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やりきれない気持ち

 お昼休みになって、隣にいるなぎさに声をかけることもせずに立ち上がり、廊下へと進んでいく。

 私達の状況を見て、こっそり「なにかありましたの?」と聞いてくる人がほとんどで「少し痴話喧嘩をしてしまって」と答えるとクラスメイトの人達は、深く関わるのはせず「そうですか」と俺の前から消えていく。

 まぁ、朝からブスっと机に肘を置いて、手に顎を乗せていたら、なぎさには聞きにくいだろう。

 廊下に出てすぐに、凛ちゃんと遭遇した。

 なぎさと学食に行くために、迎えに来たのが見て取れる。


「こんにちは」


「やっとご自分の身分がどの程度か、わかったのね」


 こっちはいつも通りのようで、一安心。

 たぶん凛ちゃんには、なにも伝えていないのだろう。


「平民、ごきげんよう。では、私は急ぎますのでこれにて失礼します」


 後輩という立場は、弁えているようで小さくお辞儀をして、俺の隣を通り過ぎていく。

 

「幸菜様」


 凛ちゃんに目が行ってしまっていて後ろ姿まで追いかけていたので、少しびっくりしたが、すぐに前方へと視線を向きなおす。

 雛がお弁当を2つ持って、俺の前に立っていた。

 俺の部屋で寝ていたのに起きたら、いつものようにお弁当を用意してくれる義妹に、心から感謝したい。

 

「では、これが幸菜様の分なのです」

 

 少し大きめのお弁当箱を差し出してくる。


「今日は一緒に食べないの?」


 てっきり、一緒に食べるかと思っていたので、豆鉄砲を食らった鳩のような気分に陥る。

 

「そうしたいのですが……幸菜様はこれからやることがお有りですよね」


 確かに、体育の早川のところに行く予定だったけど、雛がこうしてお弁当を持ってきてくれたのだ。一緒に食べたって罰は当らない。

 

「なぎさ様は私も大好きなのです……だから今日はこれで失礼しますなのですよ!」


 いつもと違って荒々しくお辞儀をして、荒々しく去っていく雛を見届ける。

 こけたりしないよな。

 階段に消えていくまで見ていたが、こけるようなことはなかった。

 さぁ雛からエールをもらったし、早く終わらせて、このお弁当をご飯粒さえも残さないぐらいの勢いで食べつくしてやる!?




 体育教師は別室が設けられていて、体育教師のデスクはそこに用意されている。

 なので、俺は体育館の別室に来ていて、ソファーに腰を下ろしていた。

 

「すまない。遅くなったな」


 紺色のジャージがトレードマークの早川先生が、向かいのソファーに腰を下ろして、こっちを見据える。

 

「いえ、こちらこそお昼休みにすみません」


 これから戦いが始まる。

 戦いは冷静に対処しなければいけない。

 特に、言葉で戦う場合は、相手を冷静さをどうやって欠くかが重要なのである。


「それで話ってなんだ?」


「なぎさのことです」


 間髪いれずに返事をして、相手に動揺を誘ってみる。

 

「俺も気になっていたんだ」


 えっ? その返答にこっちが面を食らってしまう。

 

「ここ数日、タイムが落ちていてな。もうすぐ県大会なのに、このままでは全国大会にいけなくなってしまう」


 早川は自分のように悔しがって、リーサから聞いていた情報とは180度違っており、こっちが墓穴を掘るような格好になってしまった。


「白峰に聞いても、何も答えないだが立花はなにかしらないか?」


 えっと……普通の教師にしか見えないんだけど、これは包み隠さず言っても、問題はないかもしれない。

 だけど、リーサを苦しめている。という事実も存在しているので、そう簡単に言わないほうがいいかもしれない。


「なぎさ……女の子の日みたいで調子悪いって言ってました!」


 咄嗟の嘘とはいえ、これで納得してくれるだろうか。

 女の子の日の辛さをしらないから、どれほどのモノなのかもわかっていないけど、幸菜の場合は不機嫌度数98まで逝っちゃうから手に負えない。

 まぁ……「にぃさん、ケーキが食べたいです」「にぃさん肩が凝りました」「にぃさん靴下を履かせてください」と傍若無人なお姫様となる。


「そうか。なら心配することもなさそうだな」


 納得しちゃったよ!?

 今すぐにこの場から退散して、女の子の日についてヤフりたい。

 だけど、このまま不自然な逃亡をしては、変にかんぐられる可能性もあるから下手に動くのはダメか。

 

「私のほうでもサポートしますので、先生は陸上の指導のほうをお願いしますね」

 

「頼むな立花! 俺もあいつを世界まで連れて行くつもりで指導するぞ」


 イケメン顔でサラサラっとした髪をファッサーと掻き揚げると、キラキラしたエフェクトが背後に現れ、背筋がゾッと震え上がる。

 ……キモイ。

 

「では、昼食がまだですので失礼しますね」


「おう。ありがとうな」


 体育教師の別室を出るときに見えた時計は、すでに13時20分を指していて、後5分もすれば昼休みが終わってしまう……。

 まだ蓋も開けていないけど、色とりどりのおかずに冷えても硬くならないご飯が、俺の胃袋に飲み込まれたいと思っているのがわかる。

 そういえば、裏庭に行ったことがない。

 聞いた話によれば、2人きりになれる絶好のスポットで、運がよければ甘い吐息まじりの声が聞こえてくるらしい。

 そんな……お姉さま! そこはダメ……です……ひゃう!? とかあったりするのか!

 まぁ期待はしてないけど昼食を食べていないし、残り時間も残り僅か。裏庭にベンチぐらいあると思うので、そこで昼食にするのもいいか。

 期待しているシチュエーションが行われていた際には、全力で観察しつつ、脳内ハードディスクに保管し、夜に1人で性教育に性を出すことにする。

 善は急げと言わんばかりに、妄想と足が加速していくが、足音は立てず気配を消して、裏庭へと到着する。

 校舎の影に隠れながら、先駆者がいないか確認すると1人の少女が立っていた。

 特別棟に向かって、口を動かしているのが見て取れる。誰と話をしているのか、ここからでは見えない。見ようと思ったら、こっちが身体を裏庭へと傾けなくてはいけない。

 それはまずい。

 2人の会話を聞けないかと知恵を振り絞った結果、今日は調子がいいのか、そのまま校舎へと入り、窓ガラスより姿勢を低くして、2人が喋っているであろう裏側までやってきた。

 ここからなら2人の会話が聞ける。

 

「あの日からタイムが落ちてます。それも,何秒ではなく1秒単位で……」


 女の子の日って秒単位でなにかが変わるの! 女の子って大変なんだな。


「だが、綺麗に着地点に転がせたものだね」


 男と女の声が聞こえてくるのがわかるが、男は先ほど話をしていたイケメンボイスの早川に間違いない。だけど女の子のほうは、聞き覚えがない。

 それに着地点に転がせたって……もしかして体育の時のことか?


「ふふふ……私もびっくりですよ。スパイクした球を足で蹴って転がすなんて芸当はプロでも、そう簡単に出来やしないんですもの」


 さっきの俺とのやりとりは仮面を被っていたということか。

 完全に信用していたわけではないので、案外あっさりと化けの皮が剥がれたもんだ。それぐらいの驚きでしかない。

 

「でも、君ならやってくれると思っていたよ。これであいつは全国大会に行けなくなった。後は君が勝てばすべてうまくいく」


 2人の笑いが、俺の怒りのボルテージを上げていく。だが、落ち着け! っと自分の体、心に指令する。

 漫画のように飛び出して、文句の1つや2つ言ってやりたい。

 なぎさはお前達のおもちゃじゃない! 

 だけど、ここで出て行けば証拠がなくなってしまう。

 2人の会話を録音出来たとしても、偽造したんだろうと言われてしまえば終わりなのである。

 

「先生……そのときは私を大人の女にしてくださいますよね?」


「ご褒美は必要だしな」


 ――っ!

 怒りのボルテージが最高潮に達した。

 もうどうにでもなりやがれ!

 勢い良く立ち上がろうとしたら、いい所でチャイムが鳴ってしまった。

 2人は俺がいることもしらずに自分達の職務へと向かっていくのを見て、俺は校舎の壁に拳を殴りつける。

 乾いた音だけが無常にも響いてきて、自分の不甲斐なさに苛立ちを増幅させる。

 もし、この場に楓お姉さまが居れば「無様ね」と、罵ってくるに違いない。

 今の俺にとっては、罵ってもらえたほうが幾分と気持ちが落ち着いたのかもしれない。

 チャイムが鳴ってから、どれぐらいの時間が経っているんだろうか。

 まだ予鈴しかなっていないので、今から教室にいけば遅刻にならないかもしれない。

 だけど、立ち上がろうとしても目眩がして立ち上がることが出来ない。

 なんて弱い人間なんだろう……。

 友人すら助けることが出来なくて、それが悔しくて、今こうして立ち上がることも出来ない。

 

「1人で立ち上がれないのなら、誰かを呼ぶことね」


 この声を聞くと安心する。

 いつも罵ってきて、バカなことばかり言ってくる人だけど、ちゃんと俺を見てくれている存在。

 

「どうして、こんなにタイミングがいいんですか」


 顔をあげると、いつもと変わらない楓お姉さまの顔がそこにある。

 膝に左手を置いて、右手を俺へと差し伸べてきて「掴まりなさい」と、いつもの声で優しく呼びかけてくれた。

 俺は子供のように手を取り、ゆっくりと立ち上がる。

 

「妹のためだもの。私、こう見えても面倒見は良いほうだと自負しているのだけど?」


 なぜか疑問系で返される。

 たしかに、面倒見はいいほうではある。だが、肯定してしまえば、楓お姉さまの思う壺ではないかと思えてしまって


「そうですか? たしかに雛には面倒見はいいですけど、私には『からかい』しかないと思います」

 

「それもそうね」


 と、なにかを思い出しているのか、少しだけ目線を外に投げかけていた。

 スカートの埃を払いのけて、身だしなみを確認する。

 特に問題ないようだ。

 

「さぁ、授業に遅れるので教室に向かいましょう」


 何事もなかったように俺は歩き出す。

 だって、そうでもしないと自分を保って居られなかったから。

 今でも悔しくて、数分前に戻れたなら2人の前に飛び出して、俺の気持ちをぶつけてやりたい。だけどそれが叶わないのが現実だから、時間と一緒に前に進むしかない。

 

「幸菜にはあるのに、刹那にはないモノってなにかわかるかしら」


 数歩、歩き出していた足を止めて、楓お姉さまの問いに答える。


「……知恵……ですかね」


「それもあるけど、あなたは情報収集能力が欠如、いえ、情報を手に入れることをしない。現代の社会は情報化社会なのよ。情報を持たないあなたに勝ちはないの」


 鋭い視線を浴びせているのが、背中越しでもわかる。


「それでも」


「それでも卑怯なマネはできない? じゃぁなぎさはどうなってもいいのね。豊島さんの事件は武力でどうにかなったわ。だけど、今回はそうも行かないわよ!」


 俺は黙り込むしかなかった。

 楓お姉さまは正論を言っているのが、わかっているから……自分が馬鹿なのもわかっている。

 

「情報っていうのは、弱い者いじめするためにあるんじゃないわ。弱い者が強い者に勝つ道具に過ぎないのよ」


 綺麗な言い方をしているけど、「あなたはいつから強くなったの」と言っているのである。

 今の俺は負けても次があるのか? 負けたときのペナルティは自分に降り注ぐものなのか? 

 違う。なぎさにすべて押し寄せてくる。

 だったらやることは決まっている。


「楓お姉さま。ありがとうございます!」


「力になれたのならよかったわ」


 2人並んで、教室に向かう。

 やることが決まったら、なぜだか歩く足が軽くなったような気がする。

 もう迷っている時間もないんだから、突き進むしかないのは、誰の目から見てもわかる現実なんだ。

 隣を歩く楓お姉さまを横目で見る。

 ありがとうございます。

 心の中でお礼を言って、なにも話さないまま教室へ向かった。

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