旅立ち
刹那は本当にバカ。
だって、ずっとこの学院に居たいと思えば、その願いは叶うのだから。
それでも、私と入れ替わることを選んだ。
兄としての威厳なのか、女学院に男が混じっているという、不純物が嫌だったのか。
たぶん、私の持っている感情では理解できない。
でも、刹那が築き上げた人間関係に触れれば、私も少しは理解できるかも。
長く急な坂道をトコトコと歩いて行く。
家にいる間、少しは体を動かしていたから、これぐらいの坂道は苦にもしない体になっていた。
これも刹那のおかげ。
あ、言い忘れてた。
ありがとう。
御礼の言葉をまた言えなかった……。
いつもそう。
ありがとう。
ごめんなさい。
どうしても、この2つの言葉を刹那に言えたことがない。
恥ずかしいとか思ったこともないし、言いたくないとも思ったことがない。だけど、なぜか言えたことが一度もなく、後になって言えなかったと気付かされる。
そんな所が刹那の良いところだと思う反面、悲しい部分でもある。
慣れない急な坂を上りながら、これからの学院生活よりも刹那の事が心配で……。
「あ……」
綺麗な薄い緑色のドレスを身に纏い、ドレスが汚れないように、スカートを捲し上げている。
呼吸の乱れなどがないことから、彼女は薄々ながらも気がついていたのだと思う。
「行かれてしまったのですね」
まだ見た目は幼くとも、私の目に映る雛子ちゃんは大人への階段を、私よりもいくつか上へと進んでるように見えた。
刹那がいなくなる。
大好きな人がいなくなる。
それでも、雛子ちゃんは騒ぐこともなく、泣くこともなく、追いかけることもしない。
「追いかけないの?」
「はい。お兄様は私とのお別れがとても寂しくお思いなのです。だから……雛は……」
追いかけない。
瞼に涙を溜めて、必死に自身の心と葛藤し、もがき苦しむ。
ズキリと、私の心も痛みだした。
雛子ちゃんは感情豊かで、楽しいと笑うし、悲しいと涙を流す。
そんな子が必死に泣かないように、涙が溢れてきても流さないように……。
「私は刹那じゃないけど……私も雛子ちゃんのお姉さまになってもいいかしら」
返事はなかった。
この子にとっては、刹那がお姉さま。
たぶん、私と刹那が一卵性双生児で生まれていたとしても、雛子ちゃんは見分けられるだろう。
でも、もう彼女の前に刹那はいない。
別に、連絡をすれば刹那は普通に受け答えするし、週末に会いたいと言えば会いに来る。
少しずつ間合いを詰めていく。
もう私の気持ちも、雛子ちゃんの気持ちも刹那には届かない。
ズキっと心に痛みが走る。
「お姉…さま……」
私の頬に涙が流れていた。
私と雛子ちゃんの涙の理由は違う。
彼女は悲しさからの涙。
私は、花園楓に負けた悔しさから。
同じ日に生まれた。
わずか数時間違うだけで、兄と妹という形が成り立った。そして、未熟児で生まれ、持病を持ち、刹那に助けられて……。
助けられてばかり。
「情けないわね」
雛子ちゃんを抱きしめた。
「小さい頃、私の傍にはいつも刹那がいて、ずっと隣にいると思ってた。私が助けてって祈ればどこからともなくやってきてくる。そんなヒーローが刹那。でも、この学院お人達、雛子ちゃん。なぎささん。そして花園楓。刹那が多くの人と出会って、大事な人が出来て……言いたくないけど、愛する人も出来てから、私は好きから愛していると感情を刹那に持ったの」
すすり泣く声だけが私の耳に届いてくる。
「遅いわよね」
私の涙腺が崩壊した。
「刹那のために、私はなにをしたんだろうね。ずっと甘えてきて、都合が悪くなったら「好き」とか言って、ずっと捕まえようと、側に居てもらおうとしか思ってなかったのかもしれない!」
「それも人間らしくていいじゃないの」
青色のスカート丈の短いドレスを着たなぎささんがこちらに歩いてくる。
「自分を好きにならないと人も好きになれないと思うし、それが失敗だと思ったのなら2回目の失敗を無くせばいいだけじゃん。幸菜はまず、自分を好きになろうよ」
ね?
いつの間にか、雛子ちゃんも泣き止んでいて、下から私の顔を覗き込んでいた。
「私で良ければ、幸菜お姉さまの義妹として、お使いしたのですが……」
「えぇ、私なんかで良ければ」
私の背中をなぎささんが押してくれて、学院までの坂道を私は歩み出す。
妹と友人に背中を押されながら。




