夢の在り処
無常にも時間は止まることを知らずに、1秒、また1秒と時間を進めていく。
放課後になって、なぎさは部活動に消えていく。
足の怪我は軽傷とは言えず、歩いているだけでも相当な痛みが足を支配しているはず。
なのに、なぎさは誰にもわからないよう、自然な立ち振る舞いをしているけど、すべてを知っている俺としては無理をしているのが見て取れる。
「幸菜お姉さま、どうなさったのですか。」
授業も終わって少し時間が経っていて、いつもと変わらず、部活組と帰宅部組は、そそくさと教室を後にしている。
「お願い……秘密にしてて……」
素人が見ても、これは病院に行ってレントゲンぐらいは。と、言うぐらいの状態なのに、なぎさは保健室に入っていこうとしなかった。
「幸菜お姉さま!?」
「ど、どうしたの!」
雛の表情が少し暗くなる。
「どうしたの、じゃないのです。またやっかいなことに首を突っ込んでいるのですか?」
「そんなこと……あると思う。だからね、もし私が飛び出して行くことがあったら、楓お姉さまに知らせて」
近くに楓お姉さまが居てくれたらいいけど、学院に居るときは、ほとんどが別行動なので、あの人がいるかいないかで、状況が一転する。
「わかりましたなのです」
雛の頭を撫でてあげると、子猫のように目を細め、嬉しいのか、笑顔が戻って来る。
それとリーサのことも言っておかないと、これから落ち合う約束になっている。
「それとね、今から人と会うんだけど、その人のことは、みんなに秘密にしてもらえるかな」
上目遣いでこの子は怖いことを言ってくる。
「浮気ですか……」
雛のキャラはそんなキャラじゃないから!
ヤンデレキャラを登場させるほど、精神は病んでないからね!?
待ち合わせに時間の指定などはしていないけど、すでに待っていそうで、あの罵声を聞くことだけは、どうしても避けておきたい。
雛にこの前の出来事を説明しながら、約束の場所へと2人で進んでいく。
前回のように、駅での待ち合わせではなく、正門を出て少しだけ下ったところにある公園で待ち合わせしている。
俺から指定したわけではなく、リーサから言い出してきたのである。
正門で待ち合わせするとして、別の学校の生徒が居たら、なにかと騒ぎが起こる可能性があり、正直、公園で待ち合わせは一番、穏便に事が進んでいく、最善な待ち合わせ場所だった。
緊張しているのか、並んで歩いている雛から、いつものような軽快なトークが聞こえてこない。
結構、人見知りなタイプなのかも。
正門を抜けて、帰宅する生徒達とは逆の方向へと向かう。
雨が近いのか、太陽の日差しは雲が遮って、体内時計を狂わせてくる。
まだ4時前だと言うのに、すでに夜に差し掛かろうとしている。
体育といい、この天気といい、今日は余り良いことがない気がする。
「明日から雨と言っていましたけど、今日から降り出しそうなのです」
雛も空を見るが、朝のニュースでも天気が崩れていくのを言っていたみたいで、あまり気にした様子はない。
「そうね。あまり長く降らなかったらいいけど」
公園の入り口に着くと目的の人物を発見する。
足元には荷物がいっぱい入っていると思われるキャリーバッグが置かれていて、家出少女のようである。
「は~い。もう少し早く来てよ」
リーサのご機嫌は良いみたいでよかったと一安心。
キャリーバッグを引いて、こちらへ向かってくる。
雛は「あ……」とリーサを知っているみたいで、驚いているのか、開いた口が塞がらない。
「ごめんなさい。少しやることがあったの」
リーサは疑うこともなく、こちらに向かってきてくれる。
罵声が飛んでこなくて、よかったよかった。
俺達のやりとりを見て、制服の袖をクイクイと雛が引っ張ってくる。
「去年、なぎさ様を負かした人が、どうしてここに居るのですか!?」
失礼にならないようにの配慮なのか、リーサには聞こえないように、小さな身体を背伸びさせて、耳元で驚きの言葉を囁いてくる。
リーサの正体を知らなかったが、なぎさ絡みだろうと言う予想は付いていた。
昨日、一心不乱に眺め続けていたのは、言うまでもなく陸上部の練習で、リーサのふくらはぎの肉付きからスポーツをしているのはわかっていた。
「驚かない」
俺はリーサに笑顔を振りまき、雛は戸惑いの表情でリーサを見つめる。
「あら、この子は?」
「この子は雛子。私の義妹なの」
視線はリーサの顔をしっかりと見つめ続けたまま、お辞儀をするあたり、敵視しているに違いない。
なぎさのライバルだった人間と、そう簡単に仲良くできるのもそれはそれで複雑な気持ちだけどね。と、いう俺自身がすぐに仲良くなっているのは、申し訳ありません……。
「私は……って、あなたには名乗らなくてもいいわよね。私を知っているから、視線を外してくれないんだもんね」
敵視されているのがわかっている。それなのにリーサは雛を嫌悪せず、接してくれている。
だからと言って、これ以上、距離を縮めることは不可能である。それもわかっているのかリーサは雛から視線を外して、俺に話しかけてくる。
「今日もお願いね。刹那♪」
「どうして、知っているのですか……」
敵視から敵に変わった瞬間である。
俺は男である。知っているのは3人でなければいけない。そこに4人目が現れた。
それは秘密の共有が拡散されてしまったことを表す。
秘密の共有は少なければ少ないほど、強固な絆となっていく。それが今日、知り合った人間が知っていた。
「どうして? 私、刹那のことなら、なんでも知ってるよ。」
顎に人差し指を当て、空を見る。
「刹那は小学校2年生まで、幸菜と一緒に寝ていた。それも刹那のほうからね。後は中学校のときに、ホラー映画を見て、怖くなって幸菜の部屋で寝たりとか?」
ほらね。刹那のことなら、なんでも知っているでしょ。
勝ち誇ったかのように、横目で雛を見つめ、微笑みかける。
「幸菜お姉さま、すみません。席を外させてもらってもよろしいですか?」
「う、うん」
初めて見る反抗だった。
すべて事実なだけに言い返せない。そして、かわいい義妹が怒ってしまっているのに、言い返してあげれなかった。
雛は一礼して、寮の方へと歩き出していく。
雛の後ろ姿が見えなくなるまで、呆然と立ち尽くしている間に、冷静にさっきの出来事を考え直す。そして
「リーサ! なんでいきなり、私の義妹が怒るようなこというの!?」
どうして雛が怒ったのかわからないけど、俺は不甲斐なかった自分に苛立ちを覚え、リーサに当ってしまった。
だけど、そのことに言い終わってから気づいた。
「あ、ごめん……」
すぐに間違いに気づいて謝るのだが
「どうして、謝るの?」
と、疑問系で問い返されてしまう。
いや、どう見ても俺のほうが悪いわけで、リーサが疑問に思うことはないんだけど。
「成功はしたけど、やっぱり後味悪いね。私って悪役に向いてないのかも」
と思いつめた顔をされては黙っているわけにもいかず
「どういうこと?」
「これからわかるから な・い・しょ☆」
と今度は微笑んでくる。
浮き沈みが激しくて、すぐに喜怒哀楽が表情に出てきて、すぐに抱え込む。
リーサはなぎさにとても似ている。
スポーツを好む少女達はみんな、なにかを抱え込んで前に進んでいるのだろうか。
ふと、思う。
それはスポーツ少女だけではなく、みんながなにかを抱え込んで生きている。黒い髪をなびかせ、孤高であり続ける生徒会長も例外ではないのかもしれない。
ちょっと考え込んでいると、リーサはキャリーバッグを引いて、進んでいく。
「そんなの持ってどこに行くの?」
「決まってるでしょ? あなたの部屋よ」
………
どうしてこうなってしまったのだろうか。
とある少女がキャリーバッグの中身を、俺の部屋のクローゼットに収納していく姿が、視界の中に捉えられている。
「良い部屋ね!」
キャリーバッグの荷物を収納したようで、キャリーバッグを部屋の隅に置いて、ベットに倒れこむ。
「すっごい反発力!!」
俺よりも少し小さいリーサの身体が、ベットのスプリングの反発力で軽く宙に舞い上がる。
布団に顔をうずめていた少女が、ゴロン。とベットの上で横回転。
リーサも立派な女の子なので、ふたつの果実が無駄に強調されるような体勢へと早変わり。
今は男の部屋で、しかも目の前に狼さんがいるわけです。もう少し乙女としての恥じらいを持って頂きたい。
「幸菜、幸菜、お腹すいた」
お姫様はお食事をご所望のようで、足を布団に叩きつけながら、駄々をこねている。
どうしてこうなってしまったのか。
それを知るには、1時間前に遡る。
「ちょっとリーサ! そっちは寮しかないよ」
キャリーバッグを引き連れて、寮へと進んでいくリーサの後ろを追いかける。
寮は生徒しか入れないようになっていて、生徒手帳にICチップが埋め込まれており、寮の入り口に聳え立つ警備室を通るときに、退出、入室を読み込んでいる。
部外者の人間が入り込もうとするのなら、暗殺者だろうと妖怪だろうと神であろうと、彼ら警備隊から逃れることはできない。
だが、リーサは一枚の紙切れを提示するだけで、来客者入館用ICカードをいともたやすく手に入れてしまった。
そして、今に至るわけである。
どんな裏技を使ったのやら……。
「ねぇ、お腹すいたって言ってるのに、無視はひどいと思うなぁー」
「無視をしているのではなくて、呆れて物が言えないだけです」
つい本音が出てしまった。
化粧机の椅子に座りながら、大きなため息をひとつ。
それはそれとして……だ。
「どうして雛子を遠ざけたの」
先に聞いておかないと、リーサの思惑通りに事が進んでしまって、あやふやに終わってしまう可能性があった。
それだけは阻止しないと、なにもしていない雛が可愛そうだ。なんで怒ったのか、わからないけど。
リーサはベッドに寝そべったまま、言葉を吐き出す。
「才能のある人間は、巻き沿いになる可能性がある。あの子は才能に満ち溢れているの」
枕を掴み、胸にギュっと両手で抱きしめる。
「才能がある。それは罪であって、罰を受ける。才能がない人間は群れ、才能のある人間は孤立していく。だけど、才能のない人間が10人集まろうと才能のある人間には勝てない。なら潰してしまうのが手っ取り早い」
リーサの頬を硝子のように透き通った水滴が、綺麗な瞳から溢れ出していく。
「ただ、この人が喜ぶ顔を見てみたい。それだけを思って……違う。この人に振り向いて欲しくて……私が彼の夢だった世界へ行けたら、喜んでくれるかな。その頃には、胸を張って心に留めている気持ちを伝えられるかな。って思ってた。でも結末は正反対で、彼は私が使い物にならないとわかったら、別の場所へと渡り鳥のように消え去っていった。残ったのは使い物にならなくなった足と空っぽになった心。そして孤独……」
崩壊して溢れ出してくるダムの水。
崩壊して溢れ出してくる心の叫び。
崩壊して溢れ出してくる彼への愛。
彼女の心は彼に向けられていて、彼女の原動力は彼を愛する気持ちだった。
リーサの隣に座り、ポケットからハンカチを取り出し、涙を拭ってあげる。
「ねえ、リーサは走っているときは彼のことだけを考えていたの?」
「……そうだね」
「それってさ、走り終わってからじゃない?」
リーサは考えているのか、無言になる。
「俺の場合はさ、そうだった」
懐かしい思い出。
「幸菜がさ、テレビでオリンピック、柔道の大友選手が金メダルを獲得したって聞いて、「刹那! 私も金メダルが欲しい」って言い出して……投げ飛ばされてばっかりで才能がないって師範に言われるレベルの人間がさ、朝、走りこんだり、道場が終わったら筋トレやったりしてた。幸菜のためって思い込んでね」
空いている左手で、リーサの頭を撫でてあげる。
「小学校6年の夏の全国大会で優勝して、その時に思ったんだ。試合中に幸菜のことが頭に浮かんだか? そう思ったら柔道をやめちゃってた。柔道が楽しく思えなくなったんだ。リーサはどう? っていきなり言われてもわからないよね。だけどリーサがなぎさのことを気にかけているのは、リーサが陸上が好きなんじゃないかって思うんだ。」
ダムに溜まっていた水が底を突いて涙が止まったのか、赤く充血した瞳で「ちょっと考えてみるね」と俺を見つめてくる。
「うん。ゆっくり考えて答えを出してあげるといいと思う。後さ……」
タイミングよく、コンコンっと部屋にノックの音が響き渡る。
「失礼しますなのです」
俺のかわいい義妹である、雛が夕食のお迎えにやってくる。
部屋の中にいる来客を見つけて、一瞬、固まったかのように動きが止まる。そして
「幸菜お姉さま! どういうことなのですか!?」
「どうって……リーサ、編入試験を受けにきたから、今日からこの部屋に泊まることになっているのよ。仲良くしてあげてね」
「はわわ……」
と絶句して、俺とリーサを交互に見て、驚きを隠せないご様子。
雛には聞こえないように、リーサの耳元で「私の義妹、かわいいでしょ」と囁く。
クスクスっとリーサは笑う。
「それに、雛はとっても強い子だから、さっきぐらいのことじゃ、遠のいたりしないよ」
「そうみたいだね」
と2人して笑う。
「お2人とも、どうして笑うのですか!」
だって可愛いんだもん。
ここまで、表情豊かなのは一種の才能かも。
「雛、怒りました……一緒にお泊りさせてもらいますなのです!」
今度は俺の表情が笑顔から驚きへと変えられる。
「ちょっと! 本当に言ってるの!?」
「本当なのですよ!」
とプイっとこっちに表情が見られないように背を向ける。
困った。
こうなってしまった雛をなだめるのは、ちょっと時間がかかる。
「雛。ごめん!」
両手を合わせて、謝罪の言葉を口にすると、雛の背中がゆっくりと上下し始め、見る見るうちに上下運動の速度があがって、クスクス声が聞こえる。
「……雛?」
ベットから立ち上がって、雛の向かって歩いていく。たった数歩でわかった。
からかいすぎて、怒ってしまったと思っていたのだが、これはしてやられた。
「幸菜お姉さまは本当にお優しい方なのですね」
仕返しと言わんばかりに笑顔の雛がいたのである。
「刹那もしてやられたね」
と今度は3人で笑い始める。
そうしてリーサと雛は仲直りをした。
「ちゃんと、雛もお泊りはさせて頂きますなのです」
そこは本気だったのね……。




