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過去に捕らわれた人達

 寮の部屋へと戻ってきて、妹から届いた茶封筒の中身はコピー用紙と医学雑誌と思われる本が入っているだけで、説明書きやお兄ちゃんへの愛のお手紙など一切入っていなかった。

 リーサと二人で首を傾げながら「これなんだろう?」と、日本語では解読不可能な古代文字のようなコピー用紙を見つめる。


「なにかのダイイングメッセージかな?」


 もしかして幸菜の身になにかあったのかもしれない!


「ダイイングメッセージを郵送って、これまた暢気なダイイングメッセージなことで」


 と呆れた声でボソリと呟く。

 確かに一理ある。

 病室にいる妹が郵送でも2日はかかる、兄の下へ送ってくるだろうか。送ってくる余裕があるなら看護婦さんにでも言うよね。

 そして、医学雑誌である。

 とあるページだけが角を折り曲げられており、いかにも「ここを読め」と言っているかのようで、好奇心をそそられるけど、まずは1ページ目を見てみることにした。

「いや、先に見なさいよ」

 と今回はボケと突っ込みを逆にしてみました。

 いつもは突っ込み役なので、たまにボケに回ると面白かったりする。

 早く開きなさいよっと言わんばかりの眼差しをこちらに向けてくるので、一気にページを飛ばす。

 ぱらぱら……。

 角の折れたページにたどり着く。

 とても美人な人が白衣を着て椅子に座っていた。

『美人スポーツ医学の名医の素顔に迫る!』

 デカデカと見出しが書かれているが白衣萌えではないので、美人な人でもあまり気にせず読み進めていけるほどの文章力を披露しているライターさんには素直に賞賛せざるを得ない。

 対談の内容としては医学的話をしていたまる。


「医学雑誌なんだから当たり前でしょ!」


 もう心を読まれるのも慣れてきたので、特に驚くこともなくなってきたというのは、良いことなのか悪いことなのか。

 雑誌の中身を確認していく。

 最初は雑談のようなものから始まって、その後は質問形式で進められていくスタイル。質問も「スポーツ医学とはどのようなお仕事ですか?」「なにかこだわりはありますか?」などと普通すぎる内容。


「なんか普通すぎて面白みがないよね」


 読みやすいのはいいが、もっと「スリーサイズは?」「好きな女性のタイプは?」「女の子との経験は?」などの質問ができないとは、想像力が足りないのでないか。


「刹那の想像力……いえ、妄想力は異常だね。幸菜に報告しておくよ!」


 正座をして床に両手を付き頭を下げる。


「それだけは勘弁してくださいっ!」


 男のやっすい土下座。

 土下座にプライドも冗談も要らないんです。必要なのは勢いと素早い動作。それ以外は邪魔でしかないんです。


「わかったからやめてよ」


 と土下座の一つの成功例を、ここであげてみた。

 密告されないことを約束してもらって、もう1度、視線を雑誌へと落とすことにした。

 何度、読み返しても一緒なんだけどなぁ。

 隣に座って読みふけっているリーサに目を向ける。整った顔立ちに綺麗に彩られた目・鼻・口。小ぶりながらもスタイルがいいから大きく見える胸の膨らみ。ペタンと座っているので、太腿とふくらはぎが露出して綺麗な白い肌が露呈。触ったらサラサラしているんだろうなぁ。


「どうかした?」


「な、なんでもないよ」


 「そう」と返事をすると、再び雑誌を読み始める。

 バレてないようで良かった。と一安心。

 なにげなくリーサが次のページをめくる。なんども読み終えた文面から新しい文面へと切り替わる。

 姿勢を正し直して、雑誌の文面へと集中する。

 はずだったのだが、読みにくいのかリーサは俺のほうに寄ってくるので、髪の毛が鼻を掠める……。

 いい匂いするよなぁ。

 まだお風呂にも入っていないと言うのに、嗅覚を優しく撫でるような優しい匂いがする。


「ねぇここ見て」


 リーサに気をとられてまったく見ていなかったので「ここ」と言われてもわかりませんです。


「今日、ぼぉーっとし過ぎじゃない?」


「いや、だいじょ」


 否定するより先にリーサのおでこが俺のおでことごっつんこした。


「なにや」


「うるさい。シャラップ!」


 なぜだが俺のほうが照れていて、目をまっすぐに見ると目と目が逢って、もっと照れるので視線を下に向けたら向けたで、ふっくらプルプルの唇が……

 リーサは魔力で俺を落とそうとしているのではないか。それならおいしく頂かれてもいいと思う。切に願う。


「熱はないようね」


 容姿とは似つかない体温測定から開放されると「しっかりしなさいね」と指で読んでいる部分を教えてくれる。

 そこには「どうしてスポーツ医学を?」と質問させれていて「少し話せばながくなるのですが」と前振りをしてから


「大学時代はスポーツ医学って好きじゃなかったんですよ。ですが、とある方と出逢ってからスポーツ医学を誇りに思いました。彼は陸上をしていて、スポーツしている人のサポートを出来ればと、その彼に申し出ると心良く引き受けてくれました。」


 地の文で彼女の表情が落ち込んでいく。と表記されて。


「そして、大事な大会前に私は彼に間違った練習方法を教えてしまったんです。彼は私の言葉を信用して、その練習方法を取り入れてくれました……。だけど、彼は足を壊しました……」


 涙を流す美人のお医者さんの顔がアップで隣のページに掲載されている。


「オリンピック選手にだってなれると言われた彼を私が壊しました。泣いて謝っても許されることではなかったんですけど、ずっと……泣いて謝りました。ですが、彼はよほどショックで精神不安定にまで陥ってしまって……私は惹かれていたんです。一緒にいると楽しくて一緒にいると安心できて一緒にいると嫌なことも我慢できた。私は彼の前から消えました」


「無責任ではないですか」とライターさんの質問に


「えぇ。そう思います。なので、私は彼の足が治る方法を探しています。それがどれだけの時間がかかっても私は探します。だから、スポーツ医学はやめません。もっともっと勉強して、もっともっと多くのスポーツを愛する人を治療して、大きな舞台へと羽ばたいて欲しいんです。そして、私が彼の足を治してあげたい。それがせめてもの罪滅ぼしであり、私の人生の……医者としての目標ですから」


 ……。

 …………。

 ………………。

 あいつはこの本を見たのだろうか。

 気が狂いそうになって、机から立ち上がってテラスのガラス戸を開け放って、灼熱の炎で炙られた心を少しでも冷やせれば。と、思ったのだが、5月ともなれば生温い風が体を打ち付けるだけ。それでも体から熱が引いていくのがわかる。

 テラスへ出ようとしたが、俺のスマホが鳴り響く。

 ディスプレイを見たリーサが「幸菜からだよ」とスマホを届けるために、立ち上がりスマホを渡すとそのままテラスへと進んでいく。

 リーサもさっきの雑誌を読んで落ち着いてはいられないんだろう。

 スマホのディスプレイをタップしてスマホを耳に押し付ける。


「もしもし幸菜?」


 どうしてか、いつもはしないのに本人確認をしてしまった。


「お前ら、超能力かテレパシーか糸電話で繋がってるんじゃねぇか?」


 ヤンキー口調なので、間違いなく幸菜ではないし、この声と口調は医者とは言いがたいが、きちんとした医師免許を持っている正真正銘の病院の先生というんだから、この世の免許制度を見直す必要があると思う。


「双子ですからね。幸菜がお世話になってます。って、もしかして幸菜になにか!」


「なにもねぇよ。わたしからの餞別は届いたか?」


 もしかして、この雑誌を送ってきたのって……


「この雑誌となにかのコピーって門脇先生が?」


 門脇恭子。4年前から幸菜の主治医としてお世話になっている方。口調は悪いが腕前は年齢とは裏腹に、超一流で医学会では『狂犬』と呼ばれるほど……。

 この言われ方はいいのか? 

 だが、名医であることは確かなので、父も母も先生には頭が上がらないのである。


「あぁ、役に立ったろ?」


「えぇ、ものすごく。ただあのコピー用紙はわからなくて」


「そうだろうと思って説明してやろうと電話してやったんだよ。ありがたくおもいやがれ」


 わはははは……。

 能天気というか、空気を読まないというか、マイペースというか。こっちは時間がないって焦っているのに、この人と来たら。


「ってお前には時間が少なかったんだな。それじゃぁ単刀直入に言ってやるよ。それな、早川の大学時代に怪我したっていうカルテな。その紙、手元にあるか?」


「ちょっと待ってくださいね」


「リーサ。こっちきて」とテラスにいるリーサを呼びつけ、スピーカーに切り替えてリーサにも聞こえるようにした。


「続きをお願いします」


 スマホの向こうからカチンっと音が聞こえる。たばこに火を点けた音で、真剣な話をするときには、たばこが必須らしい。


「カルテっていうのはな、最近では英語か日本語なんだが、医者によったらまだドイツ語で書く奴がいてな、それドイツ語で書かれてるんだわ」


 そんな御託はいいから早く言ってくれよ。

 気持ちだけが焦って居ても立ってもいられないんだから焦らすなよ。と言いたいが、その言葉を口にするのは場違いだ。まだそれぐらいの理性は保てているらしい。


「一番最初にVerstauchungと書かれているだろ。それな日本語では『捻挫』って書いてな。ただ足を捻っただけだ」


「ちょっと待ってくださいよ! だって、それだけでオリンピック選手になれるって言われた人間が、簡単にあきらめられるとは思えないです」


 スマホのスピーカーからタバコの煙を吐き出すように「ふぅ……」と音が聞こえた。


「お前が人のことを言えた事か? 柔道で全日本大会を優勝して、突然、消えたお前が言うのは間違ってんだよ! お前はな、あいつと途中まで同じ道筋に立ってたんだよ」


 それは幸菜がテレビを見て「刹那も柔道で金メダル取ってきて」と言ったのがきっかけだった。

 俺はただ幸菜を守ってあげれるように。ただそれだけで柔道を始めた。

 背の小さかった俺は、同じ道場の子達に投げられてばっかりで「才能がない」と言われ続けた。もちろんなにを言われようが辞めるつもりはなかった。

 それが小学校3年生のとき。

 そして、小学校5年生では「全日本を取れるかもしれん」と評価が180度、変わって期待されるようになった。そして「刹那が金メダルもらうところを見てみたい」と幸菜に言われて、気をよくした俺は、いつもよりも走る量を増やして、投げる量を増やして、寝る時間を減らした。

 小学校6年の夏。全日本を優勝して、俺は柔道をやめ道場に行くことがなくなって、今に至る。

 柔道なんて嫌いだった。

 投げられるのは痛い。受身を取ったって痛いものは痛い。自分の中にあったのは、いつも幸菜だった。

 刹那がんばれ! 幸菜のその言葉が聞きたくて、柔道を続けた。そして「にいさんがんばったね!」刹那からにいさんに変わって、頑張っているのが馬鹿に思えてしまったんだ……。


「ねえせつな。名前で呼び合うのが『かっぷる』っておかあさんが言ってたの。だからずっとせつなって呼ぶからね! だからせつなも私をゆきなって呼び続けてね」


 それが俺の初恋で、柔道をやめたのはただの失恋。

 期待だけさせて、俺は柔道から足を洗った。


「みんな、最初は期待するんだよな。それで次は勝つのが普通になるんだよな。そんで普通よりも勝つのが当たり前になるんだよ。常勝って言葉にはな、期待なんて存在しないんじゃないか? ただプレッシャーを与えるだけの言葉に過ぎないんだよ」


「そう……かもしれませんね。門脇先生から知的な言葉が出てくるとは思いませんでした」


「医者やってるとな、知的になんだよ」


 わはははは……。

 その笑いがなかったら、かっこよくまとまったのに。

 

「それじゃあ切るけどよ」

 

 なぜか少しだけトーンが下がって


「お前は神様を、奇跡を信じるか?」


 俺は迷うことなく言ってみせる。


「信じますよ。もし神様が居なかったら、幸菜と楓お姉さまとなぎさと雛とリーサと後ついでに先生と出会っていませんから」


 「それダセェ。それじゃあな」


 とこっちの返事も待たずに切ってしまった。




 ふぅ……。

 たばこの煙を胸から吐き出す。

 

「医者ってのはな、神様や奇跡を信じるなって教えられるんだよ。人間の決められた運命を捻じ曲げなきゃいけねぇ仕事だからな」


 ポケットから携帯灰皿を取り出して、病院の中へと消えていった……。

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