素振りはなく、体温計を抜いて葉月さんに手渡す。
私のほうも、音が鳴ったので抜いて体温を確認する。
37度5分。
体温に敏感な体をしている私が、なにも気づかなかった。
「ん~。幸菜ちゃん、体はダルいとかはない?」
朝、先生が見たときは、何も言ってくれなかった。
それは問題がなかった。と、考える。
だけど、今の検温では微熱があった。
私の中でなにかが変化して行っている前兆だと考えるのが妥当。先生は黙っているけど、病状が進行していっている。
やっぱり私は死……。
「じゃあ先生に言って、風邪薬を処方してもらおっか。37度だったらすぐに治っちゃうよ」
笑顔を絶やさないのが、天使と言われる由縁だと思う。それはそれで悲しいけれど、今はそれだけでも少し嬉しかった。
「すぐに先生に見に来てもらうから、優香ちゃんのことお願いね」
葉月さんが扉を閉めて、先生への報告に向かっていくのを、私は見つめるだけしかできない。
覚悟はもうできている。
15年もこの体と向き合っているんです。生死の境を彷徨ったりもしたので、今回も同じなだけだ。
にぃさんが居なくてよかった。
静かな病室に、小さな寝息。
1人で寝るのが怖い優香ちゃん。
私も、優香ちゃんぐらいの年頃の時は同じだったっけ。怖がっている私を、にぃさんがこっそり隠れて一緒に寝てくれた。そして、朝になって看護士さんに怒られたり……。
最後ぐらい……刹那のいない場所で死んでみたいな。
彼女がわたしの患者になって、4年が経とうとしていた。
医者になって4年目、まだ未熟者。だけど、手術の経験で言えば、中堅の医者よりも遥かに上だと自負できる。
そのおかげで今ではちょっとした有名人のような扱いをされ、患者さんからの指名があってこっちはホステスではない。と、言ってやりたい。
それはさておき、朝の検診の前に彼女の病室に行くのが日課となっている。
意識をなくして、階段から転げ落ちたと聞いている。目に見える変化があると思ったが、特にそのような点はない。
体温も正確ではないにしろ、平熱に近かった。
目に見えない変化ほど怖いものはない。
患者の変化は、看護士に聞くよりも、自分で見るほうが確実で見逃しが少ない。
外来の外科の一室。
大学病院のように大きくないにしろ、大型から中型の間ぐらいの規模の病院であるために、患者が途切れることが少ない。
まだ新米のわたしは、外来業務をこなしつつ、受け持っている患者のことを考えている。
「タバコ吸いてぇ……」
周りに聞こえない程度に叫んだのに、しっかりと看護士には聞こえていたようで、仕事しろよ。っと睨んできやがる。
「あの先生、ちょっといいですか」
「なんだよ。ちくしょう」
ちょっと不機嫌そうに言えば、さっさと言って消えてくれるだろう。
「411の立花さんなんですけど、37度5分と少し微熱があるんですけど、どうしますか?」
「検温時間は?」
「15時に優香ちゃんの検温と同じに測ったんですけど」
時計を見ると、検温から15分ほど経っていた。
「あんがと。こっちで処方しておく」
「わかりました」と看護士が引き下がっていく。
ちょっと気になるな。
外来の交代が17時。それから、ちょっと顔出してみるか。
マウスで次の患者のカルテを呼び出し、看護士が患者を呼びにいく。
頭の隅に幸菜のことを留め、外来の患者を診察していった。




