One More Chance②
リーサは、被害者であるなぎさに頭を下げた。
リーサには、なんのメリットもない行為。でも恋にメリットもデメリットも関係はなく、好きになると言うことは好きな人に尽くすことなんだと思う。
それが正解なのか間違いなのかは、他人の俺がどうこう言えるはずもなく、リーサを見守るしかできない。
後悔先に立たず。フラグは先に立ってへし折られるのに、後悔は先にへし折ることは出来ない。という、ことわざである。
それを実践するかの如く、早川という男はリーサの優しさ踏みにじる、悪しき人間だった。
「お前の指図をどうして聞かないといけないんだ!」
火山灰が降り注いでもおかしくないぐらいに、気持ちを高ぶらせる早川の顔に『教師』の仮面はもう、存在していない。
狂気が宿る瞳がなぎさを捉える。
早川が動き出すより先に、俺はなぎさ達の前へと立ち位置を変えておく。
「ちっ!」
舌打ちの音がこっちにまで聞こえても、気にならないらしく悪役まっしぐら!
「こちらも先生の良いように動かれては、大切な人は守れないので」
それでも諦めが悪いのが悪役なので、大人しくはしてくれない。
捌け口のない怒りに身を焦がし、焦がしつくした身体は、新しく焦がせる者を求める。
だけど、それは叶わぬ衝動となり、なにか幻でも見ているかのように固まった。
なにごとかと後ろを振り向くと、メイド服を装備したメイドさんの隣に白衣を装備した女性が立っている。
「こんばんわ」
誰に向かって言われた挨拶かは、言わなくてもわかると思うので省略するとしても、だ。
どうやって雑誌に登場していた人物を、なんの苦もなく引っ張ってこれるのだろうか。
天下無敵の花園グループでも、ここまでの行動力はさすがの一言に尽きる。
「先輩。足のほうはどうでしょうか」
白衣の女性は、震える手で白衣を掴み、勇気を振り絞り優しく問いかけていく。
「学校の先生は楽しいですか」
今、思いつく言葉を問いかけているのだろう。そして、嫌な過去と対峙しているに違いない。
1歩、そして1歩、確かめるように。怖がらせないように進んでいるのが伝わってくる。
彼女はもう罪を償った。と、俺が言ってもいいのだろうか。だから、許してあげて欲しい。
それを言うだけなら簡単だが、早川、本人が許さないかぎり、2人の罪と罰は消えることはない。
「私、先輩が陸上部の顧問をしてるって聞いて、嬉しかったです。先輩だったらいい顧問の先生になっているだろうなって」
その言葉を聞いて、俺はなぎさを見る。
なぎさも俺を見ていたようで、視線がぶつかり逢うと口だけを動かして「なにも言わないで」と伝えてきて、俺はそれにうなずいた。
「なにが……いい顧問になっているだ! 今更になって、俺の前に現れやがって!?」
リーサの次は女医さんを標的にしたようです。
「あいつとお前は俺を見て笑っていたんだろ!」
「あいつって……もしかして川口先輩のこと? あれは違うの! 私が先輩と話がしたいって言ったら……」
「キスするのか!!」
もうなにがなにやら、さっぱりわからない。
当事者でない俺達は、2人の過去を知らない。ただ、すれ違いが発生しているのは、2人の会話から察することができる。
「違います! 確かにキス……されました。けど! 私は川口先輩に気持ちはなかった。私は……早川先輩が好きでした!」
色恋沙汰の果てがすれ違い。
早川の偽りの行為がすべての元凶の引き金となった。
嘘をついた見返りが、彼女は離れ、リーサ・なぎさ達を痛めつけて快楽を得ることで自分を慰めた。
「嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……嘘だ……」
女医さんが手を伸ばしながら近づいていく。
30m。
それが今の2人の距離。
近くて遠い距離でありながら、手を伸ばし掴もうと前に進むだけ。それだけで彼女が戻ってくる。
なのに!
「嘘だぁあああああああアアアアアアアアああああああああああああアアアアアアアアああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああアアアアアアアアああああああアアアアアアアアああああアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
彼女を背に逃げ出した。
「馬鹿! 戻って来い!?」
そんな言葉もう通じる距離になかった。
走るスピードが常人を超えており、さすがオリンピックを狙えると言われた男。
「早く追って!」
なぎさだった。
「なぎさお姉さま、なにを言っているの! あいつは」
凛ちゃんの言葉を遮ってまでも唱え続ける。
「早く行って!」
自分よりもあいつのことを思う……か。
あいつになにをされていたのか忘れたのか。と、突っ込みたくなったけど、俺はなぎさの言葉に頷いて、走り出した。
「あなたってホントに走るのが好きみたいね」
隣に並ぶ楓お姉さまから嫌味と取れる愚痴が飛んでくる。
「そうみたいです。けど」
サラブレッドのような足抜きの良さ。そしてスピードで走られては、追いつくどころの騒ぎではなく、離されていく一方。
逃げられる!?
どれだけ早く走ろうとしても、これ以上のスピードは出せないと身体が悲鳴を上げる。
隣を走る楓お姉さまも同じようで、いつもクールな顔をしているお嬢様も、今は大きく口を開けて、大きく深呼吸しながら走っている。
2人してこれでは。そう思った瞬間だった。
サラブレッドを上回るスピードで俺達の横を走りぬけるチーター!
「リーサ!」
一瞬にして抜き去り、激痛に顔をしかめながら、獲物を追い詰めていく。
早川が振り返る。そして、驚愕するのだ。
俺達ではなく、東野リーサが自分よりも早いスピードで追いかけてくる恐怖に。
そして、チーターは獲物を捕らえる。
リーサの手は早川の腰を捕まえ、2人して地面に叩きつけられた。
リーサは痛む足を庇うこともせずに、馬乗りになって早川を見続ける。
「東野。僕が好きなんだろ? だったらそこを退いてくれ。頼む」
哀れだな。
俺はそう思った。
リーサは涙を流していた。
失恋の痛みに。
足の痛みに。
そして
「女舐めんじゃねぇぞぉおおおおおおおおおおおっ!」
早川の顔を平手ではなく、グーで殴りつけた。
女の意地の一撃を受けても、早川はリーサを振り落とし逃げ出す。
俺と楓お姉さまは膝を抱えている、リーサの下に駆け寄って逃げ出す早川の背中を追いかける。
「お前かぁああああああああああああああっ!」
ヤクザがいた。
スキンヘッドにサングラスにスーツ。
うん。どこからどう見てもヤクザだった。
走って早川に近づくと止まることなく、豪腕ラリアットを繰り出す。
一瞬にして、地面に叩きつけられた早川はピクリとも動かない。
死んだ。
絶対に死んだ。
ゴンッ! って鈍い音が俺の鼓膜を震わせた時点で、早川は天に召されてもおかしくない。
それにだ、ヤクザの後ろからスーツ姿の人が何十人と迫ってくるではないか。
やばい。マグロ漁船ならともかく南港の海にコンクリートで足を固められて、魚の餌になりかねないぞ。
「いい気味ね」とさっきまで走っていたとは思えないクールな顔で、終幕を飾ろうとしている。
いや、あいつってなにかやっていたんですか? となにかは伏せておくことにしてもだ。
スーツの人達は誰なんだろうか。
それはすぐに答えが聞けた。
「警視総監殿!」
………………?
今の聞き間違いだと誰か言ってほしいな。
警視総監って警視庁の最高位じゃないか! こんなヤクザが最高位に居ていいのかよ!?
威厳ってのは必要だと思うよ。でも、威厳と威嚇は違うと思うんだ。
「あれ? パパ?」
いつの間にか、なぎさが中村さんにおんぶされながら、後ろにいた。
「パパ?」
聞いてはいけない単語を聞いた。
「あのヤクザみたいなのが、私のパパ」
娘もヤクザみたいって言っちゃってるのは、親として改善の余地があるんじゃないでしょうか?
「いつも思うのだけど、警視総監って顔じゃないわよね」
楓お姉さまは面識があるようで、俺の意見に賛成票を投じてくれた。
ヤクザ……なぎさのパパリンはなぎさを見つけると、こっちに猛ダッシュしてくるのが、さらに恐怖を醸し出して、雛は恐怖のあまり腰を抜かして涙を流しだした。
バイオハザードのタイラントが走ってくるの……怖いもんね。
「ナギサァああああああああああああああああああああああ」
我が娘の一大事に駆けつけ、一撃で犯人を静めるかっこいいお父さん。
それに対して、なぎさは
「パパ、怖いから」
と、軽くあしらうのであった。
今は部屋のベッドに寝そべっている。
あのまま、あそこにいるのはなにかと面倒。ということなので、俺だけが帰宅することになった。
「んだけどなぁ……」
だからと言って眠ることも出来ず、なにかやろうとする気にもなれない。
なぎさの足のほうも気になるし、リーサも……。それに幸菜が捕まらないのである。
先ほど、電話をしてみたがコールはするけど、電話に出る気配がなくメールも何通も出してみたが、結果は同じ。
夜の11時だが、幸菜はこの時間に絶対にやっている事があるので、電話やメールに気づかないってことはないはずなんだ。
なにかあったのかもしれない。嫌な予感がモヤモヤした気持ちを増幅させてくれる。
目を瞑って、寝てしまおうか。
もし……だ。幸菜が死ぬ。なんてことがあれば、すぐさま電話がかかってくるはずだ。
それがないってことは、まだ。大事には至っていないと良い方向に考えておいて。
「寝る!」
瞼を閉じて、心を落ち着かせる。
カチカチカチカチ……。
頭の上に置かれている目覚まし時計の秒針が、俺の眠りを妨げる。
いつもは気にしない、小さな音が今日に限っては大きく聞こえてくる。
やっぱり気になって眠れやしない。
ベッドからいきおいよく出ると、生徒手帳を握り締め、廊下へと足を運ぶ。
深夜の寮の静けさと言ったら、上映中の映画館のようで、誰かがいるのはわかっているけど、妙な視線に落ち着かない。
就寝時間を過ぎて1時間は経つので、寮長の独身貴族の先生もすでに御終身……。間違えた。御就寝なさっているに違いない。
エレベーターは停止しているので、6階から徒歩で下まで行かなくてはいけない。
まぁいいか。
身体を動かせば少しは睡魔も襲ってくるだろう。
普段はしない手すり滑り台でスルスルーっと滑っていく。木目でしっかりとコーティングされているので、滑りやすいだろうなぁ。と思っていた。
俺の予想通りにことは進み、歩くよりも速く、そして楽に……予定通りには行かなかった。
玄関すぐ横の自動販売機に生徒手帳を押し当てる。ピッという音が鳴り、ボタンを押せばすぐにでも缶コーヒーが出てくるのだが……。
「今日はこっちかな」
ガコン。ガコン。
ペットボトルを2つ取りあげて、中庭のほうへと進んでいく。
花が散って、枝葉だけが残っているだけの桜並木に並べられているテーブルに腰を下ろした。
特に懐かしむ思い出もないが、ここがなんだか落ち着くと感じた。
ペットボトルのキャップを外し、口に運ぼうとしたら、綺麗で華奢な手が伸びてきて、スポーツドリンクを掻っ攫い、なんの躊躇いもなく自分の喉を潤す。
ゴクッ。ゴクッ。
喉を潤す音が、俺にまで聞こえてくるのは、女の子としてどうかと。
「ぷはぁー」
どこぞの酔っ払いのおじさんがビールを飲み干したときに出る一言を、スポーツ飲料でされても反応に困ってしまう。だから
「なぎさ……おかえり」
振り返ろうとすると、1つの椅子に2人が座るという暴挙に出た挙句に、背中合わせで『こっちを見ないで』と言っているようなものだ。
だけど、俺は否定せずになぎさの我侭に付き合うことにした。
「うん。ただいま」
足の具合はどうなんだろう。
あと、一週間もすれば全国大会予選でもある、県大会が待ち構えているのだ。
なぎさのがんばりを無駄にしたくない。
「パパがさ……転校させるって」
さすがにそうなるだろう。
大事な娘が傷つけられたのに、黙ってみていられるほど、親って生き物は沸点が高くない生き物なのだ。
「でもさ、私はここに居たいの」
だったら、俺の出来ることはなんでもするよ。
そう言ってあげたいけど、俺の中でちょっとした決意があった。
雛子のときもそうだった。
俺が男だってことで、2人を危険に晒したのだ。ここに居てはまた、誰かを危険なことに巻き込みかねない。
「だからお願い! 私を助けて!?」
両肩に手が置かれ、背中に顔を押し付けている。
いつも笑っていたなぎさ。その裏には彼女のがんばりがあった。
ガラス戸割って部屋に入ったときにわかったことがある。才能の裏側は才能だったということ。
才能とは?
誰もが思ったことがあると思う。それはなにか1つのことが誰かよりも優れていることだと、誰しもが思っていることだろう。
はっきり言えば、プロはみんな才能があるということになる。それは正解だと俺は思う。
才能とは続けた者のみが勝ち得た、天からの贈り物なのだから。
続けもしない人間が「あの子は才能があるから」と、逃げの言葉に使っただけ。
1人のプロレスラーがいた。
彼は一流企業に就職するも、プロレスへの熱意を忘れることが出来ず、彼はプロレスラーへの門の扉を開けるため、弟子入りを志願した。
だが、デビュー戦は負け、それからも負けを刻み続ける。
しかし、彼は練習だけはやめなかった。
ゴールデンウィークだろうが、お盆だろうが、お正月だろうが……。
師匠が彼を見てこう言ったのだ。
「休むのも練習のうちだ」
彼はその日は休んだ。
次の日は練習。ひたすら練習。
それを見ていた中堅レスラー達は、彼を見て笑うのだ。そんなに練習してどうなると。
しかし当時、三大レスラーと称された人間だけは違った。
「おまえら笑ってるけど、今にこいつに食わせてもらう日が必ず来るぞ」
とまで言わしめたのだ。
そして、彼は伝説を作っていく。
人気が出ても、彼は変わらなかった。
練習。練習。練習。
頂点に上り詰めても練習し続けたのだ。
彼の愛称は複数存在し、どれも彼にぴったりだった。
『絶対王者』『ミスタープロレス』
なぎさも同じだ。
部屋にはバランスボール、ダンベルなど、家の中で出来ることを彼女はやり続けている。
彼女はスポーツの『センス』があり、才能を得た。だから勘違いされることが多いだけだ。
だけど、俺は……。
才能を捨てた男だ。
ただの変態女装男子になぎさを助けることが出来るのだろうか。
「考える知恵もないのに、ウダウダ考えるのだけは一人前なのかしら?」
テーブルの上に置いていたスポーツ飲料を掴み上げ、黒く腰まである髪が特徴的で、ドが100個ぐらい必要なぐらいのSっけのある俺のお姉さまが居た。
スポーツ飲料のキャップを開けて、一口、二口と喉の乾きを潤すと、隣にいる少女にスポーツ飲料を渡す。
「ここで逃げるのは、私のおねにいさまではないのです」
と両手でボトルを握りながら、小さな唇でスポーツ飲料をコクコク。
小動物でも見ているかのように、愛嬌があって落ち着きを分けてくれる、俺の大切な義妹。
「でも、凛ちゃんが黙ってないでしょ? もう男だってバレてなくても、調べられたら終わりじゃ」
「影武者を使っておりますので、それは問題ありません」
突如として現れてくれるメイドさん。
もうどこからでも現れてくださって下さい。
「ご実家の近くの私立高校に籍を置いて、影武者を通わせていますので、まず怪しまれることはありませんよ」
俺の知らない所で色々な戦略が繰り広げられているらしい。
ここまで応援してくれている人達がいるのに、もう否定できないじゃないか。
「俺なんかでよかったら、なぎさのサポートさせてもらえるかな」
「うん! よろしくね」
こうして、嵐のような一日が過ぎ去ったかのように思えた。
どうしてこんな事態になったんだよ。
俺の部屋のベッドに俺を含めた4人が横になる。というハーレムな展開が、なぜか繰り広げられていた。
「なんで自分の部屋に戻らないの」
「私の部屋は誰かに、テラスのガラス戸を割られた」
「私は申請が今日までなのです……」
「面白そうだからかしら」
一番最後は本心丸出しなんですけど!?
誰か突っ込んでやれよ。
それに誰が楓お姉さまの生贄になるんだろうか。一番怖いのはそこなのである。
でも、たまにはこんなこともいいかもしれない。
友達がいなかった俺には新鮮で、ちょっと嬉しかったり、柔らかい果実が背中に当たる感触が気持ちよかったり……ニコニコ。
「それじゃぁおやすみぃー」
「おやすみなさいなのです」
「おやすみなさい」
「………………」
10分後……
すぅ……すぅ……。
ん。ん~。
「お姉さまぁー……」
色々と気が高ぶって寝れるわけないだろがぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!




