ダッシュ&ゴー
雛が俺の部屋に帰ってきてなぎさの状態を聞いたが、さらに悪化していて、強がってまで我慢する意味とは一体。
「他になにか変わったところはない?」
「たぶん、なのですが凛ちゃんなら、なにか知っているかもなのです」
なぎさの過去を聞くだけでもなにかの情報は得られるかもしれないが、それを簡単に凛ちゃんが俺に教えてくれるだろうか。
「凛ちゃんに嫌われているから俺が行かないほうがいいじゃない?」
と、言うと楓お姉さまと雛が「なに言ってんだ」とでも言いたげなまでに、俺を見てくる。
「どこが嫌われているのです?」
「結構、仲は……良いとは言えないけど、あの子があそこまで言葉が汚いのはあなただけよ?」
いや、それが嫌われている証拠でしょうに。
でも、これ以上の放置は後戻りが出来なくなる可能性を秘めているのに、四の五の言ってられない状況。
「わかった。雛、悪いけど凛ちゃんに連絡してもらえるかな」
「わかりましたなのです」
どうしてだろうか、苦手な子と会うと言うだけで頭痛がしてくる。まるで学校に行くのが嫌な小学生のようで、駄々をこねれば「仕方ないわね」と連絡帳に『体調不良なのでお休みします』と書いてくれないかな。
「私の出番はまだ先ってことよね? ね?」
とリーサは出番はまだかと急かしてくるし。
それは俺に言わないでキーボードを必死でタイピングしている人に言ってもらえます?
そして5分後……
雛に連絡をつけてもらい、俺は凛ちゃんの登場はまだかと草むらに隠れながら、必死に気配を殺して辺りを伺う。
とくに凶器になる代物は持っていないが、乙女のお股を打ち抜くだけにしか存在意義のない代物なら、常に常備している。
……下ネタでごめんなさい。
それにしても約束の時間を5分も過ぎている。
凛ちゃんの性格からして5分前行動を遵守していそうなのに。
「平民はこんなところで忍者のモノマネでもしているのかしら」
突如、背後から声を掛けられて、びっくりする余り、猫が宿敵を威嚇するような四つんばい姿勢を繰り出す!
俺の血の中にもまだ野生の本能が残っているようで、強敵だとわかった瞬間に、お腹を上にして寝転がる。
死んだふり。
「…………」
少しの沈黙の後。
「もう帰っていいわよね」
と、今来た道を引き返そうとするので、死んだふりをやめて、すぐさま足に飛びついてふくらはぎを捕まえる。
やっぱりスポーツ少女のふくらはぎってさ、硬すぎず柔らかすぎずのいい弾力。言わば低反発枕を抱いているような心地よさが、俺の頬に神秘な感触として伝えてきてくれる。
「気色悪いから放して!」
必死で振りほどこうと暴れる少女だが、さすがに女装男子には敵うはずもなく、神秘な感触をとくと堪能していると、草むらの中に潜むなにかと目が逢う。
外灯の光であっさりと断定することが出来るのは、まだ隠れるのに未熟さが窺える。んだけど。いつもニコニコしている雛の顔が、なにかに取り憑かれたように表現できない形相に変わっている。
さすがにまだ首だけniceboatに乗って漂流は避けたいので、出来る限り迅速に。そして感触を忘れないように離れる。すると雛の後ろからリーサが姿を現して、なにかを耳打ちをしている。
後でリーサにしっかりとお灸を据えておかないと。
「それで話ってなんなのよ」
暴れたせいで制服が乱れたようで、手で払うようにしてスカートを直しながら言ってくる。
「なぎさのことでちょっとね」
さすがに嫌な表情をすると思ったけど、至って普通に「だからなによ」っと言い返してくれた。
ちょっと安心した反面、ちょっと複雑。
だって
「なぎさのこと心配じゃないの?」
「こうなることぐらい予測できてたからね」
強がりではなく真剣な口調で言ってきたことぐらいなら、付き合いの短い俺でもわかる。だって目が潤んでいる。
「なぎさお姉さまは昔っからそうなのよ。テニス部のエースの子とテニスしてストレートで勝っちゃったり、長距離からいきなり100mに出て県大会を準優勝されたりしたら、恨む人間が出てこないはずないじゃない」
一呼吸置いて
「私がなにを言っても聞いてもらえないんだから、どうすることもできないじゃない! なぎさお姉さまはね、好かれるか嫌われるか、そういう性格してるんだから仕方ないじゃない!?」
苦痛の叫びのように、自分の中に溜め込んでいたモノを吐き出した。
溜めに溜めた不満や不安を俺に次々とぶつけては「平民のバカ」と罵ってくる。
俺が何したって言うんだ……。
心の内をすべて吐き出し終える頃には、俺の精神は崩壊寸前、ベルリンの壁よりも強固だと思っていたけど、紙粘土ぐらいの強度しかなかったみたいです。
「それとなぎさお姉さま見てない?」
「凛ちゃんと雛が連れて帰ってきたんじゃないの?」
「そうなんだけど、ここに来る前に部屋に行ったら鍵掛かってたから、てっきり平民の部屋に遊びに行ってるものだと」
来ていない。
1時間前に雛が帰ってきてから40分前後で居なくなった。お風呂か? いや、お風呂だったら鍵など掛けてはいかない。
「もしかして……」
なぎさは早川のところに行っているんじゃ!
「凛ちゃん、なぎさが100mを走る前にタイムがよかった子って誰」
「藤崎ゆかり。プライドだけが高くて、なぎさお姉さまを毛嫌いしているわ。それがどうしたのよ?」
俺は一目散に寮に向かって走った。
雛とリーサの隣を抜けていく時に
「楓お姉さまを呼んで!」
とだけ叫んで、雛とリーサがなにか言っていたけど、構うことなく寮へと走った。
6階へと猛ダッシュしてきたけど、誰が同学年だと決め付けた?
それに藤崎と言われても顔を知らないと来たもんだ。頭より先に体が動く単細胞ってなにかと不便極まりない。
「平民! こっちよ」
後を追いかけて来てくれていた凛ちゃんが藤崎の部屋へと誘導してくれる。
そして、部屋に着くなりドアを叩くようにノックをする凛ちゃん。それを苛立ちながら見つめる俺がいる。
数秒の後に藤崎という少女が「騒がしいですわね」と暢気に部屋のドアを開ける。
聞き覚えのある声だった。
そう。この声は確かにあの時の声に間違いない。
「なぎさはどこにいるの!」
少し声が大きくなってしまって、部屋の近くにいた子達がこっちを見てくる。
気にするな。
今大事なのは男だということか?
違う。
なぎさを助け出すことだけだ。
「声が大きいですわね。それに私は白峰さんのことなど知りませんから」
あたかも知らない。とだけを貫き通すらしい。
「私は知っています。あなたが早川先生と密会していることを」
こっちの切り札を惜しみなく突きつけたが。
「証拠はありますの?」
小学生の喧嘩でもしているかのように思えて、苛立ちから怒りに変わっていく。
「証拠がないのでしたら、引き下がってもらえませんこと? 私も暇ではございませんので」
とドア閉めようとするので、足をドアと戸口の間に差し込んで閉めれないようにして、手を差し込み、強引にドアを再び開放する。
バン! っと大きな音が廊下に響き渡る。
「もう一度聞きます。なぎさはどこ」
隣にいる凛ちゃんが体を張って、俺を止めようとしてくれるが止まる気は毛頭ない。
だからと言って凛ちゃんに危害を加える気もない。
「し、知らないとおっしゃっているではないですか!」
もう一度、ドアを閉めようと取っ手に手を掛けたときだった。
「私を女にしてくださいますか」
俺の後ろから藤崎の声がした。
当の本人は目の前にいるのに、後ろから声がするとは。藤崎の表情は強張った状態で凍りついたように固まっている。
俺が振り向くと、楓お姉さまがスマホを片手で操作して「意外と綺麗に取れるものね」とスマホのボイスレコーダーを褒めていた。
これで形勢が逆転した。
証拠を出せと言って逃れようとしていたが、さすがにこれでは言い訳は出来ないだろうと思っていたのだが
「あらあら、花園生徒会長を使って、偽造までしてあなたはなにがしたいのかしら」
と今度はボイスレコーダーの音声は偽物だと、言いがかりをつけてきた。
「立花様はいいですわよね。お姉さまが花園生徒会長なのでなにをやっても咎められることはない。後ろにいる人が強大でさぞかし鼻が高いのではなくて」
ブチっと音が聞こえた。
決して俺ではなく、後ろから聞こえたのでリーサか雛が怒りのボルテージを超えたのだと思った。だけど、その解は不正解だとすぐにわかる。
「あなたの父親の会社……潰すわよ」
ドスの聞いた声が廊下に響き渡る。
野次馬も集まっている中で、普段の楓お姉さまとは決定的に違う声と雰囲気に、野次馬までも逃げ出してしまいそうだった。
「そ……そんなことは花園グループでも不可能ですわ。藤崎製薬は今や世界で取り扱いされておりますのよ。買収に何百億……いえ、それで済めば良いほうですわ」
と強がりを見せて、けん制したようだが
「藤崎先輩、東条グループもその買収に参加させていただきます」
と新たな敵を作り出していた。
「わ、私も幸菜お姉さまと楓お姉さまの悪口を言う人は、ゆ、許せないなのです!」
雛も参戦してきて、さらに自体を悪化させていく。
所謂『自爆』とはこの事で
「じゃぁ私も参加しようかな。東野グループも微弱ながら参加するよ」
と4人が参戦しているのに、庶民の俺だけはそれに参加できないのは不甲斐ないので、言葉で参加しておく。
「なぎさの居場所を言えば、なにもなかったことにしておきます。もう一度だけ聞きます。なぎさはどこ?」
世界1位のグループ。
世界2位のグループ。
世界1位のパティシエ。
世界でも通用する東野グループ。
東野グループが小さいわけではない。3人のレベルが高すぎるだけで、決して名では負けてはいない。
さすがにこの4人には勝てないと判断したのか
「……知りませんわ」
と苦虫でも潰したかのような顔しながら答えた。
「私が知っているのは、白峰さんを……今回の大会には参加できないようにするってことだけです。ただ、練習の後になにかお話をしていたようですけど……」
と実際はなにも知らないってことだった。
時刻はすでに午後8時前、これはただの時間つぶしでしかなかったということ。
俺はもう別の場所に走り出していた。
なぎさの部屋の前に着いて、ドアノブを回して、引っ張って見るけどビクともしない。
木製のドアだが、体当たりでドアが壊れるのは漫画の世界かアメリカ人バリの強靭な肉体をしているか、家賃2万円の格安、ボロアパートぐらいである。
「マスターキーを手配してくるわ」
と楓お姉さまが中村さんに電話で状況を伝えて、マスターキーの手配をしているが、俺の体はすでに自室に向かっていた。
靴のまま入って、テラスに駆け込む。
各部屋に分かれているけど、手すりから手すりへは1歩もないので、なぎさの部屋のテラスへと簡単に侵入できる。
簡単に進入して、そのままガラス戸を蹴破る。
ガッシャーンっと大きな音がするけど、お構いなく蹴り破ったガラス戸からなぎさの部屋に侵入。そして、部屋の中を確認するも、バランスボールや小さな鉄アレイなど、女の子部屋には馴染みの少ない物が多く置かれているだけだった。
布団などを捲ってみるがなぎさの姿はなく、帰ってきて長くはここにいなかったと思えるほど、部屋は整理整頓されていた。
ガチャン。っと玄関のドアが開く。
楓お姉さまと中村さんが部屋に入り込んできた。
俺は首を横に振って、部屋には誰もいないことを知らせる。
「警備のほうに問い合わせ致しましたら、帰ってきてすぐに足の具合が悪いと言う事で早川先生と一緒に学院行きつけの病院に行くと申請があったようです」
と中村さんが即座に調べてくれていたようで、できるメイドは一家に1人は必須だとまざまざと思い知らされる。
「タクシーなども使った形跡がないので、もしかしたら……ですけど学院にいる可能性が高いと思います。今の時間は誰もいませんし、教師なら警備会社に事前連絡さえしていれば、セキュリティも解除できます」
さすが、出来るメイド様の思考はすごい。
俺と楓お姉さまは再び走り出す。
歩きながらこっちに向かってくるリーサと雛、そして凛ちゃんに学院に向かうことを告げて、寮の後にする。
なぎさ……すぐ行くから! 無事でいてくれよ!? っと心で叫びながら学院に向かった。




