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One More Chance①

 夜の学院は物音1つもしない空間と化していて、人がいるような雰囲気は、これっぽちも感じることができない。

 だけど、正門には施錠されておらず、まだ誰かが学院ないにいることを証明していた。

 楓お姉さまと凛ちゃんが付いて来ており、施錠されていない正門の前で目配せをしてから、正門をスライドさせた。

 30年という年月が経っているにも関わらず、正門は悲鳴を上げることなく、それほど力を入れなくても開いてしまう。

 正門を抜けると全力疾走で校内へと突っ走る。

 無駄に大きい校内なだけに探すのは苦労すると思っていたが、男性特有の低めの声が微かに聞こえてきた。


「運動場のほうね」


 さすが二人だと思う。

 男のスピードに付いて来るのは、無理だろうと思っていたけど、現役陸上部ならまだしも生徒会長が男の全力疾走に付いてくるのは、正直に凄い。

 速度を落とすことなくグラウンドに向かっていくにつれて、声も大きくなっていく。


「なに……い……れ!」


 なにやら早川が大声で誰かに怒鳴りつけている声だとわかるほどには近づいている。

 ちょっとは走っていればよかったなっと少し後悔。

 さすがに走りこんでいた時期よりも体力が格段に落ちていた。

 もうすでに肩で息をしている自分が不甲斐なく思う。

 だけど、走るスピードは衰えることはない。

 それだけは意地でも維持しなければ。その気持ちだけで足を動かす。

 そしてグラウンドに着いて、目を疑う光景が広がっていた。

 グラウンドに横たわる少女。

 それを罵って無理にでも走らせようとする教師。

 少女は足を押さえて、叫びたいほどの痛みなんだろう、顔が痛みで引きつっているにも関わらず、声だけは必死で押さえ込んでいる。


「なぎさ!」


「お姉さま!?」


 駆け寄ろうと足を動かした瞬間だった。


「来ないで!」


 なぎさは痛む足を気遣いながら立ち上がり、1歩、また1歩、走るとは到底言えない。赤ん坊のハイハイと同じぐらいの速度で進んでいく。

 なぎさに強い否定をされてしまっては……と思ったのだが、凛ちゃんが走り出していた。

 止めようと手を伸ばすも、その手は楓お姉さまに捕まれて阻止される。


「行かせてあげなさい」


 楓お姉さまの優しい声。

 ふだん聞かないような声に少し驚いたが、なにも言わずに凛ちゃんを見守る。

 ほんの50m先にいるなぎさを捕まえるために走った少女は、わずか数秒で自分のお姉さまの前に立ち、両手を広げ進路を塞ぐ。


「もうやめて!」


 なぎさとは10cmも差のある背丈を目一杯広げて、立ち塞がる姿は、その差を覆すほどの威力を持っていたに違いない。


 なぎさは凛ちゃんの前で立ち止まる。


「どうしてこんなことしているのかは知りません。でも、こんなことしてどうなるんですか!」


 どうにもならない。

 だけど、なぎさは少しずつ進んでいく。


「もうやめてよ! もうすぐ大会もあるのに、その足でどうするんですか!?」


「走ることよりも大切なものがあるのよ。まだあなたにはわからないと思う」


 弱々しい声に俺は返事をする。


「それじゃあ、その大切なものを壊して見せるよ」


 予測は付いている。

 あの時だってそうだったんだ。

 今回も同じだろうと言うぐらいはわかる。


「私、立花幸菜は『男』です。幸菜が男っていうのは誤解だけど入れ替わって男の俺が学院に来ている。これでいい?」


 と、いとも簡単に言い切ってみせる。

 凛ちゃんはなにを言っているのかわかっていないようなので、俺がここに来た理由を言ってあげた。


「どうしてそんな簡単に言っちゃうの!」


 凄い形相で睨んでくるけど、俺は冷静になぎさの問いに答えてあげる。


「俺にとってなぎさは大切な人だから」


 痛い足を庇いながら立っている姿を見るのが辛いから。

 早川も面白くない! とでも言いたいように表情を曇らせているのが見て取れる。


「ごめん。俺のせいで辛い目にあっちゃって……」


 それを告げるとなぎさはバランスを失った人形のように、崩れ落ちていく。それを、凛ちゃんがしっかりと受け止めてあげると、心配そうになぎさの足を見ている。

 なぎさの事は凛ちゃんに任せて、俺は早川に目を向ける。


「こんばんは、早川先生」


 頭は下げない。

 こんな奴に頭を下げる必要はまったくもって存在しない。


「お前の妹は、この学院に来れなくなったがいいのか」


「えぇ、構いません。了承は……取れるでしょう」


 ……たぶん。


「それにしても、友達のなぎさをよくも酷い目に合わせてくれましたね」


 正義のヒーローにでもなったかのような言い方をしたけど、これと言って意味はない。だけど、やらないといけないことがあるので、ここは時間稼ぎをしないといけない。


「だったらどうするんだ? 警察にでも突き出すのか? そうすればお前の身分も明かすぞ?」


 まだ脅しとして使えると思っているらしく、「どうぞ」とでも言ってやりたかったが、ここはグッと我慢しておく。


「先生は、どうしてなぎさにこんなことをしたんですか!」


 時間稼ぎに知っていることを聞いておくことにした。

 隣に立っている楓お姉さまから、凛ちゃんがなぎさの前に立ち塞がっているときに「時間を稼いで」と、肩と肩が触れるか触れないかの距離でないと、聞き取れないほどの小声で言ってきていたから。

 手には早川にバレないようにスマホが握られていて、それで誰かと連絡を取り合っているようだったので、理由はなにも聞かないで、不自然にならないように会話を続ける。


「すべてを奪っていった陸上に対する復讐だよ」


 目付きが鋭く尖ったように見えた。

 復讐というよりも憎悪に近いのだろう。


「あいつらもそうだった。小さかった頃は褒めていたクセに、中学、高校と上がるにつれて、タイムが出ていないと叱るようになった」


 俺にはその気持ちが痛いほどわかる。

 師範もそうだったから。

 最初の頃は、お前に才能はないだの言っていたのに、小学校5年生になった頃には態度が豹変していた。

 勝つのが当たり前で、勝っても内容が悪ければ道場に戻ってお叱りを受けたこともあった。


「格下に無様な勝ち方をしおって!」


 師範の言った言葉。

 試合になれば俺も相手も本気で戦い、稽古とは違って簡単に投げさせてはくれない。

 相手も格上だろうと、年上だろうと、階級が上だろうと、負けたくはないものだ。

 そう簡単に練習どおりにはいかないのに。


「そして、あの女だ! 大学になっていきなり近づいてきたと思ったら……」


 やっぱり、あの雑誌の女性を根に持っているらしい。


「俺の足を潰すような練習法を教えてきて、足を壊したら別の男にふらっと乗り移った……」


 ここで雑誌に記載されている事実と異なる方向へ進んでいく。


「俺が使い物にならないと思ったら、当時のキャプテンだった奴に!」


 どんどん豹変していく早川。

 雑誌との食い違いが鮮明にはなったものの、どちらが正しいのかわからない、今はどうにも出来ないんだけど。


「あら、女に振られた腹いせとは見苦しいわね」


 この人はどうしてテンションMAXの人に、限界突破させるような言葉を投げかけるのであろうか。

 怒り狂う大人の男の人を前にしても、怖気づくこともなく、言いたい事をいうのは勇気ではなく、ただの怖いもの知らずとも言う……。


「うるさい! うるさい!! うるさい!?」


 ほら、某アニメの刀を持ったツンデレ幼女のセリフを言っちゃったよ。

 く……。

 叫びたいけど叫べない。

 これを言ってしまうと戻れなくなってしまう。


「お前達みたいな子供になにがわかるって言うんだ」


「子供はどっちなのかしら」


 と冷静に正論をぶっかます、生徒会長さんに頭を抱えつつも時間を稼ぐ、俺の心はすでにヘトヘトでノックダウンまで秒読み段階にまで進んでいる。


「恨みから自分と同じようなことしようとした。そういうことですよね」


「ああ、そうだ。一番最初に壊れた奴を見たときに体が震えるほど感動した。あいつもこんな感じだったのかと思うと、もっと壊したくなった。壊して潰して再起不能にして」


 次第に顔が笑みへと変わっていく。だが、焦点はどこに行っているのかわからない。

 気が先走って精神はもう崩壊しているんだろう。

 人としても、もう壊れているけど。

 ふと、なぎさの方に目を向ける。

 凛ちゃんがしっかりと抱きしめながら、2人して俺達の動向を見守っている。ただ、凛ちゃんに関してはもう1つの疑念もあるので、早川よりも俺を注視しているの方が正しい。


「幸菜お姉さま!」


「幸菜!」


 遅れること20分ぐらいだろうか、リーサと雛も合流すると、現在の状況を確認するかのように視線をあっちこっちに向けて、状況把握している。

 そして、リーサはゆっくりと俺の隣に。

 雛は凛ちゃんとなぎさの方に駆け寄る。


「早川先生。お久しぶりですね」


 少し懐かしむように、リーサは挨拶をする。


「久しぶりだな。どうだ。走れなくなった感想は!」


 気色悪い笑い声がグラウンドに響き渡る。

 さすがに怒ると思っていたが、リーサは悲しげに言葉を紡いでいく。


「もうやめましょうよ! これ以上、自分を嫌いになるのはやめましょう」


 リーサの言葉に棘はなく、純粋に早川を説得している。

「もう手遅れだよ」そう言おうとしたけど、楓お姉さまに肩を掴まれて、その言葉を飲み込んだ。

 楓お姉さまを見ると、顔を横に振って「彼女に任せましょう」と口だけを動かして、俺に伝えてきたから。


「だって、先生は陸上が本当は好きなんでしょ?」


 なぎさも凛ちゃんも雛も、リーサを暖かい目で見守っていて、どうしてか俺だけ除け者扱いされている。

 空気を読んで、黙ってはいるけれど、リーサがどうして怒っていないのかわかっていない。


「なにを言ってる。そんなわけないだろう? そうでないとこんな」


「でも! 私が県大会に優勝したときは自分のように喜んでくれました!!」


「そんなのは嘘に」


「私にはそんなに風には見えなかった。先生は走りたいんでしょ? 走るの好きなんでしょ? だったらどうし」


「うるさい! お前なんかになにがわかる!?」


 怒涛の言葉の乱戦に2人以外の俺達は固唾を呑んで見守るしかできなかった。

 そして、楓お姉さまが止めた意味を今やっと俺は理解した。


「わかります! だって……私は先生が学校に赴任してきてからずっと、ずっと、ずっと! 見てましたからっ!!」


 リーサがどうしてこの学院に来たのか。なんどか、考えたことはあったけど、そういうことか。

 目の前に精一杯、自分の気持ちをぶつけている少女は恋をしたんだと思う。


「私も先生が思っていた気持ちがわかります! 地区大会に優勝しても「あなたの実力なら当たり前じゃない」って言われるのが嫌いでした。でも先生はそう言わなかった。嘘だろうと本気だろうと私は嬉しかった」


 俺にだってその気持ちは痛いほどわかる。もしかしたらなぎさだって、楓お姉さまにだってわか……


「私にはわからない気持ちね」


 ボソっと楓お姉さまが呟いた。

 たぶん周りには聞こえていないので、聞こえていないふりをしてこの場はやり過ごす。

 リーサはなぎさを見ると


「先生。白峰さんに謝ってください」


「なにを言っているんだ? お前は馬鹿か?」


「馬鹿と言われようが構いません。だから謝罪してください……」


 下を向いているリーサの頬から、外灯の光のイタズラで瞳から流れる聖水が輝きながら零れ落ちていく。


「東野リーサ! 謝罪して済むような話ではもうないのよ!?」


 反論したのは凛ちゃんだった。


「なにが謝ってください。よっ! なぎさお姉さまにこんな仕打ちをして、謝罪で済むなら警察はいらないし裁判所に裁判官はいらないのよ!」

 

 確かに、俺だって謝って許すつもりは毛頭ない。

 だけど、リーサは言葉を吐き出していく。


「東条さん。わかってるわ。でも、今、出来るのはそれぐらいじゃない……」


 グッと拳を握って、勇気を込める。


「罪人は罪を償う必要があるわ。でもね、最初の償いって謝罪だと思うの。それからは刑務所だったり罰金だったり、どう償うかは、大人が決めることだと思う」


「だからっ!」っと悲しみでクシャクシャになった顔を上げて


「お願いします! 私の大好きな先生に戻ってください……。そして、もう一度、チャンスをあげて下さい!?」


 


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