ひらく距離
リーサと雛がこの部屋に泊まることに断固反対したのだが、賛成多数により俺の反論は見事に宙に舞い、凄まじい力で地面へと叩きつけられ、消え去った。
雛は急いで申請書の記入に取り掛かり、ものの5分で許可を勝ち取り、リーサへ対抗心を燃やしている。
もしこの世界が漫画の世界であったら、目からビームが発射され、擬音と共にビームがぶつかり合っているに違いない。
このままでは、第一次此花学院戦争が勃発して、東京大空襲を彷彿とさせる規模の被害が出てしまうかも。
「ねぇ雛、リーサにこの寮、自慢の温泉を紹介してあげてくれる」
唾液を飲む音さえも聞こえそうな静寂を、俺は引き裂き、声を発した。
なんでこんなにも緊張しなくていけないのだろうか。と思っても時すでに遅し、ならば日本人らしく温泉で仲良くなっていただこう。
名づけて……温泉できゃっはうふふ大作戦!
そこ! ダサイとかテンプレ過ぎるとか言わない。
「私はいいのですが……」
視線を外すことなく、返事をしてくる。
いや……熊に襲われているわけではないよ? リーサっていう見た目はSランクだけど、怒らせると893のような罵声を発する生物へと進化するぐらいだよ。
「私も可愛い子と一緒にお風呂に入れるのは嬉しいよ」
2人は「あはははは……」と乾いた声で、口だけ笑って目が笑っていない。
ダメだ。嫌な予感しか浮かんでこない。
それでも、この空間を浄化するには2人が部屋から出て行かないことには進まない。
すぐさま、クローゼットに走って、リーサ用にバスタオルと風呂桶を用意、気にせず下着も用意しようとしたら、リーサが飛びついてきて
「なにさらしとんじゃぁあああああああああああ」
ひぃいいいいいいい!
ついに現れたよ! 裏の顔のリーサが……
このまま罵られるかと思えたけど、「あっちむいてて」と言われたので、クローゼットから離れて、後はリーサに任せることにする。
はぁ……怖かったよぉー。
泣き出したくなったけど、グッと堪え、ちびりそうな膀胱に活を入れ、決壊しそうなダムに土嚢を積む。
これで暴発することはないだろう。
ガサゴソと下着と着替えを持って、雛の手を握り、リーサは部屋を出て行った。
嵐の後の静けさ……
俺もシャワー浴びてしまおう。
クローゼットから俺の着替えを持って、部屋に備え付けのシャワールームへと飛び込む。
ブレザー、カッターシャツ、Tシャツと脱いでいき、ブラを外すと目玉焼き程度の薄っぺらいパッドが重力に逆らうことなく、お風呂場の床へと落ちる。
妹の胸の大きさを知って、少し悲しくなる。だけど、ちっぱいにだって需要はあるので、悲観することじゃない。
パッドを拾い上げ、備え付けで置かれている棚のカゴへと入れる。
スカートのフックを外して、パンツを脱ぐ。
女性モノの純白のパンツを脱ぎ、それもカゴの中へと入れていく。
これで俺は産まれてきたとき同様、素っ裸である。
自分の身体を鏡で見てみる。
腹筋は割れて、胸板も筋肉の装甲を身に纏い、お股には男としてのシンボルが装備されている。
大きさは……平均サイズだと思いたい……
さぁ、今日は疲れたから長めにシャワーを浴びたいけど、雛とリーサがいつ帰ってくるのか、わからないから早めに切り上げたほうが無難だろう。
そうと決まれば、迅速に行動に移す……はずだった。
シャワーの水が衣服に飛び散らないように、カーテンを閉めようとしたとき、ガチャンと扉が開く。
「「あ……」」
2人して唖然として、来訪者は身体を上から下へと品定めするように観察していき、とある部分にもう1度、視線が注がれる。
「ひゃうッ!?」
来訪者の上げた声ではなく、俺の声帯がこの言葉を選んだ。
「ひゃうって、もう女の子だよね」
「そんなのどうでもいいから、早く閉めてよ!」
「減るもんじゃないし」
「なぎさは女の子! 俺は男の子! それに俺の精神HPが減るからね!?」
「仕方ないなぁ」と言い、ドアを閉める直前「意外とちいさい……」ボソっと聞こえてきた声で、100あったHPがたった一言で1にまで減った。
もうお婿にいけない……
シャワーは髪と体を洗っただけ。
なぎさが部屋に来たので、さらに早いシャワーとなった。
「足の具合はどう?」
ベットに倒れこんで、天井を見上げているなぎさに問いかける。
みんなにバレないように、厚めの靴下を履いてカモフラージュしているので、周りから足首を見られても、腫れているのもわからない。
ただ、不自然なのには変わりない。
「あんまりよくないけど、練習を軽めにすれば大会までには治るよ」
ポジティブ思考と言えば聞こえがいいかもしれない。
それが大きな怪我へと変わってしまうことだって、当然のように存在もする。
小さな怪我から大きな怪我に変わって、選手生命を絶たれた選手だって、この世には存在するのに。
「明日、病院に行こう? ほら、私の定期健診に付き合うって言えば、一緒にいけるでしょ」
「明日も朝練あるからいけない」
ぶっきらぼうに言ってくる。
この子はなにもわかっていない。
怪我の怖さを知らないから、そんなことが言える。
だけど、今のなぎさに言って、わかってもらえるとも思えない。
「明日だけでいいから。ね?」
「だから無理だって言ってんジャン!」
急に声を張り上げ、上半身を起こすも、少し踏ん張っただけで、痛みがあるようで顔しかめる。
ベットに座っていたので、なぎさの足首を少し触ってみると怪我をした直後よりも腫れている。
これ以上、なにもしないでいると取り返しが付かないかも……。
「やっぱり、病院に行こう? これ以上、手当てしないでほっておくと取り返しが」
「うるさい! そんなのどうして幸菜がわかるの!? 未来なんてわかんないじゃん!!!」
「わかんないよ! でも良い方向に向かってないのはわかる!?」
「もういい!」
ベットから降りると玄関へと向かっていく。
痛みに耐え、正常な歩行も出来ておらず、足を引き摺り、靴が履けないのか今日はサンダルを履き、扉を勢いよく開け放つ。
だけど、なぎさは部屋から飛び出すこともせず、立ち尽くしていたので、姿勢を変えてなぎさの前を覗き見る。
仁王立ちして、行く手を阻むリーサ。
その後ろに、ソワソワしながら雛が、背中からなぎさを見ている。
「どこにいくの」
さっきの言い争いが外にまで聞こえていたらしく、敵対しているかのように、鋭い視線を浴びせるリーサに対して、なぎさは怯むことなく口を開く。
「部屋に戻るだけよ」
雛の表情を読み取るに、なぎさも睨みつけているのか、雛の顔が怖いものでも見たかのように、うるうると瞳に涙が溢れ出してきている。
普段、笑っているなぎさから想像できないような、激しい剣幕を見せているのだろうか。
「そう。それにしても、あなたって心配してくれている友人を、あなたの我侭や機嫌で突き放すのね」
「あなたには関係ない! 怪我をして走れなくなった人間にどうこう言われる筋合いない!?」
ヒートアップしていく2人。
傍観するしかない2人。
「ちょっと邪魔なんだけど」
この人は場の空気を読む。と言うことはないらしく、睨みあう2人から逃げ出すように、雛は楓お姉さまの後ろにポジションチェンジ。
子犬でも可愛がるかのように、わしゃわしゃと髪の毛が四方八方に揺れる。
あぁ……俺もやってあげたい。
サラサラの髪の毛を思う存分、撫で回して、嗅ぎまくって、枯れてしまった心のオアシスに潤いを補給したい。
「東野さん、まだ本校の生徒ではないので、問題を起こされては、困るわ」
生徒会長としての言葉で、花園楓としての言葉ではない。
「なぎさも転入試験で来ている、他校の生徒さんを迎え入れるように。此花の生徒なら、いざこざを起こさないように」
そして2人の間を、優雅に無視して、雛を引き連れて部屋の中へと入ってくる。
重い空気から開放された子犬ちゃんが、やっと俺の胸へと飛び込んでくる。
よしよし……。
念願叶ったので、天国へでも地獄へでもお導きください。
「ごめん。今日は部屋に戻る」
みんなには、足を痛めていることを悟られないように足早に部屋へと戻っていく。
痛いんだろうな。そう思うとほっておけない。
「少し、ほっておきなさい」
俺の行動がわかったのか、楓お姉さまに止められてしまう。
「そうだね。1人で考える時間も必要だと思うよ」
リーサも同意するので、隣の部屋に行きたいけど我慢することにする。
代わりに少し濡れていて、鼻の奥をくすぐる甘い香りのする髪の毛でも撫でまくっておく。
嫌って言ってもやめてあげないんだからねっ!
「幸菜の欲求はどうでもいいの、もう19時を過ぎているのに、迎えにこないからどうしたのかと来てみれば」
またトラブルを持って帰ってきたのか。とまでは言わないのは楓お姉さまの優しさなのかもしれない。
「ねぇ、夕食がまだなんだから、夕食にしましょうよ。私、お腹が空いて、胃の中が消化不良になっちゃうよ~」
うん。日本語が間違えているように思えるのに、間違えてなさそうな微妙なボケはやめて欲しいね。
ネタにマジレスって、とっても恥ずかしいからね。
そしてリーサの要望により、なぎさが気になるけど、夕食に向かうことにした。
食堂では、リーサのような目の引く美少女が突如として現れ混乱するかと思えたが、過去にも同じような展開が繰り広げられたので、今回は被害を最小限に留めておくことに成功した。
雪崩のように押し寄せてくる生徒の群れをノラリクラリと回避して、いつもの席へと着席する。
襲ってくる群れから逃げてはいけない。
それが、前回の失敗から学んだ教訓である。
「幸菜はすごいね! ヒラッサラッて人だかりをかわして行っちゃうんだもん」
「もみくちゃにされた経験があるからね」
入学当時にもみくちゃにされたのは、今となってはいい思い出である。
奴らは食堂の奥へとやってこない。
ラスボスである生徒会長様が君臨するエリアには、足を踏み入れるには、それ相応のレベルが必要。又はラスボスの仲間になるのが必須条件。
普段の楓お姉さまは『近づいて来るな』と北斗七星の傷が胸板に刻まれているアニメの主人公のようなオーラを発している。
そのため、いつもの席に到着すれば、さっきまで騒いでいた野次馬さん達は、もの静かに食事をするしかない。
だが、俺達まで黙って食事をしたりはする必要はないし、それで楓お姉さまが怒ったりすることも、今までなかった。
………。
しばしの沈黙。
いや、黙り込むつもりはないんだけど、いつもはムードメーカーのなぎさが場を盛り上げているので、なにを話せばいいのやら。
「ねぇ、ここの料理、どこのレストラン? って感じだよね」
リーサ、ありがとう。
でも意外と庶民派なことを言うので、少し面を食らってしまう。
「リーサも意外と庶民派なんだね。私も此花に来た当初はなれなかったよ」
「ホントだわ。朝食にパンだけとか、どこの犬の餌かと思ったわよ」
俺と楓お姉さまの出会いのエピソードであり、これがなかったら、今の義姉と義妹の関係が存在していなかったかもしれない。
「なんかそれ、幸菜らしい」
リーサが少し笑いながら、楓お姉さまの言葉に耳を傾け、返事をする。
そこに追い討ちをかけるように、雛も参戦する。
「幸菜お姉さまは素朴なお料理が好きなのですよ。煮付けやお漬物などが好物なのですよ」
「どうして、それを知ってるの! 好物は誰にも言っていないのに」
雛の洞察力には、時々、驚かされる。
少し前に私服でショッピングモールに行ったとき、俺が寝坊してしまい、雛が起こしに来てくれた。
そのときも、来て行こうとしていた服をクローゼットから取り出し、用意してくれた。
なんの迷いもなく選び出してきたときは、寝る前の行動を見透かされているかのようで、俺にはプライベートはないのかと、思ったほどだった。
「幸菜様は単細胞、単純、考えていることがすぐに顔に出てしまう。と言った弱点がおありですから」
メイド服を完璧に着こなして、俺の弱点を容赦なく、突っ込んでくるメイドさんと言えば、この方しかいない。
「皆さんのアイドルの中村でございます♪」
上機嫌に誰かに向かって、自己紹介をするの怖いです。
それに最後に「ございます」を付けると、某お年寄りタレントのあの人に思えてくる。
「あ、幸菜様は今晩のご夕食は必要ないのですね?」
「ごめんなさい!」
やっぱりメイドさんには敵いません。
メイドさん、最強説は事実であり、お姉さまも最強であり、妹も最強である。
唯一の救いは同級生は最強でないと言うだけ。
男が女の尻に敷かれているのは、腑に落ちない。
犬の思考で言えば、ピラミッド型のランク付けで、俺は下から2番目で、なぎさやリーサはその下となるのだ。
ふん。ここから1番上を目指して、亭主関白したやる。
「ちょっと表に出ろよゴラァあああああああああああ」
「ごめんなさい! すみません! お慈悲をぉおおおおおおおお」
1番怖かったのは同級生と言うのがわかりました……
各自、中村さんにオーダーを頼んで、キッチンに戻ろうとするところで、俺が呼び止める。
「中村さん。ちょっといいですか?」
メイド服のスカートが綺麗な円を描くように、くるり、と翻る。遅れて香水の匂いなのか、嗅いだことのある花の匂いがした。
「どうかなさいましたか?」
「あの、お願いがありましてですね」
なぜか敬語に敬語を重ねているような、堅苦しい言葉遣いになってしまった。
「夕食が終わったら、ご飯と海苔……頂きたいんですけど」
夕食のテーブルを見渡して、あぁ……と、ここにいない人を確認して、納得される。
ちょっと照れくさくて、中村さんから視線を外してしまっていた。
「えぇ、ご用意いたします」
と、微笑みかけて、厨房の方へ方向転換。やっぱり嗅いだことのある花の匂いがするんだけど、思い出せないのがもどかしい。
懐かしい匂いなのに……。
それからは談笑をしながら、夕食を食べた。
なぎさの代わりにリーサが場を盛り上げ、雛が話題を提供する。たまに軽い突っ込みを入れる楓お姉さまに、いじられキャラの俺。
凛ちゃんがいたら、罵りがあるんだけど、今日は友達と夕食を楽しんでいるらしく、こっちには姿を見せていない。
なぎさが強がって、凛ちゃんを遠ざけたのだろう。
鈍感と言われるけど、それぐらいは直感でわかるぐらいの親睦は深めている。
なのに、さっきの出来事で縮まっていた距離が、遠ざかってしまったように思える。
浮かない顔をしていたのか、3人が俺のほうを見てくる。
「大丈夫なのですよ」
「気にしすぎね」
「なんとかなるって」
と三者三様に励ましのエールを送ってくれる。
涙が出そうになって、今度は俯いてしまう。
ヤバイ、目頭が熱くなってきて、目から……
「いじっても反応がないのは、面白くないもの」
俺の涙返せ!




